第一章 異世界 4 『これから(仮)』


 ―――熱い。火傷をした。燃えるように。――――――熱い。―――――――――? 熱い? ――――――――――――。


「―――夢じゃなかったか」


 目を開き、ぽつり呟く。

 見たことのないくらい歪な形の天井が視界いっぱいに広がる。

 耳の中で続いていた音が、哀しさを思わせる音がふっと消えた。


「―――イツキ君?」


 体にあった重みが消えるとともに震える声が聞こえる。

 軽くなった体を起こし、目の前にたたずむ少女に目を移す。彼女は眼の下を赤くしてイツキを見つめていた。

 自分はいったいどれだけ寝ていたんだろう。どれだけ寝ていたらこの少女を、ヒナタをここまで泣かせるんだろう。


「―――目が覚めましたか」


 目覚めて互いに声を発さない空気の中、沈黙を破ったのは、イツキとヒナタを救った張本人、シルだ。

 彼女は微笑んでそっとヒナタに近づき、


「もう大丈夫ですよ。見た感じ精神状態も正常のようですし」


 と、優しく背中を撫で、宥めるが、泣いて泣いたひゃっくりが止まらず、喜びからか、緊張がほぐれたようにまた、涙を流しだす。しかし、今度のその音には哀しみはなかった。


「どうなったか聞いてもいいか?」


 ヒナタの様子に安堵感を覚えたイツキはシルに問う。

 

「あなたは火傷で寝込んでいたんですよ・・・一週間も」


「―――」


 一週間という長さがどんなものであるのか、シルは説明を続ける。


「イツキさんの火傷の様子からして、目覚めるのは三日以内、完治するのは三週間程度だと思ってましたから・・・」


 ―――想像以上に寝過ごしてしまったということらしい。


「完治は三週間か、体が熱いわけだ・・・」


 イツキは全身の火照るような熱さを手を開閉して確かめる。が―――


「いえ、それが・・・本来三週間のはずなんですが・・・」


 ―――思ったより火傷が酷い、てことか。


「―――もう完全に治ってるんですよ」


「―――は?」


 普通に驚きだ。

 イツキは昔から怪我や病気の治りは人よりは早かった。軽い病気なら一日で治してしまうほどに。だが、それでも怪我の治りがここまで短くなることはなかった。今回は異常なほどに早いのだ。

