2:レストラン

 「常連さんですからね。近所に住んでいるのは知っていますよ」

 創作和食・イタリアンレストラン「百舌鳥」のオーナーシェフは妻と共にテーブルに着き、自分の店で作られた昼食をとっていた。

 その対面に座るのは松神とオオノキ。

 そこは駅から少々離れた住宅街の端にあるレストラン。しかし立地条件の悪さにも関わらず人気はあるらしい。

 20席の店内と小ぶりなオープンテラスはほぼ人で埋まっている。なかなかに盛況していると言えるだろう。


 見るとその中には感染者も多い。

 ゾンビ化ウィルス感染者と非感染者をわけ隔てるものは感染による危険性だけではない。

 例えば食事の好みという点においてもそれは顕著だろう。

 感覚が鈍くなってしまった感染者はその多くが非常に濃い味付けを好む。

 メニューに目を通すと、申告することで料理の味付けを指定できるようだ。

 このあたりの細かいサービスが流行っている理由なのだろう。


 オーナーシェフの男性はそんな羽振りの良さのためか丸々と太っている。髭の濃い姿はクマのようだ。

 隣には女性。彼の奥さんだという。

 こちらは旦那と違って骨ばった痩せ型。とはいえ顔つきからは明るそうな人柄がうかがえる。

 どちらも30代半ば。若くして成功を掴んだと言えるだろう。

 4人が座るテーブルの上には鮮魚を添えたサラダや数種のパスタを小さく盛りつけたプレート、カモ肉の炭火焼きや美しく盛りつけられたお刺身、子牛の肉を使ったという牛肉のたたきなど、和洋の皿が混在している。


 「それにしても、まさか殺されたなんてね……」

 「ほんと、信じられない。石黒さんがそんなひどい目にあうなんて」

 「奥さんもお知り合いですか?」

 「ええ。習い事の書道教室で気があって。時々一緒にここでご飯を食べたりしていました。それからはお友達と一緒に来たりもしていましたよ」

 商売上手なおかみさんだ。こうして知り合いを作りリピーターに育て上げるのが彼女の役割なのだ。

 飲食店を支えるのは何度も通ってくれるリピーターだ。

 明るく社交的な女性ならではの、したたかな戦術と言えるだろう。


 「なるほど。……ところで、昨日も石黒さんはここに?」

 「いえ、昨日は来ていません。ただ以前から注文がありましてね。ホームパーティー用に料理を作って配達してほしいと」

 「それでどうしました?」

 「もちろん引き受けましたよ。ここは宅配サービスもしていますからね。それにまあ、こう言ってしまってはなんですが、地元の人には悪くできませんよ。それで9時前ぐらいだったかな?そのぐらいに電話が来て、彼氏が早く来たのですまないが持ってきて欲しい、と言うのでスタッフに配達させましたよ」

 「その人は今日来ていますか?」

 「ええ。今から呼びましょう。……ところでこれ、どうぞお食べください。美味しいですよ」

 と、男はローストビーフの皿に手を添えて少しだけ松神へと傾ける。


 厚めに切られた肉は少しの傾斜に身をしなだれる。とても柔らかそうだ。淡い赤に熟した肉は添えられた野菜の緑によく映える。

 しっとりとした肉の断面からは、良い肉が時間をかけて加熱され、うま味が濃縮されたことが窺える。脂が溶け出た肉の表面は瑞々しさすら感じさせる。

 「いえ、仕事中ですし、結構です」

 「ここの料理はかなりいけるよ。ボクが保証する。ゾンビのボクでも美味しいと思える料理なんだから流石だ」

 「感染者の人も美味しく食べられるように色々と工夫していますからね。味付けだってそう。人間どんなになっても、美味しいものでお腹がいっぱいになることほど気持ちのいいことはありませんよ」

