Track-03 : Tell me that 『あのコの話』
Tell me that 『あのコの話』①
「なにこれ、落書き?」
「え、ちょっとっ!あなたって馬鹿なの!?」
千籠と茉莉の和やかな初対面ムードは突如として暗転した。部室内にある小ぶりな黒板に目を向けて、そこに描かれたカラフルな何かを千籠がそう表現したためだ。
「……えっ、馬鹿って」
「どうやったらそう思うのよ!?どう考えても卒業生たちからの寄せ書きでしょ!」
「……『寄せ書き』って、普通は在校生から卒業生に贈るものじゃないのか?」
茉莉の表情がにわかに強張った。引っ込みの付かない茉莉は屁理屈を捏ねる。
「……は、はぁ!?そんなルール誰が決めたのっ!?
「おまえは小学生かっ!明らかに言葉詰まってんじゃねーか!」
「ああん、うるさいなあっもう!とにかくわたしが嬉しかったんだからいいでしょ!」
これまでの海報研に後輩は茉莉ひとりしかいなかったのだから仕方がない。ひとりではどうやっても書き寄せようがない。そんな自己弁護を胸の内で展開する茉莉。
「言っておくけど絶対消さないでよね!たとえ新入部員だって、消したらぜったい許さないからっ!」
さっきよりもすこし真剣みのある表情で千籠に釘を刺しておく茉莉。
「……そりゃ大切なもんなら消さないけどさ」
その居心地の悪さから目線を逃がして、彼は黒板を注意深く鑑定してみる。『あゆみ』・『まや』・『ちひろ』。どうやらこの春卒業していった先輩は三人だったらしい。その内のひとつによって呼び起されるとある回想を、まるで遮るように注意を寄せ書きのディティールへと向けた。
「なんか、英語書いてあるな」
卒業生の名前の傍らには日本語で書かれたメッセージとは別に、短い英語の文章が添えられている。単語の羅列から大意を把握すれば、それらの関係性は近からず遠からずであるといった印象を受けた。これは英文の日本語訳なのだろうかと推理する。
「……だから、これも唄の歌詞なのよ」
「ああ、さっき言ってた『訳詩』のやつか」
直前に、茉莉から海報研の主な活動内容を聞いていた千籠。簡単に言えば『洋楽歌詞の日本語訳』と『その全集の編纂』がこの部活動の目的だった。
「ちなみに、なんて曲なんだ?」
「……ぎ、ギブ・ミー・ア・キス」
「みーあ、きす」
スラックスの左のポケットからスマホを取り出して茉莉の言葉を
「……何してるの?」
「いや、気になるからさ」
「……気になるとか。興味なんかないクセに……」
ピコンというポップな効果音と共に検索結果が表示され、自動的に再生が始まった。
メジャーセブンスの切ない響きを持った
「あーこれ。うちが前乗ってたクルマのCMって、たしかこの曲じゃなかったかな。……いや、これってオリジナル版か。『クーランシー』とか久々に聞いた」
人間の声しか聞こえない所謂
「ちょ、ちょっと待って!?」
「えっ?」
それはまたしても何か茉莉の琴線に触れたらしかった。
「……いま「クーランシー」って?なんでそんな名前知ってるの……!?」
そこには、どうやら今度は憤慨ではなくてとても驚いた様子の茉莉がいた。その手に浮かんだ汗をスカートに押し付けてじわじわと千籠ににじり寄る彼女。
「……曲だけ独り歩きしてて、日本じゃかなりマイナーなのに……ねえ、なんで知ってるの……!?」
何かとても不思議なものを見るように彼のことを観察する。
「知ってちゃ悪いのかよ」
「なんでかって聞いてるんでしょ!」
茉莉のそのあまりの語気に抵抗することを諦めて、すこし都合が悪そうに説明を始める千籠。
「……別に、「知り合い」がそういうの詳しくてさ。貰ったレコードとかCDとか、部屋の押し入れに山のようにあって。たしかその中にあったなあって。それだけだよ……」
