6:客席

 夜のレストランは変わることなく人で賑わっている。

 きらびやかな照明、おしゃれな客席、そして何より美味しい料理がリーズナブルな値段で供されるとあればそれも当然のことだろう。


 そんな店先に1人の男が現れた。

 大柄な体型と、がっしりとした体つき。

 藤堂だ。

 高そうなブランド物の服装に上等な革のブリーフケースを持った姿は裕福なサラリーマンとでもいったところか。

 「予約していた藤堂ですが」

 と受付に話しかけると、すぐに用意されていた席へと案内された。

 指定していた通りの客席の隅になる壁に面した1人席だ。

 「いいよ、そのまま自然にね、緊張せず」

 と言うオオノキの声が、藤堂にだけは聞こえる。

 それは彼の耳にある小さな機械から発せられた声だ。

 彼の耳には小型のイヤホンが取り付けられている。襟口には連絡を取るためのマイク。

 さらに着ている上着のボタンのひとつは隠しカメラになっている。さながらスパイの潜入だ。

 「分かっている」

 と、小さな声で短い返事をすると、藤堂は椅子に着いた。

 手にしていたかばんは足元に置く。

 ちらりと視線を他所に移す。そこには遅れて入店してきた芝原の姿があった。案内されて別の席に座る。

 席に着いた芝原もまた、藤堂に視線を送った。準備完了の意だ。


 「みんな、準備はいいね?ボクが合図したら、動いて」

 オオノキと松神の二人は、店から少し離れた車内でカメラの映像越しに店内を見ていた。

 車は店の裏手側に位置している。ちょうど勝手口が見える良い場所だ。無断駐車している車が周囲に多いので目立つこともない。

 モニターには少し低い視線から見える店内。そこは特段変わったところはない。

 「これから何を?」

 「事件をもう一度なぞるんだ。犯人がもう一度犯行をせざる終えない状況にする。そしてそこを捕まえる。悪くないでしょ?」

 と、オオノキは次に携帯電話を取り出した。どこかにかける。しばらく待つと、つながったようだ。明るい口調で話す。

 「ああ、オーナーさん。申し訳ないのですが、明日の朝一番にそちらにお伺いしても?……いえ、実は一昨日の事件の凶器らしい刃物が発見されまして、被害者宅のものではないですし、市販されているものでもないので、念のためにそちらにも確認をさせていただきたく……ああ、そうですか。ありがとうございます。それでは明日、鑑識とそちらへ向かいます。はい、ありがとうございます、それでは」

 すらすらと適当な嘘を並べたオオノキは電話を切る。

 凶器も見つかっていなければ、鑑識を向かわせる予定もないというのによくもまあ平然と人に言えるものだ。

 「さて、これで仕込みとしてはいいかな」

 オオノキは再び画面に向かう。

 「外の監視はお願いね」

 「あいよ」

 そう返事をしてあまり時間のたたぬうちに動きがあった。店の裏からオーナーシェフの男が現れたのだ。

 手には何かを持っている。暗がりで分からないが、そこまで大きい物ではないようだ。

 男は周囲を窺う仕草を見せながら、裏手に止めてあった自分の車に乗り込んだ。

 「……っと、もう動いたみたいだぞ。早いな」

 「それならそれでいい。じゃあ後をつけようか。運転はお願い」

 「ああ、任せろ」

 エンジンを点け、車はそっと動き出した。


 一方その頃、レストランの中では芝原と藤堂が互いに最低限の目配せをしながらごく普通に食事をとっていた。

 先に入っていた藤堂はよく食べることもあってか、手早く食事が進んでいる。

 卓上には海鮮料理やキノコとアンチョビのパスタに山菜の天ぷらなど、いくつかの皿がある。そこへ更に注文した品が来た。ローストビーフだ。

 「そろそろだ。……タイミングが重要だから」

 「分かっている」

 「いつでもいいですよ」

 オオノキは数秒黙り、そして合図を送った。

 それとともに、芝原はよそ見をしながら手を動かした。その先にあるのはテーブルの端に置かれた水の入ったグラスだ。

 「あっ」

 と彼女が言うよりも早く、グラスは床に落ちた。

 精巧な細工の施されたガラスは落下の勢いでけたたましい音を鳴らしながら割れ砕ける。

 その音に、一瞬だが店内の喧騒がかき消された。しんとした空気、人々の集中した視線。


 その瞬間に藤堂は目の前にある手つかずのローストビーフの皿を片手で掴むと、視線すら動かさずに皿の中身を足元の鞄に流し込んだ。

 空になった皿を手早く、しかし音の鳴らぬようにテーブルに戻す。

 静寂は現れた時と同様瞬く間に消えた。

 すぐに店員とシェフの妻が駆けつける。店員はガラスの処理をし、奥さんは芝原に「お怪我はありませんか?」と訊ねた。

 「大丈夫です、すみません。弁償しますから」

 と芝原は心底申し訳ないと言った態度を見せる。

 「いえ、お構いなく」

 奥さんはにこやかにそう言いい、それから店員に割れ物の処理の指示を出す。

 店員はてきぱきとグラスの残骸を回収していく。

 とはいえ飛び散ったガラスとこぼれた水もあって、どうしても人手がかかる。もう一人の店員が乾いたぞうきんに箒とちりとり、それから細かいガラス片用のガムテープを持って加勢してきた。