 イツキは自分の身体に捲かれた包帯を指し示し、


「じゃあこの包帯は何で? 体が熱いのは?」


「体に痛みがないのであればもうそれは必要ないです」


 もし体に痛みがあるのなら、それは表面上は治っていても皮膚の下は炎症が続いているということになる。

 体にその痛みはない。ほんのり熱さが残っているだけだ。

 そしてその熱さは、


「熱いのはきっとヒナタさんがあなたが起きないのを心配して―――」


「うわぁぁぁ!? シルちゃん!!」


 シルが言葉を続ける前に、さっきまで涙を流していたヒナタが声を上げて邪魔に入る。

 泣き止んだはずのヒナタが顔を真っ赤に染め、再び泣き出しそうな顔をする。短時間で何度泣くのか。

 イツキにはこの状況とこの反応を見ただけで何が起きていたのかを理解できた。


「ま、まぁ? それがあって早く治ったのかなぁ・・・なんて?」


 イツキは泣きそうなヒナタをフォローするために冗談混ざりの言葉で誤魔化す。

 彼女にとってそれが恥ずかしいことだということはイツキにもわかった。だからこその発言だったのだが、その気遣いがヒナタの顔をより一層赤らしめた。

 シルも状況を理解し口を噤んでいる。一度は破られた沈黙が再度やってきた。


「―――そ、それよりここってどこよ?」


 沈黙から逃れるため、現実的な質問をして、会話の口火を切る。

 イツキ達がいる部屋には明かりが一つ灯されており、その小さな光は部屋全体を照らし出している。

 部屋の石壁は棚状に彫られ、そこには無数と言えるほどの本が並べてあった。天井は相変わらず形が歪だ。


「ここは私の部屋ですけど・・・とりあえず外に出た方が説明しやすいです」


 こちらへ、と、ついて手招くような指示に従い、シルとヒナタ、三人で階段を下りていく。

 天井の高さから考えて大体三階分ほど下りるとそこには、


「―――広場?」


 イツキの目に入り込んだのは辺り一面岩壁に囲まれた広場のような場所だった。

 よく見るとその岩壁には所々に穴が開いており、小さな部屋のようになっているのがわかる。

 先ほどまでイツキ達がいたのもその中の一部屋だろう。

 その各部屋からこぼれる小さな光が集合することによって目の前の広場が鮮明に見えている。

 広場の中心には巨大なテーブルとその大きさに見合った数の椅子が並べてある。ここもやはり、岩から削り取られたようなものばかりだ。

 そしてその近くにこれもまた巨大な窯があり、そこから漂う匂いは、窯の中身が美味たる料理であることを想像させるものであった。

 

「―――」


 ふと窯に向かい料理をしている一人の少女に目が行く。その少女に見惚れて、ではなくその一人の少女の姿が理由だ。

 確かに美しい顔立ちではあるが、一つのポイントがそれを邪魔していた。

 女性の頭には動物の、犬の耳らしきものがついているのだ。

 そこから連想だれるものはつまり、

 

「あれが亜人・・・か?」


 初めて見る異形の人類に驚きこそないがつい目を当ててしまう。

 シルはこれを見せたかったのだろうか。


「―――ここは私達の拠点のようなところです」


 そう言ってこちらを見つめ、心なしか何かを待っている様子のシルだが、しばらくして再び口を開く。


「ここにはわずかですが亜人が住んでいます。亜人の集落と言った方がいいですかね。・・・集落と言ってもほんとに少人数ですけど」


 正直、イツキにはここがどこかなのか、どうでもよくなってきている。

 それよりも、漫画やアニメの世界でしか見たことがない『亜人』の存在によって、この世界が異世界であることを改めて押し付けられているようにしか感じなかった。


「そろそろ晩御飯の時間ですね」


 呆然とするイツキにそう声をかけるとシルはその場を離れ、料理をしていた女性に何やら説明をし、岩壁に彫られた部屋に入っていく。

 シルはイツキとの会話の間、常にイツキの様子を見ていたようだが、それが何を指していたのか、イツキにはわからなかった。


「―――びっくりしたでしょ。私も初めて見たときはびっくりして目が離せなかったもん」


 くるくると周りを見続けるイツキに、まだ顔がほんのり赤いヒナタが自慢げに語りだす。

 彼女はイツキよりも先にこの光景を見ていて、初めて見たイツキに説明できることが嬉しいのだろう。

 その子供っぽい彼女の様子はこの場所に安心感を持っている証拠で、それはイツキにとって喜ばしいことであった。 

 イツキが目覚めてから泣きっぱなしだった彼女だが、少し頼もしくも感じた。


「確かにここなら心配なさそうだ。シルもいるし、きっと他の人も優しいだろ」


 彼女の言葉をすべて聞いた後、もう一度辺りを見まわし、呟く。

 

 しばらくして部屋を回っていたシルが帰ってきた。

 彼女はまだ小さい二人の少女と手をつないでいて、その後ろにはむすっとした顔の少年がいる。

 やはりその子供たちも人間とは違った特徴を持っている。

 さらにその後に続き沢山の亜人たちがついて出てきた。

 当然イツキが見たことのない光景だ。皆、それぞれ違う姿形をしている。

 少し動揺が隠せていないイツキだが、ヒナタはそれにおかまいなしでシルが連れてきた子供たちのもとへ駆け寄る。

 イツキの知らぬ間に仲良くなっているのは彼女の精神年齢がその子供たちに近い証拠である。

 


「―――皆揃ったな」


 集まってきた人が次々に巨大なテーブルを囲み、座っていき、イツキもヒナタに導かれるまま彼女の横に座り、その場にいたすべての人が自分の席を確保し終わったときのこと。

 一人の男が右手に杯を持ち、その無精髭を揺らしながら話し始める。


「今先ほどイツキ少年が目覚めた。よって今夜はささやかではあるが急遽、復帰祝いをすることになった。大した食事を準備することは叶わなかったが、彼との関係の始まりを良いものとするため、大いに盛り上げてほしい」