それを聞いて、一転おとなしくなる茉莉。
「……そう。あなた『クーラ』のCD、持ってるんだ……」
ポツリとそんなことを呟いた。
「まあ正直、今時CDなんて貰っても邪魔なんだけど……」
「……なっ、邪魔なんて!ひどい!さっきからちょっと無神経じゃないの!?」
やはりどういうわけか、またしても茉莉の逆鱗にふれてしまう千籠だった。
「えっ、なんでそんな怒ってんだよ!」
するとその時。
再生しっぱなしだった楽曲から直前までの繊細なハイノートボイスの間隙を縫って、野太い男性の歌声が聞こえてきた。それは歌詞に起こされた言葉を歌ったものではなくて、『ドゥン』であるとか『ベイン』であるとかの特徴的な
「ビックリした。えらい低い声出すなあ。めっちゃゴツいおっさんなんだろうな」
睨み合う両者の間に突然割って入ったそれに、千籠が何とか話題を逸らす。
「……そんなことないわ。とっても華奢なのよ、アイ・ビーって」
「えっ、そうなの?意外だな」
まんまと目論見に成功して、それでも本当に意外な気持ちのした千籠。脳内で勝手に想像した架空の痩身男性の、いったい何処からこんな太くて重い声が出るのだろうと若干疑っってみる。
「良く知ってるんだな。名前まで。五峰って、クーランシー好きだったのか。悪い」
「……まあ、別に」
何かを思索しながら千籠の謝罪に生返事で返す茉莉。そして、慎重に彼の表情を伺いながら尋ねる。
「……あなたも、音楽、好きなんだ?」
「……まあ、それなり、かな」
年頃の高校生ならば迷うことなく即答して肯定するであろう簡単な問いに、どうしてか少し回りくどく答える千籠。それ聞いてまた顔を伏せ、しばし黙考する茉莉。
「五峰?どうした?」
「……あのさ!千籠、くん」
意を決したように茉莉がさっきまでより幾らか明るめな声色を出す。
「……例えばなんだけど、これ、出来たり、するかな……」
「は?」
「あ、えっと……だから、その」
彼女を真っ直ぐに見据えて打ち返された疑問符に、茉莉が目を泳がせて動揺する。
「……『パート』、なんだけど。「クーラ」って5人で歌ってるから、5個あるの。その、どれでもいいからさ。覚えられたり、しないかなって……」
彼の目を見ることはせずに何か懸命に説明をする茉莉。どれでもいいとか遠慮するような言葉を織り交ぜながら、恐る恐千籠へと伺いを立てた。
「いきなり「パートおぼえろ」って。それって、覚えるだけでいいのか?」
既に彼女の言葉の真意を見抜いた様子で、すこし意地悪に言葉遊びをする千籠。
「……じゃあ……しょうがないな。覚えるだけ、でもいいよ……?」
しかしそれに対しても先程とはうって変わって容易く気を立てることはしない茉莉。
「いやいやいや。意味ないじゃんそれ」
「……そんなの、わかってるけどっ……」
「はっきり言えよ。それって要するに、バンドの誘いってことだよな?」
もじもじとした茉莉の様子にしびれを切らして千籠がずばり彼女の心中を言い当てる。
「えっ?」
「一緒にコーラスやらないかって、俺のことを勧誘してるんだろ?」
「……そ、そうとも言えるね!そうかも!さすがっ!」
思いがけず自分の言葉を完璧に補ってくれた彼に、堪らず笑顔をこぼして茉莉がはしゃぐ。そして何か安堵したように、最後は自分の言葉で続けた。
「よかった!千籠くん、あのね!もし良かっ」
「悪いな」
そんな舞い上がった茉莉を残酷にも
「たしかに音楽は好きだし、それなりに詳しいつもりでもいるけど……でも、自分で演奏はしないって決めてるんだ。おれ」
淡々と断りの言葉を続ける。
「……えっ……」
「悪いけど、ほか当たってくれ」
「……そう、なんだ……」
