第546話 六芒星

 森崎が構築した集合脳『ラプラスの悪魔』――

 それは、李軍リージュンが作った量子増幅装置エンハンサーの働きを、見る間に中和していく。


 さらに叶は、もうひとつ秘策を用意しているのだと言う。まさに総力戦――叶はこの戦いを、勝負どころと踏んだのだ。


 だが突如として、辺り一帯に大きな衝撃音が響き渡る。


 ガリガリガリ――ビリビリビリビリッ――


「うわ――」

「きゃあァァッ!?」


 突然のことに、士郎とオメガたちは思わず悲鳴を上げた。それはまるで、高圧電線に触れたかのような激しい衝撃だ。

 その衝撃に耐えかねたのか、『集合脳』を形成していた数体のドロイドが吹き飛ばされる。


 バンッ――!!!


 弾かれるように吹き飛ばされたドロイドたちは、そのまま床に叩きつけられ、数回痙攣したのち白煙を上げてそれっきり動かなくなった。関節の各所からプスプスと火花を散らしているところを見ると、完全にショートしたのだろうか。


「くそ――」

「ただちに修復します」


 森崎が無機質な声で応答すると、『集合脳』構築に参加していなかった周りの他のドロイドたちが、ただちに抜けた穴を埋めに入る。そうか……彼女たちは予備要員だったのか――

 だとすると、あらかじめ何割かはこうなることを想定していたわけだ……士郎の胸がキュッと痛みを覚える。みんな必死で、この魔王に立ち向かってくれている――!


 それから何度か、バンッ――と弾かれてはバックアップが穴埋めに入るという“補充”が繰り返された。既に5、6体のドロイドが、シュウシュウと白煙を立ち昇らせながら、あちこちに斃れている。まさに損害覚悟の、捨て身の作戦……

 その時だった――


第二段階フェーズ2をコンプリート。続けて第三段階フェーズ3へ移行」


 不意に森崎が、抑揚のない声で告げる。叶が「うむ」と頷いた。

 次の瞬間――


 それまで折り重なるように李軍に貼り付いていたドロイドたちが、ビクンッ! ビクンッ! とその全身を震わせた。集合脳『ラプラスの悪魔』が、ぜん動を始める。刹那――


「ぎゃあァァァァッ――!!!」


 これは……李軍の悲鳴――!?


「え――なに……!?」

「ハープーンによる物理攻撃を試行――第一射を打ち込みました」


 森崎が淡々と報告する。物理攻撃――!?

 よく見ると、ドロイドたちのちょうど腰のあたりから内側の李軍に向けて、何か釘のような――いや、銛のようなものだろうか――が何本か打ち込まれたことが分かった。

 そうか、ハープーンか――


 すると、折り重なったドロイドたちの隙間から、幾筋かの血飛沫が唐突に噴き上がる。これは……李軍の出血――!?

 つまりフェーズ3というのは、奴の量子増幅をある程度抑えたところで繰り出された、物理攻撃ということだ。

 何せ今の奴は、その『人体再生』能力によって、一切の物理攻撃を無効化してしまう。傷ついた自分の身体を、すぐに修復してしまうからだ。だが、もし奴がハンドリング可能なが減れば、そうした能力を減退させることができるかもしれないのだ。

 でも……だったらなぜ、すぐに攻撃を終了したのだ!?

 どうせやるなら、むしろ波状攻撃、飽和攻撃を仕掛けたほうが――


 はッ――そうか……

 士郎はようやく気付く。


 いま李軍を無闇に攻撃すると、未来みくにそのダメージが伝わってしまうからだ。今の未来は、李軍と無理矢理同期させられている状態――つまり、士郎と同期していた時と同じ――だ。今の李軍は未来みくであり、未来みくは李軍なのだ。

 李軍が傷を負うと、未来も同じように傷ついてしまう――!


 だから森崎は、極めて限定的な攻撃を試験的に行ったのだろう……確かに彼女は、その攻撃を「試行」と言っていた気がする。


「……少佐ッ!? 未来は――」

「ふむ……すまない……どうやらまだ完全には共有が解除されていないみたいだ……」


 ふと気が付くと、すぐ傍にうずくまっていた未来の身体の各所に、幾筋かの出血が認められた。

 やはりまだ早かったのだ……

 李軍にハープーンを打ち込んだせいで、彼女にも傷を負わせてしまった。奴と未来との同期は、未だに解除できていない――!?


