第2話 こいつは誰だ?

「違うの、そうじゃないのよ」


 目の前で、女が慌てたように手を振る。


 違うと言うなら、その繋いでいる手を離せばいいのに。


 上条睦月かみじょうむつきは、呆れたように目の前の男女の繋がれた手をを見つめた。


 もうすぐ日にちもかわるだろう時刻、いつもは車で会社に通っているのだが、帰り際何か変な音がする気がして、会社に車を置いてきたのだ。明日、ディーラーに電話をしないといけない。

 タクシーも考えたが、たまには電車に乗って、社員の気持ちを知ってみようと思ったのが間違いだった。終電間際の電車は信じられないくらい満員で、かなりぐったりして家への道を歩いていたとき、暗がりで絡み合う男女に出くわしたのだ。


 違うと言っている女は、さっきまでねだるように男に迫り、路上で熱烈なキスを交わしていた。

 

 昨晩は、睦月の腕の中で喘いでいたというのにだ。


「もう、連絡してこなくていい。仲人さんには、こっちから適当に断っておく」


 睦月は、男女に背を向けて歩き出す。


 彼女は睦月の婚約者だった。


 取引先の娘で、見合いで知り合った相手だったため、そんなにショックではなかったが、さすがに目の前で浮気現場を押さえてしまったからには、そのまま結婚……というわけにもいかないだろう。

 何もできない女、料理も洗濯も掃除も。そんなものはハウスキーパーに頼めばいいと言い、働く気もなく、結婚したら何をするのかと思えば……。見合い当日に足を開くような女だ。そういう女だとわかっていたはずだが。


 睦月は二十八歳、親の会社の一つを任され、一応社長と呼ばれている。親の七光りと馬鹿にされないように、それなりに頑張ってきたつもりだ。

 厳つい顔に髭を生やし、筋肉質な身体にブランド物のスーツを着込み、対外的には上条グループの敏腕若社長で通っていた。

 そんな睦月の周りには、女が群がってきていたが、肩書きしか見ない女達は、だいたいさっきの婚約者と似たり寄ったりだった。


「なぜ私がそんなこと? 料理は食べに行けばいいし、掃除なんて業者がするでしょ? 」


 確かに、それができるだけの収入はあるにはある。けれど、知りもしない人間が入れ替わり家に入ることに、あまりいい気持ちはしなかった。


 仕事の繋がりもあったが、群がる女避けに婚約を決めたのだが、あんなのばかりだと、正直うんざりしてしまう。


 とりあえず、誰彼かまわず足を開くような女じゃなく、できれば家のこともやってくれる女はいないものだろうか?

 この際、性欲はそういったお仕事の女性に処理してもらい、上条グループ若社長ホモ説でも流そうかと、真剣に考えた。


 家に帰っても食事があるわけでもないし、とりあえず食事ができる場所を探そうと家の近くをうろうろしていると、目の前をフラフラと歩く人影があった。


 あっちへぶつかり、後ろに転がり、明らかに酔っぱらいだ。しかも女の。


 近寄るのもうっとうしいが、通り道でヨロヨロしているのだから、近寄らないわけにはいかない。

 近寄ってみると、かなり若い女みたいだ。


 ……なんか、見たことがあるような?

 誰か思い出せない。

 でも、確実に知っている。


 睦月の仕事で付き合いのある人間は、それこそ取引先の受付や事務員など挨拶をするくらいの相手までいれれば、数千人はいる。いちいち覚えてはいられない。でも、顔を覚えているから、よほど回数会っているはず。


「あの……? 」


 睦月が声をかけた途端、おもいっきり嘔吐。睦月と女はゲロまみれに……。


「まじか……。おい、歩けるか?


 この状態で、知り合いだろう女を放置するわけにもいかず、睦月はしょうがなく女に肩を貸して歩き出す。

 睦月が自分のマンションに女を連れていくと、女は玄関に入った途端、迷うことなくトイレに駆け込みゲロ三昧。


 この女、なんでうちの間取り知っているんだ?

 まさかと思うが、以前関係した女の一人だろうか?


 でも、睦月に群がる女達とは明らかにタイプが違う。

 とりあえず、トイレで吐いているし、睦月は着替えてシャワーを浴びることにした。ゲロまみれのスーツは、ゴミ袋に入れておく。

 すっきりしてトイレに向かうと、女は便器に抱きついてうなっていた。


「おい、そのままじゃまずいだろ。風呂入れるか? 」


 女はムクッと立ち上がると、フラフラと今度は風呂場へ向かう。

 睦月の見ている前で洋服を脱ぐと、風呂場に入っていく。


「おいおい……」


 見たのは後ろ姿だったが、見覚えのある裸ではなかった。

 さすがに、抱いた女にの身体くらいは覚えている。というか、顔は忘れても身体を覚えているというのは、さすがに我ながら鬼畜だなと思った。


 とりあえず、汚れた衣服を自分のスーツと一緒にゴミ袋に入れておく。代わりに着れるTシャツやズボンを置いて、睦月は脱衣場の扉を閉めた。


 さて、どうしたものか?

 とりあえず、彼女が誰か思い出さないといけない。

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