 男は堅苦しい言葉でそう告げ、「では」と杯を掲げる。

 皆もそれに従い、それぞれの杯を掲げる。


「乾杯!」


 全員の乾杯の音頭によって小さな会食が盛大に開始された。

 イツキは、自分のためにそこまでしなくても、と感じてはいたが、その雰囲気に気圧され、その言葉を胸中に押し留めてしまった。


「よかったのぅ、嬢ちゃん! ボウズが目覚めて!」


 会食が始まり、次々に言葉が飛び交う中、大声で話しかけるのは、牛の姿を持つ大柄な牛人だった。

 彼は自身の皿を持ったままこちらへ近づき、豪快に笑いながらイツキの頭をがしがしと撫でる。

 その巨躯から伸びた腕は逞しく、イツキはされるがままに首を揺らされる。


「おれぁ弟のガームと一緒にここの門番を任せられてる、ランドってんだ」


 そう言って指をさす方向にはこの牛人、ランドと同じ牛人の姿が見える。

 ガームと呼ばれていた彼と目の前のランドの姿はイツキにはほとんど区別がつかない。

 かろうじて見つけた差異でさえ、牛の頭に生えた角の大きさが若干兄のランドの方が大きい、という小さなものだった。


「まぁいろいろわからんことあるかもしれんがぁよろしくなぁ!」


 そう言って去っていく彼を、痛む首を押さえながら横目で見ていると、


「ここにはいろんな人がいるけどみんなとってもいい人なんだよ」


 とヒナタ。やはり彼女なりにここに馴染み、ここにいる人に安心感を持っているのだろう。

 疑うことを知らなさそうな彼女だが、この異世界へ来て困惑しているのは違いない。

 それでも平常心を保てているのはこの集落の住人の優しさのおかげだと、イツキは感じた。

 

 ふと目の前の料理に目を移す。

 先ほど巨大な窯で料理されていたものと同じ匂いだ。その食欲をそそる匂いはイツキの空腹を刺激する。

 考えてみればイツキは一週間も寝ていたため、その分の食事を取っていない。

 その計り知れない空腹を埋めようと目の前の料理に目を移そうとしたところで、次はシルが話しかけてくる。


「―――ここのみんなの紹介をしておきますね」


 空腹が限界に近いイツキにとってそんなことは後からでもよいことだが、シルも親切心で教えようとしてくれているので断れず、しぶしぶ聞くことにした。

 彼女は手で指し示しながら説明を始める。


「ではまずヒナタさんの隣、鳥人のハープ、それからその横の・・・」


 魔導士のパルム、犬族のカイン。この三人はシルと一緒にこの食事の席にやってきた子供たちだ。魔導士の少女パルムは九歳、鳥人の少女ハープと犬族の少年カインは十歳とまだ本当に子供なのだ。

 続いて紹介されたのはカインの姉であるネルとその昔からの友人で猫族のルボン。

 そして先に自ら自己紹介をしに来ていたランドとガームの牛人兄弟。彼らは双子らしい。

 隻腕のドワーフ、ホルンと鬼族のクロト。


「・・・それから、あの奥にいる方がエルフのフィリセ様。その横の方がホルンさんのお父様であるエイド様です。このお二方はこの集落の始まりのときからここにいらっしゃる、言わば村長のような方々です」


