第567話 死のループ

 どういうことだ――!?


 叶は驚愕する。李軍リージュンはあの時、今度こそ討ち取られたのではなかったのか――

 だが、叶の傍にいた髙木が空気を読んで口を挟んでくる。


「――あの敵将ですよね……昨日石動いするぎちゅ……いえ、少佐と未来みくさんがこちらの世界に転移してきた時、しきりに気にされていたのです。敵の総大将を見なかったかと……」

「……それって……転移の際、奴の死亡を確認できなかったということですか!?」


 叶は困惑して訊き返す。なんだ……大和の砲弾が大爆発を起こしながら派手に転移したというから、てっきり奴も死んだものだと勝手に解釈していたが、そういうわけではなかったということか――


「えぇ……石動少佐と未来さんが、いの一番に聞いてこられたのが、その敵将の安否でした。自分たちと一緒にこの世界に転移してきた敵の総大将がいるはずだと……ソイツの死亡を必ず確認しなければならないと……それで、自由日本軍も結構人手を出して周辺の捜索を行ったのです。ですが、ついにその敵将死亡を裏付ける痕跡を見つけることができませんでした。まぁ、戦闘の真っ最中でもありましたから、そもそも徹底的な捜索ができなかったというのもありますが……」


 なるほど……

 どんな戦争だって、その最終局面において敵総司令官の安否を確認するのは当然のことだ。戦国時代などは、最終的に敵将の首級を上げ、戦場にその御印を高く掲げることで「いくさが決着したこと」を敵味方両軍に高らかに宣言したものだ。

 そして、これが明白にならない限り、敵の脅威はいつまでも残る。


 本能寺の変で討死したとされている織田信長の遺骸はついに見つからなかった。そのせいで、現代に至るまで信長はある種の偶像化している。時に魔王と呼ばれ、時に日本史を裏で操っていた黒幕とされ――

 ナチス第三帝国の首領、アドルフ・ヒトラーも、その最期を明確に確認できなかった人物の一人だ。おかげでナチスは南米に亡命政権を密かに立ち上げているとまで噂される始末だ。ネオナチの台頭も、ヒトラーが生き永らえていたという俗説に裏打ちされていた部分があったりする。


 そういう意味では、石動君も当然、一緒に転移してきた李軍の安否を確認したかったはずだ。そして見つからなかった――


 その李軍が、よりにもよって今、目の前にいるのだ。彼が激昂しないわけがない――


 いっぽう士郎は、既に李軍に向かって脇目も振らず突貫していた。もちろん未来もだ。

 騒ぎを聞きつけたオメガたちも、慌ててその後を追う。


 ガキィィィン――!!!!


 士郎の振り下ろした軍刀が、李軍の下半身にぶち当たり、派手な火花を散らす。その部分は相変わらず、例の壺状の機械のままだ。


「――やぁ隊長さん……神代未来も……またお会いしましたねぇ」


 斬りかかられた李軍はといえば、驚くべきことにマトモだった。転移直前までの、あの薬物中毒患者のような支離滅裂な会話は、いつの間にか鳴りを潜めている。


「――貴様ッ! 李軍、なぜだッ!?」

「なぜだって!? それはもちろん、私をリセットしてくれたからですよ!? おかげさまでホラ、私はもうすっかり元通りです。ピンピンです」


 な……何を言っているのだ――!? 俺たちがコイツを……そんな馬鹿な――!?


「――リセット!? 元通り!?」


 士郎は、思わず素になって疑問を口にする。すると李軍は、まるで睥睨へいげいするかのように士郎と、そして隣の未来を見下ろした。

 もともと李軍の下半身は小型車並みの大きさの機械だ。奴の上半身はその上に乗っかっている。だから、同じ高さの地面に立った状態だと、どうしても奴が士郎たちを見下ろすかたちになる。


「えぇ……だって、あなた方は昨夜の転移の際、私の時間を巻き戻してくれた。まだ致命傷を負う前のね……」

「転移すると……時間がリセットされるとでもいうのか!?」


 士郎は困惑を隠せない。李軍はニヤリ――とその顔を歪ませた。


「もういい加減気付いてくださいよ……あなた、に触れたのでしょう!?」

「真理の樹――まさか……あの『因果の螺旋樹』のことか――」


 それは、士郎の時間感覚でいうとほんの少し前、咲田広美に導かれて足を踏み入れた『次元の狭間』にあった“時の流れを司る巨木”のことだ。

 想定外に未来を死なせてしまった士郎は、その巨木にまだ宿っていた彼女の魂を見つけ、本来在るべき枝――つまり「本来彼女が進むべきだった未来」に乗り移るよう、その樹木の一部を剪定したのである。

