四話 泥魔人、嵐を耐える
クレーターの中心点で、ブレイクと屈強な男は互いに睨み合っていた。
疲弊しダメージを受けているブレイクに比べ、男は装備が焼け焦げているだけで全くの無傷である。有利不利を問われればブレイクの方が圧倒的に不利である。
しかし、戦場に身を置いたものが対等な条件で戦える事など殆どない。こればかりは、巡り合わせの妙である。そして、緑色の夜の中、青い瞳を爛々と輝かせるブレイクを弱っていると判断する者は何処にも居ない。
「貴公の獲物は何か、立ち振る舞いからして、武具使いと見受けるが」
男の問いかけに、ブレイクは頷いた。
「武器であれば何でも使うが、剣が得意だ」
「心得た」
男はそう言って、腰に差した剣をブレイクに向かって投げつける。殺傷目的ではなく、ただただ、渡す為の投擲。ブレイクも殺気が無いのを理解してか、素直に受け取る。
武器が無いブレイクを殺すのが最も有効であろうが、男はそうしなかった。
きっと、高潔な戦士なのか、それとも相手が強い方が燃える求道者の類なのだろう。
剣は、業物だった。これであれば、数十打ち合う程度では砕けそうに無い。
「ありがとう」
「礼は不要!しかしそれでもと言うなら、良い殺し合いをしよう!」
「ん」
両者はそれぞれの獲物を構えた。
ブレイクの構えは剣をぶらりと下段に構える特殊なものだった。
愚者の構えと呼ばれるそれは、カウンターに特化した構えである。敢えて隙を晒す事で、敵の攻撃を誘い、反撃によって迂闊に攻撃した者は死の間際に自らが愚か者であった事を悟った事から付けられた名である。
転じて屈強な男は槍を中段に構える。あらゆる状況に対応できる基本的な槍の構えである。力任せな男に見えて、中々隙の無い構えをしている。
「魔神将マルコシアス、いざ尋常にッ!」
「旅人、ブレイク=フェロニアス」
互いに名乗ったのは、互いを認めた故か。
何方が勝っても、殺した相手の名前を、覚えていられるように。
野蛮な戦士達の、紳士的な取決めであった。
途端、二人の武具が光を宿す。
マルコシアスの槍は、中央から二つの突起が突き出す形をしているが、それぞれが、紅と氷のような白水色に染まる。
ブレイクの持った剣が、死と悪意を凝縮したような、漆黒の色を纏った。空気に触れた刃が、ジジジと空気を切り裂くような音を漏らす。
互いの視線が絡み合い、そして両者一歩踏み込んだ。
覚醒者の達人の一歩の踏み込みは、間合いの決定を意味する。
二人は二メートルにやや足らない距離まで互いに踏み込み、同時に武具を振るった。
ぶつかり合い、空間を震わせる衝撃。
余波でブレイクの頬が切れ、余波でマルコシアスの首筋が僅かに切れた。
強大な魔力を宿した武具が、真の達人に振るわれる事で発生する、衝撃波によって生まれる被害、大地に亀裂が走り始める。
一度の衝突の後、白兵戦は激しい乱打戦へと変貌する。
目視も難しい程の激しい激突。二人を中心として、大地がひび割れ、空が裂け、嵐のような余波が沸き起こる。
身体能力ではマルコシアスがブレイクに勝り、技巧に於いてブレイクはマルコシアスの上をいった。明らかに一手か二手先んじる筈のマルコシアスの重機関銃のような突きの連打を、ブレイクは悉く剣で受け流した。そして無い筈の一瞬の隙を衝き、剣を切り払うと、マルコシアスの肉体に傷が奔る。
それはまるで奇跡のような剣使い。ブレイクが振るう剣を、百戦錬磨の戦士であるマルコシアスが捉える事が叶わない。剣をゆるりと振るう度に、マルコシアスの肉体に浅くない傷がついていくのだ。
最も、マルコシアスもただ受け続けるばかりではない、本来ならば首や心臓を断ち切るであろう攻撃を何とか察知して、辛うじて致命傷を避けているのだ。そして圧倒的な力と速度によって放たれる槍の猛撃は、受け流しているブレイクの腕に亀裂を奔らせる。