 「あと最後に」と付け加え、


「あそこで酔っ払っているのが、ガイルです・・・」


 とため息交じりに紹介したのは、ヒナタと同じところに捕まっていた人物なのだが―――


「イメージと違うんだが・・・」


 ヒナタ救出前、シルの話を聞いて想像した紳士像が音を立てて崩れていくのがわかった。

 イツキの頭の中に描かれていたガイルのイメージは大男だが優しそうな雰囲気を放つ。そんなものだったが、実際の彼を見てかなりのショックだった。

 ガイルはそれほど身長が高いというわけでもなく、というよりむしろ男としては小さいと思えるほどで見るからに野蛮そうな髪型、目つき、仕草であった。

 身長に関してはイツキが何かを言える立場ではないが、とにかくイツキはショックを受けたのだ。


「そういえば捕まってた他の人はどうしたんだ?」


 ヒナタとガイルが捕まっていた場所にはほかにも捕まっていた人がいるはず、そう思ったイツキはシルにそう聞く。

 すると彼女はまたため息をつき、


「大変だったんですよ。イツキさんが火傷をしたから連れて帰って治療しないといけなかったですし、そうなると他の方を置いて行くわけにもいきませんし、全員をこの近くまで連れてきてからガイルにヒナタさんとあなたを連れてここまで向かわせて私は他の方をそれぞれの元居た町まで送り届けましたよ。帰ってきたのはあれから四日後です」


「いや、えぇと・・・ごめん」


 ヒナタを助けに行くためについて行き、何ができたわけでもなく、挙句の果てには気を失ってシルに迷惑をかけている。羞恥心でまた火傷をしそうだ。

 イツキにできることは彼が行った粉塵爆発が効果的であったことを願うことだけだった。

 「まぁいいですけど」と呟き、シルが少し空気を変える。


「食事を終えたらヒナタさんと私の部屋に来てください。火傷について大事な話があります」


 真剣な眼差しでそう言い残し彼女は自分の席へ戻る。

 治っているのなら気のすることもないのではないかと思いつつも、その言葉をそのまま、隣のハープと会話するヒナタに告げる。

 そんなこんなで、イツキもようやく自分の食事に手を付けることができる。

 改めて見るとこの食事には主食としてパンのようなものが出されている。

 そして窯から漂ってきた匂いの元であるスープは赤色で、少量であるがタンパク源であるソーセージ、メインとしてのトマト、ブロッコリーやジャガイモなどの野菜類が含まれている。

 元居た世界のトマトスープと全く同じだ。

 皆はそのスープにパンを漬けて食べる、つまり、漬けパンと言われるいたってシンプルな食べ方をしていた。


「―――これは!?」


 一口、皆と同じようにスープをパンですくい、垂れないように早々と口の中へ運んだ。

 そのたった一口でイツキは確信する。


「―――微妙だ・・・」


 嘘だ。

 塩気、味の薄さ、食材の質、すべて平均以下、もっと言えば落第レベルの悪さ。

 水分が多かったのか、メインのトマトの酸味が生かされていない。

 火力の弱さか時間の短さか、どちらが原因かはわからないが、食材のほとんどが硬めでトマトスープとしては好ましくない。

 ブロッコリーに関しては固いどころか、まだスジの食感が残っていて、普通舌でも潰せるのに、ここでは歯でもかなりの力が必要だ。

 味が薄いのに対し、塩気は濃い。料理に海水でも使っているかのようだ。

 一言で不味いと言ってもいいような料理を微妙と表したのは、この世界での常識がこれである可能性があるからで、仕方なく自分には合わないという表現を取ったからだ。

 ヒナタがこの味に対して美味しそうな表情をしているのは、一週間の慣れか、それとも味音痴なのか、はたまたここにいる皆に洗脳でもされているのだろうか。いやそれはない、前の二択だろう。

 そんな中でもイツキの普通以上に美味だったのが、パンだった。

 ふわふわの食感に焼き立ての香りが籠る。パンだけでいただけば、それはイツキの中では最高級のものだった。

 だが、そのパンでさえもスープの評価で無に帰す。

 普通、漬けパンをすれば、パンに生地にスープの味が染み込んでパンとスープを同時に美味しく食べられる。

 漬け込む時間によって食感が変わるのも漬けパンの楽しみである。

 短い時間漬ければ、パンのふわふわ感を失わずにスープの味を楽しめる。

 逆に長時間であれば、ふやけたパンにたっぷり染み込んだスープのジューシーさが倍増する。

 だがこのスープではそうはいかない。

 短時間の場合、パンの食感は失われはしないがスープの所為で変な味のするパン、になるだけだ。

 長時間の場合、これはイツキの想像だが、この場合は本当にもったいないことになる。パンの食感を失うだけでなく、香りも失い、ただでさえ薄いスープの味がより薄く感じる。

 幸い、イツキは前者だったが、これを考えずにしていたら今よりもっと後悔していたであろう。

 しかし今は、いくら味が悪かろうとイツキは自分の空腹を埋めたい。その一心で微妙と評価しても過大評価と言える食事を進めた。

 


