星屑は金平糖

夕空心月

第1話


もしも、

星屑が降ってきて、

街全体に降り注いだら。


私は瓶を持って、それを拾い集めに行こう。


掃除のおじちゃんが箒で掃いてしまう前に。野良猫に咥えて行かれる前に。


ピンク色、緑色、黄色に青色。それらみな淡い色をしている。手に取ると冷たくて、少し夜の匂いがする。


私はそれを口に入れる。それはほろほろと崩れて、柔らかい甘さがじんわり口いっぱいに広がる。私は目を閉じて、かつて星と呼ばれていたそれら一つ一つの物語に思いを馳せる。


ああ、神様、どうか。

私の上に、星屑を降らせて下さい。




***




幼い頃から私は、少し周りから"浮いて"いた。

みんなが校庭を走り回っている中、私は松の木の下で松ぼっくりを隣に置いて、一緒にお昼寝をしていた。みんなが先生の話を聞いている中、私は四角く切り取られた空を眺め、あの薄い青色をしたものを、どうにか剥がして部屋の壁に飾れないかと考えていた。みんなが給食を食べている中、私は皿の上の鶏肉を間接的に殺めてしまった罪に心を傷め、はらはら涙を流したりしていた。


「あの子、ちょっと変だよね」


その言葉は、挨拶と同じくらい、私に浴びせられた。それを言ったクラスメートが先生に窘められるのを眺めながら、どうしてその発言が咎められることがあろうか、と考えていた。みんな、事実を言っているだけだ。私はそういう言葉で、傷ついたことは一度もなかった。


私はいつも一人だった。けれど、それを悲しいことだとは思わなかった。むしろ、どうして人は人と一緒にいたがるのか不思議だった。授業中密かに飛び交う交換ノートや、連れだってトイレに行く人たちを眺めながら、私はいつも「変なの」、と思っていた。何かする時に、みんなと同じことをしなければならないのも疑問だった。私は私にしかなれないし、あの子もあの子にしかなれないのに、どうしてみんな一緒のことをしなければならないのだろう?


「どうして、普通のことができないの?」


ママはよく、悲しそうな顔で私に言った。ママの悲しそうな顔を見るのは私も悲しかったけれど、普通、と言われても、私はどうすることか普通なのかわからなかった。


一日の中で一番好きな時間は、夕方と夜の狭間だった。その時間は一日の中の、ほんのちょびっとしかない。桃のジュースのような淡い色をした空がだんだん濃く、オレンジ色に染まり、紫のベールがゆっくりと降りてくる。一番星がちかちかと瞬き出すと、辺りはあっという間に夜に染まり出す。その流れをぼんやりと眺めるのが、私は好きだった。学校からの帰り道、道路に立ち止まってずっと空を見上げていることもよくあった。幼いながらに、なんて美しいのだろう、と思った。今目に映るものがそのまま私の目の色になってしまえばいいのに、と思った。そうやって立ち尽くしているうちに、どこからか夕ごはんの匂いが漂ってきて、我に帰って私は家路を急いだ。




***




「ねぇ、君はいつも、どんなことを考えているの?」


あの日彼が私に尋ねてきたことを、今でも鮮明に覚えている。

あれは、秋のよく晴れた日だった。私は落ち葉を掃く掃除当番で、中庭の木の下で落ち葉を踏んで遊んでいた。かさかさ、足を動かす度に彼らは歌ってくれる。それが嬉しくて、私は箒なんか投げ出して、足を動かしていた。

彼は、私と同じ掃除当番だった。彼の名前は、もう、忘れてしまった。けれど、彼の声は、今でも覚えている。まだ高い、少年の声をしていた。髪の毛は短く刈っていて、青色のTシャツが、色鮮やかな落ち葉の中でよく映えていた。

不意に聞かれて、私は足を止めた。私が掃除をさぼっていたから、怒ったのかと思った。けれど、彼の表情に険しさは一切なかった。むしろ、興味津々、といった視線を私に向けていた。そこに悪意は見受けられなかった。

私にちゃんと話しかけてくるクラスメートなんてほとんどいなかったので、私は新鮮な気持ちになった。

「色んなこと」

私は答えた。久しぶりに人と「会話」した、と思うと少し心が踊った。

「色んなこと?例えば、どんな?」

「雲のこと、空のこと、花のこと、土のこと」

「今は?」

「今は、落ち葉のこと」

彼の目はきらきらしていた。私は今まで、こんな視線を私に向ける人を見たことがなかった。私は思ったままを話した。

「落ち葉は"落ち" 葉になる前、歌がとても上手だったの。気持ち良さそうにさわさわ歌ってて、みんなに誉められていたの。でも、"落ち"葉になった途端、声が出せなくなっちゃって、みんなから誉められなくなっちゃったの。でも、声はなくなっちゃった訳じゃないんだよ。出し方を忘れちゃっただけ。私がこうやって足を動かすと、声の出し方を思い出して、落ち葉はちゃんと歌えるの」

