第一章 異世界 14 『恋する迷い猫』
ひとまず訓練が終わり、シル、ガイル、パルム、カインの四人はそれぞれ休息をとっていた。
時間はもう昼で、ヒナタとハープは広場へ戻っている。イツキは四人の修行を見るだけでも何か力になるかも、などと淡い幻想を抱きながら、眺めていた。
「よっし、カイン。昼から続きやんぞ」
「えぇー。まじかよっ。さすがに厳しいってのっ」
完全に疲れ切ったカインにガイルが訓練の続行を報告。カインは絶望を音にしてそれに応えるが、ガイルは意見を曲げようとせず、カインがしぶしぶ頷く羽目になる。ガイルはかなりスパルタだ。
そこまでしなくても十分強いじゃん、とイツキは思うが、それが言えたらすでに言っている。
「パルムも昼からやりますか?」
ガイルの考えを聞き、シルも訓練の続行の有無をパルムに問うが、パルムはおどおどしながらゆるゆると首を横に振って否定。
ガイルなら無理やりにでも頷かせていただろうが、シルは「じゃあ休みましょう」だ。
彼女はパルムにだけは異常なほど甘えさせている。それは優しさ、というより、パルムの愛おしさに負けて、の方が納得がいく理由だ。
そんなに甘えさせているのに、パルムはいい気になったり、シルを裏切るような行為はしない。しっかりシルに甘やかされているが、その分シルを信頼し、慕っている。だからこそ愛おしい。それが甘やかしの連鎖を呼ぶ。
そんな二人のこの先を心配するイツキだが、イツキがシルの立場なら間違いなく同じことをしているだろう。
広場に戻るとヒナタ、ネル、ルボンの三人によってすでに昼食の準備が済まされていた。
「イツキ君にゃまけたにゃ! 片付けはちゃんとやってもらうにゃ!」
戻ってきたイツキに不満そうな第一声を浴びせたのはルボンだ。彼女はお玉を持ってイツキに言い寄る。
「あんた特に何もしてないでしょ。片付けはちゃんとやってもらうわよ」
「んにゃ!? やってたにゃ!」
「貫くのね?」
「・・・? 貫くにゃ」
騒ぎ立てるルボンを押さえるのは決まってネル。そして道具も決まってトレー。
イツキはそのトレーから聞こえる鈍い音が、ルボンの頭を鎮める光景を見慣れてきたくらいだ。
ネルは必死に抵抗するルボンに静かなトーンで質問するが、ルボンはその意図を汲み取れないまま首肯する。
「あーあ、イツキごめんけど、一人で、片付けてくれる? 私もちょっとやることがあってできないし、ヒナタはハープにつきっきりだから・・・。ルボンはやらないみたいだし」
「んにゃぁ! やるにゃ! やるにゃ! ・・・イツキ君と」
「マジで何の茶番だよ・・・」
ルボンの応答を聞いた途端、声を跳ね上げてイツキに言う。それぞれに理由を述べて「一人で」と。
それに過敏に反応したルボンが再び騒ぎ立てて片付けの参加を宣言。それに達成感を得たような顔をするネルだが、イツキにはこの一連の流れが理解できず、ぽつり、呆れの呟きをすることしかできなかった。
昼食後、ルボンと片付けを済ませ、何をしようか、と頭を捻らせていたとき、ネルに呼び止められる。
「あれ、なんか用事あったんちゃうん?」
「いや、あれはルボンを働かせるための口実よ」
なるほど、とネルの考えに納得、はできないが、結果的にそうであるなら特に何かを言うつもりはない。
「で、どうだった?」
「どうって?」
「片付け」
片付けがどうであったか、という質問。話の流れ的にはルボンがちゃんと働いたか、であると思い、
「ああ、ちゃんとやってたよ。ちょくちょくこっち見てたけど仕事押し付けてくるようなことはなかった・・・かな」
「・・・はぁ」
「何そのため息」
質問に答えたはいいがどうやら見当違いの答えだったらしく、ネルは呆れてため息を零す。
「変なこと聞くようだけどさ・・・」
「何・・・?」
ネルはまっすぐにイツキの目を見つめ、静かに問うた。その内容は、
「ルボンが可愛く見えたり、抱きしめたくなるようなことってない?」
「・・・何その病気? 怖い」
「はぁ」
「だから何そのため息」
何を聞かれるかと思えば本当に何を聞いてるのだろう。そんな質問に驚きを隠せないが、ネルの反応にも疑問を隠せない。
