第8話. 決着と選択の末

 当初は拮抗していた勇者と魔王の戦いも、徐々に実力差が現れ始めていた。

 ルークは相手の斬り込んでくる速度や力、その太刀筋に慣れを感じていた。当然、それに合わせて対応をしていたわけである。しかし初めの内は貴族ということで遠慮があったのだろうが、問答の後はそういう遠慮がなくなった。それだけに繰り出される攻撃にはより鋭さが増し、もはやルークには対応が難しくあったのだ。

 そして遂にその時が来る。

 魔王の予想を上回る一太刀を受け、ルークの体勢が僅かに崩れる。その隙を相手は逃さない。魔王の気配が尖る。それを察知したルークは後方へと距離を置こうとした。が、魔王はルークの足を踏み付けて後退を阻止。さらに左拳を固く握り締めると、大きく腰を捻って振り被った。轟音を唸らせて走る魔王の左拳は、ルークの腹部を見事に打ち抜く。一帯に響く、鈍い衝撃音。ルークの体は人形みたく軽々と弾け飛び、さらに床に落ちてから数メートルほど転がってようやく静止した。

「あがっ、おえ……」

 ルークは床に蹲りながら呻き、口から血と唾液を吐き出した。

 まるで内臓を直接殴り付けられたような強烈な吐き気。このような一撃をもらったことは今までにない。

 このとき、ルークは無意識の内に格付けしていた。自分よりも相手の方が強いと、まともに戦っても勝ち目はないと。

 一方、魔王は追撃を計る。明らかに相手は無防備。この好機を逃す手はない。とどめの一撃を振り下ろせば勝利は間違いなし。

 しかしここでルークを庇うように人影が割って入ってきた。これに魔王は制止。立ちはだかったのは、幼馴染みであるドロシーだったからだ。

「そこまでや、魔王」

「魔王って、お前……」

 仮面も剥がれて素顔を晒され、またドロシー自身も正体を知っていると言うのに、あえて魔王と突き放すように言い放ったのは、そうせざるを得ない事情があったからだった。

 ドロシーは選択したのだ、幼馴染みを助けないと。ゆえに幼馴染みを魔王として扱うことで王国への忠誠と、自身への疑惑を払拭することにしたのである。

 そんな事情など知る由もない勇者と魔王は、この事態に困惑を隠せなかった。

 ルークは問う。

「いいのか、奴は幼馴染みのはず」

「関係ないです。女のために魔王になるような奴は、誰であろうと敵なんで」

 真実を言うには行かなかったが、嘘をついたわけでもなかった。ドロシーからすれば、女のために裏切り行為に及ぶなどあまりにも馬鹿馬鹿しくて許せなかったのだ。

 しかし怒りに似た感情を帯びていた所為か、ルークはそれを固い覚悟による言葉と勘違いしたようで、深刻な声でそうかと納得の様相を見せた。

「なんにせよ、俺の加勢になるということでいいんだな。つまりは幼馴染みを倒すと」

「はい」

「しかし情けない話だが、俺よりも奴の方が強い。加勢があっても勝てるかどうか」

「……」

 ドロシーはルークの総身を見渡し、ダメージの度合いを測った。そしてルークの予測が正しいと判断すると、囁くような声でこれからの方策を伝えた。

「ルークさん、私が魔王あいつにきつい一発をぶちかまします。そうしたら隙が出来るはずなんで、間髪入れずに全力の一撃を見舞ってやってください」

「作戦はわかるが、出来るのか?」

「もちろん。魔王あいつにドデカいダメージを喰らわしたりますよ」

「……」

 ルークは納得しかねる顔をしていたが、ドロシーには自信があった。それこそ幼馴染みだからこそ魔王の受けるダメージのほどが容易に想像できたのだ。

 しかしこの作戦には欠かせないものがある。

「念を押しますけど、隙を逃さずにお願いしますよ。聖剣でバッサリ行ってください」

「わかっている。が、本当にそれで倒せるのか?」

 ルークは手元の聖剣を見やる。

 この剣を用いたところで、あの魔王には勝てない。実際に戦っていたからこそわかる。覆せない実力差が奴との間にはあるのだ。悔しいが、それは認めるしかない。

 そんなルークの不安を見抜いたようにドロシーは言う。

「大丈夫、聖剣があれば勝てます。何故なら、それを用いるあなたこそが勇者やから」

「?」

 気休めかと思ったが、その言葉を否定する意味もない。ならば、むしろ背中を押されてやることで勇気づけられてやるか。

「そうだな。聖剣の担い手である俺こそが勇者だ」

 ルークは痛む腹を押さえながら立ち上がる。ドロシーの作戦に従い、魔王の隙が出来たならば間髪を入れずに接近し、聖剣を叩き込むために。

 その覚悟を見て取り、ドロシーが魔王と対峙するように前へと進み出る。相手は幼い頃より良く知る相手。だとしても、ここでは敵同士であることを決めたならば、手加減はしない。勇者ルークのためにきつい一撃を叩き込み、隙を作る。ドロシーは敵対意識とは裏腹に明るい声で話し掛けた。