ブレイクは骨の修復をしながら剣を振るい続ける必要があった。それは絶大な苦痛が伴うが、歯を食いしばって耐える。そうする度に、ブレイクの瞳には剣呑な青い光が灯るのである。
覚醒者や、それに匹敵する存在の全力戦闘は、長くは続かない。彼らが持ちうる強大な暴力性が、あっさりと相手の命を奪ってしまう為である。先に何方が滅びるのかを競う戦いなのである。
先に仕掛けたのは、ブレイクだった。業物とはいえ、ここまで全力でぶつかると剣の耐久が怪しくなってくる。即急に勝負を決める必要があった。
僅かな隙も無く、剣に雷が宿る。紫電の異能を剣に纏わせたのだ。雷の異能と剣の組み合わせは、世界的にもよく見られるものである。巧く扱えば、剣速が一段階上がり、威力も上がり、防ごうと受けると感電するという三重苦である。最初から纏えば、それに対抗する防護を張る事もできるが、咄嗟に発動した場合、反応も遅れる。
但し、ブレイクにとってこの技は諸刃の剣でもある。
剣の耐久に、重篤なダメージが重なるのだ。既に、刃に重篤な欠けが存在しているのを、ブレイクは振った剣の感覚から感知する。
果たして、雷剣はマルコシアスの防御をすり抜け、深い傷を与える。
「チィ!!」
噴き出す血、しかしその肉体から狼の如き毛が生えて来る。
泥魔人と同様の、変異の予兆。死の間際に再生しようとする肉体が、本来の姿へと変貌しようとしているのだ。そして、それが幸いにも命を繋ぐ。
「シャアアアアアアアアッ!!!」
マルコシアスの槍に冷気と炎が纏われる。
相打ち。それは白兵戦に於いて最も厄介とされる技の一つ。
攻撃の際、どれ程の凄腕でも僅かな隙が発生する、その隙を防御せずに攻撃するという術。マルコシアスは防御ができないと悟り、相打ちへと繋げた。
ブレイクは、判っていた。
マルコシアスがブレイクのこの一撃を耐え凌ぐであろう事を。
そして、それならば咄嗟に相討ちの一撃を狙うだけの胆力と実力がある事を。
故に、この一撃は、牽制。
突き出された槍の柄を、ブレイクの左手が掴む。
肉が裂け、筋肉が飛び散り、骨が木端みじんに砕ける。
それでも、魔力によって固める。炎と氷の魔力が腕から肉体へと到達するまでは、後一秒にも満たない時間がある。
発生する、一瞬の隙。
獲った。紫電を灯す瞳が勝利を確信する。
獲られた。獣の瞳がそれを理解する。
ブレイクの肉体は彼の思考から僅かにもぶれない精密さでマルコシアスの心臓へと迫り。
そして、五感を外れた第六感が、自らに迫る最大の危機を知覚した。
自らの視界の外に、それは居た。
嵐のような戦いを行う二人に、それをじっと耐えつつ近寄っていった。
身を焦がす怒りを必死に抑え込み。殺気を悟られぬよう、矜持を捨て、否矜持故に全ての感情を殺し、身を亡ぼす嵐の中を這いずる。
そして、ブレイクは勝利を確信する瞬間を待っていた。勝利の瞬間こそ、人が最も無防備を晒す事を知っていた。
泥の魔人は、その瞬間、自らの命を全て放出して、ブレイクの心臓へと触手を放つ。
それは、完璧な奇襲。攻撃の寸前まで、ブレイクは殺気を感じ取れなかったのだから。
余りにも、悪い状況が重なる。
全身全霊を懸けて戦うべき強敵、完璧なタイミングでの奇襲。肉体に蓄積された疲労。
若しこの一撃を凌げても、もう剣は耐えられない。
ブレイクの思考に一切の躊躇も無かった。それで尚、限界を超える為にブレイクの肉体は駆動する。
心臓を直撃せぬよう、僅かに重心をずらして。
次の瞬間、衝撃と共に、鮮血が迸った。
時は、少し遡る。
マッドラルド=ルーデンス=ヴェンヌは個人での限界を感じ始めていた。
場所は自室、ヴィルヘルムをルナマリアに預けたマッドラルドは獲得した情報を元に調査を続けているが、二つの問題が発生していた。
先ず、純粋に人手が足りない。最も大々的動くと動いている事がばれるので余り人手を動かしたくない。今回の調査は特に法律違反のオンパレードなのである。
