第568話 福音書
士郎は、あらためて
傍らには6人のオメガたちがいたから、いかに李軍がこの世の
士郎の決意は、二度と揺るがなかった。
すると突然、李軍が大きな溜息をつく。
「――ふぅ……分かりました――いいでしょう。あなた方の勝ちですよ……確かに神代
ついに……認めたのか――!?
ではこの男は……李軍は一体、何の目的でこんなことを――
「――人類が……滅びの時を迎えようとしていることを、皆さんはご存知ですか?」
李軍が問いかける。だが、そう――それは既に「一度目」の時、オマエとの遣り取りの中で十分に語り合ったことだ。
「あぁ、知ってるさ……そして貴様は、その絶滅に向かう人類を救済するためだと称し、さまざまな遺伝子改変を試みたんだろ? 禁忌を破ってまでもな……」
その途端、李軍はハッとして……そして驚いた様子で士郎を見つめ返した。
「――な……なんでそれを――」
「俺たちには、貴様が考えていることなんてとうにお見通しなんだ」
まぁ、これには少々誇張も入っている。実際にはこの話、一度目の遣り取りの中で李軍本人が語ったことなのだ。士郎たちはただ単にそれを記憶しているに過ぎない。
だが、李軍にとってそれは、恐らく想定外のことだったのだろう。もっとも、今が「二度目」の世界線であることなど、奴は知る由もないだろうが……
よし――そこまで言うなら、この際だからあのことも言ってやろう。そう――「一度目」の時、未来が李軍を見事に言い負かした、あのロジックを……すなわち――
死ななくなった生物は、やがて進化の力を失い、滅びの道を歩むしかなくなる――
だから李軍が進化の究極形として追い求めた『不老不死』『人体再生』の能力は、却って人類の絶滅を促してしまうという、あの話だ。
そして李軍は一度ならず二度までも、その自己矛盾に無理やり気付かされ、そして絶望に頭を抱えるしかなくなるのだ。だが――
李軍はなぜか、何かを悟ったような顔で士郎と、そしてオメガたちを見回した。
「――そうですか……なるほどねぇ……では、これはどうです? 私がそうやって禁忌を犯してまで手に入れた新しい人類の能力が、この先人々にいったい何をもたらすのか……さすがにここまでは、分からないでしょう!?」
ふん――だから知っているというのだ。
「――知ってるさ。貴様が追い求めた不老不死、そして人体再生能力は、却って――」
「人類の絶滅を、早める――ですか」
なにッ――!?
李軍は、士郎が言おうとしたことを遮るように、そして自らそれを言ってのけた。
どういうことだ――!?
奴は、その自己矛盾に発狂し、精神が崩壊するのではなかったのか――
なのに今回はなぜ……自分からそれを朗々と言ってのけたのだ……!?
これでは「一度目」の時と話が違ってくる。李軍は未来に言われて初めて、その矛盾に気付かなきゃいけないのに――
士郎は、愕然として李軍を見つめ返した。すると李軍も、おもむろにその顔を上げる。
「……では、今度はこちらからお訊きしますよ隊長さん。私たち自身、今が“何度目の生”か、ご存知ですか!?」
「は……はぁッ!? 何を言って――」
「あぁもちろん、それは輪廻転生のような話ではありませんよ!? それはもっと別のジャンルの話です。私が今言いたいのは――」
「――私たち自身が、そうとは一切気付かず、何度も生まれ変わっているというの?」
未来だった。堪らず訊き返したのだろう。そう、だってコイツの言っていることは――
「おっとと……ですから『生まれ変わり』の話ではありませんてば。何度も
――!?
どういうことだ!? コイツ……いったい何を……!?
