第27章 隘路

第510話 野砲陣地白兵戦

 夕暮れが、迫っていた――


 もともと東京駅周辺の市街地は、高層とはいかないまでも、結構重厚感のあるビルが林立している。昔から大手町とか丸の内というエリアは、都市銀行本店や老舗ホテル、大手新聞社、はたまた各種上場企業が入居するインテリジェントビルなどがひしめき合う、いわゆる一等地なのだ。


 そんな高級オフィス街も今や戦火に巻き込まれ、半壊した建物だらけだ。

 広い道路も、大半が瓦礫で埋もれてしまっていたり、何かの爆発のせいで大穴が開いていたりする。もちろん標識や電柱、信号機も折れ曲がり、通りのあちこちには擱座した車両の残骸が転がっている。

 それでも街は、まだ辛うじて往時の面影を残していた。四ノ宮が空爆を控えたお陰である。


 もともと世界一の耐震設計で建てられたビル群は、榴弾が数発当たったくらいでは崩れない。まぁ、砲弾が直撃したところには大きな風穴が空いていたし、そもそも外壁には無数の弾痕が刻まれていたが、それでも建物自体は揺るぎなく、いつも通りに聳え立っていた。


 夕暮れのオレンジ色の光線は、そんな戦場の様相を見事に照らし出していた。いや――どちらかというと、影の部分を一層引き立たせている……と言った方がよいだろうか。

 その光景は、林立する半壊ビル群のせいで、ともすると都市の中に突然現れた、鬱蒼とした森のようにも見えた。


 だが、よく見るとその影の部分には、多数の遺体が転がっていた。

 もちろん、その多くは緑色の軍服だ。つまり――中国兵たち。だが、その中に混じって、黒い軍服――つまり旅団兵士の遺体も、あちこちに横たわっている。


 ヂャン秀英シゥインは、最初なぜ影の部分に限ってそんな遺体が集まっているのだろうかと訝しんだ。だが、すぐに納得する。

 要するに、陰になる部分というのは、銃砲撃を遮蔽できる天然の安全地帯グリーンゾーンでもあったのだ。だから兵士たちが自然に集まってくる。それは、敵味方同じだった。

 激しい殺戮の応酬のなかで、彼らが少しでも生き延びようと必死に足掻いた結果、自然とそういう場所に集まってしまったのだと気づいた秀英は、彼らのささやかな願いを覗き見てしまったようで、少しだけ胸が締め付けられた。


「――大佐」


 秀英は、少し前方に中腰でしゃがみ込む老兵士を見つけると、思わず声をかけた。

 ヤン子墨ズーモー――よわい80を超す、生粋の野戦将校。今回の戦役でも、常に秀英の傍に寄り添い、今は狼旅団の前線指揮官としての任を全力で全うしてくれている。

 その楊が振り向いた。


「――閣下……こんなところに出てきては危険です」

「なぁに……この非常時に、私だけ安閑と後方にいるわけにはいかんだろう」


 よく見ると、楊がしゃがみ込んでいたその傍らに、若い兵士の遺体があった。彼が息を引き取るのを看取っていたのだろうか。楊は兵士の顔をそっと撫でると、そのまま立ち上がった。


「……兵は……もちそうか……?」

「えぇ、もちろんですとも……手傷を負っていない者はおりませんが、幸いチェン少尉が前面に立って盾となってくれておりますので、流れ弾でやられる者が激減しました」

「陳少尉……多脚戦車ゴライアスか……」


 秀英は、ふと辺りを見回す。

 すると、そう遠くないビル陰に身を隠すように、巨大な蜘蛛のような戦車が擬装停車していた。その中心装甲殻には、いくつもの杭が打ち込まれている。あんな滅多刺しで、よく無事でいられるものだ――


「――今、動ける兵員を再度集めているところです。頭数が揃い次第、敵砲兵陣地へ白兵戦を仕掛けます」

「砲兵陣地?」

「えぇ、ここから2ブロックほど先の、皇居お濠沿いの道路です。目下のところ最大の脅威で――」

「私も参加していいか!?」


 秀英は、思わず食い気味に尋ねていた。こういう時、星付きの旅団長という地位が恨めしい。指揮官に、もしものことがあっては困る――といつも同道をやんわりと断られていたからだ。

