第4話 現実

 家に着いた敬太は、迷うことなく風呂場に向かった。脱衣所で服を脱ぎ、服の状態を確認していく。上着はボロボロで再起不能、捨てるしかないだろう。ズボンも同じく捨て。トレーナー、Tシャツ捨て。パンツ、靴下にまで穴が開いている始末だった。


 結局着ていたもの全てボロボロで捨てる事になった。


 シャワーを浴びるが、何処も染みて痛いところは無く、温かいお湯で固まっている血を洗い流していく。特に頭などはひどく、髪の毛が血で固まり束状になっていて、ほぐし落とすのに苦労した。


 排水溝に流れる赤いお湯を眺めながら凄いなと、他人事のような感想が出てくる。


 シャワーを終えて洗面所でポージング。ポッコリと出ているお腹はいつも通りだ。たるんだ二の腕、細い足。何処にでもいる中年おじさんが写っている。ぐるっと全身を見渡すが、赤い線のようなものが何本かあるだけで、傷はすっかり消え去っていた。


 病院に行かずに済んだと喜ぶべきなのか、複雑な気持ちになった。


 ついでに拾った一万円札も洗っておく。血が付いて汚れてしまっているので、1枚1枚丁寧にぬるま湯で洗い、洗い終わったら洗面所の鏡に張り付ける。こうしておけば、乾いた時に皴にならず綺麗になるのだ。全部で8枚、8万円。大金だ。



 敬太が帰ってきた家には父親も住んでいる。いわゆる実家暮らしなのだが、複雑な事情で生活はいつもギリギリで送っている。


 まず3年前に父親が脳梗塞で倒れ大手術の末、なんとか一命を取り留めたのだが、半身不随に言語障害。重い後遺症が残り要介護となってしまった。

 母親は敬太が高校生の頃に離婚していて、兄は家庭を持ち小さい子供が2人いる。本来ならば、兄の家庭で世話するところなのだが、父親がそれを拒否しているので残った敬太が世話をするようになった。


 父親は60歳の時、早期退職制度で仕事を辞めていて、老後の為にと結婚相談所を使いパートナーを探し出し、ほどなくして2人で暮らし始めていた。この頃の事は、敬太は離れて1人で暮らしていて、兄も家庭があったので詳しい事情は分からない。


 そして父親は63歳で倒れる、知らせを聞いた兄と敬太は共に病院に駆けつける。そこから手術などを終えて入院生活が始まるのだが、父親と暮らしていたであろうパートナーの姿が一向に見えず、不審に思い父親が生活していた所、要するに今いる実家に行ってみたのだがもぬけの殻になっていた。


 父親の意識が戻り落ち着いた頃に、状況を話してみると寝耳に水だったらしく、そこからパートナーの大捜索が始まるが、父親の退職金や、貯金などと共に行方知らずのまま。これは未だに進展はない。多分後々の面倒が嫌になり、お金を持って逃げ出したのだろうと思っている。


 このような経緯があり父親は自暴自棄になってしまっていて、兄とは喧嘩状態となる。それで兄の世話になるのを拒否し、敬太に回って来たって話だ。


 父親の入院、手術代を兄と敬太で払い退院。それと同時に、敬太は実家に戻る形になる。介護を全て他人に頼めるような金銭的余裕はなかったので、敬太は時間に余裕がある仕事を探し、今の夜勤の仕事に就く。


 父親の年金の支払いが始まると、なんとか生活出来るようになったが、それまでの負担が大きく、サラ金にも手を出してしまっているのが現状だ。


 ババを引く形になってしまった敬太に不満は無かったのかと言うと、大ありで、何度、父親に手をかけようと思った事か。親なんだから当たり前などと言う人もいるかもしれないが、言うとやるのは大違いなのだ。一時は助けてくれた医者すら恨んだりしたもんだ。だが結局は、家族なのだと。諦め、我慢してやっと落ち着いてきたのが最近の事だった。