悲壮を浮かべることも間に合わず引きつった笑顔のままでそれを聞く茉莉。
「……っていうかさっ」
重苦しい雰囲気を茶化す様に、千籠が今度はあっけらかんとした口調でフォローする。
「無理だよ!こんなの俺には初めっから無理無理!歌なんてロクに歌ったこともないのにいきなり「ハモる」なんて!さすがにハードル高いって!」
硬直したままの茉莉を励ます様に、どうしたって無理な理由を並べていく。最後に頭の後ろに手を組んでラフに立ってみせる。
「……無理、かぁ……」
「うん。無理だ。ぜったい」
万が一の望みに縋るように呟いたその言葉さえ、容赦なく無理と断じた千籠。茉莉はついにその表情から引きつった笑顔さえも消え去って俯く。
「……ごめんなさい。急にこんなこと。忘れて……」
「……お、おい?さすがにテンション下がりすぎだろっ!」
あまりに急激に意気消沈してしまった彼女のその様子に動揺する千籠。
「どうしたんだよ。わざわざ俺なんか誘わなくたって他にいくらでも。そんなに歌いたいなら合唱部だって
「……わたし……」
ごく自然な千籠の疑問を受けて茉莉が返答に窮する。
「……あ、いや」
その様子を見てとって千籠は自分が失言したと今度こそ気が付いた。千籠自身もこの場所にたどり着くまで紆余曲折あったのだから、たとえば偶然でしか踏み出せない一歩があることは知っていた。いささか情緒不安定というか、すぐにカッとなる「距離感」の独特な茉莉の挙動から見ても、彼女の持つ何かしらの苦手意識を察するには充分だった。
「そんなの……どうでもいいか。とにかく、ここで歌いたいって話だもんな」
「……もういいよ」
茉莉は消え入りそうな声で、俯いていじけた様な表情で伝える。
「いや、待てって!待ってくれ、まさかそんな顔されると思わなかったんだ」
それに責められたような心持の悪さを感じて早くも、今度は千籠が譲歩するような言葉を絞り出す。
「うーん……そ、そこまで言うなら……挑戦してみなくも、ないかなって……でもなあ……五峰?」
しどろもどろに言葉繋いだ千籠は、まるで自分の
「……ううん。いいの……無理強いなんて、したくないし……」
「そっか。それなら、俺としては助かるけど……」
予想通りというか、意気消沈したままの茉莉がここで強引に我を通すはずもなかった。それにどこかホッとしたような、一方で彼女の意固地に甘えてしまった様な苦味を感じる千籠。
「……うん」
茉莉はその拳を固く結んで、依然として俯いたままだ。眼前に迫った
「……五峰、やっぱり」
「ごめんごめん!えへへ!」
突然元気な声を出して無邪気にはにかむ茉莉。
「余計な話しちゃったね!じゃ部活はじめよっか!そっかあ!音楽自体は好きなんだ!何か訳してみたい曲とかあるかな??」
「……えっ?あーそうだな。たとえば」
その明らかな空元気に前言を撤回することも出来なくなってしまった千籠。それでも表面上は元気に振る舞い続ける茉莉の姿を見るうち、一旦はこの問題を忘れることにした。自分がひどく彼女を落胆させてしまった様にも思えたけれど、それも何かの勘違いかも知れないと都合よく脳内のネガティブな一時ファイルを消去して、彼はいよいよ部活動に取り組むことにした。
彼にとっては中学三年生の時の『不詳活動』以来、およそ三年ぶりとなる学校部活動だった。職員室ではあれほど二の足を踏んでいたというのに、どうやら懐にさえ入ってしまえば何処でもそれなりに振る舞える横着な性分らしかった。作業には英語を使うらしいけれど困った時にはスマホの音声検索がなんとかしてくれるだろうと、そこはごく今時に気楽に構える千籠だった。
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