第545話 ラプラスの悪魔

 突如として突入してきた複数のドロイド兵たちは、あっという間に半機械体の李軍リージュンに取りつき、みっちりとその全身を覆い尽くしてしまった。辛うじて見えるのは、頭部だけだ。


「なッ!? 何のつもりだッ!! これはいったいなんだッ!?」


 あまりにも突然のことに、李軍が完全にパニックを起こす。だが、その小型車大の壷状の下半身も、それまで自由に動かしていた上半身、それから両腕も、今やドロイドたちにガッチリ押さえ込まれ、ピクリとも動かすことができない。しかも――


 つい数瞬前、またもや強烈な閃光を発しかけていたあの腹部スロットも、何重にも折り重なるように貼り付いたドロイドたちに覆い隠され、完全にその効力を失っていた。

 いや――もともとその光自体に何らかの効果があるかどうかはまったく不明だったのだが、とにかくさっき李軍がやらかそうとしていた何かは、いずれにせよ完全にその動きを封じられたというわけだ。

 もちろん、その場にいたオメガたちも、突然の成り行きに目を丸くしている。


「――第一段階フェーズ1をコンプリート。少佐、それでは私の解析デバイス、ご自由にお使いください」


 その途端、森崎は叶の真向かいに立ち、少しも躊躇することなく自らの戦闘服の胸のあたりを両手でガバとはだけた。


「あ、ちょっ……!」


 反射的に顔を背け、手で顔を覆った士郎だったが、「ん?」と不思議そうにしている叶と森崎に気付き、恐る恐る元の姿勢に戻る。すると森崎が、あ――と何かに気付いたような顔で、少しだけ微笑んだ。


「――中尉、大丈夫ですよ。別に肌を露わにしたわけではありません」


 ドロイド兵の外見は、日本軍の場合、大半が「女性型」だ。以前少しだけ触れたことがあるが、これはかつて、月面基地で米宇宙軍のドロイド兵部隊が叛乱騒ぎを起こしたことに由来する。

 多くの人間が、この事件によってドロイド――というか「人工知能体」全般に生理的な恐怖を抱くようになってしまったのだ。


 以来、特に米国においては、長い間新しいドロイドの開発が中止されてしまったし、十数年後ようやくそれが解禁されてからも、ドロイドをそもそも「人型」にすることを、彼らは躊躇しはじめた。

 だからかの国では、今やドロイドといえば無機質な機械の塊か、せいぜい「動物型」、あるいは用途に応じて「ビークル型」や「飛行型」などが大半を占める。ごく僅かな割合で存在する「人型」ドロイドも、すべて「男性型」だ。


 その点、日本ではこの事件以降も引き続き「人型」ドロイドの開発が何の問題もなく進められていった。その理由は主に二つある。

 一点目は、ドロイドたちに対するイメージの問題だ。そもそも米国月面基地のドロイド叛乱を鎮圧したのは、同じ月面基地を共同開発していた日本のドロイドたちだった。だからドロイドたちは、日本においてはむしろ献身的で忠実な印象をより一層高めることに成功した。鉄腕アトムから始まった日本人のロボット性善信仰は、この事件を機にさらに強化されたといえるだろう。


 もう一点目は、経済的な問題だ。宇宙開発は基本的に「人間」がそこで作業する前提で、すべての機械類・設備類・装置類が設計開発されてきた。だから、人間の「代用」や「補助」を行うドロイドの形状は、もとより「人型」が最も合理的なのである。

 仮に叛乱を起こした一部のドロイドが「人型」だったからといってそれを忌避し、それら関係設備をすべて新しい形状のドロイドのために手直しすることになったとしたら、その途端に莫大な予算と時間が必要となる。

 しかし我が国は、既存の設計方針を途中から全面的に変更するだけの資力を持たなかった。宇宙開発に関して、米国ほど潤沢な予算を持っていなかったからである。


 だがそれらの事情も今となっては、こと日本国に関してはむしろプラスに働いたのかもしれない。今や日本は「人型ドロイド」の開発運用において、世界一の技術力と運用実績を誇るようになったのだ。


 そんな中、我が国が経験上獲得した設計思想こそが「ドロイドの外見は女性を基本とする」という考え方だ。

 女性外見は、無意識のうちにドロイドに対する人々の警戒心を緩めるからだ。技術的特異点シンギュラリティを突破し、既に自我が芽生えていたドロイドたちにとっても、それはいろいろな意味で好都合だった。