 おかげで士郎たちは、未来がにまでその時間を巻き戻し――すなわちこの現象こそが「タイムリープ」だ――要所要所でその分岐点の選択を何度もやり直して、そしてようやく今回「新しい」世界線を進むことが出来たのだ。

 いま未来が隣にいるのは、その必死の再選択の賜物だ。


 だが、それと李軍の「リセット」に、いったい何の関連があるというのだ――


「ほぅ……あなた方は、そう呼んでるんですね……まぁいい。呼び方なんて、国や文明によって異なるのが普通ですから……いずれにせよ、今のあなた方にはがあるんですよ。ま……私にとっては実にありがたい限りですな」


 それって――

 俺自身が、ということなのか……!?


 だって『因果の螺旋樹』は、本来その人が在るべき、あるいは進むべき道を選び直すことができる、唯一の仕組みだ。そこで自分は、実際に未来みく未来みらいを操作した。


 その時点で、俺には未来みらいを操作できる何らかの力が備わり、そして――その能力の無意識の発動によって、俺は李軍が本来進むべき世界線を、そうと知らずにいつの間にか選択したとでもいうのだろうか――

 じゃああの転移は……


 士郎の全身から力が抜ける。

 それは、先ほどの転移に伴うバラバラ感覚よりもさらに辛い、どうしようもない分裂感だった。身体中のありとあらゆる細胞が粉々に粉砕されたような気さえして、手にも脚にも、どうしてだかまったく力が入らないのだ。

 士郎はやがて、その場に膝をついてしまう。


 だが、そんな士郎に優しく寄り添ってくれたのは、やはりこの女性ひとだった――


「――士郎くん……大丈夫、落ち着いて……」


 そう言って未来は、士郎の肩にそっと手を置く。

 そしておもむろに口を開いた。


「――李軍……そろそろあなたの本当の目的を吐きなさい……あなた本当は、日本軍との勝敗なんて割とどうでもいいと思っているのでしょう!?」


 その途端、李軍の眉がピクリと動いた。


「……おや……どうして今さらそんなことを仰るのです?」

「どうしてって……そんなこと、あなたの行動を見ていれば分かるわ。だって、向こうの世界でもこちらの世界でも、あなたは中国軍をまさに使い潰した……それは、決して戦場での勝利を望んだものと思えないもの……」


 確かに未来の言う通りだ。李軍は、二つの次元世界をまたにかけ、両方の世界の日本軍と戦っていた。だが今や、李軍の半ば私兵と化して戦っていた中国軍は、そのどちらの世界においても日本軍との戦いに敗れ、ほぼ壊滅している。

 これは、ただ単に軍事力として日本軍が常に彼らを圧倒していたからなのか……それとも――


「――私がわざと負けた……とでも!?」

「そうは言ってません。我々は強いから、素で戦ってもあなた方には絶対勝てると確信しています。ただその負けっぷりが、あまりにもぞんざいなのは以前から気になっていました……」


 李軍はニヤリと笑った。


「――それで? 私がわざと日本軍に負けることで、いったい何のメリットが!?」

「そんなの簡単です。私たちのでしょう!?」


 ――ッ!?


 士郎は、その可能性に愕然とする。確かにオメガたちは、李軍率いる中国軍との戦いの中で、窮地に陥れば陥るほど、その無限の可能性を新しく示してきた。ここまでの道は、まさにオメガたちのだ。

 かくいう士郎だって、覚醒して“げき”としての役割を果たすようになったのは、言ってしまえば李軍の攻勢が引き金た。


 だが、そうやって自分に敵対する勢力の力を引き出すことで、いったい李軍自身には何のメリットがあったというのだ――!?

 結局こうやって、敗軍の将として追い詰められただけだ。元の世界での戦闘の最終局面だって、李軍は必死で我々に抗い、そして最後には無様にも命乞いをし、落ち延びようとしたではないか――


「……ふふん……」


 李軍は微かに笑ってみせた。それは……肯定なのか、それとも否定なのか――


「――結局永遠の命なんて……手に入れようと思って手に入れられるものではなかった……ということでしょうなぁ」


 李軍が唐突に語り始める。なに……? いったい、何の話だ――!?


 士郎は知っていた。このの世界線において、李軍は未だ、未来みくから引導を渡されていない。一度目の時、確かに未来は、李軍の自己矛盾を突き、奴を追い詰めたというのに!

