5:ディナー席

 「それで、何を確かめに来たんですか?」

 「おや、分かっているの?流石だね」

 青嶋とオオノキが訪れたのは、昼にも来た創作料理店だった。夕方を過ぎた店内はディナーに訪れた客が運ばれてくる料理に舌鼓を打っている。

 それぞれのテーブルに漂う和気あいあいとした雰囲気は見ているだけでも楽しそうだ。

 「じつはこのお店の味を確かめにね」

 「茶化しているんですか?」

 「ハハハ、ほんとはあの奥さんにちょっとね。話が好きそうだったし、何か聞けるかもと思って」


 店の入り口に着く。受付が話しかけようとするところへ、別の声が届いた。

 「あら、刑事さんたち。何かわかったんですか?」

 「ああ、こんばんは」

 話しかけてきたのはオーナーシェフの妻だった。

 「どうです?私の席でご一緒しませんか?」

 「それは喜んで」

 「じゃあこっちへいらして」

 「ちょっと」

 オオノキの腕を青嶋は掴む。しかしそんな制止も気にすることなく、ゾンビは進む。

 「……話すだけにしてくださいよ」

「そこは心得ているよ」

 「どの口で言っているんですか」

 「ああ、一つだけ忠告。ここでは何も食べないほうがいいよ」

 「仕事中なんですからもとからそのつもりです」

 「それはいい心がけだ」

 

 ふたりは夫人に先導され、席に着いた。

 テーブルの上にはオードブルの類がワインの瓶と共に並んでいる。

 自分の店で自由に飲んでいい気分なのだろう。あるいは話のタネを探していたのかもしれない。

 刑事が席に着くと、ウェイターが近寄ってきた。

 「何かお飲みになりますか?」

 「そうですね、お水を貰えますか?」

 「少しぐらい飲んだって、あのおっかない顔の先輩にはばれませんよ」

 おそらくは松神のことを指しているのだろう。いつ見ても不機嫌そうな顔をしているのだから仕方ないが。

 「青嶋くんは真面目ですからね。僕はまあ、厳密には刑事じゃないので飲めますが、ゾンビはもとから酔えませんし」

 「そうですか、それは残念」

 と、夫人は一人でグラスをあおる。


 「そういえば、今日はおひとりですか?」

 「ええ、ああ、……フフフ、ごめんなさい、会うときに毎回これじゃあ、夫の店で飲んだくれているだけのダメな女房に見えますよね」

 「いえいえ、旦那さんが苦手な経営面を一手に引き受けているそうじゃないですか。それに、今日は貴女の『休みの日』だとか。そんな日ぐらいはハメを外したって悪くは思いませんよ。それに何より、美人が飲むのは絵になります」

 「あら、お上手」


 頬の緩んだ赤い顔で杯の中のワインを飲み切ると、楽しそうに話を切り出した。

 「そうだ、ところで、あの事件のこと、何かわかったんですか?」

 「いえ、まだ何とも言えませんね。情報が少なすぎて、聞き逃したことが無いかとまたここに来たぐらいですから。……あとでもう一度こちらの従業員に質問をしても?」

 「それは構いませんよ」

 「ありがとうございます。それと、お昼に聞きそびれたんですが、奥さんは石黒さんの恋人についてはご存知ですか?」

 少し考える仕草を見せ、女は答える。

 「うーん、詳しい事は何も。でも何か危ない仕事をしたとか聞いたことはありますね」

 「危ない仕事ですか?」

 「ええ。時々何かを数日間預かったり、運転手をしたりして小金を稼いでいたとか」

 「そんな男と真面目だったらしい石黒さんでは釣り合わないんじゃ?」

 「そうでもないですよ。女の子は危険な男に靡きやすいものですからね。あの子にもそういうところがあったと思います」


 「なるほど、そうかもしれませんね。ところで、ここで扱っている食材は誰が管理しているんですか?」

 「仕入れ先は主に夫が見つけてきますね。あの人の舌は間違いないですから」

 夫のことを話す妻の顔は酒が入っているとはいえとても嬉しそうだ。

 もっとも、若くして店を持つほどのシェフが夫ならば、それも当然のことだろう。

 しかし酒の飲みすぎでないだろうか。手元が覚束ないようだ。瓶を傾けて注ぐワインはグラスから外れてこぼれそうで、見ていてもそちらにばかり気が散ってしまう。


 「それで、先方と交渉したり在庫の管理をするのは私です。その役得があるのでメニューにない、いわゆる『裏メニュー』を頼めたりもするんですよね」

 「なるほど、そういう裏方仕事なら、営業中はあまりお店にいなかったり?」

 「いいえ、そうでもないですよ。営業中はお客さんの相手をしたり、手が足りないときは会計をしたりしています。そうそう、お金のことといえば、夫は計算がてんでダメでして、その点はしっかり私がカバーしてあげないと、この前だって……」