ネルは何でもないと首を振るが疑問が薄れることはない。
「まぁそれはいいや」
「それより、カインどこ行ったか知らない? 私の服が荒らされてて」
「いやそれ犯罪! そしてカインは鍛練場! 急行して逮捕せよ!」
「え!? あ、はい!」
ネルは混乱しながらもイツキに急かされるままイツキが指さした方向へ走っていく。
その姿を後ろから眺めながら、イツキはもう一度ネルの言葉を思い出す。カインの話も気になるが、そっちではなくルボンの話だ。
初めは仕事の話かと思ったが、どうやら違う。急にルボンが可愛いかだとか、抱きしめたくなるかだとか、遠回しに何かを聞こうとしているのだろうがイツキにはそれがわからない。というよりなぜそんなことを聞くのかが一番わからない。
「あいつの様子がおかしいのも関係あんのかな・・・?」
ネルがイツキに話すということはもしかしたらイツキに解決できる問題なのかもしれない。
「気は向かないけど・・・行ってみるか。暇だし」
ということでルボンのもとへ。
「どこだっけ?」
場所がわからん。
この集落の構造は門と岩壁で円状になっており、その中が広場だ。岩壁には一列最大三階で部屋が掘られているのだが、列ごとに完全に区別されているので違う列に行こうと思ったら一度外に出る必要があるのだ。
何が言いたいかというと、探すのが面倒臭いということ。
「呼んだら出て来るかな」
猫は気まぐれだ。呼んで出てきてくれるなら苦労はないのだが。
「おーい、ルボンやーい」
望み薄に小さく名前を口にする。と、
「・・・よ、呼んだかにゃ?」
「うわっ、出てきた」
「にゃにさ! 呼んだのはイツキ君じゃにゃい!」
「んやそうなんだけどほんとに出て来るとは思ってねぇから」
呼んですぐに出てきたルボンはイツキの対応にご立腹だ。イツキは「どうどう」と宥める。
「それでにゃにか用にゃ?」
「えーと、率直に聞くけど、どうした?」
「率直すぎにゃ!」
「あー、そうだな。じゃあ付け足して。やっぱり様子が変だと思うけど、どうした?」
黙り込む。やはり何か隠しているのは間違いない。
「さすがに心配だからなんかあるなら言えよ?」
「心配・・・?」
「ん? ああ、心配」
イツキに小声で質問したルボンは、その返答を聞くなり、妙に笑顔になる。それから周りを見渡してイツキの腕を掴み、
「こっち来るにゃ」
と、彼女の部屋の方へ。
イツキも彼女が話してくれる気になったと思い、ついて行く。
「魔石多いな・・・」
彼女の部屋の中に入るとまず見えたのは、壁に設置された大量の魔石と、部屋の中心に置かれた台に嵌め込まれた魔石だ。その魔石が放つ光量はイツキの部屋や、シルの部屋とは比べ物にならないほどだ。
彼女が自分の部屋にそこまでの魔石を置いているのは亜人としての特質があるからだと考えられる。
「猫は炬燵が好きらしいしな」
「好き」
「だろ―――って、んな!?」
ネルの肯定に振り向き反応した瞬間、イツキの全身が人の温もりで包まれる。頬に触れるすべすべの肌がまた心地よい感触―――
「じゃなくて! どうした!?」
当然、この出来事はこの場にいる二人で成り立っている。つまりは振り向いたイツキにルボンが抱き着いたということで、
「おい!? マジでどうした!? ちょ、待って! 苦しい、苦しい!」
状況を理解したイツキが必死にルボンを引き剥がそうとするが、彼女は驚くほどの力で抱擁していて、イツキには抵抗できない。
そして、イツキは抵抗できないまま、寝台に押し倒された。
「やばいよ? さすがにこれはまずいって、やばいって。なぁ、落ち着け?」
力で無理なら言葉で説得をしようと、そう試みるも、ルボンは離れようとしない。それどころか、イツキの腰間に彼女の腰を据えて、より一層まずい状態に。
彼女はイツキの身体に自らの身体を密着させ擦り付けてくる。
「い、イツキ君・・・! イツキ君、イツキ君、イツキ君! みゃーを・・・」
「え!? ちょ、目がやばい!!!」
ルボンはイツキの胸部に顔を擦り付け、名前を連呼。それからイツキを見つめる。
