Give me s kiss 『あなたが好きよ』③
4月。職員室。
林田鞠哉のデスクの上に置かれた入部届。名前の欄には「五峰茉莉」の文字が躍っている。その下の活動内容欄には「世界各国料理食べ歩きとその記録(不定期)」とある。
部室。
茉莉が先頭を切って部室の大掃除が行われている。ほうきと塵取りを持って、控えめながらもテキパキと先輩三人に指示を出している茉莉。埃っぽくなった室内では、マジックペンで「あゆみ」と名前の書かれた持参のボックスティッシュで亜優美がしきりに鼻をかんでいる。どうやら案外ナイーブな体質らしい。麻耶は特に嫌な顔などせず、淡々と壁一面に張られた紙の剥がれを固形のスティック糊で一枚一枚丁寧に直している。千絢といえば部室のドア外、廊下に置いたパイプ椅子に座ってスマホをいじってサボっているが、その膝の上に茉莉が「これちょっと持っててくださいね」とどんどんと室内の本や小さい段ボールなどの荷物を重ねていく。「おい待て待て、わかった手伝うから」と千絢が言うよりも早く、そのタワーは彼女を巻き込んで崩れてしまったのだった。
5月。一階『南廊』下にある通路の自動販売機エリア。
6月。朝。五峰邸、茉莉の自室。
古風な畳敷きの部屋にカラフルなラグが敷いてある。しっかりとした作りの木組みのシングルベッドにピンク一色の寝具。八畳ほどの室内にはいささか存在感のある年代物のアップライトピアノと、そこにミスマッチな量販店を思わせる六段程度のフェイク合板の洋服箪笥。それらに挟まれた位置に置かれた、茉莉が小学校時代まで使っていったと思われる学習机。その上に、いかにも真新しい小さなスタンドミラーが置かれている。「よし」といって顔を上げた茉莉の顔に眼鏡はなく、どうやらコンタクトレンズに挑戦しているらしかった。その髪型も以前より前髪がサッパリとしていて、いくらか垢抜けた印象を与えている。愛用のメガネをクロスで丁寧に拭き取ってからケースに収納すると、それを一番上の引き出しにしまった。
7月。2年生の教室。
終業式が終わって短いホームルームの解散後、職員室へと引き上げようとしていた初老の担任教師に、茉莉が「夏期長期休業アルバイト許可願い」を提出する。それまでの彼女からはギャップのあるその申し出に、若干驚きの表情を浮かべて茉莉の顔を覗き込む彼だった。
どこかのスーパーのバックヤード。
制服姿でアルバイトの面接を受ける茉莉。ひどく赤面してガチガチに緊張しているが、対応している若い女性管理者の表情を見るに評価はまずまず悪くないようだった。
店の外に出て駐車場の隅、スマホを両手で耳に押し当てた茉莉が小さくジャンプしながら無事に採用された旨を涙目で話している。電話を受けている相手は麻耶で「オッケーだって!」とほか二人に伝え、それに千絢と亜優美も盛り上がる。
8月。夏休み。スーパーマーケット『ビージエ』の店内。
地味なスカイブルーのTシャツとウォッシュジーンズの私服に、ぎこちないオレンジエプロンを着けた茉莉がレジに立っている。昼時のピークを過ぎ、やっとお客が途切れ一息ついていた所に海報研の三人がニヤニヤした笑顔でやってきた。思わず笑顔になる茉莉。カゴいっぱいのお菓子や飲み物を茉莉がレジに通す。知り合いということもあって軽く雑談しながらのスキャニング作業だったが、突然けたたましいアラーム音が鳴って茉莉がビクッと固まる。『年齢確認の必要な商品です!!』。桃のフレーバーリキュール缶、アルコール飲料だった。「ちょっと駄目じゃないですかやめてくださいよ」と小さく怒る茉莉が千絢を見る。「あたしじゃねーよ」と麻耶を見る。「ウチも違う!」と亜優美を見る。ついに亜優美が観念して「てへっ!」。
夕方。茉莉のバイトがあがって四人がどこかへと歩いている。千絢・麻耶・茉莉のだいぶ後ろを「もうごめんってばあー」と、大量の荷物を持たされた亜優美が半べそをかきながら追いかけてくる。ほかの三人は、これも亜優美に奢らせたらしいアイスキャンディーを食べながら悠々と歩いている。茉莉は時々心配そうに亜優美の方を振り返るけれど、それでもこの状況を楽しんでいるようだ。
到着したのは誰も居ない学校。もうあたりは暗くなっている。普段ならば入ることのできない、外部から教室棟の屋上へと繋がる『外階段』(と言っても露出はしていない非常階段)へ入るドアを、何の手間もなく開ける千絢。「えっなんで!?マズイですよ!!」と戸惑う茉莉に「いいから」と言ってどんどんと階段を上っていく三人。茉莉も慌てて追いかける。
