Give me a kiss 『あなたが好きよ』②



「いてっ」


 粉たっぷりのラーフル。

 校舎二階、『南廊みなみろう』の窓から落ちてきたようだ。その衝撃が洒落っ気のない薄桃縁のメガネをずらして、目の前にある平和な風景を歪ませた。徒歩での帰途、教室棟と管理棟の間にある道をショートカットして、バス待ちする生徒の多い正門を避けて、はるばる南門へと向かっていた茉莉の頭の上に、それは突然落ちてきたのだった。


「……あ、やばっ」

「(あははははは、マジで落としてやんのぉ)」

「(ちょっ、うるさい)」


 見上げた先の窓には、いかにもな派手なルックスの上級生女子が二人。ひとりはニヤニヤと、もうひとりは努めて笑顔を作るが若干の焦りも見える。地面に転がった落下物を拾うために屈むと、そのまま固まってしまう茉莉。頭頂に残る疼痛とうつうと、身動きするたび目の前に散布される白い粉。チョークの臭いがする。きっと今の自分は、怪談に出てくる雪女のような頭髪アタマをしているのだろう。まさか、こんなにも露骨なを受けるとは。


(……ええぇ、どうしよう……わたし上級生に恨まれるようなこと何かしたっけ……??)


 これまでその手の嫌がらせを受けずに済んで来た茉莉だった。心臓が急激に高鳴り、冷や汗をかいて、今すぐに母のいる都心へと帰りたいとさえ思った。心の中で何度も母への謝罪の弁を繰り返して、父へと送る協力要請文ダイレクトメールの下書きまでを練り上げる。


「ごめんごめーん!」


 恐る恐る顔を上げる茉莉。


「落としちゃったー!大丈夫ー!?」

「(ちょーウケるんだけど。なにやってんのあんた。あーかわいそっ)」

「(うるさいってば!)怪我とかしてなーいー!?」


「……あ、はい。大丈夫……です」

「オッケー!今取りに行くからー!悪いけどちょっと待っててー!」


 拍子抜けする茉莉。顔を覗かせる彼女は、笑顔の魅力的な優しそうな女子生徒だった。悪気の無いことが分かってほっとする茉莉。すると今度は、すこし彼女に興味を引かれた。


「……あっ……わ、わたし、持っていきます!」



  *



 一階の連絡通路口から、革靴ローファーを手に持って校舎へと入り、階段を2階まで登って南廊へとやってきた茉莉。例の上級生の、海外情報研究部の部室を探すまでもなく、いくつか並んだドアのひとつに、彼女は待っていた。

 招かれるままに部室内へ入ると、その手狭な室内は少々散らかっている様だった。そしてその壁には、室内に据え付けられたコルクボードらしきものの輪郭をはるかにはみ出して、なにやら古びた十センチ四方ほどの紙がびっしりと張り付けてあった。


