第2話 魔術師、始動
マッドラルド=ルーデンス=ヴェンヌは、自邸にて中々やって来ない親友に苛立ちを募らせていた。
アルケニアの大貴族であるヴェンヌの屋敷は巨大で、豪勢である。その玄関先のソファに座り、時計を確認しつつ足をトントンと鳴らす。
明らかに、遅い。
時間に果てしなくルーズな男である事は知っているが、今回は妹を出汁にして、急かす言葉を使って来るように促した。そうした時には何時も、迅速に行動して時間に余裕を持って現れるはずなのである。
来ないという事は、何かに巻き込まれた証拠である。否、自ら首を突っ込んだ証拠か、何方にせとこういう時には碌な事にならない。
大体どんな修羅場でも潜り抜けてくるくせして、大騒ぎした後のフォローを自分に求めてくるのが性質悪い。マッドラルドはまだ二十にもなっていないのに、無駄に騒動の後始末の手腕が超一流になっていた。
「準備するかぁ……」
既に諦めと悟りの境地に達しているのか、マッドラルドは疲れ果てた顔をすると自室へと戻っていく。様々な研究機材や魔導書が錯乱しているお世辞にも整理整頓という言葉からは程遠い世界であるが、何処になにがあるのか理解しているマッドラルドからすると特に問題は無い。
何時も纏っている白衣を脱ぎ捨てて、魔術師然とした茶色のローブを纏う、秘境よりブレイクが取り寄せた非売品の魔獣の皮によって造られた特注品であり、自然的な存在とはとても思えないほど頑丈である。それをスパスパと切って加工したブレイクの手腕に当時は慄いたものだ。今はもう慣れた。
幾つかの魔法陣が描かれたカードと、そして小さな匣を腰のベルドに装着する。
若手の研究員のようであったマッドラルドの風貌が、精悍な魔術師へと変貌する。黄金のくしゃりとした髪、ルビーのような紅の瞳、目つきが少しだけ鋭すぎる事が、端正な顔の唯一の欠点であった。
「パンドラボックス、起動」
そう唱えると、匣に光が灯り、空間に幾つもの映像が展開する。
これは、マッドラルドが生み出した魔道具である。巷で横行している携帯末端のようなものだが、最先端の軍事技術をフルで活用した上に、マッドラルド独自で編み出したプログラムが組み込まれており、性能という観点では凡百な携帯末端とは比較にならない性能を誇る。問題はあまりに使用難易度が高すぎて開発者であるマッドラルド位しかまともに取り扱えない事か。
数多のニュースや情報がマッドラルドの視界に映る。それは本日の帝都の出来事をまとめた資料であり、監視カメラの映像なども含まれる。今回の映像は違法では無い、大貴族の特権で方法的に手に入れた検閲権利である。今回は。
「これとー……これと、これか」
その中から、必要な情報のみを抜き出し、マッドラルドは部屋から出る。
すると、一人の人物と鉢合わせした。
ルナマリア=ヌーヴェ=フェロニアス。ブレイクの妹である少女だ。
ブレイクと同じ色彩を持つ少女だが、ブレイクと違って流すスラリとした髪型をしており、表情が余り変わらないところがある。
もう一つの違いとしては、まだ十六歳ながらも、女性的な肉感をしている点か。
昔から妹のように思っている少女の性的な変化に戸惑う日々である。
纏っているのは簡素な部屋着であるが、素材がいい為か貧相な感じは全くせず、寧ろ素朴な美が感じられた。三年前から、とある事情で彼女はこの屋敷に住んでいる。
それ以来、兄妹のような付き合いである。
「ん、マッド、お出かけ?」
親しい人は、マッドラルドをマッドと呼ぶ。ブレイクが呼び始めて、どんどんと浸透していった結果である。最も気に入っているので問題は無い。
「おう」
「兄さま絡み?」
無表情の問いに、マッドラルドは思わず黙った。
それだけで妹は察した。
「そう、また……」
「すぐ戻るから大丈夫。式までは引っ張ってきます、うん」
僅かに憂いの表情をするルナマリアに、マッドラルドは慌ててフォローを入れる。
彼女が、兄が大好きであり、今回帰ってくる事を喜んでいたことを知っている。万が一成人式に遅れる事があれば、きっととても悲しむだろう。
そればかりは、許せなかった。基本的に親友が事件解決に要する時間は一日なのでタイムスケジュールが随分不味いのも追加して、自分が出るほか無い。
「ん、気を付けてね」
ルナマリアは身を乗り出し、マッドラルドの頬にキスをした。
アルケニアでも、最も親しい間柄でのみ行われる挨拶の一種である。二年くらい前からルナマリアが積極的に行うようになって以来、マッドラルドは常に心臓に発作が走りそうになる。勘違いしないよう自制する日々であった。