「聞いたで、アンジェラと恋仲になったらしいな。めでたい話やん」

「まあな。これでようやく年齢=彼女いない歴を卒業したわけだ」

「ははは、ホンマにめでたいわ」

「そうだろ?」

「うん、ホンマにめでたい。ホンマに、めでたい奴やで」

「え?」

 祝福の言葉から一転、ドロシーは呆れたように吐き捨てた。

「お前、何もわかってないな」

「なにが?」

「幼馴染みがこんな見え透いた詐欺に引っ掛かるとは思わんかったと、そう言うとんねん」

「詐欺って?」

「アンジェラにその気は微塵もないってことや」

「その気って?」

「わかれや。恋人になる気に決まっとるやろ」

「え?」

 アンジェラが恋人になる気がないことは、すこし考えればわかることだ。何故なら、彼女の目的は前魔王の仇である前勇者を討つことにあり、計画の一切はそのために練られているからだ。当然、前勇者と恋仲になることもそうだろう。

 なのに騙されてしまうのだから頭が痛くなる。恋は盲目というやつだろうか。

 無論、魔王からすれば、こんな話を聞かされてもすんなり信じられない。

 しかしドロシーは退路を断つかのように事の真相を伝える、アンジェラが何を企んでいたのかを。ただし、ドロシーが選択を迫られた事実は秘した。それを言ってしまうと選択した意味が無くなるからだ。

 一方、暴露内容に驚いたのは、勇者と魔王の両名だった。

 互いにアンジェラに利用されていたのだ。反応としては正しいだろう。

 とりわけ魔王が受けた衝撃は凄まじかった。

 がくりと膝をつき、呆然と天井を見上げる有様である。

 しかしそれも当然なのかもしれない。初めての恋人が出来たと思ったら、ただただ利用されただけだったのだ。きっとこれからの人生を楽しみにしていたことだろう。初めての彼女との甘々な生活を妄想していたことだろう。しかしその全てが偽り。待望の願いを叶えたと思ったら、それが泡となって消えた。その絶望感は果たしてどれほどのものだろうか。ある意味、結婚詐欺に遭ったようなものか。

 それだけに同情の余地もある。が、魔王を名乗ってしまったのは行き過ぎ。しかも女のために王国を裏切った事実は変わらないのだ。どう考えても詰んでいる。

 ゆえにドロシーは容赦しない。さあ、今ですよと背後に控えるルークに視線で合図を送った。

「え、ちょっと待て」

 これに驚いたのはルークである。

 まさか魔王に大ダメージを喰らわせるとは、こういうことだったのか。

 あまりにも馬鹿馬鹿しすぎてルークは言葉を失う。が、好機なのも事実。

 どんな方法を用いたにせよ、実際に隙を生み出した。ならば見逃すわけには行かない。

 ルークは聖剣を強く握り込むと駆け出した。この接近に魔王は呆然としていたために反応が遅れ、回避は不能と判断して剣で防ごうとした。

 しかし。

 奇妙な衝突音。どこか物足りない金属音。

「ん?」

 これに疑問を持ったのは魔王だった。

 音もさることながら、手応えが奇妙だったのだ。

 その意味を告げるように何かが地面で跳ねた。見ると、そこには魔王の剣の刃先が落ちており、次に自身の剣を見る。半ばから先が消えていた。

「そ、そんな……」

 確かに実力は魔王の勇者を上回っていた。

 しかし剣の質で勇者が魔王を勝っていたのである。

 これはドロシーの予測したとおりの結果だった。

 前勇者と新勇者の最大の違いは、やはり聖剣だろう。ならば勝機はそこに生まれるはず、勇者に主人公補正が働くのであれば。後はそのタイミングを意図的に作ってやればいい。

 問題はこの先。

 ドロシーは静かに動く。

 一方、ルークは勝利を確信し、とどめを刺すべく一歩を踏み込む。

「行くぞ、魔王!」

「――ッ」

 剣が無くては戦いにならない。魔王は後方へと跳んで回避を試みるも、間に合わずに腕を切られてしまう。が、浅い。更なるルークは追撃を計る。しかしここで先ほどの腹部への一撃が響き、体から力が抜ける。このままでは千載一遇の好機を逃してしまう。ゆえに踏ん張る。足に活を入れ、前へ。聖剣を振り上げる。今度こそとどめ。