「―――パンは美味かったなぁ」


 食事のあとヒナタに言われた。


「おいしかったね」

 

 その言葉にイツキはすぐさま否定したかった。だが、満面の笑みで話しかけてくるヒナタに負け、「パンは」とつけて答えたのだ。

 料理をすることに関しては無知だが、味の良し悪しはわかる。

 異世界の料理と言うのはあれのようなものばかりではないだろうか。そんな不安が出始めていた。

 そんなイツキの考えを読み取ったのか、


「意味ありげな言い方ですね。ネルさんに言い付けますよ」

 

「いや、そんなんじゃないって・・・ないです」


 部屋に入ってすぐ聞こえたイツキとヒナタの会話に入り込んだシルが冷たい視線を、普段からそうなのだが、その視線を送りながらそう言い放つ。

 イツキは彼女の態度に少し引いてしまう。彼女にとってそれが普段の姿勢であることをイツキは知らないからだ。

 「嘘ですよ」と気にしていない旨を伝えるがイツキにはそれがわからなかった。


「さて、火傷のことなんですが・・・」


 声色を変えたシルの様子にイツキも気持ちを切り替え、真剣な眼差しで耳を傾ける。

 この部屋に再びやってきた本来の目的は、これだ。


「正直、何故ここまで短時間で治療が終わったのかはわかりません。フィリセ様も何もしていないとのことでしたし・・・。それでも確証は無いながらも私なりに考えてみました」


 そう言って彼女は一枚の紙と羽ペンを取り出して何かを書き始める。


「ヒナタさんから聞いたんですけど、あなた達の元居た世界にはマナが無いんですよね」


 「マナ」が何かはわからないがイツキの世界でそういうものを耳にした覚えは無い。

 ヒナタもシルの確認のための問いかけに深く頷く。


「そもそも私たち亜人と人間の違いはマナが有効に扱えるかどうか、というところです。マナというのは大気や地面、今日食べた食材に含まれるもので、言ってみれば亜人の力の源のようなものです」


 そう言いながら書き終えた紙をこちらに見せる。

 そこには二人の人間と地面が描かれており、絵の中の空気中に点々と印がされてある。それがマナであるらしい。


「大昔、二千年ほど前ですかね。その頃はまだ亜人という人種がいませんでした」


 紙に書き足しながら説明を続ける。


「マナが自然に現れてから、人間は独自の進化を始めたのです。マナという通常はあり得ない物質に抵抗し、特に何の変化も起こさなかったのが人間。逆にマナを取り込み、体や能力に爆発的な成長を遂げたのが亜人です。亜人はマナを自らの身体に蓄え、変化を起こし始めました。その変化の中でも様々な形ができたのは私達を見ての通りです。姿は人間と同じなのに能力が異なる種もいます。つまり・・・」

 

