第4話 契約書

 「男なんて……大嫌いだ~ッ! 」


 そう叫んで、ソファーに横になる夏希。手にはワイングラスが握られており、中に半分くらいワインが入っている。


 睦月は、やれやれと夏希の手からグラスを抜き取ると、テーブルに置いた。


 男嫌いと言いつつ、その男の前で無防備に横になってしまう夏希に、ため息がでる。

 着ているのは睦月のTシャツのみ。夏希が着ると、太腿の半分くらいの長さがあるとはいえ、横になるとかなり際どい。

 胸もブラをしていないようで、形が丸わかりだ。

 昨日、元婚約者殿と抜いているから良かったようなものの、欲求不満だったら、手を出してしまったかもしれない。


「もっと、危機感を持った方がいい 」


 呟いてみるが、夏希が起きる気配はない。

 夏希の隣りに腰を下ろし、寝ている夏希を眺めつつ、ワインを飲んだ。


 夏希はたまに寝返りをうち、その度にTシャツの裾がめくれそうになる。


 やばいな、変な気分になりそうだ。


 夏希は化粧をしていないにも関わらず、キリッとした眉をしており、唇の血色もいい。もっと身なりに気を使ったら、そこそこの美人になるだろう。


 こんなに無防備だから、男が手を出したくなるんじゃないか?


 睦月は、そろそろと夏希の頭を撫でてみた。髪の毛が柔らかく、シルクのようにスベスベだった。


 夏希は手を伸ばし、睦月の足に手が当たると、頭を睦月の太腿にのせてきた。枕を引き寄せるように、睦月の太腿の間に手を入れる。


 こいつ、なんだかんだ誘ってるんじゃないのか?


 夏希の手が、睦月の微妙な場所に置かれている。

 睦月は、そっと夏希の手を下に下ろし、その顔を覗き込んだ。


 やはり爆睡だ。


 しばらく夏希の頭を撫でながら、ワインを飲んだ。

 今度は夏希の頬をつついてみた。

 すると、夏希はへらっと笑う。

 その顔を見て、睦月は吹き出しそうになり、慌ててワインを飲み込んだ。むせて咳がでる。

 それでも、夏希は起きなかった。

 再度つついてみると、今度は眉を寄せる。


 可愛いじゃないか。


 その表情の変化が、愛らしく思えた。思えば、女に対して可愛いと思ったのは初めてかもしれない。


 女は煩く、面倒で、厚かましい……、そういうイメージしかなかった。ただ、性欲はあるので、その処理のためだけに相手をしていた。

 だから結婚についても、恋愛感情は全くなく、睦月的にはどうでもいいことだった。見合いをして結婚を決めれば、回りが静かになるし、性欲も処理できる。

 そんな理由で結婚を決めていた睦月であるから、この感情は新鮮で興味深かった。


 いろんな表情が見たい……。


 そう思った。


 睦月は、夏希の胸をじっと見る。

 そんなに大きくはないが、形が良くちょうどいい膨らみ具合だ。


「……ウン」


 夏希は眉を寄せたまま、軽く吐息をはく。その声が妙に艶かしく、睦月はワインをゴクリと飲み込んだ。


 セックスに至る行為が気持ち悪いと言っていたが、トラウマでもあるんだろうか? そのトラウマさえ解除できれば、セックスもできるようになるだろうし、一回やってしまえば、後はいくらでも……。


 睦月は、この身体に触れてみたいという欲求をワインと一緒に飲み込んだ。もし触れてしまえば、自分の歯止めも効かなくなりそうだったし、なにより今夏希が起きたら、男嫌いが増長してしまうこと間違いない。


 まずは、信用を得なければならない。少しずつ慣れさせて、レベルアップしていく。

 そして、最終的には……。


 睦月は、触れるか触れないかくらいのキスをした。


「なあ、俺と付き合ってみるか? 」


 睦月は、夏希の耳元で囁いた。

 夏希はくすぐったかったのか、首をすくめる。


「俺からこんなこと言うのは初めてだぞ。嫌なら嫌って言えよ」


 爆睡の夏希が嫌と言うことはない。


「よし。決定だ」


 睦月は、優しく夏希の頭を撫でた。

 だいたいの女が、睦月に気に入られようと、猫なで声ですり寄ってくるのに、そんな睦月の前で、男なんて大嫌いと、何度も言う夏希。そう言われる度に、好きにさせてみせると、チャレンジ精神が刺激された。


「夏希、ベッドで寝たほうがいい」


 睦月は、夏希の肩を揺らして起こす。

 夏希は、いきなりムクッと起きると、テーブルの上を見て、片付け始めた。

 とても今まで泥酔していた人間の動作には見えないくらいキビキビしている。

 危なげなく食器をキッチンに運び、丁寧に洗う。食器がガチャガチャ鳴ることなく、水音くらいしかしない。

 食器を拭き、食器戸棚にしまう。流し台も拭きあげ、キッチンの電気を消した。

 そんな夏希の様子を唖然と見ていた睦月の前を素通りし、夏希は寝室に入って行く。バタンとドアが閉まる。


「ヤバイ! 面白すぎる……」


 睦月は、声を押さえながら笑う。


 なんであんだけベロベロな状態で後片付けなんかできるんだ? しかも完璧だし。


 寝室を覗いて見ると、布団をかけて夏希は寝息をたてていた。


 横に滑り込みたいが、今はまだ早いだろう。


 睦月は、押し入れから毛布を出すと、後ろ髪を引かれる思いで、夏希の顔を覗き込む。


「おやすみ……」


 さっきよりも唇を押し付けるキスをする。

 吸い付くような感触に、頭がクラクラしつつ、理性を総動員して寝室から出た。


 リビングに戻ると、毛布をソファーに投げ置く。

 書斎に入り、PCの前に座る。

 家政婦としての契約書が一通、それと別の契約書がもう一通。


 二通目の契約書……、それは『甲(上條睦月)が乙(如月夏希)の恋愛恐怖症を改善するための契約書』と書いてあった。


 其の一、甲が乙に行う行為に協力すること。

 其の二、甲が乙に行う行為に嫌悪感を抱いた場合、直ちに報告すること。

 其の三、甲が乙に行う行為に愛好を感じた場合、直ちに報告すること。

 其の四、甲乙双方の仕事時間以外は、なるべく一緒に行動すること。

 其の五、この契約書は、状況に応じて更新される。

 其の六、乙の恋愛恐怖症が改善されたとき、乙は甲の願いを一つ叶えること。


 以上のことに同意したものとする。


 睦月は、契約書を印刷すると、欠伸をしてリビングのソファーへ向かい、毛布をかぶる。

 すぐに寝息が聞こえてきた。

 その寝顔は、いつもの厳しいものではなく、いたずらっ子がいたずらをみつけたときのように、楽しそうに笑っていた。

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