Monochrome 『モノローグ』②
「丁度、
そう、林田は言った。
つい先程まで鬼気迫る勢いで声を張り上げていた体育教師の
職員室の一角にある来客用のテーブルセットで、僕は生活指導を受けている。本来こういったレクリエーションに相応しいはずの生徒指導室は、どうやらより凶悪な輩の為に充てられているらしく、それに対して僕の容疑(というか既に確定した罪状)は、校則で禁止されている課外活動だった。
家族の知り合いが営む喫茶レストランで、高校一年生の夏頃からアルバイトをしていた。お金が欲しかったのかと聞かれれば、特にそういうわけではない。もちろん人並みの、世間一般的な高校生として、服を買ったり、雑誌を買ったり、買い食いをしたり、そのほか、ナニを仕入れたりなんかすることもあって、気が付けば貯金などこれっぽっちもしては来なかったのだけれど、それでもおそらく小遣いで足りないことはなかっただろうと思う。幼少時はあまり物欲の旺盛ではなかった自分のこと、取り立てて欲しいと望めば、難なく与えられただろう程度のものしか購入していない。
しかし、堂島は(アルバイトくらいで)僕のことをまるで非行少年のように言っていたけれど、いち男子高校生として見れば3年生の新学期を迎えた今以て、母親との関係はすこぶる良好なのだ。品行方正というなら、それで事足りるじゃないか。まったく、一体どうしてバレたのだろう。
この『品行』にあえて理由をつけるなら、『予定』が必要だったからだ。
僕は高校に入学した当初から今に至るまで、一度も部活動に所属していない。では高校入学以前はどうだったかと言えば、そんな大昔のことはよく覚えていないのだけれど、小学校では文化部、中学校では運動部だったように思う。ひょっとしたら逆だったかもしれない。どちらにしても、中学時代までは部活動がほぼ強制加入だったこともあり、何かしらのアクティビティに、半ば嫌々取り組んでいたような、なるほど、わざわざ記憶を探ってみると、そんな胸の酸っぱさが込み上げてくる。
そんな経緯もあってか、加入未加入が全く自由な高校部活動には、すこしインターバルを置くつもりで、決定を保留していた。そしたらどうやら気付いた頃には、「いつの間にか・もう今更なあ」、と思うようになってしまったのだった。
まあ、ある話だが、とにかくだ。終礼のチャイムとともに、それぞれの部活動へと向かうクラスメイトたちを見送った後、ぽっかりと空いた放課後を埋めるための何かが必要だった。僕は外部に習い事を持っているわけでもないし、テレビゲームに凝るタチでもない。
ああ、そうだ、それこそもし僕が本当に「不良」だったなら、もっと堂々としていたんじゃないかと思うね。僕は僕なりに、僕の放課後をあくまで健全に過ごす為のコミュニティとアクティビティを選んだに過ぎなかったのさ。
そこまで自問した辺りで、林田が続けた。
「今日からは『放課後謹慎』ってやつで、このあとも反省文を二、三枚書いていってもらうんだけども、さすがにずっとそんなことさせてもな。あんまり無益だ」
さすがリンダ。
2年次のクラス選択から担任となった英語教諭の
「だから、薄葉。おまえは部活に入れ。とうとうお前も年貢の納め時ってやつだな」
こちとらウッカリしていて年貢の納付期限が過ぎてしまっていた身分なのだけれど、とうとう納付免除とならなかったことに関しては、僕の本心から言えば幸いだったのかも知れない。
「部活、ですか……」
「そうそう。カタチはちゃんと顧問のおれが指導下に置いてることになるわけだ。今後、せめて放課後くらいは、校内でおとなしくしてて貰わないとな」
「いかがでしょう堂島先生」と、ほど近い自席で聞き耳を立てていた堂島に、林田が物腰柔らかく伺いを立てる。年齢的にも立場的にも、堂島がだいぶ上なのだと思うが、うまく説得してくれているようだ。