「つまり?」


「あなたも亜人の種の一つなのではないかと」


「―――」


 考えたことがあるはずもない。

 アニメや漫画の中で描かれる人間という種は実際の人間と同じ機能を持つ。

 筆者の趣向に合わせて異能力物語などが描かれるが、その中では人間と亜人とはっきりと区別ができている。

 それは一般に人間である筆者が、自分が人間であると信じて、自分目線で描いているからである。

 そのため筆者は作品の中で自分とは異なるものを亜人とし、自分と同じものを人間として描く。

 イツキもこの世界に人間としてやってきたものと思っていたが、この世界の人間とイツキの世界の人間とはまた別のものであるとは考えていなかった。

 この世界の人間にとってイツキは亜人と同じ存在であるとは。


「―――と考えたのですが、ここ数日ヒナタさんと生活してきてわかったんですが、人間と知識以外の何一つ違わないんです。少なくとも亜人のようにマナに干渉できてません」


 話をつづけるシルがイツキの思考を否定する。

 では何故、イツキの怪我はこんなにも早く治ったのか。その答えは


「そして至ったのは、かつてこの世界の人類が起こした進化をイツキさんはこの短期間で起こしたという推測です」


 シルの考えはこうだ。

 この世界に初めてマナが現れたときはまだ濃度が低かった。そのため、人間の進化や抵抗に時間がかかった。

 そして二千年の間もマナは増え続け、現在は高濃度である。その中に突如現れたイツキはマナに抵抗する時間もなく、瞬間的に変異を起こしたのだ。

 その変異が体の負傷を短期間で治せるという能力ではないか、と。


「―――」


 この考えにイツキは否定ができない。話について行けないわけではなく、正しいことを知らないからだ。

 変化があったとして、それを実感していないイツキは考えをまとめることしかできない。


「―――つまりそのマナの力とやらを使って短期間の治療を成し遂げたと? じゃあヒナタも同じようになってるってことか?」


 シルの考えが正しいとすると、マナによる変化はイツキだけでなくヒナタも起きるはずだ。


「いいえ、そうとは限りません。亜人の種が多くあるのと同じように、変化の形も異なります。すでに変化は起こしているとは思いますが、少なくとも姿に変化はないですし、あるとしたら能力です。ですがそれを確かめる方法は・・・」


 無いだろう。

 そもそもイツキの変化でさえシルを驚かせた。

 ならばイツキと同じ世界から来たヒナタもシルの知らない変化を起こした可能性が高い。それならば確かめようにも確かめることは不可能だ。

 イツキと同じ変化があるとしてもそれを確かめるにはヒナタの身体に傷をつけなければならない。

 だがやはり、それを確かめるのにも失敗するリスクが大きい。

 だから、


「まぁ、なんだっていいさ。そのマナの所為で死んだ人とかはいないんだろ。そのマナのおかげで俺も生きてるんだし、みんな無事ならオーケー、それでいい」


 難しく考えたりしない。ヒナタの変化やイツキの変化について、いずれわかるときがくる。イツキはそう言い切って指を丸め、オーケーサインをして見せた。

 明るく振る舞うイツキを見て、シルもそれ以上の思考を止める。

 

「ならいいんですけど」


「難しいことはわかんないけど、私も大丈夫だと思うなぁ・・・なんとなく」

 

 話を聞きながら、うんうんと頷き、根拠はないが心配は不要であるとヒナタも示す。

 見たところここに来るまでの彼女と何ら変わっていない。中に変化があったとしてもそれは害あるものだとは思わない。

 イツキはマナに関する情報は、少なくとも今は必要ないと考えることにした。


「・・・今気付いたんだけど、この世界って日本語も書くの?」


 すっと話を切り替え、イツキが説明の間に気になったことを質問する。

 それはシルが説明のために描いたイラストの合間合間に書かれた文字のことだ。

 イツキがこの世界で初めて目にした文字はバルト家の邸の調理場だった。

 そのときに見た文字はイツキがこれまでに見たことのない形で、読むことができないものだった。

 だが、今見た説明に書かれた文字は平仮名だけで不定形であったが、紛れもない日本語そのものだった。

 この世界で聞く言葉は日本語だ。なら文字が日本語であってもおかしくはない。

 実際、イツキ達の世界では国の言葉があり、それと同じように国の文字がある。

 世界共通の文字ならば調理場のときのように使われていることもある。英語で調味料の名前を表記することなど多々ある話だ。

 だが、ここでは違った。


「いえ、このにほんごと言う文字はヒナタさんに教えてもらったんですよ」


 シルはそう言ってヒナタを見る。するとヒナタは自慢げに語りだす。


「私達の世界のことを説明してるとね、シルちゃんが日本語が気になるって。だから私が先生になって教えてあげたの。そしたらシルちゃんすぐ覚えちゃって。私もこっちの世界の文字を勉強中なんだけどまだまだ全然なの」


