第14話

 一行の周りに深い霧が立ち込め始める。


「わたし、なんかもう嫌だよ。もうエクスさんの記憶は見たくない……」

「ああ、僕もだ……」


 そんなエレナとレヴォルの言葉にはお構いなしに、霧はエクスの過去の記憶を映し出す――。


◆◇◇

「ねぇ、もしも僕が死んで、ファムのようにヒーローになったとしたら…。僕の運命を与えられた『運命の書』の持ち主たちも「レイナ」たちと出会うことになるのかな」


 「『空白の書』の持ち主の歩んだ運命は新たな『原典』として『運命の書』になる」というヤーコプの言葉を思い出し、エクスがまだ見ぬ自分の運命を与えられる者へ思いをはせる。


「そうね、きっとこの世界のどこかでは私たちの旅に基づいた想区が生まれるのだと思う。…私の『運命の書』を与えられた人は私の運命が幸せだと思ってくれるのかしら」

「さぁな。『運命の書』はそいつが幸せに生きるかどうかまでは決めちゃくれない。だからま、せいぜいオレの『運命の書』を与えられた奴に恨まれないよう、後悔なく生きるしかないんじゃねーのか?」


 道に迷って悩んでも、悔やみきれない後悔は残さないように。タオはもう自分の心に嘘は吐かないと決意し、レイナたちに言う。


「正直、変な感じですけどね。シェインたちの運命に基づいた『運命の書』の持ち主が生まれるかもしれないというのも」

「でも、きっとその想区でもまた、運命を与えられなかった何者かが生まれてくるのかもしれないな」

「ああ。その者が我々の旅からなにかを受け取るのか、それとも我々自身を変えるのかはわからないが…」

「そうやってまた、次に生まれてくる『空白の書』の持ち主の歩く道を照らし出すのかもしれないね」


 願わくば、空白の運命に負けてしまわないように。自分の『運命の書』が異質だからと悲観し、諦めてしまわないように。そして、仲間を見つけられるように。そう願いを込める。


「もしかしたらその積み重ねの果てに誰かが違う答えを見つけ出すのかもしれないね。この世界で僕たちがどう生きていくべきなのか。あるいは僕たちとは違うやり方で、この世界そのものを変えていくのかも…。そうしたら、僕たちのいままでの旅にもなにか意味があったってことになるのかもしれないね」

「…未来に意志を託し、希望をつなげていく、か。そうやってこの世界は回り続けてきたんでしょうね、きっと」


 エクスとレイナが微笑む。『空白』だった自分たちの運命が、誰かの運命の道しるべとなりますように。


「さ、私たちのこれからの話はここまでにしてそろそろ始めましょうか。モリガンがいなくなったいま、いつまでこの想区が存在できるかわからないし」

「うん。お願い、レイナ」

「ええ、それじゃあ始めるわね―――」


―――『再編』の力を手にしてもなお、運命を巡る僕たちの旅は続く。僕らの旅の果てになにが待っているか、それはまだわからないけれども…。これまで語り継がれてきた英雄たちのように “おとぎ話” となった僕らの運命は、きっと誰かの道を照らし出す。

 そしてまた、どこかで始まるんだ。いつか誰かが語った運命が溢れる世界で、なんの運命も与えられなかった者たちの旅が…。生まれたときに与えられた『運命の書』に、誰も知らない物語を紡ぐための旅が、きっと…―――


「いいや」


 突然、エクスの頭の中に低い声が響く。それは内側から直接語りかけられているようで。ひどく混沌に満ちた、それでいて何もない虚無のようで。


「とても悲しいことだけど、君たちの旅はここでおしまいなんだ…。だから、ごめんね」

「えっ? あっ…、ぐあっ…………!」


 突如現れた声が内側からエクスを侵していく。心の奥底から自分ではない誰かの手が伸びてきて、深い闇の中に引きずり込まれるようだった。


「あっ…、あああああ………! みんな………! 逃げ、て………!」


 必死に抵抗しようとするが、全身に纏わりつく気持ちの悪い感覚がそれを許さない。一瞬で意識を奈落の底へ引きずられ、エクスの体は自分のものであるにも関わらず、彼の思うようには動かせなかった。