もう一つは、この世界とは異なる時空へと手がかりが全く掴めない事があった。寧ろ何故ブレイクは息を吸うように侵入する事ができたのは理解に苦しむ。
「む、む、む‥…!」
調査が行き詰っている事は間違いなく。そして自力での突破が難しいと本能が告げた。
時間をかけて精査する手もあるが、ブレイクが別次元に囚われたままである以上、できるだけ迅速に事を進めたい。友情と矜持を天秤にかけるまでもなく、友情を取る程度にはマッドラルドを人が良い。
「伝手を頼るかぁ……!」
正直誰も巻き込みたくなかったが、この事件は下手したらアルケニアの存亡に関わりかねない。裏路地から繋がる異なる帝都と、そこに蔓延る怪物の集団など、頭が悪いホラー映画のような展開だ。更に腹立たしいのは、上層部にそれを理解しつつ放置している人物がいるという事である。
不自然な情報規制、救出者達に対する処置、そして何よりもその情報がマッドラルドに届けられていない時点で、明らかに上層部の一部はこの事件の隠匿を行っている。
皇帝に対する不穏分子か、或いは皇帝も一枚噛んでいるのか。測りかねるが、力を求める皇帝ならば何をしでかしてもおかしくはない。暴君であり名君、覇者の気質を持つ男には、執政のレオナルドもよく苦労させられている。
父は絶対に関与していないだろう、あれ程人民を思いやる男がこの類の行いを看過する訳が無い。知れば全霊を挙げて対決するだろう。普段は穏健派だが、一度怒ると誰よりも怖いのが父である。情けないが、父の威光に縋る他無い。
もう一人マッドラルドが信頼して相談できるのは___。
マッドラルドはパンドラの匣を起動して通信を開始する。きっちり三回のコールの後、目的の人物が返答をする。
「マッド?貴方から連絡とは珍しい」
匣の向うから、静謐な女性の声が響く。耳によく通る、聞いていて気持ちの良い声だ。
「よう、アレク。ちと大事な話があってな」
マッドラルドはため息を吐きながら話す。
「大事な話?」
「ああ、恋愛事でな、女心には疎いのでお前に聞きたいんだ、何時のも場所で会えないか?」
「……成程、良いでしょう、では何時もの場所で」
それで、通信が途切れる。
短い通話、マッドラルドは相手の機転に感謝する。
アルケニア全土に広がる通信網は便利な反面、監視社会を生み出す基盤にもなっている。
パンドラ匣には一応盗聴妨害のプログラムもあるが、熟練のハッカーであればその情報すらも抜き出す可能性がある。マッドラルドはハッキングも可能なだけであり、それが本職という訳では無いのだ。
故に、何時もの場所というお互いにしか通用しない言葉で会う約束をした。
マッドラルドは椅子から立ち上がり、目的の場所へと向かおうとする。その前に一つ。
魔方陣を描いているカードに父への伝言を記載して放り投げる、するとカードが空中で折れ曲がり淡い青色の光を纏う小鳥へと変貌する。
直接父へと情報を伝えてくれるだろう、彼ならば、マッドラルドよりもうまく行動してくれるという信頼と共に、先ずは自分にできる事をマッドラルドは始めた。
マッドラルドが帝都の一角に秘密基地を作ったのは九歳の時であった。
空間拡張魔術を覚え、それを有効活用したいという気持ちから父に頼み込んで小さな敷地を貰い、そこに秘密基地を作ったのだ。友達がお世辞にも多くなかったマッドラルドだが、仲のいい友達二人だけは招き、そこを三人だけの秘密の場所とした。
最初は少し広い空き地程度の大きさだったが、マッドラルドの能力と資金が貯まるにつれてどんどんと拡張された結果、控えめに言っても軍事転用も可能な本格的な秘密のアジトが出来上がっている。これを主に内緒話しを行う為にマッドラルドは活用している。
秘密基地の自室に刻んでいる魔方陣から空間転移して、ラウンジに辿り着くと、其処には既に約束の相手が居た。