 目を輝かせながら話す。少し長く感じ始めたころ、何かを思い出したように「あ、そうそう」と言って、


「この世界の文字は単字と複字に分かれていて単字は日本語で言う平仮名や片仮名で、複字が漢字と同じ働きをしてるの。シルちゃんと話してると共通点が多くて、もしかしたらって思っていろんな文字で確かめてみるとね、説明しにくいんだけど、複字が持つ意味は漢字が持つ意味と一緒で・・・」


 興味深い話だがヒナタの説明ではわかりにくいのでイツキは自分の頭の中で考える。

 単字は平仮名と同じ扱い、これは理解ができる。読めばそのままだ。

 例えば「あ」の音を「*」という文字で表すものとし、「い」の音を「#」で表すものとすると、「あい」と書きたければ「*#」と書けばいい。ローマ字で「AI」と書くことと違わない。

 次に複字の説明だが、ヒナタが言いたいことは恐らくこうだ。

 漢字には複数の読みがあり、音読み、訓読みで違う。一つの漢字に一つの複字が対応し、一つの漢字の熟語に一つの複字の熟語が対応する。

 ヒナタの言う文字の意味が一緒とは、熟語の組み合わせのそれぞれの意味がどちらの文字でも一緒ということだ。

 まとめよう。簡単に言えば、ただ文字の形が違うだけで、文字の持つ意味や使い方に違いはない。


「覚えるのはそう難しくはないてことね」


 結論を出したイツキが言う。

 違う文字を使うが言葉は同じであるならばその二人がそれぞれの文字を覚えるのは、照らし合わせるだけで至極簡単な作業だと。

 それでもイツキが眠っていた一週間、詳しくはシルが帰ってきてからの三日程度だが、この時間で説明に使うことができるほどに覚えているのはヒナタの授業の成果というより、シルの賢さによるものだと確信した。

 その証拠にヒナタはまだこちらの文字の単字とやらを覚えていないらしい。

 

「っとそれより、まぁ他にも気になることはいっぱいあるんだけどさ、とりあえず一つ聞く」


 人間は知らないものに興味を持つものだ。

 元の世界との違い、文字や通貨、動物だったりいろいろと違うものはあるだろう。

 だが、そんなことよりも気にしなければいけないことが一つあるではないか。

 その気になる事々の中の一番大事なものを引きずり出して発言する。それは


「俺らこれからどうすりゃいいの?」


 今のイツキ達は拾われたストレイペッツ状態だ。

 突如異世界へ飛ばされた。目的があるわけでもなく。そして拉致被害にあう。

 助けられたはいいがそのままここにいるわけにもいかない。元の世界へ帰る方法も探さなくてはならない。

 だが、そんなことが無一文、無知識、無力であるイツキとヒナタだけでできるはずもない。

 シル達もイツキが目覚めたからと言って、さっさと追い払うようなことはしないだろうが、長居しても迷惑だろう。

 これから先のことを考えようにも考えられないイツキは、この決断でさえもシルに頼ろうとする。


「それはあなた達が決めることでは? どこかへ行くことは止めませんし、ここに残ることもかまいませんよ」


「―――」


 当然と言えば当然の返答だ。が、その返答はイツキにはつらい。

 残ることを許されても、それを選ぶことができない。

 どこかへ向かうことを許されても、それを選ぶことはできない。

 残ったとして、出ていったとして、それからどうする?

 その選択はいい結果をもたらすのか、イツキには判断ができなかった。


「―――私は・・・」


 口を開いたのはヒナタだった。

 彼女は大きく息を吸い、


「私はここで探すのがいいと思うかな・・・」


 探す、と。

 珍しいことに、彼女はイツキが元の世界に帰る手段を探そうとしていることを感じ取っていた。

 そして考えが浮かばないイツキの代わりに発案した。

 その案が最善かはわからないが少なくとも無難である。

 イツキは呆気にとられながらもその考えを見直し、同意する。


「ヒナタがいいなら、俺も・・・ていうか一緒じゃないとまずいか」


 ここに残って手掛かりを探す。それが答えとして決まると、シルも頷き、


「それならよかったです」


 と、一言。

 その一言にどんな意味が込められているかはイツキにはわからなかったが、どういうわけか大して気にもならなかった。


「困ったことがあれば何でも聞いてください。できるだけ力になりますよ」


「正直あんまり迷惑はかけたくないんだけど、もしものときは頼みに行くわ」


 シルは続けて言い、立ち上がる。

 イツキも彼女を見上げたまま頬を緩ませて笑顔で答える。

 こうしてとりあえずの方針がこの場で決まった。



 

