第3話 旅人、魔人と相対する

マッドラルドが独りで調査を進めている間、ブレイクは孤軍奮闘していた。

 黄昏の空が緑色に変じていき、時刻が夜へと向かっている事を示している。

 空には、緑色の月が二つも浮かんでいた。通常は一つ限りであるのに、だ。

 空の月や星をのんびりと鑑賞している時間など当然ない。ブレイクは自分を追いかける殺気だった悪魔の集団から凄まじい速度で帝都を駆け抜け逃走していた。

 ブレイクは元々携帯端末を持っていないが、幾つかの異能を用いてもマッドラルドに連絡が取れない事から、ここが一種の異次元である可能性に思い当たっていた。

 入って、民衆を逃がした時のように裂け目が見つけられると楽なのだが、残念至極ながら、直感がどんよりとした気配が薄い所を見つけられていない。

 そうなると百計逃げるに如かず。全力で逃走する他無い。

 どれ程の怪人が居るかは判らないが、正面から大量の怪人と殺し合う気は無かった。

 それは勝敗等では無く、純粋に無駄な戦闘を余り好まないブレイクの気質故である。

 逆に、必要であればどんな戦いにも臆さず挑む恐ろしさも持っているが、別の話。

 音速に近い速度で走っているのに、恐るべきはその隠密性能か。まるで滑るように大地を駆け抜け地面を傷つけず、影から影へと渡る事で怪物達の目から逃れている。

 果てが無ければこのまま偽りの帝都から離脱するのだが、残念ながら帝都の端で空間そのものが無くなっており、其処から先には進めないようになっている。

 取りあえず出口を見つけるまで逃げるかとブレイクは決断し、怪鳥の巣からくすねた卵を割って中身を飲み込む。手に込めた熱によって程よく熱されたそれは喉を通り過ぎ胃へと収まる。味は最悪だった。

 しかし、ここまで移動しているのに、止まると直ぐに追っ手が近寄ってくる事にブレイクは違和感を覚え始めていた。まるで、位置が常に特定されているようだ。事実、何度か無茶な行動変更をしない場合包囲されていた場面も存在した。

