第514話 アンロック

 その囁き声を打ち消すように、大きな声で、きょとんとした顔で同時に口を開いたのはゆずりはだ。


「――え? そんなの当たり前じゃないの!? ねぇ士郎きゅん?」

「え? あ……あぁ、そうだな!」


 叶を責め立てる李軍リージュンの鋭い指摘。それは一見、至極まっとうな言い分だ。


 エロヒムとオメガの、一体何が違うのか――!?

 どちらも人外の化け物……そして戦争の道具だ。しかも、オメガの胎内には、制御不可能になった時の保険として、自爆用ナノマシーンまで仕込まれている――

 お前たちは、信用されていないぞ!? 用が終わったら、捨てられる運命だぞ――


 それはまさしく、万魔殿パンデモニウムあるじに相応しい、悪魔の囁きだった。


 李軍が果たしてどこまで知っているのか分からないが、少なくとも“人類を殺戮すること”をその存在の本来の意味とされているオメガたちにとっては、ぐうの音も出ない正論だ。

 「滅ぼすことを目的」とするオメガたちと、李軍曰く「人類再生の担い手」として生まれたエロヒムとでは、言葉だけ拾えば当然後者の方により存在の価値があると言われれば、返す言葉もない――


 要するに、説得力があるのだ。その言葉に思わず揺れてしまったのは、久遠とくるみだ。だが――


 だが、楪のその真っ直ぐな言葉は、思わず浮足立つところだった士郎の腰を、力強くグイと地面に据え付けた。

 黙っている叶をチラリと横目で見た士郎は、意を決して李軍に反論する。そうだ――これは俺たち自身がちゃんと言わなければ意味がないことなのだ。

 その仕組みを作った叶が幾ら言っても、言い訳にしか聞こえない。一度生まれた猜疑心はそう簡単には打ち消せないから……

 よし――


「――可哀相な奴だ」


 士郎はその視線を真っ直ぐ奥の小屋に向け、言い放った。李軍がいると思われる、中国軍司令部の中枢に向けてだ。

 そんな士郎を、思わず不安を口にしてしまった久遠とくるみが心配そうに見つめる。


『……は!? 何が可哀相なのです? 信じていたのに最後のところで信用されていなかった、あなた方の方がよっぽと滑稽で――』

「だから貴様は可哀相なんだ」


 李軍の言葉を、士郎は自信満々に遮った。そうだ――こんなことで俺たちを貶めようったってそうはいかない――

 悪魔は常に、人間の心の弱いところを突いてくる。だが、それに抗うことは簡単だ。お互いの絆を、ちゃんと信じることだ。


『何を言って――』

「そんな自爆装置、俺だって注入してるぞ!? そこにいる、ゆずだってそうだ」


 それを聞いた叶は、ハッとした様子で士郎を見つめた。


 確かに、機械化していわゆる“トランスヒューマン”化している士郎と楪には、軍の規定により致死量の自爆ナノマシーンが予め注入されている。

 その理由はもちろん、制御できなくなった時に、内部から破壊できるようにするためだ。機械化して強化された兵士が精神錯乱などを起こして制御できなくなってしまったら、そう簡単には制圧できないからだ。


 だから、オメガたち本人に内緒で注入されているというナノマシーンも、大方そんなところだろう。特に機械化されているわけではない彼女たちにまで、そうした処置が施されているとは知らなかったが、考えてみれば意外でも何でもない。

 彼女たちこそ、錯乱してしまったら手が付けられないからだ。


 だったら、他の機械化兵士と同様の安全装置が施されていても、何の不思議もないではないか――

 もちろん、その「安全装置」とは言うまでもなく……


『――ほ……ほら……やっぱり可哀相なのは君たちではありませんか!? どんなに取り繕っても――』

「だから! 俺たちが自爆装置を自分の身体に埋め込んでいるのは、周りに迷惑をかけないようにするためなんだ。貴様らの発想とはまったく逆だ」

「――だよねッ!」


 士郎の言葉に、楪が嬉しそうに頷いた。それを見ていた久遠とくるみは、呆気に取られたような顔をする。そしてもちろん――

 叶は少しだけホッとしたような顔をしてみせた。大丈夫ですよ少佐……俺たちは、ちゃあんと分かってますから――


「――いいか!? 普通の熟練兵士はな、自分の人差し指こそが安全装置だと豪語して憚らない。引き金を引くのは、自分の意思だけだっていう自信があるからだ。だけど俺たち機械化兵士は、その親指さえ自分で制御できなくなるかもしれないんだ。これは機械化された者の宿命。機械だから、不具合が起こることを想定していなくちゃいけない。だからこそ自爆装置があるんだ」


 士郎は、オメガたちを見回した。久遠とくるみはもちろんだが、二人ほど取り乱さなかった他のメンバーだって、内心はどれだけショックを受けているか分からない。だが安心しろ……

 士郎は、話を続ける。


「――なんで自爆装置っていうか分かるか!? 自分で爆発させるからだ。いいか!? 