「ありがと助かったよー。ほんとにごめんね」


「……いえ」


「やんちゃんってドジー!」

「みーちゃんはうるさいの!」


 麻耶まや(やんちゃん)のことを亜優美あゆみ(みーちゃん)がからかう。手持ち無沙汰に、つい室内を見回す茉莉。


「どうかした?」

「……いえ、あの」


「んー?」

「……御札……ですか、これ?」


 部室内の四方の壁に満遍なく張られたそれは、さながら恐怖屋敷の御札のようにも見える。


「御札とか。ウケる。おばーちゃんかよ」

「……す、すいません」

「うるさいってあんたは!」


 亜優美の大して笑ってもいないくせに「ウケる」と形容した言葉に、茉莉が不文律な威圧を感じて萎縮する。それをすかさず麻耶が咎める。


「これねぇ……」


 壁一面のそれを、麻耶がまじまじと見つめる。


「これ、ずっと貼ってあるんだよねぇ。気にしてなかったから、何?って聞かれるとわかんないや」

「……そう、ですか」


 ここってあなたたちの部室なんじゃないのと、内心不思議がってみる茉莉。亜優美がとうとう壁のそれらに注目を始めて麻耶に尋ねる。


「てか、なんなのこれ?」

「わたしに聞かれても分かるわけないでしょ!」


 そこへ茉莉が思わず口を挟む。


「……あ、えっと、これ」

「「 え? 」」


「……あ、いえ、ごめんなさい……」

「ううん、いいよ。なあに?」


 二人息の合った同時の視線にまたも萎縮した茉莉に、麻耶が優しく問い直した。


「……たぶん、洋楽の『訳詩やくし』、みたいですね」


 英語の文章の下に、いかにも散文詩さんぶんし的な日本語が添えられている。これはおそらく、歌詞だ。


「……へぇー。全然知らなかった。あ、ホントだ」

「訳詩?」


 一回の説明で充分事足りる麻耶と、まるで平仮名の書き順までを要求する様な亜優美の、バランスの取れた様が微笑ましかった。


「……洋楽の……あの、外国の歌の、英語の歌詞の意味、って言えばいいですかね」

「へぇー……」


 おそらくそれで三割方把握したといったような表情で、亜優美が小さくうなずいて見せる。一方の麻耶はすでに部屋の隅にしゃがみこんで、どこかに自分の知る歌が貼られてはいないものか探し始めていた。


「洋楽とかなんかかっこよくない?えと、マリちゃんだっけ?」

「……あの、まつり、っていいます」


 亜優美が目を細めて、茉莉のブレザーの胸元の名札から注意深くその名前を読み取った。すなわち、茉莉マリと。


「マリちゃん英語詳しいんだね。すごいじゃん」


 それにつられて、しゃがんだままの体勢で顔を振り返り麻耶も茉莉マリを称賛する。


「あ、あの……まつり……」

「そーだ!」


 茉莉まつりの必死の訂正も意に介さず、亜優美が何かを思い付いたようにロッカーの上に置いたバッグの中を漁る。


「あたしいっつも聞いてる曲あんだけどさー、ぜんっぜん意味わかんないのね?だからさっ。マリちゃん訳してみてよ!変な曲だったら恥ずかしいし」

「えっ!?いや、わたしそんなこと」

「はいこれ!」


 そう言って亜優美はライムグリーンのシリコンケースを纏った音楽プレーヤーと、スマホの画面にネットで検索した件の英詞を表示して、茉莉に託した。


「いいじゃんいいじゃん!(ねぇてか聞いて!こないだ「リンダ」と駅で会ったんだあ?したらさーあたしのオーバーオールオーバーのお尻に書いてあった単語みてねー)」


(……ええぇ……わたし英語なんて……)


 それらを手に持ったままに、部室内の壁を虚ろ気に見渡す茉莉。ふと、偶然そこに見慣れた文字列を見付けた。どうやら自分のよく知る曲のようだ。


―――――――――――――――


Give me a Kiss


―――――――――――――――



  *



 テーブルに置かれた電子辞書と下書きのルーズリーフ。何度も修正を繰り返して賑やかな紙面となっている。そのテーブルの左柄、同じサイドに亜優美・麻耶が座り、それに向き合う様に茉莉が発表の姿勢を取っている。困り眉と額の垂れ汗、震える手でノートを持つ茉莉。


「『覚えてる?あの夜、時計を壊したこと』」

「……うん?時計?」


「『ママがくれた大切なレプリカだったのに……あ、あなたは外すまでのよ』」

「……えっ……ちょっ……!?」


「『お行儀の悪いあなたの情熱に……キレイなものなんて全部ぶっ壊された気分だったわ』」

「…………やばっ………!!」


「『心も体もぜー……んぶ溶けちゃって……』」

「「 ……うんうん、溶けちゃって……っ!!? 」」


「『わたしは甘ーいブランデーチョコ……ってだめっ!!もう無理です許してくださいっ!!!もうやだあっ!!!」


「なんでなんでぇーーー!!?いいとこだったのにぃー!!もおおおっ!!!」

「あはははっ!めっちゃキュンキュンしたぁ!!!マリちゃんほんとウケる!!」



(……ひどいよぉ……やっぱりわたし……何かしちゃったんだ……)



  * * *



 幹線道路沿いの小規模なカラオケボックス。個室内に入るや否や、ブレザーを脱ぎ捨てマイクの消毒カバーを乱暴に取り払う亜優美と麻耶。

 ひとりソファーに腰掛けて、その自信有り気な二人の様子を見つめる茉莉。


(……付いてきちゃった。カラオケ……)

(……この人達って「不良」さん、なのかな……)


(……でもチャンスだよね。誰かと歌えるなんて……)

(……けっこう優しいし、悪い人じゃなさそう……)


(……今度こそは……自分から……)

(……コーラスポピュラー。誘ってみようかな……)


(……わたし、頑張る……っ!)



  * * *



 亜優美と麻耶が熱唱している。選曲はポップス中堅バンドのデビュー曲だ。難易度のそこまで高くないキャッチ―なメロディだったが、この二人の歌声は控え目に言って大惨事だった。


「ひゃっほーーー!!」

「さいこーーー!!」


(……ひどいよ……あんなにカラオケ行きたいって騒いでたのに……言いだしたのこの人達なのに……なんでこんなに……『へたっぴ』なの……???)