アレクシア=ケイ=アルケニア。アルケニア帝国第一皇女である、マッドラルドの同級生である。金色の長い髪は短く結ばれており、皇族特有の黄金の瞳をじっとマッドラルドに向ける。静謐な川のような、黄金に輝く草原のような、涼しさと暖かを兼ね備えた、王者の気風を持つ女性である。身に纏うのは、帝国騎士の礼服である。帝国騎士として活躍する彼女は、常日頃青を基調とした制服を纏っているのだ。
「マッド、来ましたか」
心底不思議そうにアレクシアはマッドラルドを見る。
アレクシアがマッドラルドに何かを頼むのはよくある話であるが、マッドラルドからアレクシアに物を頼むのは実は初めてであった。それはマッドラルドが基本的に万能でなんでも熟せる事と、皇族に頼みごとをするよりも、気安くブレイクに無茶ぶりができるという事に由来する。
「おう、緊急事態だ」
マッドラルドはパンドラの匣を展開すると、今判っている状況を分かり易く映像化する。
「それと、ブレイクがそこに囚われている」
「……そう、ですか」
アレクシアの顔に、複雑な感情が宿った。彼女はブレイクに対し、並々ならぬ感情を向けている事をマッドラルドは知っている。それは純粋な男女の話等では無く、もっと複雑な感情が混ざったものでもある。
何にせよ、彼女はブレイクに裏切られたような感覚を今でも抱き続けている。
平時であれば、ブレイクの事を話題に出せば不機嫌になるだけで済む話だが、問題は、今はそんな事を言っている場合ではないという事だ。アレクシアもそれを理解しているのか、大きく深呼吸して頷く。
「判りました。ええ、彼に死なれたら、私も、悲しい」
「いい加減、素直になればいいのに」
「ダメです。彼が謝るまで許しません。手紙では無く直接です」
「ああ、やっぱ手紙は届いていたのか、読んでないのか?」
「……話を戻しましょう」
読んでいたようだ、それも誤魔化すという事は割と喜んでいたようだ。
ブレイクは定期的に旅先での出来事をとある異能を使って手紙で親しい人にそれぞれ送信しているのだ。そこでは異国での出来事が赤裸々に描かれ、稀に発生する大冒険に興奮と心配の半々で魅入られるものであった。尚マッドラルドは幾つかに参加した。なまじブレイクを座標として空間転移できるのが悪い。
マッドラルドは必死に誤魔化すアレクシアを見て、にやけそうになる顔を手で隠して目だけは真面目そうに頷いた。こういう時鋭い瞳は得である。
「先ず、この空間に繋がる道の探索。それにはある程度の人手が要る」
「ああ、成程。私の部隊を使いたいのですね」
「うん、アレクの部隊は優秀な人員が揃っているし、万が一の事態でも対応できると思う」
皇族の騎士は親衛隊と呼ばれる部隊を持っている。アレクシアは合計十人の彼女個人に忠誠を誓う騎士を保有している。騎士とは、覚醒者の中でも白兵戦を行う人物全般を指す。
皇族直属なだけあり、覚醒者の中でも特に優れた手腕持ちばかりが集っている。
「中には探索に優れた者も居ますからね。本当はここにブレイクも居て欲しかった……」
「諦めろ、奴は人の下に就くタマじゃあないよ」
あの自由奔放な男を部下に持つなど無理だ。善悪を超越した価値観に従って国際問題など知った事かと好き勝手に振舞うのだから苦労させられる。寧ろ彼女のスカウトをきっぱり断ったのはブレイクなりの誠意であるとマッドラルドは思っている。
「それに、上司部下じゃなくて、お前たちは対等な友人だろう」
「……そうですが、そうですが……!というか貴方も思えば私のスカウトを断りましたね」
納得できずに唸り、マッドラルドをじとりと睨むアレクシア。
「実質お前の配下みたいなものだからノーカンだ。何度お前の無茶ぶりを聞いたと思っている。研究所に内緒で」
「む、それもそうですね。すみません、失言が過ぎました」
マッドラルドは思えば自分が体のいい魔術器具として使われている気がしてきた。しかし、まあ、ブレイクに関していえば自分も割とこき使っているので御相子であるし、アレクシアもマッドラルドが頼めば打算抜きで協力してくれるので、お互い遠慮が無いだけだと納得する。納得しないとやっていけない。