「おう、じゃあ行ってくる」
歩き出そうとするマッドラルドだが、ルナマリアは少しだけ不満そうに剥れる。
「キス、してくれないの?」
マッドラルドは固まった。
そして逃げ出した。この男はヘタレである。そんなマッドラルドの様子を、ルナマリアはこっそりと満足気な笑みを浮かべて見送った。
マッドラルドが気になった情報の一つに、行方不明者達の発見がある。
幾人か捜索願が出されていた人物達が、ホームレスに囲まれて救助されたのだ。
ホームレス達は逮捕され、救助者達は保護されたのだが、問題はこれが報道されておらず、民間の通信網と、盗聴した憲兵隊の通信からしか確認できない点である。
明らかに情報規制が敷かれている。
マッドラルドは一応国家に所属する魔術研究者の一人であるが、こういった類の事件の報告や、捜査協力を受けた事は無い。行方不明者が多いという噂話を聞いた位である。
監視カメラが最後にブレイクを映した場所に近い裏路地である事からマッドラルドはブレイクが何かしら関わっている可能性に思い至った。
自動運転の車に乗りながら、マッドラルドは情報を精査していく。
最近、ホームレスを見かけないという情報、行方不明者達が裏路地へと入っていったという目撃証言、就職率に大した変化は無い、ホームレス達が居なくなった理由は不明。
そして、それに関する報道規制もあり。完全に怪しい。
「来て一日で厄介ごとに巻き込まれる辺りは本当流石だよ、相棒……」
せめて三日待ってほしかった。まだ頼まれている研究レポートが完成していない。
思えば後始末では無く自分から動いて調査も行うのは六回目だった、初めてでは無い。最も完全に一人で動くのは初めてであるが。早く合流したい所である。
憲兵の詰め所にたどり着くと、マッドラルドは自らの身分証明書を受付に見せる。
こういった時に大貴族の御曹司であり、帝都研究所の開発者という肩書は非常に便利である、ブレイクには何度も利用された、畜生。
「所長殿に緊急に事情があってお目通り願いたい」
賄賂が効く地域と効かない地域があるが、皇帝直轄の帝都は流石に難しい。故に自らの権威を最大限に発揮してマッドラルドは面会しようとするが。
「申し訳ありません、ただ今所長はおりません」
嘘。
マッドラルドの脳裏にその確信が募る。
それは審議看破の魔術、入所する前に自分にかけておいた魔術である。
魔術は、抵抗という概念がある。
自分以外の存在に魔術をかけたら、相手は魔術をかけられた事を認識できる。
故に「真実のみを話す」魔術を相手にかけても、相手はそれを自覚して黙る事ができる。強固な魔術防御を持つものはそれを打ち破る事も可能である。ではどうするか。
嘘を知覚できる魔術を自らにかける事でそれは解決する。最も、真偽二元論になる上、相手が心から信じ込んでいる嘘も真判定が出るので完璧では無いが。
最も、この受付がこのような嘘を言うという事は、何か隠したい疚しいことがある証拠でもある。吐かせる他無い。
マッドラルドは、じっと受付の瞳を覗き込んだ。
茶色の瞳に、マッドラルドの真紅の瞳が映り込む。直後、茶色の瞳が曇った。
「所長は何処に?」
「……地下の収容所に、監禁した行方不明者の、記憶操作を行っています…」
催眠魔術。
魔術は他学問と深い関係性にあり、心理学とも関係が深い。
心理学で行える事は魔術で行えるし、心理学により精通すれば魔術で行える催眠はさらなる発展を遂げる。マッドラルドは相手と目を合わせる事をトリガーとした催眠魔術を開発している。特許は取っていない、不名誉だから。
簡単な催眠の為、強固な精神を持つ者や、魔術の通りづらい者には効かない弱点もあるが、マッドラルドは大凡見ただけで相手の魔術抵抗力を見抜く術も持っている、通用すると判った上で使用していた。
「この会話は忘れてねー、じゃあ通してバイバイ」
「お気をつけて……」
記憶操作も決して難しい魔術では無い、人は忘れる生物だ、少し脳科学に精通していれば、あっさりと記憶を消したり、偽りの記憶を埋め込む事ができる。
消される前に、真実を確認せねばならない。
堂々と職員面をしていると、案外ばれないものである。マッドラルドは自らにとある光学迷彩の魔術をかけた、それは纏っている衣服を憲兵隊のものにみせる術であった。
何食わぬ顔で地下に潜り込み、収容所にたどり着く。