 すると突然個室のドアが開き、黒い薄地のカジュアルなライダースジャケットを着こなした若干ボーイッシュな風体の少女、千絢ちひろ(ちーちゃん)が現れる。


「ちーっす」


(……誰だろ……)


 室内に入ると茉莉にもほかの二人にも一瞥いちべつもくれることなく、肩から提げたバッグをソファーに下ろし左手で雑に前髪の乱れを払った。


「ったく、風つえーよなぁ」


「おっそーい!もう喉ガラガラなっちゃったじゃん!」

「そうそう!しばらくあんた歌いなさいよね!」


「「 上手いんだから! 」」

(……えっ??)


「はいはい。てか、この子、誰?」


 どうやら千絢は歌が上手らしいという未確認情報に、にわきに浮き足立つ茉莉。ようやく茉莉の姿をみとめて千絢が二人に尋ねる。


「そんなの誰だっていいじゃーん!!」

「そうだそうだあ!!誰だってオッケーなのだぁー!!」


 不自然なほど元気よく千絢の質問を躱すふたり。なにかを察してか(しなくてか)、千絢が突然とんでもないことを口走る。


「……あれか?海外アッチに売り飛ばして小遣い稼ぎ的な」

(……えええぇ……っ!!?)


 予想もしなかった千絢の言葉に、ビクッと冷や水を浴びせられたような様子の茉莉。それをみとめて亜優美と麻耶がアイコンタクトする。


「ちょっ!…………はぁ……」


 亜優美がため息を吐いた。被っていたを脱ぎ捨てるように二人は制服のブラウスの胸ボタンを一つあけて無造作に袖をまくり、だらしなくパープルとダークモカのカーディガンを着崩した。それからソファーに浅く腰かけると足を組み、悪そうな顔で笑って見せた。限界まで短くなっているとも思われるそのスカートだったが、不思議とその中身がどんなデザインでどんな色をしているのかについて、薄暗い室内ではとうとう判明しそうになかった。


「……それバラすなってぇー」

「せっかく大人しく付いて来てたのにー」


「「 ねー??? 」」


小首を傾げ、わざとらしく声を合わせてみせる二人。


「今はこういう感じの子が、結構高く売れるらしくてぇー。なんていうか、オジサン好みのさあー」

「あたしのバッグ気付いたら穴開いててー。ヤバっ!つか金無いけど!?みたいな。だからよろしくぅー」


「「 ねっ、マリちゃんっ?? 」」


 を舐めるように見まわして二人が言って見せる。茉莉に悪寒が走る。


「……わ、わわ、わたし、あの、用事があるので、し、失礼しましゅっ!!!」


 脇にあった通学バッグをその胸に抱き寄せると、至極な物言いで茉莉がお別れを言った。そしてえらく遠くに感じるドアへ向かって、ミニテーブルやパーソナルチェアーにやや激突しながらも走り出す。


「こらこらー!!!逃がすわけないだろがーーー!!」

「もっとお姉さん達と遊んでいけええーーー!!」


 まんまと逃がしてなるものかと、まるで童話に出てくる山姥やまんばのように大げさに両手を大きく上に掲げて追いかける亜優美と麻耶。


「……きゃーーー!!や、やめっ」


 部屋のコーナーに追いつめられる茉莉。どうする茉莉。すでに亜優美と麻耶はゲラゲラと笑っているのだけれど、茉莉はそれにまったく気が付かない。


「「 おりゃーーー!! 」」

「……はっ、はは、離してくださいいい!!!」


 じゃれあうように抱きついた亜優美と麻耶から強引に逃れようとして、バランスを失った茉莉は盛大に転倒コケてしまった。そして、そのまま丸くなり震える。


「ちょ、え、大丈夫……!?」

「冗談だってば!ごめんごめん……!!!」


 予想外のオーバーリアクションに、亜優美と麻耶もビックリして慌ててフォローする。うずくまり、抱きしめたカバンに隠れて見えないその顔から、まるで抗議する様な、そんな嗚咽の音を立てる茉莉。どうやら泣いているらしい。


