第544話 起死回生

 叶から無線で事の詳細を聞いて、暗澹たる気持ちになっていた四ノ宮の元に、戦場全体を空から監視している戦術指揮官の新見千栞ちひろ中尉から一報が入ったのは、ある意味運命のいたずらかもしれない。


 だが、四ノ宮は確信した。これはきっと、神の導きだ――

 ここでいう“神”というのは、精神的な概念の話ではない。『幽世かくりよ』派遣軍の報告にもあった、明確な存在としての日本の神々のことだ。

 その一柱がそう――確かアメノウズメノミコトさまとか仰る存在だ……


 そのウズメさまとやらが、ここのところ陰に日向に我が国防軍にさまざまな力添えをしてくださっているのは、四ノ宮も薄々感じていた。

 例の『清めの水』がいい例だ。あの水は、後で成分を分析したら、特に何の変哲もない水だったそうだ。だが、ゾンビ化した中国兵たちはあの水を浴びることで、確かにその呪いを解かれたのだ。それを神の奇蹟と呼ばずして何と呼ぶ……


 石動いするぎたちによると、ウズメさまを始めとした神々は、ちゃんと目に見えるのだという。

 ただし、見えるのは次元転移を経験した者だけだ。最初は悪い冗談かとも思ったが、石動や叶やオメガだけでなく、末端の特戦群兵士ですら、次元移動をした者にはしっかりと見えているらしいことが分かって、ようやく四ノ宮も信じることにしたのだ。


 超が付くほどの現実主義者リアリストであった四ノ宮が、目に見えない“神”を信じるようになったというのは、彼女の人生の中でも最大の転機と言っていいかもしれない。

 だが、一度そうやって信じるようになると、それ以降は何かと、これは神の仕業じゃないだろうか、神の導きではないだろうかと考えるようになったものだ。


 もちろんそれらの大半は思い過ごしだった。そこには常に、生きた人間の努力とか献身があり、そういった者たちの必死の働きで、物事は少しずつでも前に進んできたのである。

 例えばその代表的な事例が、今目の前で繰り広げられている、敵司令部への突入および敵将である李軍の捕縛だ。ここに至るまでには数万、数十万の犠牲があり、それら無数の血と涙の上に、今の現実があるのだ。それは決して“神頼み”ではない。間違いなく人間の、努力と献身の賜物だ。


 だが――

 今回の新見からの報告は、間違いない。


 双子の姉妹がこんな戦場に突如として現れるという、、というのは、恐らくは“神”の差し金なのだ――


「――本当に、クリーとアイの姉妹で間違いないのだな!?」

『はい、彼女たちにも当然、個体識別番号が振られていますので……先ほどIDは確認できました』


 この時代、すべての兵士にはマイクロチップが埋め込まれ、どのような状況下でも個人識別が可能となっている。

 もちろん、遺体がバラバラになってしまえばDNA鑑定が必要になるが、少なくとも生きているうちは、誰がどこにいるのか、かなりの精度をもって把握することができるのだ。

 もともとこの双子姉妹は、中国軍の辟邪ビーシェという存在だ。二人を保護する際に、あらためて識別IDをその体内に埋め込んだのは当然のことだ。


 そして四ノ宮は、この二人が戦場に現れたと聞いた瞬間、思ったのだ。

 奇貨居くべし――


 叶の話を聞く限り、未来が李軍に取り込まれた件と、この二人が持つ量子テレポーテーションの能力は、何らかの打開策に繋がる可能性がある――四ノ宮は咄嗟にそう確信したのだ。

 その結論に達した四ノ宮の指示は、驚くほど素早かった。


「新見、二人をただちに保護し、未来救出と李軍の無力化に協力するよう、説得しろ!」

『はッ――って、え……? この子たち、まだ子供ですよ!? よろしいのですか!?』

「使える者は誰だって使う! 今は悠長なことを言っていられないのだ。あと――」

『は……はい』

「念のため、なぜこんなところまでノコノコ現れたのか、二人に確認しておけ。もし香坂を心配して来たのなら、あらかじめ覚悟させておかねばならん」

「――分かりました」


 田渕などベテランの古参兵たちがしばらく前から安否不明になっていることは、既に四ノ宮も新見も承知している。これだけの激戦だ。彼らが既に戦死しているかもしれないことは、十分予想できることだった。

 あの双子姉妹が、大陸で保護して以来、香坂伍長と親しくしていたことも四ノ宮たちは知っていたから、もしこれから地下街に突入して彼や他の兵士たちの死を目の当たりにしてしまったら、どんな反応を示すか分からなかったのだ。


