第569話 善きサマリア人
永遠の命を得て、千年王国を築く方法――!?
なぜそんなものが、バヤンカラの奥地の地下洞窟に刻まれていたのだ!?
「――それを解明した時、私は大いに驚くとともに、感動すら覚えました。ドロパの古い遺跡に刻まれていた文字が、究極の人類救済計画だったのですから……」
ドロパというのはもちろん、バヤンカラ山脈の中腹に棲む原住民族のことだ。彼らは大人でも身長120センチに満たない小柄な体格をしていて、おまけにその頭部は異常に大きく、せいぜい5頭身といったところだ。さらに彼らの目は、透き通るような深い藍色をしている。まるでオメガたちのように――
「……以前から彼らドロパ族には、この地球に取り残された異星人の末裔ではないかという学説がありました。あまりにも
「――まさかそのドロパ族が、異星人の残したメッセージの守護者になっていたと!?」
「えぇ、そう考えるのが極めて自然です。たとえ彼ら自身が、異星人の末裔そのものでなかったにしても、原住民族との何らかのゲノム混合体であるのは間違いないでしょう。つまり、多かれ少なかれ、異星人の血を引いている。そしてその彼らが大切に守り伝えていたメッセージというのがまさに、キリスト教の福音書に記された内容の原典だった……となれば、聖書のように長年にわたって無数の人々に解釈され、徐々にそのニュアンスを捻じ曲げていったものより、こちらを正確に読み解いた方がより正しく本来の意味を理解するにふさわしいと考えるのは当然のことでしょう」
李軍の顔は、とっくに学者のそれだった。まぁ、士郎とて、ここで無理に話を遮って奴を討ち斃すより、もう少しだけ彼の話を聞いた方がいいような気がし始めている。
「――それで……永遠の命を得るというのは? 千年王国を築くというのは、いったい――」
「そのどちらも、もともとキリスト教の教義の中にあることを、隊長さんはもちろんご存知ですよね?」
李軍が釘を刺してくる。だが、そう言われて士郎は初めて、キリスト教にそんなことが謳われていたことを知った。そうなのか――!?
「おや、その顔は、よくご存じないといった感じですね……いいでしょう。簡潔に申し上げれば、かの宗教の究極の目的は『
李軍はクワとその目を見開いた。
「これには
「新約聖書だけ!?」
「えぇ、キリスト教の本来の原典である『旧約聖書』には、そんなことどこにも書かれていません」
――!?
「新約聖書の中では、40回以上、この永遠の命に関する記述があるのに対し、旧約聖書で触れているのはわずか2回――それも“人間は永遠に生きるものに非ず”と否定的な文脈の中で述べられているに過ぎません」
「それじゃあ、まるっきり正反対のことを言ってるってことじゃないか!?」
「その通りです。旧約聖書において、なぜアダムはエデンの園を追われたのか、ご存知ですか?」
「……確か……リンゴをかじったから……」
「そう、知恵の象徴である、リンゴの実を齧ってしまった……ですが、追放の理由には、本当はもう一つあります。アダムはリンゴの実に続き、もう一つの実を食べようとした。それこそがまさに『命の木』に成っていた『永遠の命』の実です。神はアダムがそれを食べることを、なんとしてでも阻止しようとした。それがエデンの園追放の真実です」
そうだったのか……それで――
「その時神はこう心配したといいます。“アダムが命の実を食べてしまえば、永遠に生きる者となる恐れがあるのだ”と――」
「永遠に……生きる者……」
「そうです。『永遠に生きる者』とはすなわち『神』であること。アダムは普通の人間であり続けることを不満に思い、自らを創造した神になろうとしたのです。いっぽう神にとってそれは、耐え難い背信、身の程知らずの振舞いでした」
士郎は、その逸話が意味するところの、裏の意味を重ね合わせて愕然とした。
ここでいう『神』をシリウス人、そして『アダム』を地球の先住人類と言い換えれば、それはまさに、以前広美ちゃんやウズメさまに聞いたことと極めて酷似する――
