第3話 契約交渉
睦月がリビングダイニングで、酒のつまみで夕食代わりにし、ビールを飲んでいたら、女がフラフラと濡れた髪のままやってきた。
「少しは正気に戻ったか? 」
「ここは……? 」
「俺の家」
女は、フラフラとキッチンに向かい、勝手に水を飲む。使ったグラスはきちんと洗い、拭いて棚に戻した。
なぜこんなに自然にうちの中で動けるのか?
「あのさ……」
「上条様、なぜ私がここに? お仕事で来たんでしょうか? ちょっと覚えてなくて」
「仕事? 」
「丸沢家事代行サービスでございます」
丸沢家事代行サービスは、週に三回家の掃除を頼んでいる会社だった。
それを聞いて、睦月はやっと女の正体がわかった。
三ヶ月前からうちの担当になった、如月夏希だ。
たまに出勤が遅いときにここで顔を合わせていた。
夏希に代わってから、今まで以上に家が綺麗になり、細かい所まで掃除されるようになっていた。
今回の担当は当たりだと、丸沢家事代行サービスに電話して、彼女の担当を固定してくれるように頼んだばかりだった。
「如月さんか! 思い出した」
「私、どうして上条様の家でシャワーを浴びるようなことに? 」
睦月は、夏希が道でふらついて歩いていて、声をかけたらゲロをぶちまかれたこと、しょうがないから家に連れてきたら、トイレでもどして、風呂をすすめたら自分から風呂へ行ったことを説明した。
「すみません! すみません! 掃除してきます」
夏希はトイレに走って行き、手早く掃除をする。そのまま風呂場へ行き掃除をし、ゴミ袋に入った汚れた服を簡単に洗う。
高そうなスーツだ。染みになってしまうかもしれないと、夏希は青くなる。自分の洋服と、スーツ以外の睦月の服は洗濯機に入れた。
リビングに戻ると、睦月がビール片手にスルメをかじっていた。
「夕飯」
睦月が軽くビールをあげる。
「本当に申し訳ありませんでした。スーツ、弁償させてもらいます。」
夏希が頭を深く下げた。
「いいって。どうせクリーニングに出すものだし、問題ない」
「でも、染みになったら……」
「染み抜きもうまいクリーニング店だから大丈夫。それより、そのかっこうじゃ帰れないな」
長めのTシャツ一枚姿だ。ズボンも置いてあったが、大きすぎて脱げてしまうから着れなかったのだ。
「はあ、できたら服が乾くまでいさせてもらえたら……」
洗濯機には乾燥機能もついていたから、朝までには乾くだろうが、乾燥には時間がかかる。
「しょうがないな。」
夏希は、居場所を探そうと、とりあえずキッチンに入る。リビングに対面するキッチンだから、ソファーでくつろぐ睦月の姿も見えた。
ビールがなくなりそうに見え、睦月に声をかける。
「上条様、冷蔵庫を開けていいですか? ビール出します? 」
「頼む」
冷蔵庫を開けると、水とビールがほとんどで、食べるものがほとんどない。貰い物らしい高そうなベーコンとチーズ、野菜室には何故かジャガイモが数個転がっていた。
夏希はビールとグラスを持っていき、注いでから渡した。
「あの、冷蔵庫の中の物、使ってもいいですか? 」
「冷蔵庫? 何か入ってたか? 」
「ベーコンにチーズ、ジャガイモ。簡単なツマミでも作ろうかと」
「どうぞ。それ以外でも、あるものは何を使ってもいい。まあ、何もないと思うが」
使われたことはないが、一応料理道具はそれなりにそろっている。
料理はできるはずだ、材料さえあればだが。
夏希は、棚の中にあった有名店のクリームシチューの缶詰めとさっきの材料で、簡単にジャガイモとベーコンのグラタンを作る。ホタテの缶詰めがあったから、それもグラタンに入れた。
缶詰めは色々とあり、とりあえず小鉢に盛り、なんとなく見栄えをよくする。
夏希がそれらを睦月の前に並べると、睦月はかじっていたスルメを手に、豪華に並べられたテーブルを見て驚いた。
何もないはずの家で、こんなに食事らしい食事がとれるとは!
