サンタ、成るべし!
男が話し終えると大主教セイント・ニコラウスは深いため息をついた。顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
「なるほど。お話はよくわかりました。確かに今の私は人間です。ナイフの一突きで簡単に殺せるでしょう。さあ、おやりなさい。それであなたの気が済むのなら」
ニコラウスは両手を広げた。男はナイフを握り締めた。その手は小刻みに震えている。体も震えている。足もガクガクしている。
「くそっ、なんてこった。体が動かねえ」
男は天を仰いだ。父を死に追いやり、子供時代の不幸の元凶となった憎んでも憎み切れない相手。そんな大悪人の命すら奪えないほど、男の心根は優しかったのだ。
「なあ、あんた。やり方を変えてくれないか。俺はさっきからあんたを見ていた。あんたは貧しい家に自分の金を投げ込んでいた。何の見返りも求めることなく金を与えていた。それをこの先もずっと続けてくれないか。サンタになりたいのならなればいい。その代わり寄付金なんか関係なく、全ての子供に平等にプレゼントをあげてやってくれ。そうすれば俺はあんたを殺さずに済む」
男は頭を下げた。確かにGSFは多くの子供を不幸にした。しかしGSFのおかげで幸福を味わえた子供も少なからず存在しているのだ。その幸福を全ての子供に分け与えられるなら、これ以上の喜びはない。
「ふっふっふ。あなたは実に善良なお方のようだ」
ニコラウスは道化芝居でもみているかのように嘲笑い始めた。男の顔が怒りに染まる。
「何がおかしい。今のあんただって無償で施しをする善人じゃないか」
「大変な考え違いをしているようですね。私が金を投げ入れているのはかつて教会に莫大な寄付をしてくれた信者の家ばかりなのですよ。投げ入れているのも私の金ではありません。これまで彼らが教会のために収めた金のホンの一部を返してやっているだけに過ぎないのですよ」
「ば、馬鹿な。じゃあ、あんたは人間だった時から
「世の中、金ですよ金。金が全てです。この家に金を投げ込んだのも将来の寄付が見込めるからこそです。今はすっかり落ちぶれて娘を身売りに出そうとしていますが、数年前までここの主人は貿易商をやっていましてね、バリバリ稼ぎまくっていたのです。運さえつかめれば元のように稼いでくれるはず、そんな目論見で金を投げ込んでいただけなのですよ」
男の怒りの色がますます濃くなった。大変な見込み違いだった。いかに心優しくても限度というものがある。男の迷いは吹っ切れた。
「やはりおまえの命を奪うしかないようだな。覚悟!」
ニコラウスに突進する男。両手には鈍い光を放つナイフが握り締められている。
「ぐふっ!」
しかしそのナイフがニコラウスの胸に突き刺さることはなかった。突然物陰から飛び出した屈強のボディーガード二人によって、男は地面に組み伏せられてしまったからだ。
「ははは。仮にも大主教である私が護衛を付けずに夜の街を歩くとでも思っていたのですか。愚かな。おや、それは何ですか」
ニコラウスの足元には弁当箱に似た長方形の物体が落ちている。拾い上げると男が声を上げた。
「か、返せ。それはタイムマシンの制御装置だ。それを壊されては元の時代へ帰れなくなる」
「おや、そうですか」
ニコラウスは情け容赦なく制御装置をへし折った。男の顔が絶望に染まる。
「おやおや案外脆いですね。これであなたは戻れなくなった。知り合いが一人もいないこの時代であなたはどうやって生きていきますか。きっとつらい人生が待っているでしょうね。私は慈悲深いのです。あなたにそんなつらい人生を送らせるのは気の毒ですから、いっそのことここで殺してあげましょう。さあ、おまえたち、やっておしまいなさい」
ニコラウスがボディーガードに命令した。男の首に紐が巻き付く。
「鬼! 強欲サンタ! 死んだら化けて出てやる」
「何とでも言いなさい負け犬さん、さあ、早く息の根を止めるのです」
「もう、さっきからうるさいわね」
頭上で女の声がしたと思ったら、次の瞬間、ニコラウスの頭に液体が降ってきた。ずぶ濡れになるニコラウス。周囲に漂う異臭。ニコラウスが叫んだ。