「……では訊き方を変えましょう。真理の樹……いえ、あなた方の言う『因果の螺旋樹』ですかね……なぜその樹は“螺旋”樹と?」
李軍が間髪入れず追い込みを掛けてくる。待て……まだこっちは話が読めていないんだ――
士郎は、話の主導権が完全に奪われたことを察する。
「――もう一度訊きます。なぜ螺旋樹というのですか?」
「そ、それは……」
くるみが堪らず答えようとする。
「……それは、幹が二重螺旋になっているから――」
「そう! その通りです。真理の樹は、その幹が二重螺旋になっているのが特徴です。まるで人間のDNA構造のようにね……」
「…………」
「――さて、ここで問題です。その螺旋構造の幹は、どちらが本当の時間軸なのでしょう!?」
どちらが本当の時間軸かなんて……そんなの、両方に決まってるじゃないか!? だって人間のDNAだって――はッ……
李軍がニヤリと笑った。
「……そう……それはどちらも正しい。どちらも本当で、本物です。ですが、螺旋樹はどこまで行ってもその幹が交わることがない。ま、だから螺旋樹というのですけどね……」
「そ……それがどうした――」
「でも、それっておかしくありませんか!? だって、本来時間軸というのは一本の線で真っ直ぐ繋がっているはずでしょう? だとしたら、幹は二重螺旋ではなく、一本で済むはずだ」
「それは……そうかもしれないが……」
士郎は困惑する。コイツはさっきから一体何を言おうとしているのだ……!?
それは、そんなに大切なことなのか――!?
「ではここであらためて質問です。二重螺旋の片方をAの幹、もういっぽうをBの幹としましょう。いったいどっちが、あなたの生きてきた時間軸なのでしょうか!?」
「そ、そんなことわかるわけが――」
「答えはどっちでもいい――です」
「は――!? ふざけん――」
「ふざけてませんよ!? まぁ、この場合は本当にAでもBでもどっちでもいい。ここで大切なのは、あなたの時間軸は二重螺旋のうちの一方だけに過ぎない、という認識を持つことです」
ま……まぁ、それはそうだろう。なぜ、樹そのものが二重螺旋なのかは知らないが、人間の人生は本来、一本の長い長い路なのだ。
「ではなぜ『因果の螺旋樹』は、ずっと二重螺旋のままなのでしょうか? 答えは簡単です……」
「――どちらも……真実だから……」
未来が呟いた。すると李軍が、あからさまに嬉しそうな顔を見せる。
「えぇ! えぇそうですとも!! その通り、この幹はどちらもホンモノ、そう……真実です。ということは……どういうことだか分かりますか!?」
だが、士郎たちは答えられない。すると李軍は、痺れを切らしたように自ら語り始めた。
「――つまりこの世界は、いつだって表裏一体、ということです。Aという表の幹の時間軸が進んでいる間に、Bという裏の幹の時間軸も進んでいるのです。もちろん、Aにいる我々にはBを認識できないが、逆もまた然り。BはBで、自分たちこそ正統な時間軸だと思い込んでいる――」
まさか……今の俺たちがAという時間軸にいるとしたら、Bにも同じように……俺たちがいる!?
「――タイムリープとは、同じ幹を行ったり来たりするものではありません。Aという時間軸で行き詰まった時、すぐ隣にあるBという幹に意識だけが咄嗟に飛び移るんです。そう――そこであなたの意識は初めてもう一つの時間軸で“覚醒”する。ただしその際注意しておかなければならないのは、決して枝の先端の方――つまり
コイツまさか……
俺たちが今回タイムリープしたことを、既に知っている!? だからさっきの、あの決定的な論破の場面でも、俺たちに先んじて話に釘を刺してきたのか……!?
いや……でもさっきの口ぶりは――
「――タイムリープというのは、私たちが思っている以上に頻繁に発生しています。えぇ、無意識にです。あなたたち、今までの日常生活の中で、アレっと思ったことありませんか? ちょっとした違和感というか、そう……なんとなく昨日までと違うというか……そんな不思議な感覚です」
そう言われれば……今まで何度かそういう感覚に陥ったことがなくもない。それまで殆ど話さなかったような子が、突然話しかけてきたり……ある日突然何かが苦手になっていたり、その逆もあったり……
それって……つまりそういうことなのか――!?