 上空からの監視を疑い、目を凝らしても、何の違和感も無い。ブレイクは自らの直感に全幅の信頼を置いている故に、別の可能性を逃げながら思案する。

 可能性として高いのは、異能の一種であろう。

 とてもレアだが、目標の位置を感知する異能も存在するという。ブレイクは一度大きな騒ぎを起こしたので、その際に補足され追跡されている可能性がある。

「フー……」

 ブレイクは瞳を閉じて、全神経を集中させた。

 見られているという事は、相手は自分に意識を向けているという事だ。

 人の心は不思議なもので、自分を見る視線を見ずとも感知する事がある。

 何か、見えない何かで、自分と監視者が繋がれている感覚。

 深く、深く思考を潜らせ。

「あった」

 その繋がりを、感じる。

 ブレイクは、その感知の仕組みを大雑把に理解した。そして繋がりを手繰り寄せる。

 探知(サーチ)。一度見た対象を、細くし続ける異能。それは帝都の中央、王城の監視塔に存在している。そこから、ブレイクをずっと睥睨しているのだ。

 物理的な意味では無く、距離も方角も超越して二つの瞳は睨み合った。相手の驚愕が伝わってくる。

 ブレイクは居場所を理解すると、即座に次の手を打った。

 狙撃(スナイパー)。彼我の距離は大凡二百キロメートル。それは、有効射程圏内。

 些か目立つが、見られ続けるよりはマシである。

 ブレイクの手には青白い光で構成された弓が握られる。それは狙撃手から奪った物であり、魔力を放つ特製品。

 必要なのは、圧倒的貫通力に飛翔能力。故に、雷を選択する。

 紫電変化、電離(プラズマ)。雷を収束し、弓に番える。

 視界の先にあるのは、監視者。心が、それを捉えた。

 雷が轟音を立てながら飛翔する。それは光の五十分の一の速度で飛翔すると、監視塔へと一直線に飛ぶ。監視塔ごと監視者の存在を消滅させようとして。

「……む」

 何か強大な力によって、弾丸が阻まれる。監視塔の一部を消滅させるに留まり、仕留めていない事は明らかだった。

 今の一撃はブレイクの攻撃手段の中でもかなり強力な部類である。それを不完全ながらも防がれたという事は、かなり強力な存在が居るという事である。

「厄介、厄介」

 手に持った弓が砕ける。ブレイクの放った強大な魔力に耐えきれなかったのだ。

 これでは、もう狙撃は行えない。

 今の一撃で場所は大きく目立っている、ブレイクは再び逃走へと移った。


「命拾いしました」

 監視塔の上で、一人の少女が震える声を発した。

 少女は一見普通の少女であったが、一か所異なる点があった。額にもう一つの目があるのだ。金色の光を放ついるそれは、彼女にとっての最大のアイデンティティである。

 遠見と透視を両立する、魔眼。その力によって、今まで偽りの帝都で暴れていた覚醒者の位置を補足していたのである。

「能力を逆手に取られました、しかし奴にはもう此方を攻撃する術は無いようです」

 手に持った奇妙な形の道具にそう報告する。それは彼女たちが扱う通信道具であった。

『そうか、難儀であったな』

 道具からは、冷淡な声が響く。彼女の主の声だ。

 彼の力によって、雷の矢は逸らされ、辛うじて命中を免れたのだ。

 今必死に監視塔の修理が進められている。魔術を使えば、直ぐに復旧できるだろう。

『即座にあれ程の威力の攻撃ですか……これは、中々面白い』

 老練な男の声も続く。そこには未知の強敵に対しての称賛と期待が込められている。

『雑魚では捕まえられんようだ、我らが出るか?』

 屈強な男の声も響く。寧ろ今から飛び出したいという欲求が漏れ出ている。

『……そうだな、我が都をこれ以上荒らされるのは御免被る。即座に始末してこい』

『誰が行くのかしら?』

 妖艶な女の声が響く。

『二、三人で行った方が確実だろうね……最もオマエラは嫌がりそうだけど』

 年若い少年の声が、面倒そうに呟く。

『うむ!あれ程の強者を数で潰すのは武の名折れ!ここは俺が参ろう!』

『俺も出る、先に遭遇した方が殺すので良いだろう』

 屈強な男の声の後に、何処か厭らしい男の声も響く。

『此度は若い者に任せるか、貴公らが仕損じた時は、我が出よう』

『ではこれで決とする』

 その言葉を締めとして、幾人かは通信から外れた。残ったのは、追っ手となる二人と、監視者である少女。

 通信装置の奥からでも感じられる、飢えた獣のような気配に、少女は顔を顰めた。

 最も、恐怖を味わせたあの男を殺してくれるのなら、喜んで協力するつもりだ。

「では、誘導させて頂きます」

『応!!』『足引っ張んなよ』