 それを見ていた森崎の目が、またチカチカと小さな点滅を始めていた。すると、集合脳『ラプラスの悪魔』を形成するドロイドたちから、さらにジジジジジ――と微弱なノイズが発生する。

 ヴン――と青光が輝きを増した。


 見えない力比べが、先ほどよりさらに激しく繰り広げられる。

 またもや、何体かのドロイドが白煙を吐き始めた。パチッパチッ――と小さな火花が各所で弾ける。


 くッ――

 士郎は、唇を噛んだ。傷つく未来を見るのは、これ以上耐えられなかった。このままでは、彼女自身がもたない……


 唯一不幸中の幸いだったのは、今のハープーン攻撃による受傷が、最初に士郎が一太刀浴びせた時に比べれば、幾分控えめだったことだ。つまりこの中和作戦は、確実に効果を発揮し始めている――


 すると、叶がおもむろに口を開いた。


「未来ちゃん、ごめんね。すぐに治してあげるから」


 ――!?

 士郎は最初、叶が言った言葉の意味が分からなかった。だが、それもすぐに氷解する。叶の言う“秘策”が、すぐ目の前に現れたからだ。


「――え……? 詩雨シーユー……さん……!?」


 カツン――とそのヒールを鳴らして士郎たちの前に現れたのは、スラリとした体躯に美しい長髪、透き通るような美貌を湛えた妙齢の女性――ヂャン詩雨シーユーだった。

 ヂャン秀英シゥインの実の妹。長い間李軍の人体実験に供され、生きながらにして地獄を味わった、不遇の女性――


 そして、どんなにその身体を切り刻まれても、あっという間に自己再生する驚異的な『人体再生』の異能を持つ、特別な存在――


 いま李軍が我がものとしている同じ『人体再生』の能力は、他でもない、彼女のゲノム情報から盗んだ劣化コピーなのだ。

 詩雨は、呆気に取られた士郎を見つめると、ぐるりと周囲を見回した。


「みなさん、お待たせしました……」


 彼女の登場に驚いたのは士郎だけではない。オメガたちも、詩雨の登場に戸惑いを隠せずにいた。


「詩雨さん……どうして……」


 くるみが掠れた声を上げる。ここは戦場なのに……

 しかも……恐らくこの場所は、いわばラストダンジョンと呼んでも差し支えない、敵陣の最奥部だ。生きて還れる保証など――どこにもない。

 だが、詩雨は柔らかな微笑を皆に返した。


「……未来みくが大変なことになっていると聞きました。彼女は、私が異形化して恐ろしい姿になり、辛うじて生き永らえていた時も、何の偏見も恐れも持たず、ずっと寄り添ってくれました。私にとって彼女は、命の恩人であり、大親友なのです。だから私は彼女のためならば、たとえそこが地獄であろうと駆け付けます」


 そう言うと詩雨は、もう一度周囲を見回した。するとようやく、探していたものを見つけたのだろう。美しい顔が、途端にひきつる。

 その視線の先にいたのは、うずくまって血塗れになっている、未来の姿だった。


「――あぁ……未来……!」


 詩雨は、二、三歩彼女に近付くが、途中で立ち止まった。それはきっと、いま彼女に近付き過ぎると、何らかの悪影響を受け兼ねないと判断したからだろう。あるいはあらかじめ、叶あたりに釘を刺されていたか――

 李軍に取り込まれてしまった今の未来は、確かに迂闊に近づけない雰囲気だ。それは本能的に、士郎たちも察していた。


「詩雨ちゃん、どうか未来ちゃんを、助けてやってくれないか!?」


 背後から叶が声をかける。すると詩雨は、キリッとその表情を引き締めた。


「もちろんです! 何があっても、彼女を助けてみせる! クリー、アイッ!?」

「えっ!?」


 士郎は再び驚愕した。まさか――あの双子姉妹もここに来ているのかっ!?


「「はい!」」

「あーっ! クリーちゃん、アイちゃんまでッ!?」

「すごいです。みなさん、駆け付けてくれたのです……」


 ゆずりはと亜紀乃が感嘆の声を上げる。ここにきて、今やこの地下空間には、自分たちと関わりのあった人たちが、次々に駆け付けてくれていた。


「――三人とも、ありがとうございます」

「こんな危ないとこに、よく来てくれたな」


 くるみと久遠も、思わずその顔をほころばせた。今はどんな応援でも、心強いのだろう。


 かざりだけは、少し困惑しているようだった。そういえば彼女は、この姉妹が日本軍に恭順したことを知らなかったはずだ。ハルビン攻防戦の頃、文は意識不明の昏睡状態で軍病院に入院を余儀なくされていたし、この姉妹とは『幽世かくりよ』で共に戦う機会もなかったから……

 ともあれ――


 もちろん、なんでこんなところに……などと無粋なことを訊く者はいなかった。

 ここが天王山――今は、総力を結集する時だと誰もが直感していたからだ。

 想いはみな、同じ――


「――じゃあクリー、アイ! あなたたちの感応力を、私たちに分けて頂戴!」


 詩雨が鋭く指示を下すと、姉妹はトンッ――と一歩踏み込み、未来にはクリーが、そして詩雨にはアイがそれぞれ寄り添った。

 士郎が、叶を問い質す。


「……彼女たちはいったい……」

「今から、未来ちゃんと詩雨ちゃんの同期にトライする。双子の姉妹は、いわばその触媒……それこそ増幅装置エンハンサーと言ってもいいかもしれない」

「エンハンサー?」

「あぁ、あの双子は、量子テレポーテーションの原理でその精神も肉体も共有している。まさに今の未来ちゃんと李軍のつながりと同じなんだ。その間に割り込み、未来ちゃんをいわばメンタルジャックするのがこのフォーメーションの趣旨だ」


 力比べで李軍の能力を削ったあと、今度はその精神支配の主導権を奪い取ろうというわけか――

 地味なようで、相当攻撃的な作戦じゃないか!