 客席の様子はというと、まだ何人かが眺めてはいるものの、ほとんどは自分たちの食事に戻っているようだ。


 その様子をぼんやりと眺めながら、藤堂は袖口に仕込んだチューブから青嶋の作った肉汁のソースを空になった皿に垂らした。

 隅の席、それも手の影であっては誰も気づかない。

 入れ終えると、筒先をナプキンで軽くふき取り、他人に見えない様に胴体の方に引っ込める。

 そして藤堂は控えめに手を挙げた。

 すぐに奥さんが気付き小走りで近づいてくる。

 「すみません、お会計を」

 「はい、ただいま」

 ふたりはレジへと向かう。伝票に目を通すと、奥さんは金額を告げた。

 藤堂は財布からカードを取り出すと、彼女に手渡す。そして何の気なしと言ったふうな様子で話し始めた。

 「いやあ、美味しいお店でした」

 「ありがとうございます」

 「メインのローストビーフが特に美味しかったですね。でも……」

 「どうかなさいましたか?」

 「いえ、ちょっと生ヤケだったかな?と思いましてね。なんというか魚のたたきみたいな、肉の表面だけ焼けて中は火が通ってなさそうでしたから。まあ、それはそれで美味しかったから構わないんですけど……」


 見る間に奥さんの表情が変わった。不評を撒かれることの重要性をよく理解しているためだ。

 神妙な面持ちで頭を下げる。

 「申し訳ございません。おそらくそれはこちらの不手際です。あの、それで……」

 「ああ、別に怒っているわけじゃないんですよ。すみません、変なことを言ってしまって。ただ生のお肉が出るのならユッケとかも出せるのかなと思いまして。私はああいう生肉の料理が大好きでして」

 そこでようやく安心したようだ。彼女の緊張した表情も和らいだ。

 「そうでしたか、ですが申し訳ありません。ウチは生のお肉は取り扱っていないんですよ」

 「それなら、今日はラッキーだったということですね」

 「いえ、それでもこちらのミスであることには変わりありません。この度は申し訳ありませんでした」

 念を押してもう一度深く頭を下げる。


 そんなに謝らないでくださいよ。とにこやかに返す藤堂。

 ところがそこで今度は彼が顔を曇らせた。

 首のあたりをかきむしる。

 「おかしいな」

 と呟くと、藤堂は服の懐から筒状の何かを取り出した。

 それは再ゾンビ化抑制薬であるカルムジンの注射器だ。

 圧力式で皮膚に染み込ませるように注入でき、カートリッジで薬剤を補充できる優れものだ。

 細工をしていないほうの袖をめくり、土気色の肌に注射器の先端を押しあて注入ボタンを押す。

 「ふう」

 と一声漏らすも、しかし不快感は消えないようだ。

 「大丈夫ですか?」

 「ハハ……ちょっと調子が悪いみたいです」

 「タクシーをお呼びしましょうか?」

 「いえお気になさらず」


 心配そうな表情を見せながら、奥さんはレジのトレーを差し出した。

 「ではカードをお返しします。それとレシートはこちらになります、どうぞ」

 渡されたものをサイフに入れようとするも、どうにも手際よくいかない。

 その様子を見かねて、もう一度奥さんは不安げな表情と共に問いかけた。

 「あの、本当に大丈夫ですか?」

 「駅までそんなにかかりませんから、ご心配なく」

 見送る奥さんを背に藤堂は店を出た。

 その様子をデザートをつつきながら芝原は見つめていた。

 奥さんは少しすると店内に戻った。そしてまだ片付けられていない藤堂の席へと向かう。

 皿を片付けるつもりだろうか。しかし彼女はテーブルの前で数舜立ち止まると、卓上をそのままに何処かへと急いだ。

 「動きました」

 隠しマイクに向かって、芝原は短くつぶやいた。




 店から駅までの徒歩10分ほどの道のりはその多くが人気の少ない住宅街を抜ける道だ。

 家々を囲む塀も手伝って、人家に灯る明かりは多いにも関わらず、道そのものには驚くほど人の目はない。

 建物の隙間を縫うように吹き抜ける風と、明かりの窓から漏れ聞こえる生活音だけが聞こえる音だ。

 そんな中を藤堂は歩いていた。

 天気予報では暖冬と言わている今年の冬だが、それでも夜は相応に冷え込む。

 感覚が鈍い感染者といえど、寒いものは寒いのだろう。彼はぶるりと身震いをした。

 足取りも重い。いかにも調子を崩している様子だ。

 そんな彼の背後には一人の影。目深にフードを被り人相を隠している。手には小ぶりな金槌。柄を握る拳には、にわかに力が篭る。

 背後の影は早足で少しずつ藤堂との距離を詰める。

 じりじりと、両者の距離は縮まっていく。

 するとそこで、藤堂に異変があった。

 どうにも苦しそうに、その場に屈みこむ。

 それを見た影は走った。もちろん助けるつもりは毛頭ない。

 今まで音を殺していたのも忘れたように靴音をけたたましく鳴らし、勢いに任せて崩れる藤堂に駆け寄る。


 あと数歩。

 金槌を振り上げる。


 そこに物陰から青嶋が現れた。

 手には銃。もちろんその先は影に向けられている。

 「武器を捨てろ!手は頭の上に。跪け」

 短く相手に伝える。

 影はぴたりと動きを止めた。言葉に従い金槌を足元に置くと、両手を挙げて膝をついた。

 その眼前で藤堂は立ち上がる。

 「ナイスタイミング」

 「そっちこそ、いい演技だったじゃないですか。警察やめても役者になれるんじゃないですか」

 「考えておいてもいいかもな」

 と言いながら、藤堂は影に歩み寄った。

 フードを脱がす。

 憔悴した顔で、シェフの妻は二人を睨んでいた。

 「こっちは確保した」

 襟元のマイクに告げるとすぐに返事が返ってきた。

 「いいね。こっちも今終わったところ。署で会おう」

 イヤホンからはオオノキの声。

 「旦那さんも捕まったみたいですね。……さて、それじゃ話を聞きましょうか。両手を後ろに」

 女が従うのを確認してから、藤堂は女の両手に手錠をかけた。

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