【恋する少女の届かぬ懺悔*後編】

 涙をぽろぽろと零して逃げるように去って行く彼女の背中を見つめながら、胸が軋むように痛んだ。


「……ごめん、ルド」


 呑気に眠り続けている彼には、届かない。


 つい先程、彼の頬に触れたばかりの唇を、指でそっとなぞる。ダメだ、顔がどんどん熱を帯びてしまう。


 ルド。眠ってる間に、勝手に触ってごめんね。こんな時なのに、この唇が初めて触れた男の人がルドで、私すごく嬉しくなってるの。あの女の人に酷いことを言って傷つけてしまったのに、こんなにドキドキしているだなんて、本当に自分勝手だ。


「あの人に、嘘吐いちゃった……」


 口内が根こそぎ水分を奪われたようにからからになっていて、身体はかすかに震えている。


 今日、デートの待ち合わせをしていたからここに来ただなんて、真っ赤な嘘だ。ここにやってきたのは、偶然以外の何物でもない。明後日も、約束なんてしていない。


 私は、彼から何の約束ももらっていない。


 ズルをしてでも、ルドに近づきたかった。

 あの女の人と同罪だ。私には、彼女をなじる資格なんてない。


 あの人だって、彼への想いはたしかに本物なのだと思う。そうやって何かに縋らなければならないほどに、必死なのだから。


「……ん」


 ルドの口からうめき声のようなものが漏れた瞬間、びくりと肩が震えた。

 のっそりと身を起こして、ぱちぱちと瞬きをしている。まだ夢見心地なのか、瞳はとろんとなっていて無防備だ。


「…………あれ。あの女は、どこに……? やっぱり、夢……だったのか?」


 ぼんやりと紡がれた言葉に心臓がどきりと高鳴って、痛んだ。

 彼は周りの様子を伺うように首を回し、私に視線を向けると数秒間フリーズした。


「…………えっ!! なんでユキナがいんの!?!?」

「おはよう、ルド」


 混乱して、瞳をぐるぐると回し始めた。なにやら譫言のように呟いている。


「え……? えと……僕は、ギークとの待ち合わせでここに来て……そしたら、何故かあの女がいて……それから、ええと……」


 何を思いだしたのか、一人で勝手に赤面して、激しく咳き込み始めた。

 なんだろう、すごくイラッとする。

 私は、記憶の中のあの人にすら勝てないの? 目の前の私を見てよ。


「全部、夢だったんじゃないの」

「……そんなことって、あるかな」

「絶対そう! ルドの馬鹿馬鹿!」

「なんで、そんなに怒ってんだよ」


 困惑気味に眉尻を下げている。そんな困り顔ですらやっと向けてもらえたことが嬉しくて、胸がドキリとしてしまうのだ。もう、やだ。ルドといると、どんどん馬鹿になっていく。


「ユキナは、どうしてここに?」

「今日は午後の授業がお休みだったから、散歩でここまできたの」

「ふーん。でも、こんなところで油を売ってる時間はないんじゃないか?」

「どうして」

「どうしても何も。あの剣の腕のままだったら、進級すら危ういだろ」

「……意地悪」

「冗談だって。睨むんじゃない」

「じゃあ、ルドが教えてよ」


 あれ? 

 口にしながら思ったけど、これってかなりの名案なんじゃないだろうか。


 剣の振り方を教わるのに、言葉では限界がある。ということはつまり、身体を密着させて手取り足取り教えてもらうことになるのでは……? 絶対にそうだ! 先生だって、そうやって教えてくれているし!!


「今日、これから! 今すぐ行こう!!」

「なんで、急にやる気満々になったんだよ!」

「ルドに言われて、進級できるか不安になってきた」

「さっきと言ってることが全然違うんだが……」

「むーー。ダメなの?」


 頬をふくらませて、じいいっと彼の瞳を覗き込む。たじろいだようになって、視線をそらされた。


「君、もしかして、なにかやましいことでも考えているんじゃないか?」

「うっ」

「まさかの図星かよ」

「だって……。そうでもしないと、ルドからくっついてくれないでしょ……?」


 上目遣いでそっと見上げたら、ルドは言葉を詰まらせた後、眉尻を下げた。


「なぁ、ユキナ。前も思ったんだけどさ……それって、本気で言ってるのか?」

「えっ?」


 彼の口から漏れ出た意外な言葉に、目をぱちくりとさせていたら。

 ルドは迷ったように瞳を伏せた後、決意を固めたように、私の顔をじっと見つめてきた。


「なにを、言っているの?」

「冗談に本気で返したら、このロリコン野郎何本気にしてんのキモって思われるだろ」


 どうして、そうなるの!? 