 だから拾った8万円は大金だ。


 今の敬太の稼ぎは見栄を張って四捨五入して月収20万円だ。8万円は約半月分の稼ぎにもなる。


 見つけた時には偽札だろうと思っていたが、鏡に張り付けてある通し番号がバラバラな1万円札を見るとニヤけてしまう。これだけあれば人並みの正月が送れそうだ。


 戻って来たこの日は、父親の世話をして昼過ぎには眠りについた。


 


 夜勤生活なので、夜には起きだして洗面所の鏡に張り付けて乾かしていた1万円札を剥がし手にしていた。触り心地、見た目、大きさ。どれを見ても本物と区別がつかなく、念のためもう一度やってみた「鑑定」でも本物と出ているので使ってみる事にした。


 コンビニに行き、弁当やお菓子を適当にカゴに入れてレジに行き、拾ってきた1万円札で支払う。特に呼び止められる事なく、いつも通り普通に釣り銭を渡されてコンビニを後にした。


 支払う時はドキドキしていたが、使ってしまえばあっけない結果だった。


 これで拾ってきた1万円札は本物で使えるのが分かった。



 日が明け、大晦日。

ホームセンターへ買い物に出かけ、生活の細々した物を買っていると、防刃手袋っていうのを見かけた。なんでも料理で包丁を使っていて、間違って指を切ってしまっても刃が通らず怪我しないらしい。最近はこんな便利なものがあるんだな。


 防刃か・・・それがあればウサギの攻撃に耐えられるんじゃ?いやいや、命からがら逃げ出してきた場所に、なんでまた行かなくちゃならないんだよ。


 首を横に振りながらホームセンターを後にした。



 家に戻り買ってきた物を片付けて、父親の世話をして寝床に入る。不思議なもので寝る前っていうのは現実では難しい、夢物語のような事を考えてしまう。


 お金持ちになったら、父親が元気になったら。ありえない妄想をする。防刃手袋か・・・あれがあればウサギの歯も通らないだろう。暗さだって頭に付けるライトとかを持っていけば大分ましだろうし、何か武器的な物もあれば安全だろうな。なんとなくスマホをいじりママゾンで調べる。


 防刃ベスト、防刃シャツ、アームガード、ネックガード、ステンレスメッシュズボン。全身防具あるんだ。知らなかったな。あ、でもステンレスメッシュズボン7万円だって、高いな。他は2千円、5千円・・・買える値段だな。草刈り防護ズボン5千円、これもいいな。ふふふ、これ全部あればウサギなんかに噛まれないな。そうすれば、もっと奥に進んでポーションの回復(小)より性能が高い、回復(中)とか回復(大)とか見つかるかもしれないなぁ。


 そうしたら父親も良くなるかもなぁ。考えるとダンジョンってところに可能性が眠っているのかもしれないな。人生逆転の一発が。




 目が覚めると、眠る前に考えていた事など非現実的だって考えの方が断然に強くなる。あれだけ噛みつかれ傷だらけになり、逃げ出した場所なのだ。痛みを思い出し、首を横に振る。


 ゆっくりとした大晦日の夜を過ごし、年が明け、兄の家に遊びに行き、甥っ子共にお年玉を渡す。今年はダンジョンで拾ったお金があったので甥っ子共はニコニコだった。


 家に帰ると父親の世話をしてとっとと寝床に潜り込む。そして眠る前になると、また昨日のように夢物語を考え始める。


 スマホでママゾンを眺め全身防刃コーディネートでいくらかかるか計算し、金属バットやバールなんかも見て想像を膨らませる。


 しかし目が覚めると無理だって思いが強く出る。




 そんな現実と夢物語を繰り返し数日が過ぎていく。正月休みはダラダラと過ごし、あっという間に終わってしまった。美味しい物を食べられて、少し太ってしまったと思う。


 仕事が始まり、いつもと変わらない日常が始まる。この日はデイサービスで、父親をお風呂に入れてもらっていた。


「森田さん」


 デイサービスで来てくれている、いつものおばちゃんが話しかけてきた。


「はい」

「ちょっとお父さんの床ずれ、ひどくなって来ちゃってるね」

「え・・・そうですか」


 言われて父親のお尻の床ずれを見ると、確かに悪化している。前は赤くなっている程度だったと思うが、今は皮がめくれてしまっている。正月休み中、父親の面倒見るのを少し怠けてしまったせいだろうか、辛い思いをさせてしまったようだ。夢にうつつを抜かしていた敬太は自分を責めた。