しかし、いかに(期間的な)違反を重ねていようとも、こんな指導を受けること自体は今回が初めてなのだから、まるで油断のならないような言い方はさすがに傷付いてしまう。そもそも僕が抵触した『学業優先』という法規にしたって、それが校則だというのなら、この学校に通う生徒の半分は守っていないはずだ、と実感を持って言える。いや、3分の1くらいにしておこうか。
僕がひとり心の中で腐っていると、すこし考えた様子で、堂島がゆっくり僕の眼前に迫る。
まあ――
「――時間を持て余していたってこともあるのかも知れないが、それでも校則を破っていい理由にはならないんだぞ?誰だって少しずつ事情や不都合は持ってるもんだが、そういうみんなが集まって生活するためにこそ、ちゃんとルールっていうのは決めてあるんだ。それに、他の人もやってるからなんてのも、もちろん通らない。」
さっきまでと、声のトーンや音圧こそ違うけれど、このテンプレートを聞かされるのは3回目だ。
「それは分かるよな、薄葉」
「……すいませんでした。生意気を言いました。反省しています」
「お前はまた、そうやって調子のいいことを……まったくこいつめ」
よしよし。
「しばらく様子を見ましょうか」と林田に采配を託して、堂島は職員室を出て行った。おそらく向かう先は生徒指導室の大本命だ。信じられないほどにしつこく、細かく、大きな声で怒鳴るけれど、それでも生徒たちはそんな堂島センセイが嫌いという訳でもないのだ。
まあ、僕の普段の生活態度が好ましいことが、この判決に至り得た最大の
「……終わったあっ……」
職員室に呼び出されて以来初めて背中にソファーの柔らかな感触を覚えさせて、ぐっと伸びをすると、緊張の糸がほぐれてそのまま崩れるように前方のテーブルへと突っ伏した。
「ははは。なあ薄葉、いったい誰がお前のことチクったんだろうな。知りたいか?」
林田が悪戯な表情でこちらを伺う。
「……それ相手によってはギクシャクしますよね。出来れば知りたくはないですけど……」
密告者がもしも僕のよく見知った生徒だったとしたら。もし本当にそうだったとしても、もちろん悪いのは僕なのだけれど、それでも、なにかすこし黒いものを腹の中に蓄えてしまいそうだ。
「それもそうだな。じゃあ、やめとくかっ」
そう言われると、それはそれで胃のあたりにムカムカしたものを感じる。ひょっとすると、
「さて、部活の話だったな。2階の『
僕の通う学校は、3階建ての『教室棟』、同じく3階建てで今いる職員室や特別教室がある『管理棟』、そこから第一、第二体育館・武道場・水泳プール・運動部室倉庫群を、渡り廊下を配して挟んだ地の果てに、旧教室棟である2階建ての『北校舎』がある。教室棟と管理棟は平行に位置していて、北・中・南の3か所にそれぞれの建物を繋ぐ空中回廊がある。『北連絡廊』と『中連絡廊』は、生徒や教師が通る廊下があるだけの構造で両面に窓があり、いつも良好な日当たりを保っている。一方で『南連絡廊』には片面に2つほど窓があるのみで、その反対側には等間隔にいくつかのドアが並んでいる。
美術部なら美術室、科学部なら科学室、音楽部なら音楽室といったように、主要な部活動にはそもそも各特別教室が割り当てられているため、それ以外の特殊な文化部活動の需要を満たすために、その小部屋たちは使われている、らしい。というのは、僕自身も南廊の壁面にあるドアに人が出入りするところを今まで見たことがないし、その数が一体いくつあるのか、確かなことは記憶していないからだ。
「現在部員はったの1名、『
「冗談じゃない。遠すぎる。あんな
率直な感想が漏れる。人の往来の大部分はクラス教室に近い『北廊』と『中廊』で賄われていて、比較的に特別教室エリアに近い『南廊』は、うっかりしているとあまり通ることのない通路だった。
「まあそういうなよ」
「……まず、何をする
「最近はなんか作ってる、って聞いたけどな」
