9:暗転

 「拳銃を持ってきてほしいとは言ってなかったんですがね」

 「なっ……」


 背後から声をかけられ、三木は素早く振り向いた。

 開いたドアの影には紙袋を被ったゾンビ。オオノキがいた。

 そしてすぐさま視線を戻す。先ほどまで見ていた紙袋の姿はまだそこにあった。しかしよく見てみると背が違う。頭にかぶった紙袋のシルエットばかりを気にしていたが、三木を挟むふたりのオオノキは体格がかなり違って見えた。

 ……偽物だ。


 「びっくりしました?ゾンビにはマネキンの胴体って言いますよね。……まあそれはいいとして、どうしてボクに会うのに銃を持ってきたんですか?」


 三木はそこでようやく我に返った。

 自分は右手に拳銃を握っている。

 そしてオオノキのマネキンに偽物と知らずその筒先を向けようとした。

 さらにその一部始終をオオノキ本人に見られたのだ。

 ハメられた。と素早く判断し、銃口を本物のゾンビに向けた。


 「その…………」

 あああ、とうめくような声を漏らす。

 誤魔化せはしないだろう。と三木は考えた。しかし……

 すこし大きく息を吐き、それからうまくイタズラに乗せられたと言わんばかりに、はにかんだ表情を見せた。


 「……なるほど。面白いドッキリだ」

 「でしょう?これを用意するのには結構苦労したんですよ。ちなみに、逃げられませんよ。ここは捜査員に包囲されています」


 オオノキはドアを閉めると、それから出口をふさぐようにそこにもたれ掛かった。


 「ふん。負け惜しみじゃあないが、記憶が見えるなんて嘘だと思ってはいたよ。ただ、そう、確信が持てなくてね」

 「それは仕方ありません。ボクの演技は評判ですからね」

 「……なぜ私だと?」

 「娘さんです。今日気付いたんですが、彼女は感染していますね。それを入院もせずにカルムジンで理性だけを保っている。肉体の変異はほったらかし。実験室にいる感染したネズミが彼女に興味を示さなかったのがその証拠です。……ゾンビの研究をしていて肉親でもある貴方が気付かないはずがない」


 「だがそれと省悟を殺すことと何の関係が?」

 「またまた、人が悪いですね、先生。研究所内で感染事故が起きた場合は研究の停止処分が一般的だ。ひどい場合はセクションごと閉鎖もありうる。あなたが知らないわけもない。そこに真面目な別府さん。研究所内での事故を知った彼は、いったいどうしたんでしょうね」


 オオノキはおどけるように首を揺らす。

 拳銃を握る手の力が少し強まった。


 「なるほど、素晴らしい想像力だ。しかしどれも状況証拠に過ぎない。……違うかね」

 「確かにその通りです。……だからこそ、ここに確かめに来ました。そして分かった。貴方は独善的な人間で、そして別府省悟さんを殺したただの殺人犯に過ぎないと」


 三木の眼の色が、確かに変わった。

 「……ひとつ、ハッキリさせておこうか。私は確かに一人の命を奪ったかもしれない。しかし私の研究はそれ以上に重要な事なんだ。分かるか?ステージ4。君以上に悪化した感染者であろうと治療できるようになる。私がする。もうすぐそこなんだ。今この研究を止めるわけにはいかない。感染事故がなんだ。そんなくだらない理由でせっかく立ち上げたこの研究所を捨てるなんて馬鹿げている。娘もそのことを理解しているからこそ、感染を申告しかなったんだ。隠せば罰があることも承知の上でな。……なのに省悟は、それを許さなかった。ひとりよがりの正義感で私の邪魔をしようとしたんだ」


 「本当に哀れな人ですよ、あなたは。娘さんが黙っていたのは研究のためじゃない。あなたのためだ。そんなことも分からないんですか?」


 「なんとでも言えばいい。……そこを動くな」

 と、語気を強くし、三木はオオノキを制止した。


 「そのまま、両手を挙げろ」

 三木の言葉に従いながら、オオノキは尋ねる。

 「包囲されているっていいませんでしたっけ」


 しかし三木の顔にはもう困惑の影はない。フェイクだ。その確信がある。銃口を突き出すようにしてオオノキに向けると、余裕のある笑みを浮かべた。


 「今更そんな嘘で私を騙せるとでも?」

 もう自供したも同然な状態だ。それなのにパトカーのサイレンも聞こえなければ誰かが踏み込んでくるということもない。オオノキの言葉はブラフだ。


 「あらら、バレちゃってましたか。……まあ、仕方がない。それなら、頭を狙った方がいいですよ。身体はあんまり効きませんし、撃ち損じて弾丸が胴体にでも残った状態で僕をとり逃がせば、線条痕からあなたに不利な証拠が一つできることになる。だから、やるなら慎重に」


 ゆっくりと、三木は距離を詰める。

 確かにオオノキの忠告は正しかった。

 重度の感染者であるオオノキは、即死しない限りはそうそう簡単に死にはしない。場合によってはそのまま反撃してくるおそれもある。

 だからこそ、慎重に近づく。撃たない限りは相手も動けない。だからこそ確実に、一発で。

 もちろん相手も無策ではないはずだ。接近には細心の注意を払わなければならない。

 ……1メートルと少し。オオノキが手を振り回しても当たらない位置まで近づいた。ちょうどいい距離だ。

 引き金にかけたままの指に力を籠める。


 そこで、三木は動きを止めた。


 「銃を捨てろ。両手を上に」

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