case03:魅惑の料理
1:自宅
痛いほどに冷たい風が吹き付ける12月の昼のこと。
男は寒さに震えながら住宅地を歩いていた。
駅から少し歩いた住宅地には、真昼ということもあってか老人がちらほら見えるばかりで、男のような若い人間は少ない。
別段注目を引くようなことはしていないが、通り過ぎる老人たちの視線は部外者を見るそれだ。
貧乏くじを引いたな。と改めて思いながら、男は目的のワンルームマンションにたどり着いた。
そこはいたって普通の5階建ての建物だった。灰色と白の外観。1階部分には部屋はなく駐車場となっている。
見たところエレベーターはないようだ。少し億劫な気持ちになりながらも、男は階段へと向かう。
階段を登りながらメモしておいた部屋の番号を確認する。
目当ての5階についた。表札を見ながら廊下を歩く。
訪ねる人物は彼の同僚の女性。勤勉な彼女が今朝はどういうことか連絡もよこさずに欠勤したのだ。
扉の前に着いた。
チャイムを鳴らす。しかし返事はない。
次に扉をノック……とそこで、男は気づいた。
ドアに鍵がかかっていなかった。
嫌な予感が頭をよぎる。しかしこのまま帰るわけにもいかない。
彼はドアノブに手をかけた。
「石黒さん、いるんですか?」
部屋の中に入り、そこで男は異臭に気付いた。とっさに鼻と口を手で押さえる。
部屋の中に溜まった空気は鼻腔の刺激をもってして彼に異変を知らせていた。
ゆっくりと玄関を進む。次第に広がる洋間への視界。
そこで男が目にしたのは2人分の死体だった。
「被害者は石黒優。24歳。近くの印刷会社に勤めている会社員だ。第一発見者もそこの同僚。無断欠勤したから様子を見に来たらこうなっていたらしい」
マンションの前を歩く2人の刑事と1人のゾンビ。
松神、芝原。それとオオノキだ。
「それで、男の方は誰か分かったんですか?」
と芝原。
「ああ、男は近くの製材所で働いている従業員だ。民安春夫。感染者で推定20代」
感染者は代謝の変化により老化が遅くなる。また理性を取り戻す際に記憶を失う例も珍しくないため、『生前』の情報が分からないということもよくあるのだ。
その為に多くの場合、年齢は大まかにしか数えられない。
「それと二人とも田舎から出てきたから、近場に親族はいないようだ」
「近しい人がいないのなら、犯人は知人でしょうかね」
「その可能性が高いな」
部屋の外に張られた規制線をくぐる。
室内に足を踏み入れると、刑事2人は顔をゆがめた。
並んだ二人の死体は刃物によってズタズタに切り裂かれていた。
女は腹を切り裂かれたうえ何度も執拗に刺されている。
右腕は刺突のあまり胴体から千切れたのだろう。横に転がっている。
対する男もまず目につくのは胴体の損壊だ。
女と同じようにぐちゃぐちゃのミンチにされている。
加えて頭部が何度も殴打されている。辛うじて原形をとどめているのは下あごだけと言っていいだろう。
部屋の中央にあったであろうテーブルの脚は折れ、本棚のひとつは倒れている。
床には料理と食器がまき散らされ、倒れたワインの瓶が赤い水たまりを作っている。
食事中に襲われたのだろう。
壁にあるカレンダーには昨日の日付に赤丸が書かれている。何かの記念日だったようだ。
凄惨な光景を目前にして、芝原がぽつりと漏らす。
「怨恨、でしょうか」
「そうかもな。……ここはもう行くか。とりあえず青嶋と藤堂から周りのことを聞こう」
部屋を出ると、玄関にはふたりの男が待ち構えていた。
刑事の青嶋、そして感染者にして刑事である藤堂だ。見るからに顔色が悪い。
二人は今しがた隣人からの聞き込みを追えたようだ。
「どうだった?何か手がかりは?」
「それがさっぱり。階下の住人が物音を9時に聞いたということしか分りませんでした」
「犯行時間だけか。……せめて昨日の被害者の足取りでも分かればな」
両被害者を最後に見たのはそれぞれの職場の人間だ。事件が起きたのが9時だとすると、二人には数時間の空いた時間があることになる。その間に何があったのかを知らなくてはならない。
「監視カメラは?」
「1階の駐車場に数台あるだけですね。階段を登って部屋に入るならアングル的に映ることはありません」
「部屋の鍵は?」
「合鍵があったらしいですが、見つかっていません。まだ犯人が持っているかも」
「非常用に鍵を外に置いていたならそれを知っていた人間ってことになるな。犯人はかなり親しい人間か?……ひとまず電話の通話記録を確認しよう。メールやSNSもだ。それとカードの使用記録も問い合わせろ。何かわかるかも。終わったら女の方の職場に行ってくれ」
「分かりました」
と、芝原と藤堂はその場を去る。
するとそこで、オオノキは口を開いた。
「その前にご飯を食べに行かない?もうお昼だよ」
彼の言にけげんな表情を見せ、松神は返す。
「……何か見つけたのか?」
「部屋の中を見てたんだけど、三徳包丁1本にフライパンと鍋もそれぞれ1つずつ。調味料は種類が少ないのにどれもあまり減っていない。無事な方の手を見るとネイルは長めで手荒れの兆候はなし。被害者の女性は見たところあまり料理をしない人のようだ。でもそれにしては床に散らばった料理の中には手のかかるものもある」
「買ったものか」
「そう。それを食器に移し替えている。ささやかなホームパーティと言った感じだね。で、だ。味付けが薄いから多分これは宅配サービス。宅配で日持ちしない料理を頼んでおいて、わざわざ次の日に開封する人はまずいないから、事件の前には少なくとも配達員が来ていることになる」
「おい」
「ん?」
「味付けが薄い?」
「ああごめん、台所に残っていた魚介のキッシュを一つだけだから。拾い喰いはしてないし、次からはキミのぶんも残しておくよ」
「まあいい。それで、被害者は事件の直前に家に配達人を通しているんだな。……じゃあ、まずは店を探さないとな」
「そっちはさっきよりも簡単だよ」
と、オオノキは手を差し出す。握られていたのは一本の箸袋。
そこには創作料理店という文字があった。電話番号も載せられている。調べれば所在地もすぐわかるだろう。
「たぶんここ。だから、ちょっと行ってみない?」
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