7:確執

 陽がさんさんと降り注ぐ小春日和。吹き付ける木枯らしは葉っぱの散った木々を揺らしている。

 昼に差し掛かった学内。建物に周りを囲われた中庭に、松神と青嶋がいた。

二人の前にはベンチに座った男性。まだ若さの見えるその男の名前は石井英司だ。


 「お忙しいところ申し訳ありません。お時間は取らせませんので」

 「いえ、構いませんよ。私としても早く犯人が捕まってほしいですからね」


 見たところ30代前半だろうか。骨太で少し太り気味。昔はスポーツか何かをしていたが歳をとって太りだしたというような風貌だ。

 若白髪だろうか、その頭には早くもごま塩の兆しが見えている。


 「では最近、別府さんとの関係が悪くなったことについて教えていただけますか?」

 「ああ……まあ、予算の問題で少しもめましたね」

 「予算というと?」

 「私や別府君がいるセンターはいくつかの研究チームがそれぞれ別の問題を扱っているのですが、降りてくる予算はセンターに一括なんです」

 「つまり、お金を取り合うということでしょうか」

 「平たく言うとそうですね。ですがこれが酷い。考えてもみてください。所長と副所長が同じチームにいるんですよ。どうなるかはわかりますよね」

 「……独り占めですか?」

 「そんなところですね。……三木博士と別府君のことは研究者としては尊敬しています。決して悪い人じゃあない。しかし最近は少々強引なやり方が目立っていました」


 うんざりとした表情で石井は煙草を取り出した。


 調書を書き終えると、松神と青嶋は目くばせした。

 「分かりました。ご協力ありがとうございます」





 一方その頃、オオノキは一人で研究棟内を歩いていた。廊下は静かで誰もいないかのようだ。ある一室で足を止める。

 そこは小さな実験室だった。

 遠心分離機、冷凍庫、オートクレーブ、PCRなどの実験器具が並び、壁の戸棚にはいくつもの瓶、シャーレ、フラスコといったガラス器具が並んでいる。

 動物実験用だろうか。部屋の隅には数個の小さなケージがあり、その中では白く身体の欠けたネズミが飼われていた。


 部屋の中には一人分の人影。三木麻衣子のものだ。

背中を向けたその人影に、オオノキは声をかけた。


 「仕事熱心ですね」

 麻衣子は振り向くと、呆れたように苦笑した。

 「ああ……オオノキさん、でしたっけ」

 「はは、昨日の今日ですみません」

 「いえ、お構いなく。どうぞ、そちらに」

 と促され、しかしオオノキはそれを手で断った。


 「それでは、今日は何のご用ですか」

 「大したことではないのですが、警備員室にまで来てもらえますか?」

 「はい、でもどうして?」

 「監視カメラの映像が欲しいのですが、令状がないのなら責任者に話を通してくれと追い返されましてね。お父さんのところに行こうかと思ったのですが、講義に出ているようなので」

 「ということは、やっぱりこの研究所の中に犯人が?」

 「それはまだ分りません。でも、違うと思いますよ。ただまあ、確認は必要ですからね。念のために」

 「分かりました。次の時間は空いているので、行きましょう」

 「どうも、ありがとうございます」





 「では、これを」

 焼き上げたDVDを麻衣子は差し出した。

 「はい。確かに預かりました。捜査が終わればお返しします」

 「いいえ、そのまま破棄していただいてけっこうです」

 「ではそのように」

 手渡されたDVDをオオノキは受け取った。


 二人がいるのは警備員室。部屋の中にはいくつものディスプレイが並べられ、常に各部屋がモニタリングされていることが窺える。

 中には通常のカメラとは思えないアングルのものもある。隠し撮りでもしているのだろうか。


 「それにしても、厳重ですね。要塞みたいだ」

 と、オオノキは部屋を見渡した。

 「バイオラボは……特にうちのようなウイルス感染を扱う部門は審査が厳しいですからね。院内感染が起きることの阻止と、起きた場合の隔離にはこれでも足りないぐらいです」

 「隔離ということは、この建物の出入り口にある隔壁もそのために?」

 「お気づきでしたか。ええその通りですよ。緊急時には窓も含めたすべての出入り口が完全にふさがれる仕組みになっています。ここまでしてようやく研究が許されたそうです。本当にお役所は厳しいんですから」

 「ははは、一応は公務員として、耳が痛いご意見です。……ではこれで」

 「ええ。さようなら」





 警察署に戻ったオオノキは監視カメラのDVDを鑑識にまわし、ひとりで自分の机に向かっていた。

 手にしているのは紙袋。頭にかぶっているものと同じ色と大きさのものだ。

 とはいえそれは普段オオノキが身に着けているものとは違う。内部には自衛隊の放出品である防弾ヘルメットが収められているのだ。

 二つの目と口になる穴をくり抜き、出来た穴には特製のフィルムを内側から貼り付ける。

 これで外からは見かけが変わらない紙袋のマスクがひとつできた。

 持ち上げて細部を確認していると、そこに松神が現れた。


 「やあ、おかえり」

 「おう……なにやってんだ?」

オオノキが自分自身の首を持っているような珍妙な光景に、松神は眉をひそめた。

 「ああ気にしないで。防弾用にマスクをもう一つ作っているだけだから……。それよりも、哀れな石井くんはどうだった?」


 手にした書類を机に置くと、松神も自分の椅子に腰かけた。ふう、と一息。足を組む。

 よほど有利な情報を引き出したのだろう。彼の脱力した様子からそれがうかがえた。


 「ああ、当たりだった。何人かに聞いてみたんだが、石井はあの研究所でナンバー3の立場にいたらしい。別府が死ねばひとつ繰り上がる位置だ。そして最近は待遇への不満で別府との確執があった」

 「ほう、彼の死によって得をして、しかも動機がある人間。犯人にはうってつけだね」

 「おまけにさっき鑑識から連絡があった。別府の身体から本人のものでない体毛が見つかったのは知っているよな?それが石井のものだと分かった」

 「おや、それならもう決定的じゃない。逮捕はするの?」


 新しい顔のチェックを終えると、オオノキは満足そうにそれを机の上に置いた。


 「当然。令状を持たせて青嶋と芝原に行かせた。もう少ししたら帰ってくるだろう。お前も取り調べを見るか?」


 そこでほんの少し、オオノキは黙った。

 松神のまぶたがわずかに動く。


 「ああいや……ボクはやめとく」

 「……何かあるのか?」

 「こんなこと言うと、機嫌をわるくしそうだけど、ボクは石井英司が犯人だとは思わないんだ」

 「じゃあ誰が犯人なんだ?」

 「まだ、分からない。でもボクには最後の切り札がある。だからそれを使って確かめてみる」

 「……また変な事考えているのか?」

 「まさか。ボクは至って真面目だよ。ただ一つだけ問題なのは、協力者が一人いるってことかな」

 と言うと、オオノキは電話を手にした。

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