第513話 デビルズトーク
「――ど……どうして……」
目の前には、途中で置いてきたはずの田渕曹長以下、第一戦闘団の兵士たちが立っていた。みな、思い詰めたような、上気した顔で士郎を見つめている。
それになにより、皇居で異形化を発症して意識を失っていたはずのミーシャが、仁王立ちになっているではないか!?
しかもその口角からは、まさにカニのように泡を吹いていたと思われる涎のような筋が垂れている。
田渕が口を開いた。
「――さっき、急に彼が意識を取り戻したんです。それで、この奥に司令部中枢があると言い出して……そうこうしているうちに、エヴァンス隊が戻ってきたのでひっ捕まえて状況を聞いたんです。そしたら中尉たちが残って戦っているっていうじゃないですか!? だから命令違反覚悟でここまで突入してきました! 処分は覚悟の上です……一緒に戦わせてくださいッ!」
「……みんな……」
士郎は思わず呟く。ここに来るまでの地下通路には、あまりにも卑劣で残酷な仕掛けが多数仕込まれていた。それは生身の兵士たちでは到底堪えきれないような過酷な試練だったのだ。士郎が彼らに途中待機を命じたのは、そのことにいたたまれなかったからだ。これ以上、無駄に命を散らせる必要はないと――
だが、いざこうやって彼らの顔を見ると、安心感が途方もない。あぁ……やっぱり戦友だ……
「ねぇ士郎くん! ミーシャくんが士郎くんを助けてくれたんだよッ! そのミーシャくんと一緒に曹長たちが突入してきてくれたの! だから処分なんてしちゃ駄目だからねッ!!」
「――どうやって……」
士郎は、まだ少し頭がクラクラしていたせいで、辛うじて声を絞り出した。どこかホッとしたような顔で――
それを見た未来は、ようやくその頬を緩める。
傍にいた叶が口を開いた。
「どうやらミーシャくんの噴いた泡状の液体が、あのスライム兵の皮膚組織を浸潤したようなんだ。おかげで君はこうして無事だ……」
その言葉にハッとした士郎は、慌てて周囲を見回す。すぐ脇に、なんだか浜に打ち上げられたクラゲのような物体が転がっていた。
「――撃っても無駄、斬っても駄目、火で燃やしてもまるでビクともしなかったあの化け物も、ミーシャくんの体液にはからっきしだったということだよ」
――!!
そうだったのか……それはもしかして……
「――あぁ、今君が思っている通りだ。ミーシャくんは恐らく目の前の化け物どもと同じ存在だ。
やはりそうか……だがどうして今、彼は目を覚ましたのだ……?
「……そして李軍は先ほど、あれら化け物どもに何らかの手段で活性化シグナルを送った。それは恐らく遺伝子レベルの共鳴か何かだ。もしかしたら、イルカなんかがよく使う、
叶は後ろを振り返った。そこに居たのは、第一戦闘団の兵士たちによって運ばれてきたもう一人の異形、チューラン・ドルゴレン・スフバートル中校だ。
「――彼も同じだよ。元々のダメージが大きすぎて、まだミーシャくんのように自力で立ち上がることはできないが、ほら……」
見ると、スフバートルはいつの間にかその目を開け、担架の上に半身を起こしているではないか――
彼も意識を取り戻したのか……
ふぅー……
士郎は、大きく深呼吸して、ようやく立ち上がった。その瞬間、立ちくらみのように少しだけよろめいたが、両横からくるみと久遠が支えてくれる。
「……あ……ありがとう……」
すると、二人はとても嬉しそうな顔で士郎を見つめ返した。それはまるで、初恋の人に甘い言葉をかけてもらったような笑顔だった。士郎の無事を、本当に心から喜んでいるのだろう。
気を取り直し、士郎はスフバートルのところへ近づいていく。すぐ目の前まで歩いていくと、少し見下ろすような位置関係で彼をじっと見つめた。
この男は、もともと皇居豊明殿に侵入し、陛下に手を出そうとした張本人だ。今の哀れな姿は、そこで異形化したものだ。その時は、錯乱したのか同行していた自軍兵士を頭から噛み砕き、その体液をすすっていて……
オメガたちはその時、この男を躊躇なく退治しようとしたのだが、他でもないミーシャがその命乞いをしてくれたのだ。彼は無理やりこんな姿にされたのだと――
だから助けてやって欲しいと――
だとしたら、スフバートルはもしかして李軍に恨みを抱いているのだろうか……
俺たちの味方をしてくれるのだろうか……
それともやっぱり、俺たちを憎んだままなのだろうか――
何せ彼は、あのハルビン守備隊長だった男だ。自分たちオメガチームに敗れ、その輝かしいキャリアをすべて失った男……
士郎は、何かを喋ろうと口を開けた。瞬間――
ザンッ――!!!