「―――こうしてても暇なもんは暇だよなぁ」


 食事をとっていた広場で月の光しかない夜空を見上げながらポツリ呟く。

 シルとヒナタと三人で今後の方針を決めた後のことだ。

 広場を照らす月光とほおを撫でる風を感じながら広場を行ったり来たりしていた。

 岩壁の光が徐々に減り、この集落が眠りについたというのに、イツキには睡眠欲が沸いていない。

 

「―――眠れねぇのか」


 静かに、しかし、荒々しい声で後ろから尋ねてくる。見れば巨大な体を持つ牛人の───


「えぇと・・・ランドさん? もすか」


「ランドじゃねぇ、ガームだ」


 ―――わかんねぇよ。


 さすが双子だ。よく似ている。ではない。

 双子どうこうの問題ではなく、そもそも完全に牛の姿なのだから全くの別人であろうと区別はほぼつかない。

 唯一の違いである角も二人が同時にいなければ比べることは叶わない。

 

「おれぁ眠れねぇんじゃなくてな、夜の当番だからよ」


 両手で持ったいた大斧を肩に担ぎ直し、ガームが答える。

 そういえばツインズの兄、ランドは言っていた。このツインズでここの門番をやっていると。


「へぇ、ガームさんは夜専門すか。お疲れさんです」


 バルト家でも門番を見た。

 この世界は夜も門番を必要とするくらい治安が悪いのだろうか。

 そんな危ない役割を引き受ける彼にイツキはただ感心する。のだが、


「その変なしゃべり方ぁやめてくれ。さん付けもするな。なんか気持ちわりぃし、不愉快だ」


「そんなに!?」


 イツキは年上であり、怒りを持つと危なそうなこの男にイツキなりの敬意をもって話しているつもりだったのだが、ガームはそれを軽く払いのける。

 最後の一言でショックを受けたイツキだが、気を改めて


「じ、じゃあ、ガームは昼に寝てるのか?」


「あぁ、兄者が昼の当番でな。おれぁ陰の月が好きだから夜にしたんだ」


 この態度で正解だったらしい。

 ガームが夜空を見上げて言う。

 正直ここまで巨大な生き物に対等以上で関わるのにはかなりの覚悟がいる。だが、このガームの言葉に月が好き、と入っていたことがイツキの緊張をほぐした。

 別に月が好きなのはおかしいことではない。実際、イツキも月は好きだ。

 だが、この巨体がこんな可愛らしいことを言うと何か違和感があるのだ。

 そして違和感と言えば、


「陰の月って?」


「んぁ? 何って夜の月のことだよ」


 月は基本夜に見えるものだ。なら単純に「月」と言えばいいのに。太陽を「昼の太陽」とでも言うのか。

 そんなことを考えながら再び月を眺める。

 青い光が目を癒しているようだ。


「まぁ、眠れねぇときはな、いったん毛布にくるまっちまってよ、どーでもいいことを考えんのよ。そしたらだんだん眠くなってくっから」


「いや、一週間も寝てたからさ、眠くならないっていうか。てか女の子の部屋で寝るとかハードル高いから―――って聞けよ・・・」


 ―――その女の子の部屋で一週間も寝てたのは俺自身だけど・・・


 見当違いのアドバイスを渡され、反論するも、言い捨てて門へ歩いていくガームは気にも留めなかった。


 ―――明日、明るくなったら、この周辺を見て回ってみようか。

 

 再び一人になったイツキは今後の予定を考えながら、しばらくの間誰もいない広場を歩き回っていた。



 

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