6:同僚

 「……以上のことから、感染者の身体の変異の進行は外科的な治療で、認知機能の低下にはカルムジンの投与をすることで、それぞれ対応しています。ですがこの処置もいまだ完全なものではないのが現状です。記憶喪失を引き起こしてしまう、あるいは逆に発症状態の記憶……特に人を襲う経験がフラッシュバックしてしまう。食べた人間の記憶が当人のものと混同する形で備わってしまう。など様々な認知機能における障害が起こる恐れがあります。これらの症状はうつ病や拒食症などの精神障害を併発し、患者にとっては高いリスクとなります。このため患者へのメンタルケアは身体の治療と同様に重要であり――」


 夕暮れを過ぎた講義室。電光に照らされた室内では学生たちが席を埋めている。その群れの中に紙袋を被る目立つ姿があった。オオノキだ。

 壇上に上がりゾンビの健康について説いているのは女性講師。名前は三木麻衣子。

 昼にオオノキと松神が訪ねた三木博士の娘だ。


 長い髪を結い、シンプルなスーツを着たこざっぱりとした格好だ。

 日がな一日屋内にいるためか、肌が透き通るように白く、輪郭が淡い。すらりとしたシルエットと合わせて今にも溶けてしまいそうだ。

 父親が枯れ木だとしたら、彼女はその下に立つ幽霊と呼べるかもしれない。


 「――それでは今日はこれまで。レポートの期限は来週までなので忘れないでくださいね」

 講義が終わり、麻衣子は部屋を出る。その先には松神が立っていた。

 

 「こんばんは。少々お時間いただけますか?別府さんの事件のことで」

 「ああ、警察の方ですか」

 麻衣子はちらりと視線を移した。部屋の内外には人影がまばらに残っている。

 「……部屋まで歩きながらでも構いませんか」

 「ええ、もちろん」





 「それで、省悟さんとは親しかったんですか?」

 教室棟から麻衣子の自室がある研究棟への道すがら、松神は訊ねた。

 夕日も落ちた歩道には灯りと呼べるものは少ない。大きく隙間を開けて並ぶ電燈と周りの建物から漏れた照明があるだけだ。


 「そうですね。父から聞いたかもしれませんが、一緒に暮らしていたこともありまして」

 「なるほど。それでは天野和人さんについてはご存知ですか?」

 「はい。彼、私にだけ話してくれましたけど、本当は病気のお母さんのためにどうしてもお金が欲しかったらしくて……あんなことになって残念です」


 松神はオオノキに視線を向ける。被った紙袋の口元が笑っているように見える。なんとなく、得意そうだ。


 「……天野さんを疑っているんですか?」

 「いえ、すこし前に麻衣子さんが会っていると聞いたもので。ただの事実確認です。それで、天野さんがここに来たときに別府さんは電話をしていたそうですが、相手が誰だかわかりますか」

 「さあ、そこまでは……」


 「では最近別府さんが避けていた人はいますか。来ると必ず別府さんが席を外す……そういう人は」とオオノキが割り込む。

 「それだったら、石井さんだと思います。前はそうでもなかったんですが、ここ最近は妙に避けていると言うか、喧嘩別れでもしたみたいな感じでした」

 「その石井という人は」

 「父や省悟とは別のチームのリーダーです。うちの研究所は今、いくつかの研究を並行して行っているんです。石井さんはたしかカルムジンの効果時間延長についての研究だったはずです」

 「並行した別々のチームということは、横の力関係でなにかあったとか」

 「言われてみれば、そうかもしれないですね。父はそのあたりは省悟に任せきりでしたし、その省悟は話そうとしませんでしたから」


 「なるほど。あ、そろそろですね」

 見ると目の前には研究棟の入り口がある。

 勝手知ったる大学内、ということだろうか。暗がりの中でも歩みの速い麻衣子に合わせて、いつの間にか歩いていたようだ。

 眼前の建物を見る。夜に差し掛かった建物には流石に明かりが少ない。


 「それでは、ありがとうございました。また何か聞きに来るかもしれませんが、その時はよろしくお願いします」

 「はい、それでは」

 「最後に、つかぬことを窺いますが、貴女にとってお父さんとは?」

 「え?……ああ、片付けは出来ないけど、良い人ですよ」





 麻衣子が研究棟へと入るのを見送ると、松神とオオノキの二人も帰路についた。いま来た道を引き返す。


 「ところで、最後の質問の意味は?」

 「彼女が殺したかどうかの確認」

 「おいおいお前、あの子を疑っていたのか?」

 「一応ね。付き合っていたみたいだから、痴情のもつれも考えられた」

 「付き合っていた?別府とか?」

 「うん。同じ香水つけていたじゃん」


 死体に顔を埋めるオオノキの姿を思い起こす。あまりいい絵面とは言えない。


 「……まあいい。で、試してみてどうだった?」

 「たぶんシロ。他人に依存するタイプじゃないし、浮気もない。でも優しい……と言うよりも甘い人だな。おそらく何か隠していると思う」

 「何かって?」

 「それが分かれば苦労しないよ。でも何かある。誰かを庇っているとか」

 「だとしたら、それが鍵になるかもな。だが、その前にまずは堅実なことからだ」

 「石井くんを調べるとか?」

 「そのとおり」

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