聖女「これは、罰なのでしょうか」
「やっと、二人きりになれたのに。寝ちゃうなんて、ひどいです」
ふらりと気を失ってしまった彼に視線を注ぎながら、ぽつりと呟きました。
噴水の流れ落ちる音に、人々の喧噪。未だに、少し離れた距離から私と彼の様子をちらちらと伺っている人々は、私たちのことを知っている冒険者でしょうか。さぞかし、私たちのあまりの仲の良さにひれ伏して唖然としているに違いないです。
ついさっきまで剣士様だけに向けられていた意識が、徐々に、周囲の様相を拾い始めたものの、どこか全て遠い世界の出来事のようにも思えます。
なんだか、頭がとてもふわふわします。まるで、心で感じていることが脳を経由せず、口からそのまま飛び出していっているようです。とても大胆なことをしでかしている気がするのに、それすら、どうでもいいのです。
隣の剣士様は、私の肩に頭を載せて、心地よさそうに眠っています。彼と触れている半身はあたたかくて、ドキドキするのに心地よくて、ずっとこうしていたい気持ち半分、悪戯して起こしてみたい気持ち半分。サラサラの黒い髪が首筋に当たっているのがくすぐったいことすら幸せで、ここを離れようという気は一向に起こりません。
それどころか、このまま時間が止まってしまえば良いのになぁ、なんて考えている自分がいます。
「ルドヴィーク様。ううん……ねえ、ルド」
アリスやギークが、あなたを愛称で呼んでいることを、普段私がどれだけ羨ましいと思っているか、ちゃんと分かっていますか?
「私だって……本当は、名前で呼んでほしいです」
眠る彼からの返事は、ありません。
折角こんなに近くにいるのにかまってもらえないのが淋しくて、彼の頭に、そっと自分の頭を寄せました。微かな寝息すらも聞き取れる至近距離に、身体の真ん中が痛いぐらいに高鳴り始めます。
「起きて、くれないんですか? 私だけがこんなにドキドキしているなんて、ズルいです……」
あなたは、いつもいつも、私を困らせてばかりです。
とんだひねくれ者で、意地っ張りで、どうしようもないヘタレ野郎のくせに、どうしてこんなに私の心をかき乱すんですか。ルチアに言われるがままにあんな得体の知れない液体を飲み干してしまったのだって、あなたが私を追い詰めたせいなんですよ。
でも。
薬が本物ならば、私とあなたは、やっと結ばれることができるんですね。
ルチアは私のことをからかってばかりで意地悪だけれども、信頼の置ける子です。その彼女が、これは魔法の薬なのだと断言したからには、信じて良いのでしょう。
学生時代、俗事に全く関心を示さず、ただ剣を振るい続けていたあなたに興味を抱いてから今に至るまでずっと、私がどれほどこの時を待ち望んでいたことでしょうか。
ついに、彼と私が、恋人同士ということに…………。
はわわわわ! 恋人とは、なんて、甘美な響きなのでしょうか! いざ目前に迫ってみると、ちょっと怖いぐらいです……。恋人になったら、一体、なにをどうすれば良いのかはよく分からないけれど、きっと、すごく幸せに違いないです。
それにしても。
「いつまで、眠っているつもりなんですか? そろそろ起きてくれないと、本当に悪戯しちゃいますよ」
だらりと力なく垂れ下がっている彼の手に自分の手を重ねようとした、その瞬間。
「ルドが言っていたのは、あなたですね」
グラスに水を注いだような凜とした声が響き渡り、一気に身が強張りました。
即座に声のした方に視線を向けた瞬間、びっくりするあまり、頭が真っ白になってしまいました。
緋色の瞳の美少女が、鋭い視線で私を射貫くように見つめていたからです。
周囲のざわつきをものともせず、彼女は、迷いのない確かな足取りで私たちの座っているベンチの目の前に立ちはだかりました。
腰まで届く長い銀の髪に、すらりと細身の長い手足。臙脂色のブレザーにグレーのスカート。不浄を寄せ付けぬ清廉な美しさにはハッキリと見覚えがありました
「あなたは……」
見間違えるはずもありません。
昨日、ミナから恋愛相談を受けていたあのカフェで、一人その際立つ美貌から異様な存在感を放っていた、あの少女です。
『でもね、絶対に諦めない。ルドを最後に振り向かせるのは、私だから』
途端、壮絶に嫌な予感が背筋を這い上がり、脳裏で警報サイレンがちかちかとまたたき始めました。
「ユキナと申します。五年前、そこで眠る彼に、命を救ってもらった者です」
喉が締め付けられたようになって、苦しいです。急速に、口の中に苦い唾がたまっていきました。
その続きは、どうしても聞きたくありませんでした。
だって、私はもう、その先に続く言葉を知ってしまっているんですもの。
「私は、ルドに恋をしています。五年前から、ずっと」
小さな口から紡がれる強い意志のこもった言葉に、胸が塞がれたように苦しくなりました。聞き取り間違いを断固として拒否するような、鮮烈な意思表示。
彼女は、私が呆然としている隙をつくように、すぐさま質問を投げかけてきました。
「あなたは、彼と付き合っているんですか?」
「違います、付き合ってはいません」
っ!?
