4:研究所

 「省悟が、ですか。まさか……そんな」


 刑事が伝えた突然の訃報に、初老の男は動揺を隠せない様子だった。

 松神とオオノキが訪れたのは、殺された別府の勤務していた大阪大学附属病院感染治療・研究センターだった。


 ゾンビ用の薬品の製造や体組織の変異についての研究、実際の治療にゾンビのメンタルケアなど様々なことを行う総合医療施設だ。

 大学病院の一部門ではあるものの、活動規模の大きさや院内感染のリスクのためか、丸々一つの棟があてがわれている。


 彼らを迎えたのは研究所の所長である三木という男だ。白衣に身を包み、背が高い。病身のように痩せた姿は枯れ木のようだ。

 通された所長室で松神と三木は向かい合って座っていた。

 昼を過ぎた室内には西日が射し始めている。掃除が行き届いていないのか、すこし埃っぽい。

 オオノキは部屋の中を歩きまわり、そこかしこを物色し、時折窓の外を眺めている。

 いつものことだが落ち着きがない。


 「ご愁傷様です。別府さんとは親しかったんですか」

 「ええ。省悟の母親とは友人でして。【感染】のあと、あいつが成人するまでの8年間、里親として引き取って娘と3人で暮らしていました」


 三木の顔には深いしわが刻まれている。

 重いため息は年月の積み重ねを感じさせる。


 「それは、失礼いたしました」

 「いえ、どうぞお気になさらず」

 「分かりました。……では、別府さんの交友関係について、何かご存じのことはありませんか?職場内でのトラブルなどは」

 「いえ、あいつはまじめで人当たりもよかったから、問題を起こすようなことはありませんでした。優秀でここの副責任者でもありました……ああいや、まさか」

 「何かあったんですか」


 「2年ほど前のことです。ここで働いていた感染者がひとり、医療用の向精神薬を盗んでいたことが分かったんです」

 「それに別府さんが?」

 「はい。省悟がそれに気づいて調べ上げ、ついには彼を見つけて告発したんです」

 「当ててみましょう。その彼には病気の親御さんがいて、彼は仕方なく盗みを働いていた。しかし職場を追われて収入がなくなり親御さんは十分な治療が受けられずについ最近亡くなった」

 「いや、そこまでは……」


 いつの間にかオオノキは松神の背後に立っていた。

 三木の顔に困惑が浮かぶ。その表情をのぞき込むようにオオノキは姿勢を崩す。

 反応を窺っているらしい。松神はそれを手で制した。


 「すみません。こいつの言うことは気にしないでください。……それで、話を戻しますが省悟さんは職を奪われた逆恨みで殺されたと?」

 「私は直接会ってはいませんが、どうも彼が最近この大学近くをうろついていたらしくて。……私が思い当たるのはそれぐらいです」

 「ではその感染者について、住所などはご存知ですか?」

 「ええ、彼は薬剤師として働いていましたが、ここに患者としても通っていましたからね。カルテがあったはずです」


 三木は机の引き出しを開けると並んだファイルに目を走らせた。パソコンは苦手なのだろうか、電子化していないようだ。

 「そう、ですね……ああ、どこにやったかな」

 別の引き出しを開く。しかしそこにも目当てのものは無いらしい。ついには立ち上がり、手近な棚へと手を伸ばした。

 どうも片付けができない人間らしい。机の散らかりようからも三木の一面が見て取れた。

 こういうのが学者肌、という奴だろうか。と松神はオオノキに視線を移した。


 「あった。これです」

 三木はようやく見つけたファイルを開くと、その1ページを取り外した。

 松神は受け取ると、席を立った。

 「ありがとうございます、三木博士。それでは――」

 「あっ、ちょっと待って。すみません三木博士、先ほど薬剤師と言っていましたが、ここって薬を出せるんですか」

 「ええ、そうですが」

 「実は家に置いてある薬が減っていまして。こんな仕事ですから、忙しくっておちおち受診もできないんですよ」


 オオノキの言う「薬」とは再度のゾンビ化を抑え理性を保つ薬剤、カルムジンのことだ。

 感染者は定期的な医療機関への受診と、処方されたカルムジンを毎日注射することが義務づけられている。


 「ああ、そういうことでしたら。用意しておきますよ。診断書も一緒に。届ける先は……」

 「いえ、それには及びません。後でボクのほうから伺います」

 「それでしたら、ここの入り口の受付事務に渡しておきます。いつでもいらしてください」

 「いやあ、助かります」

 「いえいえ、感染者の方へのケアが私たちのモットー。省悟もそう言っていましたからね」

 「もういいか?オオノキ。……それでは今日はこれで。事件について分かり次第、また追って連絡いたします」

 へらへらと頭を下げるオオノキをよそに、松神は改めて部屋を出た。





 所長室をあとにして大学のキャンパス内を歩いていると、松神の携帯電話が鳴った。

 別府の住所近辺で聞き込みをしていた青嶋からだった。

 松神は2、3言話し終えると気の抜けたため息をして電話を切った。


 「三木博士の言う通り、別府は真面目な男だったらしい。それと、昨日のおおまかな足取りも分かった。特に怪しい点はないそうだ」

 「家の中は?」

 「調べたが何もなし。それと今、職場の部屋も調べるように手配した。まあそっちも何も出ないだろうがな」

 「じゃあ有力なのは2年前の怨恨?でも今更殺しに来るかな」

 「さっき親が死んだとか言っていたじゃないか」

 「適当を言っただけさ。そうでもしないと今このタイミングで殺しに来る理由がないってだけ。動機にだって時効はあるんだよ」


 歩きながらオオノキは手にしたカルテを眺めた。

 天野和人。それが男の名前だった。住所も記されている。もっとも、今も暮らしているのかは分からない。

 「それで、これがひとまずの容疑者?」

 「他に誰もいないからそうなるな。動機もまあ、あることはある。芝原に調べさせて今の職場もあたろう」

 と、二人は車に乗り込んだ。

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