 本当なら、兵士たちとともに常に最前線に立っていたい。それを好きなだけ実現している楊のことが、秀英はいつだって羨ましかった。

 だが、今日に限って楊の答えは意外なものだった。


「――そ……そうですね、今回は……お手を煩わせてもよろしいですか……?」

「え……いいのか!?」

「……はい……その代わり、ワシが斃れたら後の指揮はお願いします」


 その言葉に、秀英はほんの少しだけ胸騒ぎを覚える。ワシが斃れたら――って……まさか!?


「たい――」

「――おぉ、そろそろ頭数も揃ったようですな。少し人数は心許ないが、やむを得んでしょう」


 秀英が真意を訊こうとしたその瞬間、楊は集結してきた兵士たちに満足したように声を上げた。おかげで聞きそびれてしまう。


「――さ、閣下も。せっかくなんで兵どもに一言激励の言葉でもかけてやってください」


 促されるまま、秀英は多脚戦車の足元まで近付いていく。


  ***


 ズガァ――ンッ!!!

 ズガッ! ズガガァ――ンッ!!!!


 敵砲兵陣地から、水平射撃の榴弾が次々に撃ち込まれてくる。だが、そのたびに多脚戦車の分厚い装甲と、脚の間に張り巡らされた電磁フィールドが兵士たちを防護していた。


 ビィィィィ――ンッ!!!

 ガァ――ンッ!!!!


 榴弾が弾き飛ばされるたび、辺りには凄まじい跳弾音が響き渡る。


『――敵の水鉄砲はウチらで引き受けるッ! 絶対にビビんなよぉ!!』


 多脚戦車の外部スピーカからは、相変わらず美玲メイリンの怒声が響いていた。だが兵士たちにとってそれは、守護神が健在であることを示す、何よりの激励だ。


「「「「おぉーッ!!!」」」」


 地面に這いつくばりながら、兵士たちは負けじと雄たけびを上げる。もう少し――もう少し前進したら、一斉に敵陣地に飛び掛かる。そう、敵砲弾の射界死角まで接近した時が勝負だ。


 もともと野戦砲というのは、比較的長射程で放物線を描くように敵陣に砲弾を放り込むものだ。裏を返せば、あまりにも砲撃対象が近すぎると、持て余す。つまり、水平撃ちは極めて困難なのだ。その辺が、初速の早い戦車砲と大きく違う部分だ。

 だからここまで歩兵が肉薄すると、野砲は取り回しが効かない分、不利に働く。実際、敵砲兵陣地は秀英たちの接近に今や浮足立っていた。


「――敵の砲撃音が変わったな」

「はい、もはや向こうに余裕はないでしょう」


 戦場に慣れた兵士ならすぐに分かるが、真っ直ぐ自分に向けて砲撃が来た場合、その発射音は普段の野砲の音と明らかに違う。

 通常は「ドォーン」と遠くで花火が鳴ったような音なのだが、真っ直ぐ撃ってくる場合は「ズガァン」という凄まじい破裂音に変わる。不思議だが、そういうものなのだ。


 そういう意味では、今の敵野砲の発射音はまさにこれだった。音だけ聞けば震えあがるほど恐ろしいが、広く散開して近付けば、そうそうやられるものではないこともまた、兵士たちは知っている。


『――あと3メートルで死角に入るぜッ! 全員突撃用意だぁ!!』


 相変わらず、美玲の怒声が戦場に響き渡っている。本当ならそんなこと、敵に聞こえよがしに言うものではないのだが、どうせ連中に日本語は分からない。彼らが、翻訳チップを耳の後ろに埋め込んでいるとは思えなかった。


 ガァンッ――!!!