「――それで主導権を奪ったら、詩雨さんの『人体再生』を未来の中で再現できると……」

「ビンゴ! まさにその通りだよ。李軍がその能力を持っているなら、こっちだってそれを実現するだけのことだ! ただし、奴のそれが人造コピーだとすれば、こっちは天然モノ――本来の能力の持ち主の力を、ちょっとだけ貸してもらおうというわけだ」


 だが、それこそが、まさに進化の本来の姿だ――

 生物は、そうやって厳しい生存競争を生き抜いてきたのだ。李軍のようなまがい物ではない、本物に宿る力をこそ、我々は信じよう――


「私と未来は、以前精神感応テレパスで会話を交わしていた……だから彼女と一体になれる可能性も、きっとあるハズ!」


 詩雨は覚悟を決めたようにそれだけ言い残すと、その瞼をキュッと閉じた。その彼女の背中に寄り添ったアイが、ふわっと光を帯び始める。


 士郎は気づいていた。叶は言わなかったが、これは大きな賭けだ――

 だって、李軍と同期している未来に、いわばメンタルジャックを仕掛けるということは……当然ながらその主導権を李軍と奪い合うということだ。

 この場合、逆に詩雨までもが、李軍に侵蝕される可能性だってあるハズなのだ。もしも詩雨が李軍に力負けしたら、下手をすると彼女まで李軍の餌食になり、それこそ雌雄同体生殖の犠牲になってしまうかもしれない……

 そうなったら、取り返しのつかないことになる。


 詩雨もまた、命懸けなのだ――

 彼女は恐らく、そのリスクを十分に承知している。その覚悟に、士郎は身震いした。


 ジジジジ――


 『ラプラスの悪魔』が、相変わらず掠れた悲鳴を上げる。


 バンッ――! ババンッ――!!


 またドロイドが数体弾き飛ばされ、そしてバックアップが淡々と穴埋めに入る。青い光と、それに抗う赤い光が、空中でもつれ合いながらせめぎ合っていた。

 僅かに除く李軍の頭が、激しく前後左右に揺れているのが目に入る。そして――


 クリーとアイの身体に、薄黄色の輪郭線が立ち昇った。


 青、赤、薄黄色……さまざまな色のフレアが、あちこちから噴き上げる。それはまさに、それぞれが発する思念がぶつかり合い、激しい奔流となって周囲一帯を駆け巡る様そのものであった。


 やがて双子姉妹の放つ薄黄色のフレアが、それぞれが寄り添う詩雨と未来を取り込み始める。


 パリッ――パリパリッ――


「――うぉっ!?」


 突如として、士郎やオメガたちが持つ長刀に、小さな雷のような電撃が纏わり始めた。それはすぐに、虹色に揺らめき始める。


「――ヒヒイロカネが……反応している――!?」


 それはやがて、途轍もない奔流となって空間全体に広がっていった。その瞬間、叶が弾かれたように立ち上がった。


「みんなッ!!」


 突然の声に、皆が慌てて叶を見つめる。


「――未来ちゃんを中心に、正六角形の頂点位置に立つんだ! 早くッ!!」

「えッ――?」

「いいからッ!! 急いでッ!!」


 その間も、フレアの奔流はますます狂ったように空間に逆巻き続ける。クリーとアイの姉妹が噴き出す薄黄色のフレアが、ヒヒイロカネの放つ虹色に染まっていったのはその時だ――!


 士郎は直感する。理屈はよく分からないが、これは何かの兆候だ。そして、今すぐ叶の言う通りにしなければならない――


「みんな、急げッ!」


 5人のオメガと士郎を合わせた計6人は、必死に空間の全周に等間隔で展開する。何も言わなくても、全員がすぐに自分の行くべきポジションを察して直行したのは、さすがのチームワークというべきか。

 そして全員が配置についたその瞬間――


 バリバリバリバリッ――!!!!


 途轍もない電撃のようなエネルギー波が、6人全員にまるで落雷のように直撃した。そして、それぞれを頂点にして光条が結ばれていく。

 士郎はそれを見て、思わず呟いた。

 

「これは……ダビデの星――」

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