 それどれの返事の後に、事態は動き始める。

 狩りの始まりである。


 攻め方の変化をブレイクは敏感に感じ取った。

 まるで、猟犬の群れを手足のように動かしているような、ブレイクの逃げる方向を制限するような方式。

 つまりは、その先に本命が居るのだろう。

 ブレイクは移動しつつ、思案した。こういう時にマッドラルドが居れば面白い策を出してくれるのだが、居ないのだから仕方ない。

 自分で考え、実行に移す必要がある。

 最も避けたい展開は、猟犬に囲まれた条件で本命と当たる事である。戦闘最中の不意打ちを食らうなど絶対に避けたい。

 そうなると、逆に本命に対して真っ向勝負を仕掛けるという手もある。

 危険であるが、同時に成功した時に相手の貴重な戦力を削る事もできる。

 自分が劣勢であり、補給もままならない状況であると理解した上で、ブレイクは戦う方向で考えた。

 物を選ぶ時には、最も選ばなそうな道を選ぶ事が、事態を好転させるきっかけであると、ブレイクは思っていたからだ。

 果たして、ブレイクの目の前に、強大な魔力の波動を感じ取った。

 隠れるつもりは無く、堂々と正面から攻撃するつもりらしい。

 彼我の距離は数百メートル。覚醒者としては既に攻撃圏内と言ってもいい。

 敵の姿を目視、それは泥のような肌を持つ魔人であった。

 その表情は判別が難しいが、非常に厭らしい表情をしている、人の苦痛を何よりも好む邪悪な笑み。ブレイクが泣き叫ぶ事を、何よりも望んでいる顔。

 黒い衣を纏っている為詳細は判らないが、固定物にしては、些か輪郭に狂いがあるようにブレイクは感じた。そしてその感覚は誤って居なかった。

 黒服を突き破るように、泥のような粘液が鋭い切っ先の触手となってブレイクへと飛翔してくる。その速度と切っ先から、ブレイクは受け止める事、受け流す事を諦めた。

 足に力を籠めて、全力で跳ぶ。

 跳躍(ハイジャンプ)。それは極め抜いた結果、空間転移にも匹敵する異能。

 三角跳びの要領で幾つもの足場を作りそれを踏みしめて転移する。素通りした触手が、建築物を豆腐のように切り裂き倒壊させた。恐るべき切断力である。

 武器を持たないブレイクとしては、接近距離からの戦闘が望ましい。一秒にも満たず彼我の距離を満たすと同時に。

 ブレイクの姿を捉えた泥魔人の顔の笑みが更に深まるのを、ブレイクは見た。

「っ!」

 咄嗟に背後へと跳ぶが、用意していた相手の方が早い。

 全身からウニのように触手の棘が飛び出す。全方位へと延びる触手は回避を赦さない。

 刹那の内にブレイクは決断した。

 右手を向かってくる針へと向ける。その手から放たれるのは冷気。

 凍結(フリーズ)。それは物を凍結させる異能。

 ブレイクに迫る泥の液体が固まり動かなくなる。

「ナニッ!?」

 泥魔人の笑顔が歪んだ。

 この勝機を逃すまいとブレイクは触手の上を滑るように移動し、足に凍結魔力を籠めて泥魔人の上半身を蹴とばす。即座に凝固した上半身を蹴り抜くと、あっさりと砕け散った。

「……っ!」

 だが、まだだ。

 ブレイクは足に凍結を宿したままスライディングしてその場から離脱する。

 先ほどまでブレイクが居た場所に、下半身から溢れた泥の触手がのたうち回る。

 心臓と頭を当時に消し飛ばした筈であるが、再生する泥魔人にブレイクは僅かに目を見開く、つまり、この泥は真っ当な覚醒者や生物の類では無いという事だ。

「ぶっ殺す……!」

 湧き上がってきた新たなる上半身が殺意の瞳をブレイクに向ける、脳が上半身に無かったのか、何等かの理由で記憶が別の個所の蓄積されていたのか。マッドラルドであれば生物学的興味に打ち震える所だが、ブレイクはあまり興味が無い。

 問題は、如何に撃破するかだ。僅かでも肉体を遺せば再生されてしまう。

 間合いを話し、全範囲触手棘放出攻撃に対応できるようにする。迂闊に間合いを詰めると今度こそ串刺しにされかねない。

 有難いのは、この無差別な攻撃の為に周囲に増援が湧いてこない点か。単独であればまだやりようが___。と思った所で確認した殺気に対して、鏡を展開する。ブレイクに対して、周囲の摩天楼の上から大量の一斉に包囲射撃が行われた。遠距離狙撃の最大の利点は、連携が大してシビアでは無く、乱射を繰り返す事で簡単に殲滅できる点か。

 最も、単純な制圧射撃に屈するブレイクでは無い。複数展開した鏡が遠距離砲撃を悉く弾き返し敵を殲滅していく。問題は、それに合わせて行われる触手による包囲攻撃か。

 これの反射はできない。ブレイクは咄嗟に躱し、躱し、躱し切れない!