「空間の裂け目は一応怪しいと思う場所はピックアップしているから、頼んだぞ」
匣からアレクシアの携帯端末のデータを直接送信する。行方不明者の目撃証言や、ヴィルヘルムの記憶と証言を元に創り上げたデータである。
「感謝します。巧くいけば、得点稼ぎにもなりそうです」
「王位継承権ねぇ、言ったら悪いがお前さん女性だし厳しく無いか?」
アレクシアが次期皇帝を狙っている事をマッドラルドは知っている。
少し人が好い事を除けば、彼女は王に相応しいカリスマと知恵に恵まれた少女であると思うが、兄に決して凡愚では皇族がいるのが問題か。
家督争いを避ける為に、基本的に余程の乱世で無い限りは長男が皇帝となる事例が多い。
現在四つの巨大国家勢力が冷戦状態なので、乱世というには少し厳しい。最も、国境付近の属国や植民地では戦争が絶えないのも事実ではあるが。
「アンリは、余りに非覚醒者の蔑視が過ぎます。優秀ですが、プライドも高すぎる。皇帝とするには、余りに危うい」
「親父もそんな事言っていたなぁ……まぁ執政が親父だし大丈夫だろ」
「レオナルド殿が素晴らしい御方なのは重々承知の上で、マッドは割とお父さんを崇拝されていますよね」
アレクシアは自信満々に語るマッドラルドに苦笑した。
「執政と領地経営と慈善事業の激務を兼任しながら、部下にも子供にも全く愚痴を吐かずに耐えている親父を尊敬しない奴は人間の恥だと思う」
マッドラルドは、そんな父の背中を見て育ったからこそここまでの努力家であり、同時にその背中を見た故に権力のある立場には絶対に就きたくないと思っていた。レオナルドは優秀なマッドラルドを是非とも有力なポストに就けられないかと考えていたが、マッドラルドが研究員志望であると聞いて息子の夢を応援してもくれた。
親孝行したいとマッドラルドは胸に決意を固めている。その為に技術の発展に大きく貢献はしているが、もっと直接的な親孝行も思案中である。
「レオナルドさんいいお父さんですよね……、私も幼い頃甘えさせて頂きましたし、それに今でも政治的な話ではとてもお世話になっています」
「ブレイクも含めて俺たちが一番頭上がらないのは間違いなく親父だよなぁ」
特にブレイクはレオナルドに対して足を向けて寝られない程の恩が幾つもある。基本余り礼儀を重んじないブレイクが、相手が良いと言っても敬語を崩さない唯一の人物がレオナルドである。
「彼は気にしないでしょうがね「若いころは年長者に迷惑をかけるもの、若し恩義に感じるのであれば、下の世代に私と同じように接すると良いでしょう」と仰る姿が目に浮かびます」
「浮かぶ……」
二人は共通認識に顔を綻ばせると、すぐに表情を締め直した。
「では、この役目を必ずや成し遂げます」
「おう、こっちもこっちで情報を集める、何かあればここで相談しよう」
二人は拳を固めて、お互いにぶつけた。幼い頃から、これが彼らの流儀だった。
二人はそれぞれの個室に入り、自らのあるべき場所へと転移した。
王城の私室に戻ったアレクシアは、胸に蟠る気持ちを抑えるように手で抑えた。
脳裏に居るのは、幼い頃からずっと一緒だったもう一人の幼馴染であるブレイクの顔である。
三年前、アレクシアから騎士になって欲しいという願いをきっぱりと断り旅に出た親友。
当時は悲しくて、悔しくて、寂しくて、裏切られたと思ってしまった。あれから碌に交流が無いが、唯一、彼から送られ続けている手紙は、全て熟読して管理している。
どんな時でも、自由に振舞うブレイクが羨ましかった。憧れと羨望と、対抗心。
なまじ騎士としての成績が良かったから、意地になって張り合ったりもした。彼と全力で競いあった時間は、彼女にとって人生最大の宝物といえる。
ブレイクを通じて得られた縁も、素敵なものばかりで。