 彼女たちが活躍する宇宙開発や軍事の世界においては、21世紀も終わろうとするこの時代にあっても、依然男性優位社会である。そんな中で「女性型」のドロイドたちは、基本的に男たちから大切に扱われる存在であり続けたというわけだ。


 そして、極限までその品質を高めていた日本製ドロイドは、今や細部に至るまで限りなく生身の女性に近い外見を有していた。

 だからこそ、森崎がその胸をはだけた時、士郎は激しく戸惑ったのだ。


 だが――

 目の前の森崎が何の躊躇もなくガバッとはだけたその胸の部分には、豊かな乳房ではなく、とてつもなくメカニカルなデバイスが剥き出しになっていただけだ。

 それは、もともと宇宙駆逐艦『いかづち』の気象長まで務めていた森崎らしく、彼女の中にもともと埋め込まれていた、極めて高精度な観測解析デバイスだ。

 今から叶はこのデバイスを用いて、あることをしようとしていたのだ。


「――す……すいません。取り乱しました」

「いえ――」


 ちなみに、その様子を見ていた他のオメガたちが、思わず自分の胸をぎゅっと掴んで何事か考え込んでいたことに、士郎はまったく気づいていない。ともあれ――


 事態は相変わらず切迫していた。

 突然その動きを封じられたことで激昂した李軍が、今度は何をしでかすか……その緊張感は、むしろ先ほどより高まっているかもしれない。


「おのれッ――!!」


 苛立ちが最高潮に達した李軍が、獣のように叫ぶ。すると、またもや先ほどの閃光が、折り重なるドロイドたちの隙間から幾筋も漏れ出てきた。追い込まれた李軍が、さらにその能力発動にブーストをかけたのだろう。途端――

 今度はドロイドたちの顔面や腕の一部――つまり、肌が露出しているところだ――に、何かの集積回路のような無数の筋が浮き上がってくる。彼女たちの胎内を走るさまざまな回路が、その人工皮膚から透けて光っているのだ。

 その様は、まるで古代の日本人のようだ。古代中国の史書『魏志倭人伝』にもある通り、当時の日本人はみな、身体中に無数の刺青を入れていたと伝えられている。


「な……何が……」

「始まったな――」


 叶が思わず呟いた。すぐに、目の前にある森崎の胸――ではなく、観測解析デバイスに視線を落とす。そこには、ホログラフィ表示された幾つもの数値ゲージと、何かのオシロスコープのような画像が間断なく映し出されていた。

 叶はその画面を淀みなくタップし、次々に操作していく。何か調べているのだろうか――


「――ほほぅ……」

「な、何だというのです!? 叶先生! アナタいったい何を――」

「いえ、少しこの機械――いや、今やこれ自体、あなたの身体なのでしたね――のことを調べていただけです。なにせとは、ただ事じゃありませんからな」

「そ――そんなことをしても、む……無駄ですよ!? こんな短時間で何か分かるわけがない――」

「ご心配なく――このドロイドが搭載している量子AIは、アナタの想像を絶する性能を誇ります。もちろん詳細は軍事機密ですけどね」


 叶はすこぶるゴキゲンだった。これほど切迫した状況下で、こんな表情ができるのはもちろん叶だけだろう。それは、彼の研究者としての本能がそうさせているに違いない。

 だが、そんな叶の醸し出す雰囲気のおかげなのか、士郎やオメガたちは次第に平常心を取り戻し始めた。本来兵士というものは「心は熱く、頭は冷やして」事に臨むべきだ。ようやく自分たちが冷静になりつつあることを、オメガチームは実感する。

 よし――ここからあらためて、仕切り直しだ!


「――解析完了しました。第二段階フェーズ2に移行」


 胸のデバイスをいじられながら、森崎が抑揚のない声で淡々と報告する。途端、李軍に貼り付いたドロイドたちの目が、チカチカと反応しはじめた。

 これは……つい先ほど通路で森崎が部下たちに指示していた時と同じ反応だ。非言語による何らかの個体間通信か、あるいは別の何かの処理を始めたのだろうか――?

 いずれにせよ、森崎がこの十数体のドロイドたちを群体制御しているのは間違いなさそうだった。


 次の瞬間、その答えはすぐに判明する。

 ドロイドたちが、次々に連結を始めたのだ。両手の指先から、まるでイソギンチャクかクラゲのようにウネウネとした脚のような触手のようなものが出てきたかと思うと、同じようにそのウネウネを伸ばしてきた隣の個体と先端部を連結する。やがてドロイドたちは、各個体がさまざまな組み合わせで縦横無尽に連結されていった。

 そう――それは物理的連結だ。その様はまるで、脳細胞の神経突起ニューロンそのものだった。ということは、この塊はまさしく『集合脳』とでも言うべきものなのだろうか――!?