スフバートルが、そのカニのような脚を目にも止まらぬ速さで繰り出した。
――!!!!
直後、士郎の頬にツーっと血の筋が一文字に付く。ま……さか……コイツは俺を殺そうと――!?
だが、次の瞬間、士郎の背後でドサッ――と大きな音が鳴り響く。慌てて振り返ると、先ほどの異形の化け物のうちの一匹が床に倒れていた。その首は、半分だけ胴体にくっついていたが、残りはパックリと口を開けていた。先ほどのスフバートルの一撃で、首が切り裂かれたのだ。
そして数秒経ち、ようやく士郎は今の状況を把握する。要は、いつの間にか士郎の背後から忍び寄っていた異形の化け物を、スフバートルがすんでのところで退治してくれたのだ。
それに気づいた直後、背後で倒れた異形の怪物が、そのまま再生されずに動きを止める。
「……し……死んだ……のか……!?」
「おぉ……」
叶も感嘆の声を上げる。当たり前だ。不死身と思っていた怪物が、斃せたのだから。
スフバートルが口を開く。
「――奴は……どこだ……」
士郎は一瞬戸惑うが、すぐにスフバートルの言葉の意味を理解した。
「……李軍はこの奥だ……お前をこんな目に合わせた張本人は、あの先にいる……」
それを聞いた瞬間、スフバートルはくわとその目を見開いた。怒りと悲しみに満ちた目だ。
「――ぅおのれッ!!!」
その時、マグネシウムが急に発火したかのように、スフバートルの怒りが頂点に達したのが分かった。瞬きした瞬間、彼は猛然と最奥の部屋に突貫する。次の瞬間――
スフバートルの身体はバラバラになった――
ドシャドシャドシャッ――
「ちょ――! どうなってるッ!?」「きゃあァァァッ!?」
士郎が叫んだのとオメガたちが悲鳴を上げたのは、ほぼ同時だった。それがあまりにも悲惨な光景だったからだ。
スフバートルの身体は、確かに空中に跳躍したが、その直後、まるで重力のせいで蝶番が外れたかのように、その手足と胴体が千切れ、ボトボトッと床に落ちたのである。
「ウガぁあああッ――」
それを断末魔というのなら、そうなのだろう。生きながら四肢をもがれる感覚というのは、想像を絶する痛みに違いない。
突然のことに棒立ちになる一同に、あの声が覆いかぶさってきた。
『――やれやれ……驚きました。まさか行方不明の我が軍の将校が、敵兵どもに捕まった挙句、ここへの道案内までさせられていたとは……まったく、将校としての誇りの欠片もない、実に見苦しい男だ。私に逆らうとどうなるか、これで良く分かったでしょう』
なんだと――!?
じゃあ今、彼の身体がバラバラになったのは、李軍の仕業なのか……
「……酷い……」
未来が、涙目になって思わず呟く。未来だけではない。その場にいた誰もが、そのあまりにも悲惨な光景に思わず息を呑んだ。
「おいテメェ! 李軍!! そんな言い方はないだろうッ!?」
士郎は素で怒鳴り返す。スフバートルのことは確かに殆ど何も知らないが、彼だって兵士として必死で任務を果たそうとしていたことくらい分かる。しかも――
「――だいたいこの男がこんな身体になったのだって、お前のせいじゃないのかッ!?」
『――えぇ、そりゃそうです。こんな神のような奇跡が起こせる人間、他に誰がいます?』
李軍が開き直った。士郎の中に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。神の……奇跡だと――!?