 デイサービスのおばちゃんはそれ以上床ずれについて追及する事はなく、後は世間話に終始して帰って行った。色々な家庭を周り色々な事情を知っているからなのか。プロらしい気遣いが、ありがたかった。



 一見、他人から見れば大した事がないような日常の1コマなのだろうが、敬太はこの床ずれで決心する事が出来た。もう一度ダンジョンに行ってみよう。そして父親にポーションを飲ませてあげるんだ。敬太のふくらはぎを治したあの薬ならば、床ずれも治るに違いない。


 誰かに背中を押されるのを待っていたのかもしれない。なにかきっかけを待っていたのかもしれない。でも、だからこそ、そうと決めてからは行動は早かった。


 まずは確認から。本当にあの場所は存在したのか?ススイカで行くことができるのか?


 敬太は最初に1回入ったきり、改札に近づかない生活を送っていたので、確かめる事はしていなかったのだ。

 

 早速、自転車にまたがり駅へと向かった。今日は確認だけだから、持っているのはススイカだけ。


 駐輪場に自転車を止めて、駅構内に向かう。あの時以来の駅だ。少しだけ緊張してきた。


 改札が目に入る。ススイカを見つめ息を吐く。それから、よし!と自分のタイミングで改札に歩き出す。


「ピピッ」


 軽い電子音が鳴り、辺りが一瞬暗くなる。気が付けば前に来たあの部屋に来ていた。


 見えるのは改札とATM、正面に扉があって、何も変わってない。天井の丸い穴からは明かりが差し込んでおり、床には茶色い染みが所々見える。前回、敬太が汚した血の汚れだろう。


 ここに来て、あれは夢ではなかったのだと実感する。夢物語で考えていた期待と、受けた痛みの恐怖。相反する二つの感情が胸に渦巻く。


 鼻から大きく息を吸い込み、口から細くゆっくりと吐き出す。少し落ち着いた。


 改札は緑色の↑矢印が出ており動いてるようで問題はなさそうだ。ATMの画面を見ると「チャージ」の項目が出ていた。気になったので押してみると


『カードを置いて下さい』


 指示に従いススイカを置く。


『現金を入れて下さい』


と、なりガバっと投入口が開く。なので千円だけ入れてみると、普通にチャージしただけだった。それだけ。


 扉に向かい開けてみるが、その先は変わらず真っ暗だったので扉は閉めた。


 よし、確認は済んだ。先に進むのは、また今度だ。夢や妄想では無く、現実としてダンジョンがあったのが確認できたので、今日の目的は果たせた。


 部屋の中の改札にススイカをかざす。


「ピピッ」


 うん、戻ってきた。いつもの駅の改札、周りを見ても違和感なく日常の風景があった。オールクリア問題なしだ。足取り軽く駐輪場に歩いていった。




 家に帰り、父親が寝ているリビングでスマホを操作する。なんとなく父親にも覚悟の程を見て欲しくて、これ見よがしにやっているが、肝心の父親は寝ていた。まぁそれでもいいんだ。


 ママゾンで防刃物の一式をポチる。少しだけ予算オーバーしたが、お金で安全が買えれば安いものだ。


 2日後には届くようなので、決行は2日後となる。それまでに細々とした準備も済ませておこう。


 庭の物置を漁る。確か中学生の時に使っていた、軟式用の金属バットがあったはず。後は、高校生の時に使っていたフルフェイスのヘルメットが何処にあるはず・・・


 物置から始まり、押し入れやタンスなんかを物色し、それで足りなかった物をママゾンで追加でポチる。


 すでに拾ったお金では足りなくなっていて、余計に1万円程使ってしまっているが、仕方がない。先行投資としてつぎ込んだ。



 それから2日後ママゾンから荷物が届いた。

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