「すみません、こっちは盛っただけで。缶詰めがあったから、使わせてもらいました」
そういえば、お中元でもらった缶詰め類をしまいこんでいたような……。缶詰めでも、きちんと皿に盛れば、料理のように見えるものである。
「これは? 」
「グラタンです」
ジャガイモはホクホクで、ベーコンがいい塩気を出していて、ホタテが味を濃厚にしていた。
「うまい! 」
睦月は、始めてこのマンションで食事をとった。
「如月さん……言いにくいな。夏希でもいいか? 」
「はい、どうぞ」
「俺も上条様じゃなく、睦月でいい。上条様じゃ、なんか取り引き相手といるみたいで落ち着かない」
「睦月……さんですね。わかりました」
お客様の要望はなるべく答える、丸沢家事代行サービスの会社理念だった。
「君は凄いな。ずいぶん若そうなのに、掃除も完璧だし、こんな旨いものを、簡単に作れるんだから」
「ありがとうございます」
「突っ込んだ話しを聞いてもいいか? 」
「はあ? 」
睦月は、キッチンに向かい、夏希用のグラスを持ってきてビールをついだ。
「まあ、飲め」
ほとんどもどしたのもあり、また飲める状態になっていた夏希は、喉も渇いていたためビールをいっきに飲んだ。
「いけるくちだな。こっちの肴には日本酒のがあうか? 」
料理の材料はなかったが、酒なら貰い物が沢山あった。
睦月は、酒が飾ってある棚から、桐の箱に入った日本酒を出してきた。
「日本酒はいけるか? 」
「はい」
江戸切子だろうか?高そうな グラスに注ぐ。
「で、突っ込んだ話しなんだが、今給料はいくらだ? 」
「お給料ですか? 」
確かに突っ込んだ話しだ。
「固定給か、歩合か? 」
「一応、まだ入社したばかりだから、固定給でやってます。顧客がついたら、プラス歩合に……って話しで」
「顧客は? 」
「睦月さんが顧客になってくださっただけです」
「そうか……、じゃあ、今の給料の倍でどうだ? 」
「はい? 」
「俺と専属の契約を結んでほしい。ついでに、住み込みだとありがたい。俺は温かい飯を家で食べたい」
夏希は考えた。
この話しはありがたい。今の給料が十三万。はっきりいって、一人暮らしに無理があった。
倍ということは、二十六万。しかも住み込みなら家賃や光熱費もかからないはずだ。
男に頼ることなく、一人で生きて行くためには、貯金はしっかりしないといけない。
そう思う一方、住み込みということは、睦月と一緒に住むということだ。
日本酒を二杯あおり、夏希はお受けしますと答える。
「よし、契約成立だな。明日、契約書を渡すから。で、給料はいくらだ? 」
「今、十三万もらっているんですが」
「なんだ、そんなに少ないのか! じゃあ、三十でいいか? 」
倍以上である。
「三十万? ……円ですよね? 」
睦月は、ブハッと笑う。
「当たり前だ」
何かツボに入ったのか、笑い上戸なのか、睦月は豪快に笑った。
その笑顔を見て、夏希は睦月の印象が変わった。
厳つくて、いつもムスッとしていて怖い人だと思っていたが、笑い顔はなんていうか……可愛い。
それから、しばらく日本酒を飲み、瓶があくと次はワインがでてきて、いつしか夏希は元の泥酔状態に。
「男なんて……男なんて、みんなやりたいだけじゃないか! 」
「なんだ、そりゃ? やりたいのは女もだろ? 」
「私は、ぜーんぜん、やりたくありません! ってか、できないし。気持ち悪いだけだし」
「気持ちは……いいと思うがな?
」
「どこが?! 」
「なんだ、男嫌いか? 」
「セックスが、セックスに至る行為が嫌なんです! みんなやりたがって、バッカみたい! 」
「なるほど、わかった! 夏希のセックス嫌いを克服してやろう。」
「無理! ぜーったい無理! 」
「いや、できる! してみせる!
そのかわり、できたら俺の頼みを一つ聞いてもらうぞ」
「無理だって! 」
それから夏希は、プライベートな問題をべらべら話し始めた。
睦月は、たまに相づちをうちながら夏希の話しを聞き、この女なら誰彼構わず足を開くことはなさそうだと思った。
なにより、睦月の前で媚びることなく男嫌いだと言い放つ夏希に、興味以上の感情も生まれてきていた。
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