「――キリスト教の最も古い原典、『
「……それが……新約聖書ではまったく逆の概念になった……」
「えぇ、これは極めて著しい落差で、とても重大なことを意味しています。旧約では神と人間はまったく異なる存在でしたが、新約では人間は少しでも神に近づくべしとした……」
「なぜそんなことが……?」
「本来の原典に、それが記されていたからです」
「それってまさか……」
「えぇ、その通りです。バヤンカラの石室には、永遠の命に関する記述がしっかりと刻まれていました。恐らく旧約聖書は、そのあまりにも衝撃的な内容に、これを禁忌としたのでしょう。人間は、決してこれに触れてはならないのだと……」
「……だが、真実は隠しおおせるものじゃない……」
「そうです。だから新約聖書では、もともと原典に刻まれていた内容が、大幅に改変されたうえで、それでも雰囲気だけは復活した。そう――永遠の命を求めるには、神に近づけと……」
「――だから新約聖書は、死後復活したとされるキリストの言動、振舞いを学ぼうとしたのか……」
「えぇ、そうでしょうね……新約聖書の大半は、キリストの言行録ですから。でも、そんな中にちょいちょいヒントが出てきます。それが、このバヤンカラの石室に刻まれていた文字を解読することで、ようやく分かったのです」
「――というと……?」
「たとえば……バヤンカラの石室には、永遠の命を得る方法の一つとして『汝の隣人を愛せよ』と刻まれていました」
なんだって――!?
その言葉は、キリスト教信者でない士郎ですら知っている、かの宗教における有名な教えだ。
「――そして同時に『自分にとって隣人とは何者か!?』ということさえ定義づけられていました。それこそがまさに、新約聖書中の『ルカによる福音書』10章25節から37節に記されていた問答とそっくりだったのです」
「……そ、それって……」
「えぇ、善きサマリア人のたとえ話ですよ」
――!!!
善きサマリア人――
それは、イエス・キリストが語ったとされる、隣人愛と永遠の命に関するたとえ話である。
『サマリア
さて、この『善きサマリア人のたとえ』というのは、簡単に言うとこういう話だ。
ある律法学者が『永遠の命を得るためには何をすればよいか』とイエスに問うたという。するとイエスは答えた。『心を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、そして神を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい』と――
すると再び律法学者が『では、隣人とは誰のことか』と問うた。これに対しイエスは、たとえ話をしたのだという。それがこの『善きサマリア人のたとえ』だ。
たとえ話はこう始まる。
ある人がエルサレムからエリコに下っていく途中、強盗に遭った。強盗どもはその人を襲い、衣服を剥ぎ取り、半殺しにしたままそこに打ち捨て、逃げ去ったという。
そこに祭司とレビ
ちなみにエリコの町は多数の神殿が建つ「祭司の町」として有名で、普段から市内には多くの祭司が行き交う街だ。いっぽうレビ人というのはイスラエル十二支族のうちの一部族で、もともと祭司に相応しい役割を担っていた者たちだ。イエスの時代、レビ人たちは、細分化した儀式を執り行う祭司の助手を務める下働きとして知られていた民族。
つまり、どちらも普段は、人々に優しく奉仕しなさいと説く側の人々だ。
そんな人々が、この強盗に襲われた不幸な人の傍を通りかかるのだ。
すると祭司もレビ人も、この人を見て道の反対側に移り、そのまま通り過ぎたという。
ところがそこにサマリア人が通りかかった。そう――普段は誰もが忌み嫌う、身分の低い被差別民の男だ。
このサマリア人は、強盗に襲われた不幸な人を見かけるとただちに駆け寄り、傷の手当てをし、持っていた食べ物を分け与えたのだという。そして宿屋に運び込むと、その主人にお金を渡して彼の世話を頼んだのだそうだ。
このたとえ話をした後、イエスは再び律法学者に尋ねた。果たして誰が、この不幸な被害者にとっての隣人だったのかと――