 大切な仲間に、危険を伝えることもできなかった。


「ちょっと姉御。まだ『再編』は始まらないんですか?」

「ちょ、ちょっと待って! コツはわかっているんだけど…、発動させるのが難しくて……」


 シェインが待ちくたびれたようにレイナに言う。レイナは彼女なりに頑張っているらしいが、いかんせん『調律』とは勝手が違うのだ。今までと同じ感覚でやっても上手くいくわけがない。


「もう姉御があんまりぐずぐずしているから、見てくださいよ。退屈のあまり、エクスさんも明後日の方向を向いて……」

「……というか、エクスどうしたんだ? 妙にぼんやりしているが…」

「大丈夫か? 体の調子でも崩したんじゃないか?」

「ちょっと待って。それならボク、いい薬持ってるよ」

「………………………」


――違うんだ! それは僕じゃない! 早く逃げて、手遅れになる前に!


 必死に声を出そうとするが、その言葉は全く音にならない。何もできない。仲間を助けられない。エクスの心に悲痛な叫びが響く。


「…ねぇ、ほんとにエクス、どうしたの?」

「まーまー、そんなに心配すんなって。いろいろあったから疲れが出ちまったんだろ。なぁ、エクス、無理はすんなよ。なんなら、あっちで横になって休んでも―――」

「………タオ。ごめんね」


 エクスは自分の体を乗っ取った何者かが腰のナイフに手をかけるのを感じ取った。まだ仲間たちは誰も気づいていないようだ。


――頼むから、早く逃げてくれ!


「へっ?」


 タオが聞き返したのとほぼ同時に鈍い音がして、彼の腹部深くにナイフが突き刺さる。突然のことに何が起こったのか分からない一行は驚いたようにエクスの姿をした何者かを見つめる。


「あっ………。エクス、なん…で…………」

「……タオ兄? ちょ、ちょっと…タオ兄……、タオ兄………!」

「う…、嘘……。なんで…、なんで……⁉」

「………エクス?」


 タオが倒れたのを見てようやく状況を把握したシェインたちの表情が歪む。

 大切な仲間が大怪我をしているにも関わらずエクスの顔はゆっくりと笑みを浮かべる。


「……悲しい、悲しいね。君たちの運命が、ここでおしまいだなんて」

「エクス…、あなたはなにを……!」

「ふっ…、ふふっ……」


 笑い声をあげながらクロヴィスたちに近づいていく。手にはタオの血のついたナイフを握り、今度はクロヴィスたちを指すべく彼らに駆け寄る。


――嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。僕は仲間が傷つくところがみたいんじゃない! お願いだからもうやめてくれ!


「がはっ⁉」

「クロヴィス?!」

「なぜ…、あなたが、こんな……」

「あ…、ああ……!」

「下がれ、サード! いったいなにが起きた! なぜこんなことをした! 答えろ、エクス!」


――違う! それはエクスじゃない! 誰か、誰か早くそれに気付いて、一刻も早くそいつから離れて!


「違う…、あなたは、エクスじゃない……。いったい、あなたは誰なの……!」


 レイナが言うと、エクスの顔はさらに陰を含んだ笑みを浮かべる。


「なにを言ってるの? 僕“たち”はずっと旅をしてきた仲間じゃないか…。たとえ器が滅んでも、魂は不滅…。安心して。君たちの旅は、僕“たち”が受け継いであげるから…」


――やめろ。やめてくれ、こんな終わり方……僕たちの旅がこんな無理矢理な終わらせ方で、こんな絶望に満ちた終わらせ方でいいはずがないんだ……!


 “エクス”の想いを嘲笑うように、“彼”はレイナの目の前に立って彼女へナイフを構える。


「―――だから、さようなら。レイナ」

「――――――っ!」


 勢いよくナイフが振り下ろされ、レイナがぎゅっと目を瞑る。


「姉御―――――――!!」


――レイナ………っ!!

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