本当は、ずっと会いたかった。だけど、会っても素直になれない気がして、自分の気持ちを偽り続けた。最後の別れ際、泣いて心無い事を言ってしまった時の、ブレイクの悲し気な顔を今でも覚えている。
彼との記憶を、悲しい思い出のままに、したくない。
アレクシアは決意して、部下を招集する。三十分以内に全員集合するだろう。
だから、その間に一か所だけ、寄り道をする。
それは、王城の敷地の隅にある塔。入口が無い不思議な塔であるが、幾つか窓が存在する。
その内の一つにアレクシアは身軽に跳んで入り込んだ。窓はわざと空いている。
最上階までの階段を飛ぶように駆けあがり、そして最上階の扉を叩く。
「いらっしゃい」
鈴のような声音が、扉の向うから響いた。
「失礼します、ロア姉様」
扉を開けると、広がるのは殺風景な光景。
最低限の生活を行う道具だけが情緒無く配置されており、それにも大した生活感を感じさせない。まるで綺麗なまま、時が止まってしまったような部屋。
その部屋の窓際に、一人の女性が腰をかけて空を眺めている。
白銀の長いさらりとした髪に、宝石よりも尊い輝きを放つ翡翠の双眼。初雪のような白い肌に、神が直接創り出したかのような、透き通った美。
フォルトナ=ロア=アルケニア。この塔の住人にして、謎の多い皇族の一人。
何時からこの塔に籠っているのか判らず。そして、誰も言及する事のない存在。
八年前に、ひょんなきっかけで知己を得て以来。アレクシアは事ある毎にこの場所へとこっそり訪れている。
フォルトナは、翡翠の瞳をアレクシアへと向ける。
同性なのに、魂の高ぶりをアレクシアは感じた。それは超常の美が纏う呪い。
同じ皇族の血族故に、アレクシアはその魂が堕とされずに済むのだと理解している。
「嬉しそうだね?」
鈴のような声音が、するりと耳を抜けて魂を鷲掴みにする。至上の声音も、人の魂を蕩かしてしまう。
若しも、彼女を不用心に市井にさらせば、彼女を巡った血みどろの抗争が始まるだろう。
「ブレイクが、帝都に戻ってきたそうです」
「……!」
フォルトナの瞳が、僅かに見開いた。
「そう…か。帰ってきて、くれたか」
「ええ、しかし少し厄介な状況に置かれているようで」
「彼は、厄介な状況に居ない方が珍しいのでは無いかな‥…?」
至極まともな意見にアレクシアは思わず苦笑する。
彼女もまた、ブレイクの珍道中の手紙を送られる一人であるから、ブレイクが旅先でどれだけ馬鹿をやらかしているかは理解している。
「え、ええ、まぁ仰る通りなのですが、実は‥…」
アレクシアはマッドラルドから伝え聞いた事件の概要を話した。
それは、ブレイクの親交深い相手への義理であると同時に、フォルトナが持つ、マッドラルドとはまた異なる質の叡智が助けにならないかと期待しての事でもあった。
この塔の貴重な書物を全て読んでいるフォルトナは、古の魔術の幾つかを扱え、引きこもりとは思えない程様々な知恵に精通しているのだ。
フォルトナは、静かに頷きつつアレクシアの言葉を聞いていた。そして聞き終わると、表情を変えずに返事をする。
「私も、ブレイクが心配だし調査を行ってみよう」
「有難うございます!ロア姉様!」
「……もう少し詳しく話したいけれども、アレクもそろそろ時間だろう?」
「あっ」
そろそろ部下が集まる時間であるとアレクシアは思い出す。
「また来ます姉様!今度は、ブレイクも連れて!」
「‥…うん、仲直りはしておきなさい。その方が、アレクにとっても良い事でしょう」
「……はい!」
頭を下げて去るアレクシアを、フォルトナはそっと手を上げて見送った。
扉が閉まると、彼女は目を閉ざす。
「さて……どうしたものかな」
彼女はそう言って、静かに立ち上がった。
外には、綺麗な三日月が浮かんでいた。
鴉の騎士と死神剣士(仮) 三丁目の中川さん @cuclain009
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