「……うう……うぐっ……」


「はぁ。設定がタチ悪すぎんだろ。あとマジでやりそうに見えるお前らの見た目も悪い」


 端から様子を眺めていた千絢が、亜優美と麻耶を叱る。


「……こ、ここはちーちゃんの歌でも聞いて楽しくなろう!ねっ!」

「……そ、そだね!頼むよっ!ちーちゃん!」


 焦った様子で千絢に場の救済を期待する二人。


「仕方ねーなぁ。ちょっと、歌っとく??」

「「 きゃーーー!ちひろさーーーん!! 」」


 その二枚目芝居イケメン掛かった言い方から、どうやらボーイッシュではあっても無愛想なキャラという訳ではなく、他の二人同様にノリやを重んじるタイプらしい。


(……カッコいい人。確かに歌も上手そう……)


 滅茶苦茶になった長髪と口元に落ちたメガネを直してからゆっくりと立ち上がり(しかし未だ亜優美と麻耶のことは無視したままに)、茉莉が千絢に話しかける。


「……えっと、ごめんなさい。あの、ビックリちゃって……」

「ああ、いいのいいの。あたしが煽ったのも悪かったよね。ごめん」

「……いえ。あ、あの、なに歌いますか?私、入電れますよ」


「おーマリちゃんさすがー!気が利くー!」

「ひゅーひゅー!!これはいきなりお嫁さん候補だぁー!!」


 未だ亜優美と麻耶の歓声は無視したままに、茉莉がテーブルのを手元に引き寄せて千絢に尋ねた。


って言うんだね。よろしく」

「……はい。よろしくおねがいします」


 新しいコミュニティには新しい渾名あだなが付き物であるから、茉莉もこれ以上は訂正しまいと――未だ亜優美と麻耶のことは無視したままに――千絢の言葉を肯定する。


「ちーちゃん、あれ歌っちゃいなよー!!」

「えーいきなりー??それはさすがに事務所的にNGといいますかぁー」


 亜優美と麻耶が、どうやら千絢の十八番じゅうはちばんを熱烈にコールしている。


「いや、構わないぜ。今日は特別な日にみたいだし」


 そう言って千絢が、新たな仲間の誕生を祝おうと自分からデンモクで何かの曲を検索し始めた。


「マリちゃんのために、歌っちゃおうかな」

「「きゃーーー!!!待ってましたぁーーー!!!」」



――――鈍錆色の城メモワールスイートダンスホール ~堕ちた白をいだいて~ ...Album Edit...


 32インチほどの液晶テレビにその曲のタイトルが映し出され、激しいドラムロールといかにも機械ミディちっくなベースラインが大音量で曲の序盤を盛り上げる。


(……難しそうな曲っ……!!!これはもしかしたら、本当に……)


 最後の砦となった千絢の歌唱力に茉莉が一縷いちるの望みをかける。視点は微動だにしないまま、溶けた氷でだいぶ薄まったクリームソーダのストローを茉莉がその口元に運ぶ。一口飲む。グラスの底に張り付いた紙製のコースターが張力を失って落下するのとほぼ時を同じくして、テレビ画面には全体的に難読漢字が多めな文章が現れた。どうやら間もなく、いよいよ千絢が歌い始めるらしかった。



  * * * *



 宵の口。人の疎らな商店街の中の帰り道。

 ワイワイガヤガヤの三人と、その後ろをうつむきトボトボな茉莉。はたして千絢の歌声は、亜優美と麻耶にも増して(うまく文脈が掴めない独特のVビジュアル系詞の影響を差し引いてみても)鑑賞にえないものだった。


「ちーちゃんマジでちゃんと練習した方がいいって。」

「ほんと、歌以外は完璧なんだよー?」


 亜優美と麻耶がなにやら千絢に食いついている。


「悪りぃけどなぁ、あれが、つまりあたしなのよ。人に言われたからなんて、そら違うと思う訳。分かる?」


 千絢もまったく悪びれる風もなく二人をいなしてどんどん歩いていく。


「うん。だからそういうのもカッコいいハズなんだよね。上手ければっ。見てて面白いんだけどさ、だんだん勿体なくて悲しくなっちゃうよ」

「ねー練習した方がいいって。あーそうだ。あたし教室とか調べてあげよっか?」


「キャンキャンうるせー女どもだなぁー。チワワか。こまめに水飲んどけ」


「いやーだって、やっぱりさぁ」


 キャッキャウフフ。何だかんだで楽しげな三人のすでに随分と後ろで茉莉が気力なく歩いている。期待が大きかった分、落胆も同じくらい大きくなってしまった。


(……ちひろ先輩が一番ひどかった。はぁ……)


「しょうがないなー。じゃ、明日からあたしが」

(あゆみ先輩には無理でしょ!もうっ)


「あんたじゃ駄目だよー。てか、自分の歌聴いたことある?」

(まや先輩はあるんですかっ!?)