 可哀相だが……これは戦争なのだ――


 四ノ宮は、心の中で姉妹に詫びる。本当はもう、君たちに不必要な死を見せたくなかったのだがな……

 だが、四ノ宮はこの作戦の総指揮官だ。どんなに不格好でも、泥濘を這いずってでも、戦いに勝利することこそが彼女に与えられた使命なのだ――

 四ノ宮は、キッとその顔を上げる。


「――ドロイドを一個小隊、すぐに現地合流させろ。双子の護衛につける。それと、エヴァンス隊を呼び出せ」

『イエス、マム』


 オペレーターが、忙しく連絡を取り始めた。


  ***


 5分後――

 巨大なクレーターの中心部分に、二機目の『飛竜』が降下してきた。先行して着陸していたのは、新見の乗機だ。既に双子の姉妹は新見が抱きかかえており、そのすぐ傍には数十人のドロイド兵が待機して整列していた。

 濛々と土埃が立ち昇る中で『飛竜』が急速に地面に近付いてくる。そしてランディングするのももどかしく横のハッチが開くと、中からエヴァンスたちSWCCチームが飛び出してきた。そして――


 その後に続いて降りてきたのは、ヂャン詩雨シーユーだった。

 彼女は『幽世かくりよ』での最終決戦でアイシャと接敵して以来、国防軍にずっと帯同していたのだ。もちろん兄である秀英シゥインのことも気がかりだったから、なるべく傍にいたいという本人の意向もあったのだが、最大の理由は彼女のその『人体再生』能力だ。

 また似たような事態が起きた際、すぐにでも詩雨の助力が得られるよう、国防軍からも彼女へ協力要請していたというわけだった。そして――


 まさに今が、その時だった。


「――新見中尉」

「詩雨さん――それに、エヴァンス軍曹」

「我々は、中佐から別用を仰せつかっております」


 エヴァンスは軽く敬礼すると、自分たちの受けた命令を新見に伝達した。


「そぅ――それは助かります。少佐はああ見えてとても律義なので、オメガたちを置いて一人脱出することができない方なんです」


 すると今度は、詩雨が口を開く。


「――中尉さん、未来みくは……未来は大丈夫なのですか!?」

「え、えぇと……さっきクリーちゃんたちにだいたいの状況は説明したところなんだけど……」


 新見はあらためて、詩雨にも簡単にブリーフィングする。彼女の表情が、見る間に曇っていったのは予想通りだった。


「……それに関しては、四ノ宮中佐も同意見です。私の力が役に立つのならば、何だってやります」

「この作戦は、未来さんと同期できるかどうかがすべての鍵を握る……」


 クリーが呟いた。詩雨はそんな彼女を真っ直ぐ見据える。


「えぇ――やったことはないけれど、叶少佐曰く、現場ではナントカという装置のお陰で精神感応がしやすくなっているみたい。それで上手く未来と同期できさえすれば……」

「私たち姉妹は、未来さんと李軍の同期にリバース・ドライブを掛けろと言われた。私たちと詩雨さんがやろうとしていることは、同じ対象に対してまったく逆の力をかけること……一筋縄ではいかないはず……」

「でも――やるしかないのよ……」


 新見が、まるで自分に言い聞かせるかのように言葉を継いだ。


「――皆さん揃ったようです。そろそろ進発します」


 ドロイド部隊の指揮官、森崎が皆に告げる。


「――よろしくお願いします、大尉」


 新見は、万感の思いを込めて敬礼する。本当は、自分も一緒に突入したかった。田渕曹長の安否を、どうしても自分の眼で確かめたかったのだ。だが――

 私は戦術指揮官だ。私のナビゲートは、この戦場にいるすべての兵士たちの道しるべなのだ――


 もしも曹長がこの場にいたとしたら、きっと「自分の責務を果たしてください」と言うだろう。だから私は、最後まで自分の役割に徹しよう。

 そして、万が一あの人が迷っていたならば、必ず自分が誘導して、この地獄から救い出してあげるんだ。もしも自分の足でもうここに帰ってこれないのなら、その時は私がすべてを手配して、何とかここまで連れてきてあげる……


 目の前のエレベーターシャフトの残骸から、次々に地下街に降下していく兵士たちを見送りながら、新見はずっとそんなことを考えていた。


  ***


「では、そろそろ作戦を開始します。皆さん、準備をお願いします」


 この壁の向こうには、李軍を連行しようとしていた狼旅団とオメガたちが、完全に立ち往生している。ここにきて李軍が卑劣な手を使ってきたからだ。今や主導権は、100パーセント向こうが握っている――


 薄暗い地下通路の要所要所には、完全ステルスモードで擬装するドロイド兵たちが、そこかしこに潜んでいた。配置完了だ。

 森崎は、一体のドロイドを通して、壁の向こうの叶に密かに合図を送る。


 チチチチッ……チチチチチッ……


 ちょうど叶の手の甲辺りに、ドロイドが極少のレーザーポイントを当てた。その断続的な赤い光点は、正確に軍用モールスを彼に叩き込む。

 それに気づいた叶が、そぉーっと壁の向こうに視線を送った。よしッ――


 叶は内心すこぶる感動していた。東子ちゃん……よくぞこの短時間で、必要な要素をここまで完璧に集めたものだ。これならイケるか――!?