正直心臓が高鳴り、バレやしないかと不安で仕方なかったが、感情とは裏腹に表情は崩れる事が無かった。ブレイクに散々面倒ごとに巻き込まれて図太くなったのかも知れない。
電灯が薄暗く、決して広くない収容所の廊下はどうにも不安を煽る。ここに閉じ込められるだけで精神に異常をきたしそうである。
逆か、とマッドラルドは思った。精神を不安定にさせる造りをしているのだ。製作者と発案者の性格の悪さに舌を巻く。
目的の場所はすぐに見つかった。パンドラの匣によって、居所をハッキングした為である、若しもバレたら大事であるが、今のところアシが着いた事は無い。
暴動などを防ぐ為に、所内には幾つもの監視カメラが仕掛けられている。
ただ一つ、この部屋を除き。
それは、見られたら困るような事を行うための空間。
「ん、何だ貴様」
小太りした憲兵服の男と、ベッドに眠らされた複数の男女がいる、真っ白な部屋であった。
眠らされた男女は入院服のようなものを纏い、頭に機械を取り付けられている。
きっと、洗脳する為のものだろう。制服の豪奢さから、所長であると判断する。
「あーすみませぇん」
マッドラルドはぼんやりと話しながら近づくと。
瞬時に間合いを詰め、その頭を鷲掴みにする。
「!!」
咄嗟に腰の武具を引き抜こうとした所長の動きは決して鈍くは無かった。
しかし、揺さぶられた精神は、それだけで隙を晒す。
マッドラルドの手に魔力が迸り、所長の肉体がぐたりと脱力する。
「……ふぅ」
マッドラルドの首筋に汗が伝う。こういった荒事は決して得意では無いのだ。
「では、失礼して」
手から脳へと魔力を伝え、そこから様々な情報を抜きだす。脳に刺激を与え、リフレイン情報を解析し、それを情報として取得する。高度な脳科学や心理学の知識と、繊細な魔術技能を組み合わせねば使えない魔術である。
実はこの能力、アルケニアで考案された訳では無い、デルと呼ばれる北方の科学大国に於いて思案された科学的アプローチである。とあるその考案資料を見る事ができたマッドラルドが、機械の代りで魔術を使って代用する方法を編み出したのである。
特許は取ってない、取ると大戦争が起こる。その資料も直ぐに燃やした。技術の進展は何故こうも血なまぐさいのか。
必要な情報を抜き取り、脳を僅かに弄って潜在的にマッドラルドの配下へと変化させる。
デルの脳科学技術は余りにも危険であるとマッドラルドは思う、もっと原始的な方法ながら、人を洗脳する術を彼らは持っているのだ。
「まぁ、この情報を覚えられても困るから、記憶は消していいけど。」
帝国人民であるマッドラルドも、情報規制の重要性は判っている、徒に市井を惑わせる情報は検閲して然るべきである事は理解できる。
最も、それを割と上位の情報クリアランスを持つマッドラルドが知りえないまでに規制されている事は不可解であった。所長の記憶を探っても、更に上層部から記憶を消すように指示された小悪党程度の情報しか引き出せない。
となると、一人の被害者から情報を引き出す他無い。
マッドラルドはベッドの六人の男女に目を向け。
「ん……」
目を覚ました、十歳程度の少年と目が合った。
非覚醒者がこのタイミングで目を覚ます筈が無い。より体格に優れた大人が深い催眠に落ちているのだ。
となると、彼は覚醒者だ。
超人たる覚醒者は、生まれながらになるケースが大半であるが、中には強い魔力や、生命の危機に応じて覚醒するパターンも存在する。
成功確率は千分の一とされ、覚醒できない場合は死亡する為、この方法で自分から覚醒者になろうとする気狂いは殆ど存在しない。生き残る為、または偶発的になる事を強いられ、生き延びる為に覚醒者となるのだ。
少年から僅かに感じる魔力は、マッドラルドの親友のものに酷似していた。
「少年、君の名は?」
マッドラルドは内心の焦りを拭い払い。図太い笑みを浮かべた。
鋭い目に、彼の強かな笑みは、まるで悪魔のように、少年には感じられた。
「ヴィ…ヴィルヘルム」
「良い名前だ」
心からマッドラルドは言った。
「君には、選択肢がある。このまま眠り、平和な世界に戻る道と、覚醒者として、困難に立ち向かう道だ。俺は、君の選択を尊重する」
覚醒者となったからには、その人生には可能性と苦難が付き纏う。
覚醒者は、人材だ。それを一人でも多く確保するのが国家の役割である。
そして、十分なコネクションを持たない覚醒者は、下手な非覚醒者よりも過酷な生き方をしなければならない。最強の兵士として、様々な戦場を渡り歩くのだ。