私はそう言って、足を動かして見せた。かさかさ、落ち葉が心地よい声で歌い出す。彼はじっと、それを聴いていた。かさかさ、かさっ、かさかさかさ。私は楽しくなって、思わず走り出した。落ち葉が舞う。私は今、落ち葉と一緒に、全身で歌を歌っている、そう思った。

「すごい。君、すごいね」

彼はそう言った。

「僕、そんなこと、知らなかった」

私は彼を見た。彼の目はまっすぐ私を見ていた。私のことを変だと笑う人たちの目とは違う目だった。

「一緒に、歌う?」

私は思わず言った。その途端、きーんこーんかーんこーん、とチャイムが鳴り響いた。掃除終了、帰りの会が始まるチャイムだった。

「やばい、遅れる、急ごう!」

彼は私の手を取って走り出した。箒の片付けも、落ち葉の片付けも忘れていた。彼の力は思ったより強く、足も早く、私はついていくのがやっとだった。でも、何だかすごくすごく楽しくて、思わずくふふっと笑ってしまった。走りながら笑ったら胸が苦しかった。結局帰りの会には間に合わず、掃除の後片付けをしていなかったこともばれて、私たちは先生に叱られた。二人でお説教を聞きながら、私と彼は隠れて目配せをした。笑いを堪えきれなくて、私は手で口を隠して、ふふ、と笑った。共犯者。そんな言葉は知らなかったけれど、私と彼はその時間違いなく"共犯者"だった。


彼はそれから間もなく、自殺した。




***




あの夜。

彼が屋上から飛び降りたと聞いた、あの夜。

私は家のベランダで、星を眺めていた。

彼がいじめられていたことを、私は何も知らなかった。彼がどんな思いで私に話しかけてきたのか、彼が抱えているものがどれだけ大きかったか、何も、何も。

その日、クラスは恐ろしく静かだった。すすり泣く女の子。先生に呼ばれる男の子。叫び出す子もいた。私は彼らをぼんやりと眺めながら、変なの、と思っていた。彼の苦しみは彼だけのものなのに、どうしてみんな、わかったような顔をして、勝手に泣いて勝手に騒いでいるのだろう。私が彼のことを何も知らなかったのと同じように、誰も彼のことを知らなかったくせに。

気持ちが、悪い。吐き気を抑えようと仰いだ空はあまりに青くて、今日が彼との掃除当番だったら楽しかっただろうな、なんて思った。

星を指で辿る。一つ、二つ、三つ。今夜は星がよく見える。

私は目を閉じて願った。あの星の一粒でもいいから、私の元に降ってくるようにと。

願いは通じた。これが、初めて私が星屑を降らせた瞬間だった。目を開くと、私の手の中には小さな星が握られていた。淡い青色をしていて、ひんやり冷たかった。

これは彼の星だ、と思った。間違いない。私はそれを口に入れた。ゆっくり、ゆっくりと溶けていく。甘くて、後味は少ししょっぱかった。私は彼のことを思った。彼と一緒に歌った歌を思った。

星屑の金平糖は、いつの間にか私の口の中から消えてなくなっていた。

空を見上げると、相も変わらず星が瞬いていたことを、私は今でも覚えている。




***




私は生き残った。生き残って、しまった。今年で二十になる。

私は何度も、星屑を降らせた。ママを泣かせた時、初めてキスをした時、パパが死んだ時、ただなんとなく、夜が退屈だった時。降ってきた星屑は、一つ一つ、大事に口に入れて味わった。どんな感情も、ゆっくりと溶けていくような気がした。星屑の金平糖が私の一部になっていくような、私の一部が消えてなくなっていくような、不思議な気持ちがした。

星屑は降っても降っても、夜空からなくなることはなかった。それと同じように、失っても失っても、私は生き残ってしまった。

いつか、私は消えてなくなる。口に入れた金平糖が、その色を広げながらゆっくりと溶けていき、跡形もなくなるように。

それまで、私は何度、星屑たちを降らせるのだろう。


ベランダで煙草を吸いながら、私は今日も一つ、星屑を降らせて口に含む。


星屑は金平糖なんだよ。そう言ったら彼はまた、真剣な眼差しで聞いてくれるだろうか。ふふ、と微笑む。共犯者だね。私と貴方しか、このことは知らないだろうね。


あぁ、夜の匂いが濃い。



神様、どうか。

明日も、私の上に、星屑を降らせて下さい。

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