3:現場

 かつて、ゾンビ化ウイルスの世界的な【感染】があった。

 出自の分らぬ病原体が人から理性を奪い、混乱と破壊を招いたのだ。


 最初のパニックを生き抜いた人々は団結して壁を築き、その中で生きながらえた。

 その6か月後、WHO――世界保健機関から、ワクチンテストが成功したとの報告が世界中に発表された。


 そしてゾンビがただの病気の患者になってから15年という歳月が流れつつあった。

 


   【探偵は一度死んでいる】



 現場は昼でも薄暗い路地裏だった。

 被害者は道の真ん中でうつぶせに倒れていた。腹部から流れた血液が衣服を赤黒く染めている。鑑識によると銃で撃ち殺されたらしい。

 

 発見者は近くのビルで雑貨屋をしている男性だった。

 先に到着していた部下、青嶋から話を聞くと、松神は首をひねった。

 

 「それで、銃を使っておいてなんで発見が朝なんだ?」

 「それがどうも、近くで騒ぎがあったらしくて」

 「騒ぎ?何かあったのか」

 「感染者の権利を求めたデモ活動があったんですが、そこにゾンビ否定派の団体がちょっかいを出したそうなんですよ。それで警備していた警官も混じっての3つどもえの乱闘騒ぎに」

 ゾンビ化ウィルスの感染者は法の下での平等を約束されている。しかしながら実態として、非感染者との感染者の間には雇用や婚姻に住居等の確かな格差が存在しているのだ。

 「その騒ぎに紛れてか、なるほどな」


 青嶋は被害者の遺体から見つかった遺留品のリストを松神に差し出した。

 「財布がないですし、強盗でしょうか」


 その可能性は大いにあった。喧噪の中なら何をしても目立たず、雑踏に紛れれば逃走も容易だ。加えて警察官は表通りへと駆り出され、裏通りにまでは目が届かなくなる。

 そうだろうな、と松神は同意しようとした。

 ところがそこへ、オオノキが割り込んできた。


 「いや、おそらく犯人の目的は被害者の殺害だ。財布をぬいたのは物盗りの犯行だと見せかけるため」

 「どうしてそう思う」


 松神に答えるかわりにオオノキはリストを指さした。

 そこにはペンや手帳や携帯電話といった日用品から被害者とは異なる色の体毛など重要そうなものまであらゆる情報が並べられている。

 オオノキの指先にあった文字は腕時計だった。


 「男が身に着ける高い物なんて、財布と腕時計ぐらいじゃない。しかも見てこれ」と言うと、オオノキは死体の袖をまくった。

 青白い手首には、服装とも不釣り合いなほどに高級そうな腕時計がはめられていた。


 「これを見逃す?殺しまでした強盗が」

 「逃げるのを優先したってことはないのか」

 「そこまで慎重ならそもそも殺しをしないよ。銃で脅して金目のものを投げさせればいい。殺しなんてリスクばかりで犯人にとっても得にならない。いくら表がお祭り騒ぎの中でも発砲すれば音は目立つ。たかだか数万円とは釣り合わない。……犯人にとって、リスクに見合うリターンは被害者の死だったんだよ」


 「仮にそうだとして、銃殺だなんて。まさか暴力団が絡んでいるんじゃ。……組織犯罪課のほうも当たってみないと」と、青嶋。


 「ヤクザがチンピラみたいにセコセコと財布を盗む?それに暴力団なら死体を残さないでしょ。聞いたところによると、治療をしてないゾンビを飼っているらしいから、適当にバラしてそいつらの晩ごはんにすればいい。ああ、知っている?腹ペコのゾンビ16人に一人の男を食べさせた場合の処理時間は――」


 「そこまでだ。いま分かっているのは男が銃で撃たれたことだけ。単なる強盗の可能性も消えたわけじゃない。とりあえず、周辺の聞き込みと被害者の身元の特定。それが済み次第、関係者を洗うぞ」


 松神がそこまで言い終わると、鑑識の捜査員が書類を手に歩いてきた。

 「身元の確認終わりました。被害の名前は別府省悟、27歳。住所はこの近くです」

 「親族は?」

 「いないようですね。幼いころに父親が蒸発。【感染】で母親と妹も失っているそうです」

 「面倒だな。……なら、勤務先は?」

 「大学附属病院の研究所とのことです」

 「分かった。おい、行くぞ。……あとそれは置いとけ」

 「あら、バレてた」


 オオノキはどうやってくすねたのか、被害者の携帯電話を証拠品袋から持ち出しいじりまわしていた。

 「ロックは外しておいたけど、目ぼしいものはなかったよ。一応そっちでも確認しておいて」

 と言い残すと、鑑識の捜査員に携帯電話を手渡し、オオノキは先に出発した松神のあとを追った。

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