屋上へ到着すると、ちょうど近くを流れる一級河川の上空に大きな花火が上がったところだった。わあーっという歓声もそこそこに、亜優美が運んだビニールシートを広げてそこに腰を下ろす三人。一方、ひとり呆然と空を見上げ続ける茉莉。そんな無防備な彼女の首筋に(これまた亜優美が運んだ)クーラーボックスでキンキンに冷えたペットボトルを押し当てる。「ひゃあっ」という絶叫と共に振り返った茉莉に「絶対に秘密、だからな」とそれを差し出して悪戯に笑う千絢だった。その様子に亜優美と麻耶が爆笑しながら、それぞれの飲み物を手に乾杯の準備をしていた。夏の夜空に浮かんだ大輪の花たちも、まだまだその数を咲かせそうだった。
学校。職員室前の廊下。
新学期が始まると、校内には『校舎外階段の封鎖について』という張り紙が大量に貼られた。やけに威圧的に、部室近くの学内掲示板にまで貼られたそれらに茉莉が気付き青い顔で何か言おうとするが、三人はとぼけた顔で、まるでそんなもの見えないふりをしてスタスタと先を歩いていく。
9月。部室。
駄弁っている先輩たちの傍らで、熱心に訳詩に取り組んでいる茉莉。たまに問いかけに答えて笑顔を見せたり、麻耶にその内容を尋ねられたり、亜優美に「音読される妨害」を受けて恥ずかしがったりしている。
部室。
仁王立ちした三人の前で、椅子に座りヘアバンドを装着した茉莉が、スケルトンピンクのスタンドミラーと睨めっこしてメイクアップの特訓をしている(させられている)。心なしか眉が薄くなっていて、旧時代の
部室。
仁王立ちした茉莉の前で、三人が高校最後の期末テストに向けて勉強している。千絢は音楽を聞きながら案外素直にノートに向かっていて、亜優美も頬杖を突きながら茉莉の目を盗んではスマホをいじったりして、それなりにやり過ごしている。一方で麻耶はどうやら勉強が大の苦手らしかった。苦悶の相を浮かべて今にも泣きそうな表情だ。いつも茉莉をフォローしてあげる麻耶の優しさが災いして、茉莉も「今こそ麻耶の役に立とう」と余計に燃えている様子だった。たとえば英語ならノートに二、三単語を書いたと思ったらその頭をテーブルに突っ伏して弱音を吐くが、すぐに茉莉に起こされてしまう。
10月。休日の夜。五峰邸、茉莉の自室。
亜優美から貰ったお下がりの姿見の前で、茉莉が制服の着崩しを研究している。恐る恐るスカートの丈を微調整してみたり、ブレザーのボタンの位置を調整してウエストの絞りをきつくしてみたり、楽しげに試行錯誤する茉莉。その傍らベッドの上には祖母の裁縫セットを借りたのか、朱塗りのケースに入った裁縫バサミやカラフルな綿糸、ボタン、針山なども見える。また、まだ学期の途中だというのにオシャレの勢い余って
次の日の部室。ふてくされた様子の茉莉が事の顛末を三人に話している。不自然なほど真っ黒で妙なテカりを持ったダメージヘアがなかなかに滑稽だった。その可愛げのある非行エピソードに、千絢たちは目や口を手で覆って肩を揺らしながら笑いを堪えている。茉莉が必死に何かを訴えとうとうテーブルに突っ伏して泣き出すと、ついに堪えきれず三人が大爆笑する。共感と励ましを求めていた茉莉がムッとなって今度は立ち上がって抗議すると、それがさら拍車を掛けてテーブルに床に笑い転げる三人。「もういいよ!」と部室を飛び出していってしまう茉莉。
後日。
教室棟二階の廊下。
休憩時間に茉莉がひとり歩いていると、ある女子生徒から話しかけられた。『被服研究部(コス研)』の部員だという彼女は、来月に催される文化祭でのファッションショーへの出演を茉莉に打診してきたのだった。恐縮してすぐに断る茉莉だったが、「五峰さん最近すごくきれいになったから」と上手く褒めちぎられて、つい満更でもないままに回答を保留してしまう。しかし、それを端から見ていた二人組の女子が何やら面白くない表情を浮かべている。
放課後。南廊へと向かう人気の少ない廊下で茉莉を待ち伏せた
11月。文化祭当日。
「要はさ、マリっちがちーちゃんのオンナになればいいんだよ!」という亜優美のアイデアを受けて、急遽ファッションショーに出演することとなった千絢。その女子人気は学年と校内外を問わずに凄まじく、『コス研』が割り受けた「文化祭2日目・第ー体育館・午後2部」は例年にないほどの大入りとなった。当の千絢はといえば、ある参加条件を提示してそれが承諾されたために、それ以降は準備の各段階において意外にも意欲的に参加していた。それもそのはずこれから彼女が着る衣装は、例の楽曲の