 ――!!


 それを聞いた未来みくは、ハッとして士郎を見つめ返した。いっぽう李軍は怒り心頭と言ったところだ。


『――そんなのは詭弁だ。都合が悪くなったら、自分の意思ではなく、第三者のトリガーでオマエたちの安全装置は作動するのだろう!?』

「あぁ、それはそうだ。だって、錯乱した状態で自己判断力は喪失してしまっているからな。だがその前に、俺たちの自爆ナノマシーンはある種の脳内物質の分泌が規定量以上になると作動するようになっている」


 なんで士郎がこんなに詳しいかというと、彼自身がまさに機械化兵士だからだ。彼らはライセンスを受ける際に、こういった機能や自分の身体の新しい仕組みについて、徹底的に叩き込まれることになっている。


『脳内物質? それはドーパミンとかβエンドルフィンとか、そういった奴のことか!?』

「あぁ、具体的にどれというのは軍事機密だから教えるわけにはいかないがな……いずれにせよ、それは俺たちが“申し訳ない”という感情を爆発させた時に分泌される脳内物質だ」

『……申し訳……ない……だと……!?』

「あぁ――この感情はもしかしたら、俺たち日本人しか持っていないものかもな……他人に迷惑を掛けたくない、っていう感情だ」

「――そうだよ。私たちは、そういう時に潔く自決するように出来てるの。どう? かっこいいでしょ!?」


 楪が、得意げに言葉を継いだ。


「――だって、いざという時、友達に自分を殺させるなんてひどいことできないじゃない? だから私たちは、ちゃんと自分の尻拭いは自分で出来るようにしてあるの。あーもう私だめだなぁって思ったら、ちゃんと自分で自分の責任が取れるようにしてある。最後のところで、私たちの自爆装置は自分の意思で発動させるようになってるんだよ!?」


 …………


 その言葉を聞いたくるみたちは、言葉を失い……そして見る間にその頬を紅潮させた。ということはつまり――オメガたちに注入されているナノマシーンも、そういうプロトコルで発動されるようになっているに違いない。


「……それって……本質的には私たちを信頼しているってことじゃ――」

「あぁ、その通りだ。俺たちの自爆装置は、そういう仕組みになっている。貴様らのように、都合が悪くなったら勝手に吹き飛ばすような仕組みじゃない」

「――士郎くん……」


 未来が、オメガたちが……お互いの顔を見合わせ、そして微笑み合った。


「――さてと……これのどこが、エロヒムと一緒だって!?」


 士郎は再度、繭畑の奥にある小屋を睨みつけた。

 『ぐぬぬぬぬ……』という李軍の歯ぎしりの音だけが、伝わってくる。叶が、ホッとしたような顔でオメガたちを見回した。


「――まぁ……そういうことだ。何せ私たちは、オメガちゃんたちをキチンと信頼しているからね」

「少佐……」


 オメガたちが、叶を見つめ返す。その目には、一様に信頼の色が戻っていた。

 士郎と叶もお互いに顔を見合わせる。まったく……少佐――次からは、ちゃんと予め説明しといてくださいよ……?

 

 虫の息だったスフバートルが弱々しい声を上げたのは、その時だ。


「――お……お前たち……」


 それに気づいた未来が、慌てて彼に駆け寄る。既にその四肢はバラバラで、見るも無残な有様だ。


「――喋らないで……」

「いや……頼みが、ある……」


 未来が彼を抱き留めた。


「……俺の腕を……持って行け……」

「は……?」

「……掌だ……俺の生体認証で……あの扉が開くはずだ……」


 見ると、彼の足許にもげた腕が一本転がっていた。なんというおぞましい光景だ――

 だが、残念ながらここのセキュリティは、血流がないと反応しないことが既に確認されている。千切れた腕を一本持って行ったところで――


「……大丈夫だ……俺の腕はまだ、脈動している……バケモノの……特権だ……」

「――ウソっ……」


 だが、スフバートルの言葉は事実だった。確かにその腕は、まだドクドクと動いている。腕だけではない。少し離れたところに転がっている彼の脚もまた、僅かに痙攣したまま動いているように見えた。

 それはまるで、活造りにされた鮮魚の切り身が、新鮮過ぎてピクついているような情景だった。こんな風に人間の体を作り変えるなんて――

 士郎たちは、激しい怒りを覚えてしまう。


 その時だった――


 ガキィィィィンッ――!!!