 これ以上にないぐらい大胆にアピールしたのに!


「……本音は、私のことが面倒くさくなっちゃったから、有耶無耶にしたいだけなんじゃないの?」

「思ってないって。まぁ、迂闊に連絡先は教えられねえとは思ったけど」

「どうしてよっ」

「君からの連絡で、他の連絡が埋もれそうだから」

「なるほど? たしかにそうかも」 

「おい。納得するなよ」


 はぁ。とため息を吐いてから、彼は続けた。


「冒険者育成学校に行けばまた会えるって分かってたし、冗談でも気の迷いでもないのか、ちゃんと確かめようって思ってたんだ。まさか、会いに行く前に、また再会することになるとは思わなかったけど」


 びっくりした。ちゃんと、そんなことまで考えてくれていたんだ。

 嬉しくて、また胸が詰まってしまう。


「本気なら、ちゃんと答えたいと思う。もう一度聞くけど、本気なんだよな?」


 心臓が大きく音を立てて、高鳴った。

 覚悟を決めているようなルドの顔を見た時、確信してしまった。


 この問いに答えてしまったら、この恋は確実に終わる――


「それは……ひみつ」


 ――そう思ったらものすごく怖くなって、結局、逃げだしてしまった。

 

 五年間も想い続けて、やっと、再会できたんだ。

 まだ、終わりになんて、したくない。


 数秒間ほどフリーズした後、「ひみつって何!?」とわめき始めたルドを制するように、矢継ぎ早に言葉を紡いだ。


「ねえ。明後日のデート、どこ行こうか?」

「まず、デートする前提なのがおかしいよね? 僕が騙されるとでも思った?」

「むむむ、残念……」

「なんで騙されると思ってたのかが不思議だわ。どっちにしろ、明後日は無理だよ」

「何か用事があるの?」

「そう。普段一緒に仕事してるパーティーメンバーと遊ぶ約束をしてる」


 ルドの、仕事仲間……?

 ふいに、つい先ほどまで彼と一緒に座っていた綺麗な女の人の弱々しい後ろ姿が頭をよぎった。


 何故だか、あの人もそこに来るような気がしてならなかった。


「それ、私も行く」

「……は?」

「一生のお願い」

「いやいやいや。君をそこに連れて行くのは明らかにおかしいだろ!」

「友達だよって紹介してくれれば問題ないよ? ……今は、まだ」

「最後の呟きが不穏なんだが!」

「ねえ、お願いだから。私も、ルドと遊びたい」


 じいいっと縋るような瞳で、彼を食い入るように見つめていたら。うっと言葉を詰まらせた後、根負けしたように小さくため息を吐いた。


「……はあ。仕方ないなぁ」

「連れていってくれるの!?」

「いや、そこに連れてくのは、流石に無理だけど……。その集合が午後からだから、午前中少しお茶するぐらいなら良いかなって。たしかにすごく久しぶりの再会なのに、なんだかんだで全然まともに話せてないしな。今の冒険者育成学校の話とかも聞きたいし」


 何にも考えてなさそうな顔であっけからんとそう言われて、口があんぐりと開く程、驚いてしまった。


 もう。もうもうもう……!


 ずっと渋ってたのに、不意打ちでこんなことを言ってくるなんてルドは本当にずるい! しかも、無意識なんだから余計に性質が悪い。言葉通りの意図しかないって分かってはいても、すっごくドキドキした。


 でも……すごく、すごく嬉しい。


 あんまり弱気にはなりたくないけど、この恋は、きっと報われない。 


「ありがとう。すごく、すごく楽しみにしてるから!」


 それでも、傷つくことや泣くことを恐れて、後悔だけはしたくない。

 たとえ、他の誰から、惨めで無駄なあがきだって言われても。


【恋する少女の届かぬ懺悔 完】

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