さすがに焦る。ルボンの様子がどうとか、もはやどうでもいい。今は自分の身の危険、社会的な危険が迫ってきているのだ。
ルボンは両手でイツキの顔を挟み、ゆっくりと顔を近づけてくる。息が荒くなり、熱い空気がイツキの顔面に吹きかかる。
「はぁっはぁっんっはぁっ」
「タンマ! タンマ! ―――っんむ!?」
ルボンの唇がイツキの唇に触れる寸前、鈍い音が上方から聞こえ、彼女が力無く倒れた。
「なんとか、間に合った・・・?」
その場にやってきたのは鍛練場にカインを呼びに行っていたネルだった。
彼女の部屋はこの部屋の上で、通りすがった時に異変に気付いたのだろう。通りすがるのに何故トレーを持ち歩いているのかはわからないが。
「もうちょい早く来てほしかったけど・・・」
「ごめん。ここまでになるとは思ってなかったから」
イツキは気を失っているルボンを自分の身体の上からどかし、寝台に寝かせながら軽く文句を言う。
ネルにはちゃんと伝えていないが、彼女の救助はマイナス効果を生んでいる。
ルボンが気を失って倒れたことにより、ゆっくり近づいていたはずのルボンの唇が急接近し、イツキの唇ともろに交わったのだ。そのままだったら、その接吻の深さはもっと浅かっただろうに。
「いや、あの様子だとそうも言えねぇな・・・」
ルボンの様子の異様さを思い出すと助かったと言ってもいいのかもしれない、とイツキは考えを改める。
それにしてもルボンはどうしてこうなったのだろうか。明らかに普通ではなかった。
「なぁ、ルボンはどうしたんだ?」
「・・・はぁ」
その原因を知ってそうなネルに質問をぶつける。それを受けて彼女はため息。今日だけで三度目だ。
「イツキ、鈍感にも限度ってのがあるのよ? これでわかってもらえなければルボンが可哀想だわ」
「・・・? と言うと?」
未だ理解ができないイツキにネルは人差し指を立て、「いい?」と迫って言う。
「ルボンはね、イツキのことが好きなのよ。だから変な声出したり挙動不審な行動をとったりしてたの」
「―――は? いや、ちょっと待って。・・・は?」
―――なして? ルボンが? どゆこと?
頭の中でいろいろ考えるが何もわからない。
「なんでそんなことになってんの? その、俺を好きに?」
「はぁ」
イツキの疑問にまたしてもネルがため息。
「イツキはネルと一緒に寝たでしょ?」
「なんか語弊があるな! いや、それはハープとパルムもいて・・・」
「だから! 成人同士が一緒に寝ると子供ができるの! それをイツキが許可したわけだからルボンは好きになったのよ」
「したかもだけど、それは仕方な・・・なんて?」
ハープに聞かれたとき、確かに許可をしたのだが、問題はそこじゃない。イツキはまだ成人していない、そこでもない。
「子供、できる?」
片言で繰り返すイツキに、ネルは力強く頷く。
「いやいや、子供ってそんな、え?」
これはどう考えるべきなのか、イツキは頭を悩ます。
ネルの言葉を振り返ると、成人同士が一緒に寝ると子供ができる、だそうだが、この世界ではそうなのか、それとも教育的に知らないことで、大人の優しい嘘を信じているのか。
もし前者であった場合、異世界人のイツキでも通用するのか、通用したらイツキはどうすればいいのか。通用しなければ怪しまれることになるのは避けられない。
もし後者であるならそれはそれでどうなのか、とは思うが。
頭を悩まし、考える人のような形になるイツキに、ネルが引き締めた顔を緩めて「えっ、違うの?」と不安そうな顔に変える。
その反応を見て、前者の線は薄くなった。そこまで不安そうな顔をされると実際のところは何も知らないと見える。
ともあれ、前者後者のどちらにしても、それを許可されるということは、その人に好意があると受け止めることができなくもない。
「ど、ど、どうしよう?」
ルボンが本気でイツキを好ましく思っているのなら、イツキがその気持ちを蔑ろにすることは許されないし、イツキもそんなことはしたくない。
かと言って簡単に受け入れることもできない。イツキにも想い人がいる。
「どうしようって?」
「だ、だって、俺は・・・」