「こ、これは糞尿!」
下水道が発達していないこの時代、人々は平気で窓から糞尿を捨てていた。身売りに出されようとしていたこの家の娘も例外なく窓から糞尿を捨てた。そして運の悪いことに、たまたま窓の下にいたニコラウスの頭を直撃したのだ。「これはご褒美です」などと喜ぶ人物もごく少数存在するが、ニコラウスにその趣味はなかった。
「だ、大主教たる私の頭に、ふ、糞尿が……なんという屈辱、なんという赤っ恥、ヘックション、うう、寒い……」
ニコラウスが白目を剥いた。そして鼻をつまんだまま地に倒れた。
「大主教様!」
ボディーガードの一人がニコラウスに駆け寄った。手を取り、胸に耳を当て、瞳孔を見る。
「し、死んでいる。大主教様が、ニコラウス様が御隠れになられてしまったあ!」
急死だった。糞尿を浴びせられた精神的ショック、そして真冬の夜にずぶ濡れにされた身体的ショックのダブルパンチにより、ニコラウスの心臓は停止してしまったのだ。
「お体を衆目に晒すわけにはいかぬ。一刻も早くお運びせねば」
二人のボディーガードは糞尿まみれのニコラウスを抱えて足早に去って行った。一人残された男は、へし折られたタイムマシンの制御装置を眺めながらつぶやいた。
「とにかく目的は達せられたようだ。でもこれからどうしよう」
「それはこっちの台詞よ」
糞尿娘とは違う声が聞こえてきた。顔を上げると全身から淡い光を放つ女性が立っている。
「あなたは誰ですか」
「私は女神。ニコラウスに啓示を与えた張本人よ。あーあ、ニコラウス、死んじゃったじゃないの。せっかくサンタにしようと思っていたのに、計画が丸潰れよ。どうしてくれるの」
「サンタなんてこの世には不要です。その計画は中止してください」
「そうはいかないわよ。『最近、人間の子供たちが生意気なので敬虔な心を養うためにサンタクロース制度を導入する』って、天上神様会議で決議された計画なんだもの。私の一存で中止なんてできないわ」
話があらぬ方向へ進み始めた。サンタならいざ知らず、相手が神様となると少々厄介だ。男が何も答えられずにいると女神は明るい声で言った。
「そうだわ。仕方ないからあんたがサンタをやりなさいよ」
「俺、いや、私がですか。それは無理です。それに私はサンタが嫌いなんです」
「無理でも嫌いでもやってもらうわ。それにこの時代にたった一人で生きていくのは大変よ。サンタになれば不老不死だから何の心配もしなくていいし」
「いや、それはそうですけど。でも何を楽しみにして生きて行けばいいのか。ニコラウスみたいに金に興味もないし」
「簡単よ。三千年後の自分のために生きるのよ。三千年経てば子供の頃の自分に会える。そしたらサンタになったあなたから子供の頃のあなたへクリスマスプレゼントを渡すの。そうすればあなたは幸福な子供時代を送れる。いい考えでしょ」
「サンタやります。すぐに転生させてください」
こうして男はサンタとして生きることになった。言うまでもなく寄付金なんかは要求しない。ある時は十字軍の傭兵として、ある時は世界一周船旅の船員として、ある時は稲の収穫の日雇い小作人として働きながら金を貯め、プレゼントを用意するのだ。
もちろん子供たちの観察は欠かさない。毎日こっそり小学校の近くに出没し、不審者に間違われないように注意しながら子供たちの素行を吟味、今年はどの子供にプレゼントを贈るかを決めるのだ。
「いらっしゃいませ。はい、こちらは四百十六円になります」
そして今日も男はコンビニで働きながら金を貯めている。
「はあ~、自分の子供時代まであと千年か。科学技術も発達してきたし、そろそろどこでもドアでも作ろうかな」
そうして男は時々考える。サンタは意外とクリスマスから縁遠い存在なのかもしれないな、と。
「だってサンタの俺は誰からもプレゼントをもらえないんだからな。最近の子供はプレゼントをもらっても礼も言わないし、自分へのご褒美なんてさして嬉しくもないし。あ~あ」
男の苦悩は続く。少なくともあと千年は続きそうだ。
天誅! サンタさん 沢田和早 @123456789
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