「あははっ。あんなので上から目線とかちょーウケるんですけどぉ」

「ちょっ、はぁ?あんたにだけは笑われたくないんだよねっ!!」


 先を歩く先輩たちの背中に、心のなかでそれとなく呪詛じゅそをぶつけてみる茉莉。


(……歌が下手だって、それ自体は別に悪いことじゃないけど)

(……でも、音程が取れなきゃコーラスなんて出来ないよ)


「レッベルが低いんだよなぁー。表現ってのは、つまりそこからずっと先にある」


 亜優美と麻耶の止めどない言い合いを、隣で千絢がクールに嘲笑うが、その表現もやはりまったく具体性を伴ってはいなかった。


するとふと茉莉が、あることに思い当たる。


(……あ、そっか!そうだよっ!!)

(わたしがんだ!!)


(あー、ちょっと厳しくなっちゃうかもなぁ。先輩なのに。ふふっ)


(でもでも!)

(先輩たちのにも上手くなった方がよね!)


(……よーしっ!)


 思いもしなかった盲点に、その胸を踊らせる茉莉。早速それを提案しようと先輩たちの背中に声を掛ける。


「……あのっ!!!」


「ん?」



――わたしは、何様のつもりなんだろう



「……あの、えっと……」


――それって例えば、『友達』なの?


「どしたん、マリっち?」


――自分のためだけに、この笑顔に水を差すの?


「……その……」


「言ってごらんよ、マリちゃん」



――今日はほんとに楽しかった


――欲張っちゃ駄目だよ



「……また、行きましょうね!カラオケ!」



――ちょっとずつ、友達また、始めなきゃ



「……えへへ」

「うん。そうだな」


 無邪気に笑って見せる茉莉。千絢が進路へと振り返りながら「早く来いよ」と手招きした。


「ファン獲得ですな。チヒロ先生」

「まったくちょろいもんだぜ。小娘なんてのは」

「マリちゃん、なに食べたい?」


 煤元千絢すすもとちひろ畦亜優美あぜあゆみ本庄麻耶ほんじょうまやの三人に、五峰茉莉ごほうまつりが小走りで追い付いて、はた迷惑にも女の子の集団らしくで歩き始めた。


「……あ、その、うちおじいちゃんとおばあちゃんが待ってて……もう」

「出ましたー!箱入り娘―!年寄りなんかほっとけぇー!」

「ばかっ。そんなわけいかないでしょ。じゃ、今度は昼間に遊びにいこうね」


「は、はい!行きたいですっ!」


 自由奔放な性格の亜優美と、比較的思慮深く若干でもある麻耶。


「てかさー、マリっちはちーちゃんの歌聴いて正直どう思った?」

「……えっと、いいと思います。素直な感性といいますか……あ、いえあの、生意気なこと言いました……」

「おおー。評論家みたい。マリちゃんカッコいい!」


 そう麻耶が驚いてみせると、隣で千絢が悪態をつく。内心では嬉しそうな千絢のその様子を見てとって、亜優美がからかう。


「知った風なこと言いやがって」

「せんせ、顔がニヤけてますよ」


「そしたら、マリちゃん。家まで送ろうね」


「「 きゃーーーっ!!!ちーちゃーん!!! 」」



  * * * *



 五峰邸の外門、その古びた門構えの前で互いに手を振って別れた。


 少女の手には重い引き戸を静かに開いて、玄関をくぐる。いつもよりだいぶ遅い帰宅に祖父母はさぞ心配してくれているだろうと予想はついたけれど、まだ暫く「ただいま」とは言わずに置いた。年代を感じさせる農家作りの家の、およそ六畳ほどもある上がり間は、居間へと続くガラス戸越しの光だけでは薄暗かった。その僅かな光を受けて、きちんと揃えて置かれた祖父の黒いゴム長靴が艶々と光っている。今日はいったいどうしてだろう、そんな光景さえも綺麗だと感じてしまう自分がいる。


 厚く装飾のきつい擦りガラスを蓄えた戸板に、茉莉がその背中を預ける。ガタガタと音を立ててからそれは難なく彼女の体重を支えた。未体験の連続に火照った頬と、これから始まる新しい日々を思って否が応にも高鳴る胸。ふーっと、大きく息を吐いてから、今度は小さく吸い込んで。それからあくまで控え目に、はにかんだ。



  * * * *



 

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