 しかしここで不意打ちが入る。

 突然に背中を踏みつけられ、床へと倒れ込んでしまう。

 いったい何が――。

 犯人はすぐに発覚した。

 ドロシーがルークの背中を上方より踏みつけ、そのまま踏み台にして魔王へと迫ったのだ。

 そして。

「避けるなよ、魔王!」

 一喝と共に握り込んだ拳を魔王の顔面を殴りつけた。この強烈な一撃は魔王を吹き飛ばし、衝突した後方の壁を破壊してそのまま中空へ。そして魔王は重力に従って壁の瓦礫と共に下方へと落下していった。

 こうして魔王との戦いは決着した。

 が。

 この事態に納得できないのはルークである。

「ふざけるな!」

 せっかく追い込んだのに、いいところを持って行かれた。当然、ドロシーに詰め寄る。

「まあまあ、落ち着いてください。べつに王国にはルークさんが一人で倒したって報告していいんで、気を静めてくださいよ」

「そういう問題じゃない! なぜ、あんなことをした!」

「だってルークさん、結構一杯一杯やないですか。今も怒鳴ると痛みがあるでしょ?」

「そ、それは……」

「その状態でとどめは難しいと思ったんですよ」

「むむむ」

 不満はある。しかしドロシーの言葉も一理ある。確かにあのとき、痛みを堪えてとどめを繰り出そうとしていたが、実際に動けたかはわからない。それほどに腹部へのダメージは大きい。ならば確実に仕留められたドロシーが手を下さしたのは冷静な判断だったのかもしれない。加えて言えば、魔王打倒の手柄は独り占めして良いというならば、目的は達せられるのだから不問に付すのも良しか。

「それよりも王女様を助けに行った方が良くないですか。アンジェラの情報によれば、この近くの部屋に監禁されてるらしいですよ」

「そうだ、そのアンジェラはどうした」

「彼女ならもういませんよ。目的を達したということで、すでに魔城を去りました」

「そ、そうか。ならばクレアを助けに行くか」

 ルークが腹部を押さえながら歩き出すも、ドロシーはこれに続かなかった。

 曰く、婚約者が救いに来たのだから、邪魔者はいない方が良いだろうと。

 彼女なりの気遣いと感じ、ルークは一人でクレアの下へと向かう。

 一方、ドロシーは魔王が突き破った壁の中から身を乗り出し、鬱蒼とする下方の森を見据えていた。

「未練でもあんの?」

 話し掛けられ、ドロシーは振り返る。そこにはアンジェラが不敵な笑みで佇んでいた。

「なんや、まだおったんか。よ去れや」

「そう邪険にしなさんなって。それよりも幼馴染みに未練でもあんの? それとも後悔? だったらとどめはルークに任せれば良かったのに」

「べつに。まあ幼馴染みやし、色々と思うところはあるわな」

 アンジェラは森を見下ろすドロシーの横顔をじっと見詰め、もしやと思い至る。

「ねえ。もしかしてだけど、あんたって幼馴染みに惚れてたの?」

 するとドロシーはふっと微笑した。

「なんでそう思った?」

「普通に考えて、ただの幼馴染みに付き添って魔王討伐に同行するとは思えないから。それに今回のルークの旅に同行したのも、幼馴染みが魔王なのかを確かめるだったんでしょ。なら、尚更そうなんじゃないかって勘繰るよね」

「なるほどな。案外、鋭いやん」

「あ、マジなんだ。でもなんで? だって地味じゃん」

「地味やけど、決して顔が悪いわけやないしな。それに、同年代の異性が少ない村で育った仲で、あいつは昔から強くて村を襲う魔族を一人で追い払ったりしてたからな」

「そこに惚れたってわけだ」

「まあ、そんな感じやな」

「ふーん……。じゃあ惚れた相手のとどめを刺したわけだ。ははは、ご愁傷様。なおさら復讐した甲斐があったってもんだ」

 アンジェラは嬉しげに笑うと、別れを告げて颯爽と去っていった。

 ドロシーはその背中を何も言わずに見詰めた。

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