だが、李軍は話を止めなかった。
『……そもそも、私は彼に天皇逮捕を命じていたのです。それは絶対に完遂しなければならない、最重要任務だった。そのために、二重三重の保険をかけるのは当たり前でしょう!?』
「保険って……それは、人間をこんなバケモノに改造することなのかッ!?」
『バケモノ!? 間違えないでください、エロヒムですよ。人類を超えた超人類です』
「――名前なんてどうだっていいッ! こんな怪物を造ることの、どこが神の奇跡なんだッ!」
『……おやおや……』
李軍の声に、憐みの色が混じった。
『――ではそこにいるオメガさんたちと彼らエロヒムは、いったいどこが違うのです!? あぁ――もちろん外形が違うとか、そういう野暮な答えはよしてくださいよ。どちらも、人間離れした途轍もない人外の能力を持っている。それはすなわち、人類を超えた超人類ではありませんか――』
なんだと――!?
『――確かにあなたたちのオメガは、天然モノかもしれない。それに比してエロヒムは確かに私が造った人工物だ。だが、結果的にどちらもその位置づけは同じなのです。あなた方は、オメガの規格外の戦闘能力を、戦争の道具に使っているではありませんか? やっていることは、私と完全に一緒です。いやむしろ……私があなた方のやり方を真似ているに過ぎない……』
――!!
確かに、そう言われてしまえばその通りだ。オメガたちは元々人外の異能を持っていて、我々は彼女たちを持て余していたのだ。そしてわざわざ実験小隊のようなものを作り、何とか彼女たちの能力を制御しつつ、兵士として役立つよう必死で試行錯誤してきた――
我々が幸運だったのは、彼女たちが普段はまともな思考を持つ普通の人間だったことだ。そのうえで、戦闘状態に入った時だけ敵味方の区別がつかなくなるというハンデがあり、結果的にそれは、士郎という人間が現れたことで一応の解決をみた、というだけのことだったのだ。
もしも未だに彼女たちが制御不可能だったなら、もしかしたらオメガたちは今ごろ鎖に繋がれているだけの存在だったかもしれない。そう――
今の状態は、たまたま運が良かっただけなのだ。エロヒムとオメガは、紙一重の存在だ――
『――ふん……何も反論できないところをみると、どうやら図星のようですね……時に叶博士?』
李軍は突然、叶に声をかけた。
「……なにかね……?」
叶は、警戒心丸出しだ。李軍がただのマッドサイエンティストでないことを、叶は既に承知していた。この男は、一流の戦略家だ……
『――ひとつ確認ですが……彼女たちに保険をかけていますね?』
「どういう意味だ……」
『もう隠さなくても大丈夫です。えぇ……それは当然のことですから……万が一のための、安全装置のことですよ……』
安全装置!?
それはいったい……
「――あ、あぁ……それがどうかしたかね?」
『あはッ! あはははははッ!! ホレ見なさい! やっぱりそうじゃないですか!? あなただって、肝心なところでオメガを信用していない。私と一緒です』
二人の会話に、オメガたちが訝しむ。
「……えと……少佐?」
くるみが、少しだけ不安そうな顔で叶を覗き込んだ。だが、叶は押し黙ったままだ。
『――どうしたのです!? 言えないのですか? あぁ……実に滑稽だ。結局のところ、あなた方は最後のところで味方にすら信頼されていない。私の行動を、悪意をもって責める前に、自分たちのことを振り返ってみたらいかがですか!?』
李軍が勝ち誇っていた。そして、大仰に話し始める。
『――あぁ……可哀相なオメガのみなさん……叶博士は、あなた方の胎内に恐らく何らかの自爆装置を仕込んでいる。あなた方を制御しきれなくなった時に、破壊するための保険です! そうですね……ナノマシーンか何かでしょうか……えぇ、そうです。あなた方は所詮、戦争のための道具なのですよ! 用が済んだら、ポイ捨てされるだけの存在だ……』
ナノマシーン? 破壊!? そうか――恐らく叶は、彼女たちの血液中に自爆用のナノマシーンを仕込んでいるのだろう。それはいざという時、起動する。
李軍の言う通り、人外の異能を持っている彼女たちが制御できないほど暴走した際、その活動を強制停止させる――すなわち「殺す」――ための安全装置だ。
さすがは少佐だ。どんなに戦闘能力が高くて、どのような攻撃も受け付けない無敵の存在であろうとも、身体の内部からの破壊には抗えない。
くるみと久遠の表情が揺れ動いたのはその時だ。
「え……そう……なんですか……?」
「私たち……ずっと信用されてなかった……のか……」
小声だが、彼女たちはハッキリとそう口にした。しまった――李軍に聞こえたか……
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