 本来ドロイドたちは、無線通信でも高速大容量のデータ交換を十分行えるところ、わざわざこのように物理的にインターフェースの連結を始めたということは……


「中尉、今から量子アクチュエータを起動する。力比べだッ!」

「え――!?」


 その瞬間、連結されたドロイドたち――巨大な『集合脳』――が、一斉に何か帯電したように見えた。その輪郭が、ボゥッ――と青く輝く。


「――ふ……ふざけるなッ!! こんなことできるわけが――」


 李軍が慌てふためいて騒ぎ立てるが、ドロイドたちは容赦なかった。


 ジジジジ――


 古い誘蛾灯のノイズのような、低く小さな音が、辺り一面に重く響き渡る。すると李軍の腹部スロットから漏れ出ている閃光が、次第に赤色に染まっていった。

 ドロイドたちの青光と、李軍の発する赤光が、まるでお互いの輝きを競い合うかのように、空間で激しくぶつかり合う。


「ぐぬぬぬぬぬ――」


 李軍が真っ赤な顔をして。彼は彼で負けじと、途轍もない“思念”を自らの量子エンハンサーに送り込んでいるのだろうか。それにつれてさらなる閃光が空中に迸るが、それと殆ど軌を一にして、ドロイドたちの青光もさらにその輝きを増す。


「少佐、これはいったい――」

石動いするぎ君……見ての通りだよ。ドロイドたちの心臓部である量子コンピューターを並列に連結し、この怪しげな装置から放出される量子エネルギーに逆位相をかけて中和しているんだ」

「逆位相で……中和……」

「あぁ、原理はいたって簡単だ。ただし、その波長と粒子の動きを完全に計算して、そこに完全に合致するマイナスベクトルをかける必要がある。森崎大尉の性能がなければ、到底成し得ない計算だよ」

「完全に……計算して……」


 そんなことができるのだろうか……

 だって、それは途轍もない計算だ。すべての量子の挙動を計算して、コンマ秒後の未来位置座標を弾き出し、そこに正確に逆ベクトルを叩きつけるなんて……

 そんなことができるのは、アレしかない。


 ラプラスの悪魔――


 それは、18世紀フランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された、数学的概念のことだ。ラプラスは言った――


「もしもある瞬間におけるすべての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来みらいも(過去同様に)すべて見えているであろう」

                   ――『確率の解析的理論』1812年――


 つまり、物理学の法則にしたがえば、どんな物質の未来みらい位置も予見できるのであるから、この世界がn秒後にどのようなかたちになっているのか、計算によって完全に把握できる、としたのである。


 もちろんそんなことは、事実上不可能だ。そもそもこの世界に存在する無限の量子の力学的状態を瞬時に完全に把握することなどできないし、もちろんn秒後にそれがどうなっているかなど、瞬時に計算できるわけもない。所詮そんなこと、人間には不可能なのである。

 もちろんラプラス自身も、それはあくまで架空の「超越的存在」だと考えていたし、そのような存在のことを彼自身はただ単に『知性』と呼んでいた。

 だが、いつしか人々は、その『知性』のことを『ラプラスの悪魔』と呼ぶようになった。そんなことができるのは、まさに悪魔だと考えたからである。


 森崎大尉が構築したこの『集合脳』は、まさに――


「そ……それで、もし中和に成功したら、どうなるんですか!?」

「当然だが、量子使いクォンタムハンドラーとしての李軍の能力は、限りなく減退する。そうすれば、今奴に捕らえられている未来みくちゃんにも、何らか抗う術が生まれるだろう」

「そういうことか――!」


 さすが叶だった。この極限状況の中で、よくぞそこまでの対抗プランをこの短時間で思いついたものだ。


「それに、実はもうひとつ秘策を用意してあるんだ」

「え? 秘策ですか!?」


 だが、その言葉を掻き消すように、突如として大きな衝撃音が響き渡る。


 ガリガリガリ――ビリビリビリビリッ――


「うわ――」

「きゃあァァッ!?」


 突然のことに、士郎とオメガたちは思わず悲鳴を上げる。それはまるで、高圧電線に触れたかのような衝撃だった。

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