 またもや、士郎たちに人外の化け物たちが襲い掛かる。それをすんでのところで受け止めたのは、もう一人の異形化した男――ミーシャだ。その脇腹からグロテスクに生えたカニのような脚を、化け物に振りかざしていた。あぁ……俺たちはいつも、ミーシャに助けられているな……士郎は胸が張り裂けそうになった。


「――急ぎましょう。私があそこまでお供します……」


 言うが早いか、ミーシャは唐突に突進を始めた。もうこれ以上、いたづらに時間を潰している余裕はないのだという彼の意思が、ひしひしと伝わってきた。

 未来は、再度スフバートルを見下ろす。


「――じゃあ、あなたも……」


 言いかけて、だが未来は途中で押し黙った。。ぐ……ッ


 未来は、黙って彼の亡骸を地面に横たえる。士郎はそこから視線を背けることができなかった。お前の無念は……俺たちが――

 未来は、すぐ傍に転がっていた彼の右腕を大事そうに抱え上げた。彼が最期の力を振り絞って、士郎たちに託してくれたものだ。

 すると、彼の右腕の掌が、まるで生きているかのように未来の腕を掴んだ。その時、頼んだぞ――という彼の言葉が聞こえたような気がしたのは、士郎だけではないはずだ。

 そこだけ切り取ると実におぞましい光景なのだが、士郎は不思議と気にならなかった。むしろ死を賭して彼女に思いを託した彼を、立派だと思った。それは未来とて同じだったらしい。


「――行きましょう!」


 未来は言うが早いか、ミーシャを追ってタンッ――と跳躍する。士郎たちも間髪入れず後を追った。


 すると案の定、化け物たちが襲い掛かってきた。コイツらは、あくまで俺たちの突入を阻止するつもりなのか――

 だが、士郎は少しだけ理解する。


 コイツらだって、本当は好き好んでこんなことをやっている訳ではないのではなかろうか――


 彼らが必死で戦うのは、先ほどのスフバートルのように、李軍に逆らった瞬間、その身体をバラバラにされてしまうせいではないのか――


 その時――

 一歩先んじて先頭を走るミーシャが、その口からやはりカニの泡のようなものをブォワッ――と噴き出した。

 次の瞬間、その射線上にいた化け物たちが、弾かれたように後退する。そして、ほんの一瞬逃げ遅れた化け物が、奇怪な叫び声を上げた。


 ギィエェェェッ――!!


 士郎は反射的にそちらを見る。すると、その化け物の脚の先端からモクモクと白煙のようなものが立ち昇っている。それは明らかに、強酸攻撃アシッドアタックだった。そうだ――撃っても斬っても燃やしてもビクともしないコイツらは、ならば溶かせばいい。

 直後、楪がその半分溶解した化け物の脚めがけて異能を発動した。今が攻め時と見切ったか――


 バンッ――


 刹那、その傷口から盛大に何かが噴き出してきた。


「うぉッ!?」


 士郎が思わず声を上げたのと、その噴出物が化け物の胎内で破裂した肉塊だと気づいたのは、ほぼ同じタイミングだ。

 あぁ――そうか……外部からの物理攻撃にやたら強い化け物どもは、その表皮部分の防御力が極大化しているだけなのだ。身体の中身は、我々とさして変わらない……

 人体破裂のベクトルは、したがって化け物たちの体表面に何らかの傷口があれば、迷いなくそこ目掛けて噴出していく。


 そこから先は、一瞬にしてコイツらを斃す攻撃パターンを理解したオメガたちのターンだった。

 ミーシャが奴らに外傷を与える。そこ目掛けて、オメガたちが二の太刀を浴びせる――


 オメガたちは、まるでトウモロコシ畑を突っ切るように、一直線で最奥の小屋に突き進んでいった。化け物どもがウジャウジャいることに違いはなかったが、ターゲットはコイツらではない。最短ルートで、1秒でも早く李軍の元へ辿り着くんだ――!


 バンッ――!!

 最初にそこに到達したのはミーシャだ。続けざま、オメガたちが次々に小屋の外壁に辿り着く。

 最後に到達したのは士郎だ。


「はぁッ……はぁッ……はぁッ……」

「――ここは俺が食い止めます! みなさんは早く中へッ!」


 ミーシャが叫ぶ。士郎は、未来の肩にポンと手を置いた。「頼んだぞッ」


 コクリと頷いた未来は、先ほどのスフバートルの右腕をそっと持ち替えた。一か所しかない小屋の扉の横に、生体認証パネルを見つけると、その前に彼の腕をかざす。

 するとその千切れた腕は、まるで意思をもっているかのように、その掌をぱぁと広げてみせた。未来は慎重に、その掌をパネルに押し付ける。


 ピッ――と小さな音がして、ロックが解除された。あぁ……ありがとうスフバートル中校……


 次の瞬間、音もなく小屋の扉がスライドした。ついに――

 直後、足元にもくもくと白煙……いや、蒸気? それともドライアイス……? のようなものが溢れ出てくる――

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