 触手がブレイクを貫き、そして___それは鏡のように砕けた。

「ッ!虚像か!」

 回避の中で、鏡の異能を応用して咄嗟に幻影を生み出したのだ。超速で動く肉体の中に紛れ込ませれば、一瞬だけ相手を誤魔化す事もできる。

「しかし、判った。貴様は複数の異能を持つようだが、それを同時には行えないな」

 泥魔人の分析は正解である。

 若しも同時使用が可能であれば、鏡と共に跳躍の異能を駆使してもっと完璧な回避が可能な筈である。それをしないのは、同時使用できない事を証明している。

 頭が悪そうな表情の割に、良い分析をしているなとブレイクは感心した。悪意無くそういう考えを抱くのがブレイクの悪い所であったが、それを口に出さない美点もあった。

「つっても、雑魚は大した加勢にならんし、俺もこのままじゃ当て辛い、だから、殺すぜ」

 泥魔人の気持ちの悪い笑みが、崩れる。

 ブレイクの本能に警鐘が鳴った。これは、拙い。

「魔神衣展開、魔神化___!!」

 途端、泥魔人の全身から、質量保存を完全に無視した泥が展開する。

 それは濁流を生み出し、地面を、建築物を押し流していく。

 ブレイクは背に七色の光の翼を展開すると、素早く上空まで飛翔した。

 翼(ウィング)。翼によって空を自由に駆ける異能。

 濁流に思われたそれは、濁流では無い、もっと悍ましい物であった。

 泥のような粘液の集合体である、醜悪なスライム。それこそが正体だったのだ。

 それは幾つもの瞳を浮かべると、全てをブレイクに向けた。

 一斉に、極太の触手が襲い掛かる。

「ッッ!!!」

 ブレイクは飛翔した、上空へ、全力で、音速を超えて、力の限り。天井までの距離の距離を目算、しくじれば天の囲いにぶつかり即死する。それでも上以外に逃げる場所は無い。

 そして、ぶつかる寸前に変態機動での反転を行う。

 高度三千メートル。それこそがこの帝都の空の限界。紙一重で泥の触手を躱し、今度は大地に向けて自由落下を遙かに超える速度で墜落を開始する。

 泥魔人の推測は、正しい。

 ブレイクは複数の異能を扱え、しかしそれを同時に行使する事はできない。

 通常は。

 では、複数の異能を行使できるかという言葉は、是である。

 限界を超えたそれを、ブレイクは五秒間のみ展開できる。

 墜落するブレイクの肉体が、炎に包まれる。それは加速による燃焼では無く、その身から溢れ出した焔の顕在化。

 炎(ファイアー)の異能を転換、燃焼(バーニング)として突撃する。

 紅く燃える流星が、僅かな触手の隙間を縫って、泥の怪物へと着弾する。

 泥の柔く堅牢な防御を完全に貫き、大爆発が起こる。

 それは、泥を完全に消滅させ、四散させた。余波で巨大なクレーターが発生し、周辺の建築物が砕け散った。

 若しも通常の都市で行われれば、数万人の犠牲者が出るであろう惨状。

 その中心点で、ブレイクは片膝をついていた。全身の服が焦げ、湯気が立っている。

 一瞬だけ限界を超えた出力を出した反動により、疲弊しているのだ、無理な突撃によって、ダメージも負っている。

 翼と炎による二重異能行使、それは相乗効果の如き威力の増大が可能だが、反動として疲労とダメージをブレイクに与える。ここに来て最も重いダメージであったが、あの泥に貫かれ囚われるのを避ける為には仕方なかった。

 ぼとりと、一つの影が大地に落ちた。それは、枯れ果てた泥魔人であった。もう再生するだけの力が無い事は明らかだったが、しぶとくなんとか生を繋いでいる。驚きの生命力である。

「AAAAAaaaaaaAAAAAA!!!!」

 生きているだけで苦痛だろう、この状態を続かせるのは余りに忍びない。

 予想外の反撃に注意しつつ、止めを刺そうと近寄ると。

「待たれよ」

 低く、屈強な声音が、ブレイクを呼び止めた。

 振り向いた視線の先に居るのは、身長二メートル程の屈強な男。剃刀のように鋭い目をブレイクに向け、手に持った槍を振り回しながら、ブレイクへと獣のような笑みを向ける。

「その下種も、一応は私の仲間であり、尊敬するべき強者だ、止めを刺す前に、俺と戦ってもらおう」

 ブレイクはその言葉を聞いて頷いた。

 中心点では無いとはいえ、きっとこの男は爆破の圏内に居た。焦げて破れた彼の皮鎧がそれを物語っている。

 しかし、その肉体は全くの無傷であった。つまり、あの爆破を完璧に防御してのけたのだ。

「素晴らしい戦いになりそうだ」

 男は、獣のような牙を剥いて言った。

 激闘が、始まろうとしている。

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