律法学者が「助けた人です」と答えると、「行って、あなたも同じようにしなさい」とイエスは言ったのだという――
ちなみにこの時、律法学者がわざわざ「助けた人」と表現したことにも、当時の苛烈な差別意識が読み取れるのだそうだ。彼は、不可触賤民であるサマリア人の、その名を呼ぶことすら忌み嫌ったのだ。
だがそれでも、律法学者はその不可触賤民こそが、本当の隣人愛を発揮した存在であることだけは認めたところに救いがある。だからイエスは彼に可能性を感じ「行って、同じようにせよ」と説いたのだ。
「――この話には、実に多くの含意があります」
李軍が口を開いた。
「旧約聖書を信奉するカトリック信者にとって、それは『仁慈と憐みを必要とする者なら誰でも助け、愛しなさい』とするものであり、新約聖書を信奉するプロテスタント信者にとっては、それは『善行云々ではなく、ユダヤ教的、キリスト教的律法主義の誤りを論破するためのひとつの例示である』とされています。さらに、近代の黒人解放運動論者に言わせれば、それは人種差別の愚かさを説く一例だとされています」
確かに、この『善きサマリア人のたとえ』というのは、広く西洋諸国では知られた逸話だ。欧米では、このたとえ話をもとにした法律すらある。すなわち――
“窮地の人を救うために善意の行動をとった場合、その救助方法に重大な過失がない限り、結果責任は問われない”とされる、いわゆる『善きサマリア人の法(Good Samaritan Law)』という法律だ。
「――ですが、この話の元となったドロパの石板には、別に『サマリア人』だの『祭司』だの『レビ人』だのという人々は登場しません。そこに刻まれていたのはただ、自らと異なった存在であっても助けなさい――という言葉だ……」
――!!!
その瞬間、士郎はすべてを理解した。そうか――
ここでいう『サマリア人』とは、自らの母星を失う運命だった、シリウス人のことだ――!
そのシリウス人は、地球という、母星とよく似た天体に移住を図ろうとしていたことを、士郎は知っている。
「――神々は、隣人を愛することこそが、神々への道……すなわち永遠の命への近道だとハッキリここに記しています。なのに我々は、この21世紀も終わろうとしている現代、数十年に亘って実際に刃を交えている……」
確かにその通りだ。日本と中国は、古くは元寇の時代から、近代だって日清戦争、日中戦争と、事あるごとにいがみ合ってきた。冷戦時代だって、米中戦争の折だって、日本は常に米国側につき、当時の共産中国と戦い、そしてつい最近まで大陸の軍閥どもと角逐を繰り広げてきたのだ。
「だから私は最初、長年の宿敵である日本を屈服させようと努力していました。でも違ったのです。ドロパの遺跡には、その逆のことが書いてあった――つまり、敵でもあるが隣人でもある日本と和解し、良き隣人として過ごせと……それこそが、永遠の命を得る唯一の道だと……」
なら……なら今すぐこの戦争をやめればいいじゃないか――!?
士郎は憤る。
「――でもね……隣人同士仲良くするには、一方だけがそう思っても駄目なのです。お互いが同じ認識に立たないと、それは永遠に実現しない」
「……それじゃあまるで、俺たち日本人が悪いみたいじゃないか!?」
それはないだろう……だって、この戦争を仕掛けてきたのは、明らかに貴様らのほうじゃないか――
我々は、愛する国と人々を守るため、必死で戦ってきたに過ぎないのだ。
コイツは、いつの間にこんな善人
「――いえいえ、私は別に、今さら善人面なんてするつもりはありませんよ!? 私の解釈はこうです。隣人を愛せというのは、隣人の築き上げてきたことを認めよ――ということだと……」
「俺たちの……築き上げてきたこと……!?」
「えぇ、それこそが、ヒトゲノムの新しい地平――すなわちオメガ研究のことですよ」
なんだって――!?
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