第16話

 深い霧の中、生物の気配すら感じられないその場所で、小さなため息の音が響く。


「…レイナ…………」

「なあに、エクス?」

「――っ⁉」


 誰に向けるでもなく呟いたはずのその名前に思いがけず返答があり、シャドウ・エクスは身を震わせ、武器を構えた。


「……あれ、君だけ? 他のみんなは――」

「いいえ、私だけよ。だから、えっと……武器を、下ろしてもらえる?」


 両手を軽く上げ、戦う意がないことを伝えつつ、レイナは苦笑いを浮かべる。

 少し警戒してか、辺りを見回してからシャドウ・エクスは武器をしまった。


「……それで、何をしに来たんだい、レイナ?」

「……あなたに、『救済の結末』を届けに――」


 レイナが一冊の本を取り出す。

 端に二重の半円が描かれた、既視感のある本。そう、『運命の書』だ。


「……それで、レイナは僕にどんな『救済の結末』を示してくれるのかな?」


 シャドウ・エクスは嘲るように言う。しかしそれはレイナや、レイナの持つ運命の書――救済の結末に向けたものではなく、自分自身に向けたものだった。こんなにまでめちゃくちゃになった自分に、救済の結末なんて受け入れられるのか、と。そんなことを考えてしまうくらいには、もう自分自身を失っていた。


「私があなたにどんな『救済の結末』を示すのか……。それはあなた自身の目で確かめてみるといいわ」


 そう言うと、レイナは持っていた運命の書をシャドウ・エクスに手渡した。

 シャドウ・エクスは自分の手に握った『運命の書』をじっと見つめる。今まで真っ白な頁しかない『空白の書』しか与えられたことがなかったエクスは、その『運命の書』に不安を覚えたのだ。

 レイナはそれをじっと見守る。二人の間には深い沈黙が訪れ、お互いの微かな吐息さえはっきりと聞こえてしまう。


「………っ!?」


 運命の書の最初の頁をめくったシャドウ・エクスの目が丸く見開かれる。次の頁、また次の頁とめくっていくごとに、彼の目はますます丸く、驚きに満ちた。

 とうとう最後までめくり終わったシャドウ・エクスはレイナの目をじっと見つめた。レイナは黙ったままにっこりと微笑んだ。


「……これは、どういうことかな?」

「何がかしら?」

「これは本当に『救済の結末』? だって――」


 そこで一度区切ると、シャドウ・エクスは運命の書を開いてレイナの前に突き出した。


「だって、何も書かれていない……これじゃあまるで『空白の書』じゃないか!」


 シャドウ・エクスがレイナに見せた頁には、文字と言っていいものが何一つ書いていなかった。いや、その頁だけではない。ほかのどこを開いても――そう、最初から最後までずっと、そんな真っ白な頁が続いていてのだ。

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