 そう――それは、「永遠の命」についての遣り取りの際の話だ。


 あの時李軍は、生物進化の究極の目標は『不老不死』であると言い切った。そしてそのためにこそ、今まで自分はDNA研究に生涯を費やしてきたのだと――

 だがその際未来は「永遠の命は生物の自然淘汰の力を失わせ、そしてその当然の帰結として、生物の進化は止まる」と言い切った。


 すなわち、進化を望む者は、永遠の命を、と――


 進化の黄昏期に入った人類を救済するのだと息巻いていた李軍が、自己矛盾に陥った瞬間だった。そしてそのことが、奴の錯乱の一因になったのは間違いない。


 ところがこの世界線では、まだその遣り取りを交わしていないのだ。士郎が一度目と異なる分岐を意図的に選んできたのだから、それは当たり前だ。


 確かにあの遣り取りは、李軍の自信を根本から叩き潰す、いい話だったと士郎は思っている。だから本当は、この二度目の世界線においても同じ話を李軍に喰らわせてやりたかった――というのは事実だ。


 だが、あまり瀬戸際まで新しい分岐を躊躇うと、二度目の今回もまた、未来が命を落とす分岐に間違って入りかねない――

 それは『因果の螺旋樹』で広美ちゃんも敢えて助言してくれた、極めてリスキーなやり方だ。


 だからこそ士郎は、ほんの少しだけゾっとしたのである。まさか――


 回り回って元の分岐に……、戻ったんじゃないだろうな――!?


 運命というのは、自己修復機能があると聞いたことがある。

 たとえいくら死を回避しようとあがいても、結果的に死ぬ運命にある人は、どうやったって結局「死への道程」に引き戻されてしまうのだと――


 一度死神に見初められた人間は、何をしたってその“死のループ”から逃れられないのだ――


 そして目の前のこの男は、今明らかに「一度目のルート」に戻るキッカケの話を始めている!?

 だって、そうじゃなければいったいなんのために、今さら「永遠の命」についての話を始めたのだ……!?


 そんな士郎の懸念を知ってか知らずか、李軍は話を続ける。


「――だって現に、私の自信作バケモノことごとくあなた方オメガによって斃されてしまった。奴らは強力な自己再生能力を持っていたにも拘らず、あなた方の圧倒的な力によってねじ伏せられ、そして二度と再生することなく最終的に切り刻まれてしまったのです。やはりニセモノは所詮、ニセモノということでしょうか……」

「……何が……言いたい……!?」


 士郎は呻くように呟いた。だが、そんな士郎の動揺を、未来は制する。彼女は士郎の手にそっと触れると、耳元で囁いた。


「――大丈夫……私を信じて……」


 その姿を周りで見ていたオメガたちは、その時唐突にふっと思った。今の二人は……まさに『比翼連理』そのものだ――

 それぞれ片眼、片翼しか持たない仲睦まじい二羽のつがいの鳥は、お互いを支え合いながら、それでも果敢に大空を飛んでいるのだ――


 自分たちも、そうありたいと強く思った。だから当然、オメガたちは未来に倣って、石動士郎という男を支える。

 くるみが、士郎のもうひとつの腕に触れた。


「――士郎さん……私もついています。どうか、気持ちを強く持って……」


 すると今度は久遠が、士郎の胸にそっと頬を寄せた。


「士郎……私もいるぞ。いつだって、私がこの手で士郎を守ってやる」


 ゆずりははもっと大胆だった。士郎の顔に頬ずりし、上目がちにそっと士郎を見上げる。


「士郎きゅん、大丈夫……あんな奴、みんなでやっつけようね」


 小柄な亜紀乃は、士郎の腰のあたりからギュッとその腹に手を回した。彼女にしては随分積極的だが、それは見方によっては、子供が父親――あるいは年の離れた兄――に甘えるような姿勢と見えなくもない。


「――私だって、士郎中尉を守りたいのです」


 そしてかざりも……彼女はいつの間にか、出会った頃の無邪気で元気な女の子に戻っていた。士郎の背中からぴょんと飛びつくと、いつの間にかおんぶのようにその両腕を士郎の首に回していた。


「私もいるんだからねっ!? いつだって私が守ってあげる」


 気が付くと、李軍の目の前には、士郎とオメガたちがひとつになって対峙していた。そう――貴様がどんなにこの世界を「死のループ」に引きずり戻そうとしても、無駄なのだ。

 どんな理屈をこねようが、この戦いはもうすぐ終わる。そして貴様は今度こそ、終焉を迎えるのだ――

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