 男は笑顔で答える。やはり1人の料理人として、自分の味を称賛されるのはたまらないようだ。


 「それよりもまずは、件の配達員と話をさせてもらえますか」

 「ああ、すみません。それではこちらへ」

 男は自分の分である魚料理を食べ終えると、奥さんを残して席を立った。

 ふたりも後に続く。

 店内を通り抜け、厨房に足を踏み入れる。中ではスタッフが忙しそうに調理に励んでいる。景気がいいだけあってスタッフも多いようだ。

 その中で注文を確認しているホールスタッフに男は声をかけた。

 「それは大石にやらせるから、少しこっちに来てくれ。刑事さんが話があるそうだ。裏のスタッフルームを使っていい」

 「え?あ、はい。分りました」

 男はそこでふたりに振り返る。

 「すみません。ちょっと注文が多いので私も加勢します。話は裏で聞いてもらえますか?」

 と、男は火にかけているフライパンを手に取った。中身を一口食べて調味料を加える。

それからブランデーを加えると、火が豪快に上がった。フランベだ。

 「構いませんよ。それでは、ええと」

 「小林です」

 「小林さん、そのスタッフルームにまで案内してもらえますか?」

 「はい。こっちです」

 

 通されたのはロッカーと小ぶりな椅子や机がある簡素な部屋だった。

 小林と松神は椅子に腰かける。

 「では、質問しますが、昨日の夜に石黒優さんの家にまで料理の配達をしましたか?」

 「はい。9時少し前に行きました」

 「料理を受け取ったのは石黒さんでしたか?」

 と、松神は小林に写真を見せる。

 「そうです。この人です。玄関で渡しました」

 「その時、家の中に誰がいたかわかりますか?」

 「うーん、テレビの音が鳴っていたことぐらいしか……」


 「靴はどうだった?」

 と、オオノキが口を挟む。

 「ああ、そういえば。確かに男物の靴がありましたね。じゃあ誰かがいたのかな」

 捉えどころがないと言えばいいのだろうか、どうにも気が抜ける態度だ。人殺しの事件だという実感がわいていないのかもしれない。

 「彼女と個人的な面識はありましたか?」

 「何度か店で見かけたことはあります。でもそれだけ。プライベートで会うようなことはないですよ」

 「料理を届けた時に何か変わったことは?」

 「特にありませんでした。……あー、でも」

 「でも?」

 「僕が運ぶ料理をひとつ間違えていたらしくて、それでオーナーにどやされましたね」

 「そのあとどうしたんですか?」

 「オーナーが電話をかけたらしいですけど繋がらなかったので諦めたそうです。気付かなかったか、別の料理でも満足してもらえたんだろうと言っていましたよ」

 「そうですか、もういいですよ。ありがとうございました」

 部屋から出るふたり。出口には青嶋がいた。

 「配達に使われたスクーターに怪しい点はありませんでした。コックの何人かに質問しましたが、欠員があったということも無いようです」


 レストランから車に戻る道すがら、オオノキは口を開いた。

 「殺してないだろうね。小林クンは」

 「理由は?」

 「目を見れば分かる。……と言うのはズルいから理屈で言うけど、ここから被害者の家までは近い。原付で片道10分かからないだろう。でもあの死体のミンチっぷりはそう簡単にできるもんじゃない。どうやったって時間が必要だ。これが例えば移動時間の長い遠方だったら渋滞に捕まったとか言い訳もできるわけだけど……」

 「帰りが遅かったとは誰も思っていない。つまり時間的な余裕はないわけだな。じゃあ凶器になる刃物が手に入りやすいって点以外で疑う余地もないわけか」

 「そう。そこなんだよね、問題は。あの死体はかなり手入れされた刃物でやられているみたいだから、レストランの誰かが犯人かなとも思ったんだけど……」

 「今のところ分かっているのは9時前に店に電話を入れるまでは二人は確実に生きていたってことか」

 「女が男を殺した後で自殺したパターンは?」

 「腕を千切って自殺した前例があるなら」

 「前例なんて気にするのはナンセンスだよ。政治家でも裁判官でもないだろ」

 「お前はその前に常識を気にしろ」

 呆れた調子でドアを開けると、松神は車に乗り込んだ。

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