 少なくとも、今まで“詰み”と思っていた状況から、何割かでも勝機が生まれたのだ。やってみる価値はある――


 叶は、口を開いた。


「――そういえば李軍……なんだか一人で盛り上がっているようですが、肝心の未来ちゃんの気持ちはどうなんでしょうかね!? 彼女がアナタを伴侶として受け入れるとは、到底思えないのだが……」


 すると李軍は、またもやニヤリと薄ら笑いを浮かべる。


「ふふん、大丈夫です。彼女の意思など今や関係ない。なにせ今、私と彼女は一体化しているのです。それはつまり、雌雄同体の生物と同じということだ」

「……まさか……」


 叶は、その表情を歪ませる。


「そのまさかですよ……私たちは、それぞれの身体の中で精子と卵子を作り出すことができる。それを自家受精して彼女の子宮に送り込めば、簡単に受胎できるでしょう」

「やめろッ!! ふざけるなッ!!!」


 士郎は怒り狂った。当たり前だ。愛する女性が、目の前で他の男に無理やり孕ませられるなど、悪夢以外の何物でもない。

 そして、今の一番の問題は「かくなるうえは、刺し違えてでも――」と出来ないところなのだ。

 今の李軍は『不老不死』と『人体再生』という、無敵の異能を持っているうえに、奴を傷つけると自動的に未来にまで傷を負わせてしまう。二人が量子的にその肉体を共有しているからだ。


 この状況を覆すには、それこそ神の奇蹟が必要だ――


 士郎がクッと唇を噛み締めた、その時だ。

 叶が小さくウインクしてみせる。え――!? それってどういう……


 次の瞬間――

 目の前を、ヒュンヒュン――ヒュンヒュン――と何か黒い物体が複数、上下前後左右に飛び交った。それはもの凄い移動速度で、士郎はそれらに、まったく焦点を合わせることが出来ない。直後――


 それはピタリとその場に静止した。


「――ど……ドロイド……!?」


 間違いない――それは、国防軍の戦闘ドロイドだった。それらがあっという間に目の前に展開し、そして李軍の全身にピタリと隙間なく貼り付いたのだ。いや……貼り付くというより、その腕や身体、首を、固めるように拘束してしまった――と言った方がより正確か。


「う――うおッ!? 何の真似ですかコレはッ!?」


 李軍が叫ぶ。完全に虚を突かれ、李軍は抵抗する隙も与えられなかったのだ。


 それは、見たこともない光景だった。

 李軍自体は元々小男だから、ドロイドが2体もいれば完全に抑え込めるのだが、その胸から下は壺のような機械体だ。それは縦横1.5メートルほどは確実にあるだろうか……質量感としては、大型バイクくらいは十分にある。そんな球体の機械の表面に、何体ものドロイドが折り重なるように貼り付いているのだ。

 これはいったい――


「――か……叶先生……これは一体何のマネです……!?」


 李軍がかすれた声を辛うじて上げる。もしかして、彼の上半身に群がっているドロイドのどれかに、声帯を圧迫されているのか……


「何って……彼女たちはドロイドですよ。個にして全。全にして個……彼女たちの繰り出す群体攻撃は、実に定評がありましてね……」


 すると、みしり――と音を立てて、ドロイドたちのリーダーが一歩後から現れる。


「――森崎大尉!」


 士郎は思わず声を上げた。その姿が、まるで地獄で逢った如来さまのように見える。苦しい時、困った時はいつだって、森崎大尉が駆け付けてくれた。彼女はまさに、救いの女神なのだ。


「――石動中尉、叶少佐……大変お待たせしました。少々手こずっているとお聞きしたものですから、四ノ宮中佐の命を受け、馳せ参じました」

「あぁ、待ってたよ」


 叶は嬉しそうだ。そうか……きっと、裏で叶が手を回してくれていたに違いない。士郎は、急速に自分が冷静さを取り戻しつつあることを自覚した。

 だが、逆上している男が一人……


「はぁあ!? ふざけるなッ――こんなことで、私を屈服させられるとでもッ!?」


 刹那――

 李軍の下半身の球体が、ゴァッと光を帯びた。特にあの、真ん中の四角いスロット付近からは、強烈な光が――

 光が……それほど迸らない……!?


 なぜならその上に、みっしりとドロイド兵たちが折り重なっていたからである――

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