どうして? 彼女から明確に
弾丸のように口から飛び出してしまった言葉に言いようのない不安を感じ始めたら、少女は続けざまに質問をくり出してきました。
「見たところルドは眠っているようですが、これはデートなんですか? 彼から誘われたんですか?」
「そういう、わけでは……。ルチアに言われたとおりにしたら、彼も待ち合わせ場所に現れて……詳しい経緯は、私もよく分かっていないのですが」
「へえ。彼を、騙したんですね」
少女の瞳が軽蔑するように薄く細まったのが視界に入った瞬間、背筋が凍り付いたようになって、目眩までしてきました。
なんで……!?
さっきから、信じられないぐらい馬鹿正直に真実をぺらぺらと話してしまっています。まるで自分の口なのに、自分の意志で制御できないかのようです。
彼女は恐怖のあまり身震いまでしてきた私にとどめを刺すように、氷柱のように冷たい言葉を放ってきました。
「それはつまり、彼と距離を縮めるために、ズルをしたということですか?」
核心を突いた言葉に、心臓が大きく飛び跳ねました。
急激に息が浅くなって、動悸までし始めてきました。
ダメ……!
ダメダメダメダメダメです!
それだけは、この少女の前で、認めたくない……!
神さま、卑怯なことをしてごめんなさい。魔法の薬に手を伸ばしてしまったのは、私の弱さです。もう、絶対にこんなことはしません……! だから、だから、お願いです!!
今だけ、このどうしようもなくお喋りな唇を、どうにか止めてください――
「そう、です。彼と距離を縮めるために、魔法の薬を飲みました」
「魔法の薬?」
「ええ。それさえ飲めば、彼と結ばれることができると聞いて」
――口にしながら、涙がぽろぽろとこぼれて止まりませんでした。
道具なんかに頼ってしまった自分が、どうしようもなく情けなくて、惨めで、無様で。
少女は、私の泣き顔から辛そうに視線をそむけて、ぽつりと呟きました。
「…………どうして、ルドは、こんな人を選ぶの」
苦しそうに眉根を寄せながら、その瞳にありったけの悔しさを滲ませて。彼女の静かな声音には、怒りの焔が燃え盛っていました。
「あなたは卑怯です」
「あなたに言われなくたって、分かっています……っ」
「早く、そこをどいてください」
「嫌ですっ」
彼女は逡巡したような顔つきをした後、私を見つめながら、
「何を言っているんですか? 私は今日、彼と会う約束をしていたから、ここに来たんですよ」
頭から冷や水を浴びせかけられたように驚いて、固まってしまいました。
「それ、は……本当の、ことですか?」
やっとのことで絞り出した言葉は、どうしようもなく震えてしまいました。
少女は一瞬迷ったように瞳を伏せた後、面をあげて、ムキになるように語調を強めました。
「そうですよ。ちなみに、明後日は学校がお休みなので、どこか遠くにお出かけする約束をしています」
彼女は心なしか震えているようにも見える唇でそう言い切ると、意を決したように、剣士様を挟んで私と反対側の椅子に腰かけました。
そのまま、私にしなだれかかるようにして眠りについている彼の腕を白い手で自分の方に引き寄せたかと思えば――
「彼が、いつまでもあなただけを見続けていると思ったら、大間違いです。私は、あなたみたいな生半可な気持ちではないですから」
――躊躇うことなく、彼の頬に口づけました。
その悪夢のような光景に、心がバラバラに引き裂かれるようでした。
これは、罰なのでしょうか。
自分の力ではなく、道具の力を借りて、彼に近づこうとした罰。
弱い私は、目の前の少女の苛烈にも思えるひたむきな恋心を前に、すっかり恐れをなしてしまいました。
震える足でどうにか立ち上がって、二人からできるだけ遠い所へ離れられるように全力で逃げ出しました。そうする他、どうやっても滅入りきってしまった心を保てそうになかったからです。
【その⑥あらゆる意味でドキドキが止まらない 完】
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