いざ本番。予想もしなかった大勢の観客を見て、準備に徹夜してきたコス研部員たちも感慨深げ。ラインウェイを歩く校内モデルたちも男女問わずに気合が入る。そして最終盤、『
ついにその時がやってきた。高潔さ漂うビロードの黒マントを纏って中世の王侯貴族を思わせるような
まるで空へ飛んでゆかんとばかりに悪戯に空気を蓄えたパニエフリルのスカートと、大きく開いた胸元にインパクトを与える――愛するが故に差し違えた誰かの返り血を受けた様な(公式設定まま)――大きなクリムゾンレッドのリボンが印象的に映える、『ゴシックロリータ』調のロングドレスに身を包んだ茉莉。漆黒を基調としながらもそのヘッドドレスに細やかなゴールドラメのレースやライニング装飾を備えて、否が応にも観客の目線を茉莉の表情へと惹きつける。
「「「 きゃあああっ!!!かーわーいーいーーーっ!!! 」」」
何かアクションを起こすまでもなく、観客からの大喝采を浴びた茉莉は、ようやくその顔を上げる。見ると、大いに沸いた観客のその最前列にあの二人組女子が立っていた。二人ともどこか惚けて千絢と茉莉のアベックに見蕩れている様子だった。すると千絢が茉莉に「ファンサービスしておけよ」と耳打ちする。それを聞いて意を決した茉莉は、その手に持った『青い薔薇のブーケ』をランウェイの先端から精一杯手を伸ばして彼女たちに手渡した。「え!?なんで!?」と思わず面食らった様子の二人。その油断しきった表情を目にしてやっと心の凍てつきが溶けた思いの茉莉が、言葉は返さないままに、観客席へと挑発的なウィンクを投げた。「御機嫌よう!!」。
その後、千絢の口パクに合わせて『
この日『
体育館の入口では亜優美と麻耶がハイタッチしている。どうやら彼女たちの奇策は大成功だったようだ。
12月。管理棟三階の廊下。
体育教師の堂島に絡まれる三人。この寒さから、校則で禁止される『ハニワ』(
大笑いしながら、一階の自販機エリアまで走って逃げてきた四人。「おまえ、わりぃ奴だなあ」と千絢たちが茉莉に笑いかけると、それに満面の笑顔で返して無言のままその手を差し出す茉莉。ポカンとする三人。隣を見ると、そこは『あったか~い』で埋まった自販機の前。つまり手間賃を寄こせという訳だ。この娘もずいぶん逞しくなったよなあと感慨深げに、それでも若干引きつった表情の三人だった。
1月。元日。地域にある大きな観光社への初詣。
社殿に向き合い何度も何度も熱心に合格祈願する麻耶。それを横目に見ながらのんびり私生活のことでもお願いしていそうな亜優美。茉莉も二人に倣って手を合わせる。そんな三人を「やれやれ」と云った風で置き去りに、足早に立ち去っていく千絢。向かった先は売店だった。ひとつ千円ほどはする、『学業御守護』と丹念に刺繍が施されたお守りを三つ購入する千絢。追い付いた亜優美と麻耶が彼女に抱きつき「ちーちゃん!!ありがとっ!!」「もう素直じゃないんだからからあ!!」とはしゃぐが、そんな二人に千絢がひと言「これ全部、あたしの」。唖然とする亜優美と麻耶。そんなやり取りを端から見ていた茉莉。前途に底知れぬ不安を感じて、社殿の方へと振り返りもう一度手を合わせる。
2月。駅前。雪の歩道。
白い息をたっぷりと吐き出して、茉莉が小走りに歩道を行く。手に持ったスマホの裏面に一枚のプリクラが見える。デコ落書きで「楽勝っ!!いえーい!!」の文字。剥がれないように透明なビニールテープでコーティングしてあるようだ。
駅へと続く陸橋通路の階段の下で千絢・亜優美・麻耶が待っている。私服だった。三年生はすでにその出席義務を終えて、残る登校は卒業式のリハーサル日を残すのみとなっていた。
雪の路面に足を取られながらも、三人に駆け寄る茉莉。制服の自分と私服の三人。そのコントラストに一瞬寂しい現実を思い出したような表情を見せるけれど、すぐに誤魔化して笑顔を見せた。どこかへお出かけだろうか。階段を上り、四人揃って駅の構内へと消えていった。
この日々も、間もなく終わりを告げる。本当にあっという間の一年だった。
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