彼の中に覚醒した力は、弱く小さい。巧く誤魔化せば、只人として生きる道もあるだろう。
そうなれば、非覚醒者として、それなりに幸せな人生を歩めるだろう。
年若い少年に決断を任せるのは人道的とは言えないかも知れない。しかし、それでもマッドラルドは彼の意志を尊重したかった。
僅かでも、迷いがあれば記憶を消す。それもまた、彼の慈悲だ。
「ぼ、僕は…僕は…!」
少年の瞳に宿ったのは。
強く輝く、焔の輝き。力の強さとは違う、人が前に進むための力。
「僕は!強くなりたい……!」
「良いだろう、昨日までの君は死んだ。今日から、君は覚醒者として生きるんだ」
マッドラルドは少年の拘束を外し、立ち上がらせた。
頭に、優しく手を置く。最もこれは記憶を読み取る為の措置である。狡い。
「やはり、ブレイクに出会ったようだね」
「ブレイク……?」
「ああ、白髪の、男か女かよく判らない、俺の親友」
「……は、はい!あの格好いい人ですね……!」
奴に憧れても碌な事にならんと正一時間説教したい気分に駆られたが、思えば生まれてからずっと親友やっていて一緒に馬鹿をやっている自分が何か言える義理では無かった。
「話は俺の車の中で聞こう、どうやら水面下で随分と不味い事が進んでいるようだ」
マッドラルドは指を鳴らす。すると次の瞬間には少年とマッドラルドは所憲兵詰め所のマッドラルドの車の中に戻っていた。
空間転移、事前に転移先に印を置くか、緯度経度を指定した上で移動する魔術である。
得意な者ならば目視できる範囲であれば一瞬で行く事もできる。
マッドラルドの場合、緯度経度を計算するか、印をつけた箇所であれば大陸レベルでの移動が可能となる。……パンドラの匣で計算補助をした場合に限るが。
「わ、わ……!」
「魔術は初めてかな、まぁ徐々に慣れていくとしようか」
タフな態度を崩さずにマッドラルドは指を鳴らす。すると自動的にエンジンがかかり自宅へと戻っていく。接触した受付の記憶は消したし、所長は配下に置いたので、後の懸念事項は存在しない。
「ヴィルヘルム、私はマッドラルド=ルーデンス=ヴェンヌという」
「ヴェンヌ……!?」
アルケニアの一地方の名前にもなっているヴェンヌは、アルケニア創設以来の名門である。魔術の大家であり、何人もの執政を輩出しても居る。実際マッドラルドの父であるレオナルドは現帝国の執政である。同時にヴェンヌ領の領主でもあり、教育に特に力を入れているというのは余談が過ぎるか。
兎も角、ヴェンヌのネームバリューは凄まじい、小学生程度の知識でも学校で習う所だ。
このネームバリューが無ければマッドラルドの人生はもう少し平穏だったと思う。
「君のこれからの人生について、話がしたい」
記憶を遡ったマッドラルドは理解している。
ヴィルヘルムが両親や妹と共に誘拐され、怪物達が巣食う世界で家族を全て喪った事を。
しかし、それに言及しないのはマッドラルドの甘さであり、弱さだった。
「私の家で引き取るか、覚醒者の養成学校で引き取るかの二択になる」
覚醒者に対して行われる二つの行動は、囲い込みである。
貴族などは、在野の覚醒者を囲って恩を売り、自らの忠実な部下とする。それが余りに横行し過ぎて皇族の権威が危うくなった為に生まれたのが養成学校であり、こちらは王家に忠誠を誓う感じになる。
という説明をマッドラルドは馬鹿正直にヴィルヘルムに話した。彼も半分程度は理解できたのか、頷いて答える。
「マッドラルドさんに、引き取られたいです」
「判った。まぁウチはあんまりそう強めに恩は売らないから……」
これは権力抗争や内部抗争を嫌うレオナルドの温和な性格故であるが、その穏健な姿勢によって勢力の内外から慕われ執政になる辺り彼も難儀な人物である。
人の良い笑みを浮かべる苦労人な父を想起しつつ、マッドラルドは頷いた。
「その上で、そうだね。事件の事を教えてくれ、言いたくない事は話さなくて良いから」
記憶を盗み見た事を話したくない為、マッドラルドはそうヴィルヘルムに話す。
それは一種の確認でもあったが、同時に家に戻るまでの暇つぶしでもあった。
邸宅まで大体二十分、マッドラルドはヴィルヘルムから話を聞きつつ、頭の中で思案した。
どうやら、ブレイクと彼は、とんでもない事件に巻き込まれたようである、と。
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