 そこでいったん彼女は話を止めた。

 とはいえそれは相手への配慮ではない。長話をする前の、いわば前置きだ。

 「あらごめんなさい。いつの間にかへんな話になってたわ」

 「お気になさらず。……それではボクはこれで。他の人にも話を聞きにいかないといけないので。続きはそこにいる青嶋クンが聞いてくれますよ」

 「えっ、ちょっ」

 反論を許す間もなくオオノキは席を立つ。

 「あら、そうなの?それじゃあ、ウチの夫がホテルのレストランで修行してた時の話があるんですけどね、これがまたおバカな笑い話で……」

 「ああ、はい……」

 根の性格の良さも手伝ってか、酔いが回って少々過剰に見える夫人の笑顔のためか、青嶋は観念したようにうなだれた。

 結局青嶋が解放されたのは1時間後にオオノキが帰ってきた時だった。 




 翌日、薬物所持の容疑で拘留していた、佐藤智史の取り調べが再び始まった。

 取調室に入るのは松神とオオノキ。

 佐藤の経歴をまとめた資料を片手に席につく。

 その後ろでオオノキは壁に背を預けて二人を俯瞰するように眺めている。

 簡素な椅子と机しかない部屋で、三者はそれぞれの位置に着いた。


 「色々調べさせてもらった。もう一度確認したいんだが、民安春夫との関係は……」

 「だから、ただの知り合いだ」

 長時間の拘束のためか、佐藤の言には威圧が込められている。

 しかし一般人ならいざ知らず、松神にその手の脅しは通じない。淡々と質問を返した。

 「そう、ただの知り合いだったな。それならなんで、一昨日の昼に会っていたんだ?監視カメラに映っていたぞ」

 「それは……たまたま会っただけだ。一緒に働いてたんだから、顔を合わせれば話ぐらいはするだろ」

 「なるほど。それなら民安がお前に会った後に銀行に10万円を預けていたのはどうだ、偶然か?」

 「それは……」

 「付け加えておくが、民安の口座には過去にも何回かこういう『臨時収入』があった。今回お前が持っていたのは麻薬だったが、その前はどうだったんだろうな?商品が違えばその分だけ刑も重くなる。覚せい剤なんか仕入れていたら10年は刑が増えるだろう。……全部調べてもいいんだぞ?」


 そこまで聞かされて、佐藤はようやく観念したらしかった。やぶれかぶれに口を開く。

 「ああ、わかった。……あいつには運び屋をやってもらってた。前科がないから、ちょうどよかったんだよ。でもそれだけ」

 「民安は仕事の全容を知っていたのか?」

 「詳しくは言わなかったが、おおかた気付いてはいただろうな」

 「いつか通報されるとは思わなかったのか?」

 「いいや。あいつも金は欲しかっただろうし、身内を売った奴がどういう扱いを受けるのか知らねえはずがないからな」

 「じゃあ預かっていた売り物をちょろまかして自分で売っていたりは」

 「それもない。だから殺す理由もない。一昨日の昼だって、前の分の報酬を渡して次の仕事の打ち合わせをしていただけだ。これでいいか?」


 「ちょっといいかな」

 と、オオノキが壁を離れる。数歩歩いて佐藤の前へ。

 「よう兄弟、どうした?」

 「昨日キミは民安くんが血や肉を摂ってはいなかったと言っていたけど、あれは本当?」

 「ああ」

 「なんで分かるの?」

 「仕草、かな。具体的にどうとか言えねえけど、なんつーか、キョロキョロしたりしないからさ。直感でわかったよ。ああこいつはまっさらだなって」

 「そう。分かった、ありがとう。それじゃあもう帰っていいよ」


 そこで松神が咳ばらいをした。

「あー、そっか。キミは一応、大麻取締法違反で起訴されるだろうね。でもそれだけ。前科アリで商用目的の大麻所持だから実刑は免れないけど、少なくとも殺人罪には問われない。反省した態度と職を追われて貧困だったってことを強調して話せばいい。仕方なく汚い仕事していたと言うんだ。そうしたら半年ぐらいで済まされる。よかったね」


 その後、佐藤を残して退室した二人。

 取調室を出た廊下を歩きながら、松神は口を開く。

 「どういうつもりだ?あいつは犯人じゃないと?」

 「その通り」

 「じゃあ誰が?」

 「それを知るために、いま料理をしてもらっているんだ」

 「え?」

 聞くと近くの部屋からは炊事の音がする。パチパチと油が爆ぜる子気味のいい音だ。わずかに漂う香りは牛肉の脂だろうか。

 出どころは近くの空き部屋のようだ。そこまで行ってドアを開く。


 空き部屋の中にはひとつテーブルが置かれ、その上には卓上のコンロがあった。近くにはまな板と包丁もある。

 コンロの上にはフライパン。ガスの炎はその中の肉の塊を熱している。

 肉をひっくり返して、赤いままの裏面を焼き付ける。ジュウといい音が鳴った。

 脂が細かく弾け、その油を含んだジューシーな肉汁が、焼き上げられた肉から滴り落ちる。

 フライパンを手にしているのは青嶋だ。

 焼きあがった肉をフライパンから取り出すと、残った肉汁に傍らのコンソメを取り振りかける。それからレシピの通りに香りづけのポン酢醤油やいくつかの調味料を加える。シェフの秘密のレシピだ。

 一方、部屋の隅では藤堂と芝原が上等な服に身を包み、お互いの身だしなみを確かめあっていた。

 「もう予約は取ったから、あとは行くだけだよ」

 「予約?それに行くって……」

 「まあ見てて」

 表情の見えぬ紙袋。しかしその奥に光るオオノキの眼は、確かな笑みを浮かべているようだった。

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