顧問と名乗るこの男は、どうやら曖昧な記憶を探って見せる。
「……部員が一名って、よく廃部になりませんね」
「うちの文化部は成果発表物を提出することだけが成立要件だから。まあ、例のアレだ。お前のことにしたって、別に人数集めって訳じゃないからな。安心しろ」
『アレ』と言いながら、職員室入口付近の壁面にある掲示板を指さす林田。その先には、何かのスケジュールが記された大判の紙が貼られている。
例年の僕には関係のない話だったけれど、そういえば毎年この時期の校内では、忙しそうな(楽しそうな)様子の生徒をよく見かける。そして僕は、普段廊下ですれ違う、一度も話したことのない生徒が一体どの部活動に入っているのか、それなりに把握していることを思い出した。この学校には、毎年夏休みを控えた時期に、そういう催しがあるのだ。
ちなみに、文化祭は2年に一度と決まっていて、僕の学年は去年の一度きりですでに終了している。だが純粋な、文化部にとっての発表の機会だけは、毎年ちゃんと用意されてるのだ。
「……でも、今までそんな部活無かったような」
「まあ『発表』って言っても色々あるからな。たとえばだけど、部室の確保だけが目的なら、やり方は色々ある」
「……ああ。そういう」
早い話が、放課後が大好きな生徒たちの幽霊クラブという訳だ。
「……うーん。その生徒って、どんな奴です?」
「そりゃ行ってみてのお楽しみだよ。緊張するなぁ」
「そういうの
僕にしては珍しく、少し苛立った雰囲気を伝えようと試みる。
「よかねえよ!本来なら1年生の時に済ませておくべき通過儀礼だぞ。積み重なって将来まともな大人になれなくなったらどうするんだ、お前」
「……恩師を見習って……英語のせんせいになります」
「はあ。ゴチャゴチャうるさいなあ」
そう溜息を吐きながら、林田は教員デスクを反対側へと回り込んで、自分の席の下の方にある引き出しを開けると、二、三枚の用紙を指で数える音を立てた。それから、僕のいるテーブルにほど近い職員室共用の事務ケースの引き出しから、手に持った紙に丁度良いA4サイズの水色の封筒を取り出して、こちらへと戻ってきた。
「はい。じゃあ、反省文これ明日までにな。適当に書くとやり直しになるから気をつけろよ。おれも怒られる」
そう言って林田が僕に差し出したのは、学校指定というほど
「……あした?」
「後に回したらお前だって気を揉むだろうし、それなら早速、部室に行ってみればいいさ。『カポケン』に」
「……そ、そんな、急に言われたって……」
えらく小心者で恥ずかしくなるけれど、林田が最後に付け加えた略称の意味するところに反応する余裕は、僕にはなかった。決して内向的でおとなしい生徒と評価されるつもりはないれど、放課後ともなれば人目もない連絡廊の一角にどんな荒鷲が待っているのか、分かったのもではない。そしてなにより、僕は部活というものに対して、センシティブな部分だってある。行き当たりばったりで掻き回されるとしたら、複雑な思いだ。
「大丈夫だ!お前の推理はハズレてる。詳しくは彼女に聞いてみな」
ポンポンと、林田が僕の肩をたたく。
「……別に、ビビっちゃいませんけどね」
「はははっ」
林田はそう笑って、テーブルの上の用紙に、学年・名前・題名の位置や書式をガイドするための文章を書き込んだ、幅広の付箋を丁寧に貼りつけると、それを水色の封筒に収めた。そしてその表に『三年一組
「あんまり難しく考えんなよ。薄葉」
自分の名前ではないのに、書き慣れてところどころを書き崩している。画数が多いことは何か申し訳ないような気持ちがしたけれど、それでも不思議と少し嬉しい気持ちもして、僕は手に持ったそれをまじまじと眺めてしまった。よく見ると『薄』の字が間違っていたけれど、今日のところは指摘するのをやめておいた。
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