そう言えば、先ほど叶中佐も言っていた――何度もデジャヴを感じたと……あれこそが、タイムリープの典型的な症状だと言っていたな……
李軍が話を続ける。
「――そして、時間軸は常に勝者の側に寄せていく。あなた方の見た真理の樹……いえ、『因果の螺旋樹』でしたっけ……それが螺旋構造のままということは、未だにあなた方の時間軸は確定していない――つまり、今まさにこの瞬間、運命は幾つもの可能性を争って、未だ決着がついていない――ということなのです」
いつの間にか李軍と士郎たちは、“敵と味方”ではなく、この世界の真理を探究する学徒のような面持ちで、お互い向かい合っていた。
「――か、仮にそれがそういうものなのだとして……貴様はいったいどこでそれを――」
「バヤンカラ山脈の、とある古代の遺跡ですよ。そこにそんなものがあるなんて、ご存知ないでしょうけど……」
いいや、知ってるぞ――!?
バヤンカラ山脈――それは、中国西部……いわゆる「西域」と呼ばれる地方のちょうど入口にあたる高山地帯だ。
思い返せば一年前。ハルビンでの戦闘の後、そこでごく小規模な熱核反応が観測されたことから、叶が現地調査に赴いたのだ。その時、巨大な地下洞窟の中に、遺跡を発見したのだという――
そしてそこに、李軍が出入りしていた痕跡を発見したと……だから、コイツがそこに足を踏み入れていたことを、士郎は当然ながら知っていた。
ただ、実際に士郎自身が現地に行ったわけではないから、詳細は不明だ。たぶん、叶に聞けばいろいろ教えてくれるだろうが……
李軍が続ける。
「――その時、その地下遺跡の石室に文字が刻まれていました。えぇ、まるで
李軍はカッとその目を見開いた。
「――私は知ったのです。この世界の真理を……」
「世界の……真理……!?」
「えぇ、そうです。そこに何が書いてあったと思います?」
そんな――突然そんなことを言われたって、皆目見当がつかない。
すると李軍は、勝ち誇ったようにオメガたちを見回した。
「――聖書ですよ……そこに刻まれていたのは、まさに聖書の一節でした」
聖書だと――!?
それって、キリスト教の……あの『聖書』のことか――
そんな馬鹿な――
だってキリスト教の興りは中東の……いわゆるエルサレム周辺のことで……時代だって全然……
「――驚かれるのも無理はありません。それに……厳密に言えばそこに書かれていたのは、聖書そのものというより……その原典なのではないだろうかという、不思議な文章の羅列でした」
「……原典……?」
「えぇ、だってその文章は、文章であって文章ではなかったからです。どっちかというと、ある種の数式といいましょうか……あぁ――もし叶先生がここにいらっしゃれば、一晩中でもそのことについて議論していられるでしょうに……とにかく、その文章的な、あるいは数式的ななにかは、聖書のとある福音書に記されている内容の一部に酷似していた……」
「福音書……?」
「えぇ、イエス・キリストの言行を描いた四つからなる書物群です。中でもマタイ、マルコ、ルカの福音書は、共通する内容が多いとされています。私の見立てによると、これらの福音書がバヤンカラの石室に刻まれていた
そんな――
なぜそんなものが、よりにもよって中国大陸の奥地の山中に……
「――つまり、順番としてはバヤンカラの聖刻文字の方が古い……だから福音書に書かれている内容のオリジナルは、こちらの聖刻文字の方に刻まれている内容を見た方がいいというわけです」
理屈は分かる。当然ながら、より原典に近いほうが、本来伝えたかったことが記されているに違いないのだ。後世の書き写しでは、時代背景に沿って曖昧な表現に差し替えられたり、勝手な解釈が加わって本質が捻じ曲げられたりしてしまう可能性が、常にあるものなのだから……
「――で……結局そこにはなんて書いてあったんだ……!?」
士郎は、極力冷静さを保ちながら李軍に問いかける。残念ながら、この議論の主導権は今や完全に向こう側にある。だが、冷静さを失っては相手の思う壺だ。
すると、李軍は満面の笑みを浮かべ、こう言ったのだ。
「――そこに書いてあったのは、永遠の命を得て、千年王国を築く方法です」
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