「他に好きな人がいるの?」
「―――」
イツキの思考を完全に読み取って言い当てるネルに驚く。イツキはゆっくり頷いて、もう一度「どうしよう」と情けない声でネルに聞く。
すると、
「いいじゃない。そんなに悩まなくても」
「なんで?」
イツキの悩みを笑い飛ばしたネルは続くイツキの質問に手で表現しながら器用に説明を始める。
「この国がどうかは知らないけど、一夫多妻なんてよくある話よ。もしも選べなくなったら二人とも娶っちゃえばいいのよ」
「娶っちゃえって・・・」
簡単に言ってくれる。
一夫多妻制ならイツキもよく知っているが、日本ではそういう文化はないため、実感が湧かない。
それに、簡単に選んでもいいなら、ルボンには悪いが、イツキは今の想い人を選ぶだろう。
だが、何故かそう決断することができないのだ。
何か大きな力が働いているかのように、イツキはその決断ができない。
「とにかく、今をどうするかだよな・・・」
寝台で眠るルボンを見ながら考える。こうして見ると途轍もなく可愛らしい顔立ちだ。イツキに想い人がいなかったら、性格も含め、心の底から惚れてもおかしくはない。
イツキはルボンの頬を指で撫で、立ち上がる。
「どうするの?」
「・・・どうしよう?」
質問に質問で返す。本当にどうすればいいのかわからない。
「カインに聞いたけど、三日後にイツキもここを出るんでしょ?」
「ああ、そうだけど」
「なら、三日間は忙しいってことにしてなるべく関わらないとかは?」
「可哀想って言ってた人物とは思えない悪巧みだな」
「それとも今日のことが夢だったって信じ込ませるとか?」
「それもそれだ」
ネルの考えは、少なからずルボンの気持ちを傷つけることになる。イツキが蔑ろにするほどではないが。
それでも、その考えは納得だ。
「ただ、成功率はかなり低いと思うな・・・」
相手がルボンではうまくいきそうもない。
忙しいパターンの場合、それでもルボンはおかまいなしだろう。
夢だったパターンの場合、今日と同じことはなきにしもあらずだ。
「どっちかってっと、いそパだな・・・」
夢だったパターンで想像されるのは、ルボンが夢だったと知ったとき、多大なショックを受け、悲しむだろう。そんな姿は見たくない。
ならば、ちゃんとした理由があり、ルボンが受けるショックが少ない、忙しいパターンの方が現実的だ。
だが、それはルボンのことだけを考えてのこと。
イツキを思ってくれる人物は他にもいる。ヒナタだ。
もしも、ルボンが忙しくてもおかまいなしにイツキにピッタリなら、ヒナタが傷つく。
ヒナタのこととルボンのことを考えると、どちらも選べなくなる。
「マジで困った」
「ならいっそイツキだけここから出ていくのは?」
「却下だ。ガイルに殺されそう」
経験済みだ。
イツキの答えに「説明するよ?」とネルは言うが、それでも、イツキは受け入れない。
イツキにも準備することがあるし、せめて、魔剣だけでも試使用しておきたいからだ。
「・・・何事もなかったかのようにこれまで通りに過ごす、とか?」
「賭けだな」
熟考の末、出てきた案も望み薄だ。
「でも、それが一番自然かもな・・・」
「でしょ?」
ぼそっと呟くイツキに、ネルがぱあっと表情を明るくする。
他に考えも浮かばないし、これならさりげなくやり過ごせそうだ。
「その線でやってみるわ」
心からの賛成ではないが、その作戦に決定。
今から平常心を保つ。
「って、なんで笑ってるのよ?」
「ん? いや、別に」
イツキも自分の頬が緩んでいるのに今気付く。理由は明白。それをネルに言うことはしなかったが、隠すことはできていなかったらしい。
イツキはこの状況になって、焦りを感じ続けていたが、とりあえずでも対策が決まり、焦りよりも喜びの方が大きくなっていたのだ。
イツキは誰かに好意を寄せられた経験がない。それがヒナタ、ルボンと短期間で増えたのだ。しかも両者ともに美のつく少女だ。嬉しくないわけがない。
そんな幸福に頬を緩ませたのだった。
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