 また多脚戦車の装甲が、敵榴弾を弾き飛ばした。さすがにここまで接近すると、多脚戦車もビリビリ振動していたが、それでもガシャン――とまた一歩前進する。


 なんで彼女たちはレールガンを使わないのだろう……あの凄まじい破壊力を誇る重火器をぶっ放してくれれば、こんな砲兵陣地などあっという間に吹き飛ばせるのに――

 秀英はふと気になるが、もしかしたら狼旅団に花を持たせてくれているのかもしれないと思い直し、前方をキッと見つめ直した。ならば――

 折よく、美玲の怒鳴り声が再度響き渡る。


『――今だッ! 敵の死角に入ったぜぇ!』


 その瞬間、楊子墨が腹に響き渡るような怒声を上げた。


「よしッ! 全員突撃ィ――ッ!!!」


 ウオォォォ――ッ!!!!


 いや、実際は、声など上げている余裕はなかったのだ。ただギリッと歯を食いしばり、多脚戦車の防護フィールドを飛び出して、ひたすらに突進する。

 眼前の敵陣地からは、狂ったように機関銃弾が撒き散らされた。もはや秀英たちが接近し過ぎて、砲撃できない距離なのだ。


 ガガガガガッ――!!

 ダダダダダダダッ――!!!


「――ぐわッ」「うッ――」「がはッ!」


 兵士たちが次々に的になる。だが、一度もんどりうって地面に叩きつけられた兵士たちは、少し時間が経つとピクッと身体を動かし、やがてノソリとその顔を上げた。狼旅団の兵士たちは、基本的に皆防爆スーツを着ているお陰で、この程度の銃撃、致命傷にならないのだ。

 その間にも、後から後から兵士たちは敵陣地に突っ込んでいく。その中に、張秀英の姿もあった。


「――うぉあッ!!!」


 秀英は、着剣したライフルを腰溜めにしたまま突進した。

 眼前の敵陣地には、周囲にうずたかく土嚢が積まれている。秀英はその土嚢に飛びつくと、ガァっとよじ登った。次の瞬間、目の前に敵兵の顔があった。

 秀英は、迷わず銃剣を突き出す。刹那――

 ゴリゴリっという嫌な感触があって、敵兵の左頬から後頭部にかけて銃剣が突き抜けたのが分かった。敵兵はそのままの勢いで、後方にもんどりうって倒れる。見ると、まだ幼さの残る若い兵士だった。


 くッ――

 秀英は、思わず目を背けてしまう。考えてみれば、こんな風にガチの最前線で敵兵を刺殺したのは随分久しぶりだった。


 その瞬間、ハッとして周囲を見回す。すると秀英のすぐ右隣でも、同じような血みどろの戦いが始まっていた。もちろん左側でもだ。

 秀英は、慌てて銃剣を引っこ抜くと、周囲の敵兵に素早くライフルを向ける。目の前に敵兵の背中が見え、ダダダンと背後から撃ち掛けた。

 次の瞬間、今度は自分の背後から途轍もない殺意を感じる。秀英は本能的に振り向くと、身体が勝手に反応して、ライフルの台尻でソイツの顎を砕いていた。次の瞬間、倒れこんだその敵兵の腹に銃口を突きつけ、半自動で弾をブチ込む。つまり、三連射だ。


 と思ったら――焼けるような熱い感触が唐突に太腿を襲った。びっくりして見下ろすと、目の前に敵兵が飛びついてきていた。コンバットナイフのようなもので、斬りかかられたのだ。

 その距離があまりに近すぎたので、秀英は思わずライフルを手放し、腰のホルスターから拳銃を抜く。そのまま敵兵の頭部に銃口を突きつけると、バンバンッ――と彼を撃ち抜いた。


 もはや辺りは一面、敵味方入り乱れての大乱闘だった。要するに、白兵戦だ。ただの乱闘騒ぎと違うのは、お互い本気で相手を殺そうとしていることだ。

 もはやそこには、人間としてのモラルとか品性など存在しない。ただ目の前の敵に襲い掛かり、撃ち、突き刺し、殴る。蹴る――

 そうやって地面に押し倒した挙句はたいてい、敵の耳に噛みついたり、指で眼球を潰したり、首を絞めたりという、まるでケダモノのような殺し合いだ。


 いつの間にか、秀英は血みどろになっていた。旭日旗が翻ったのは、その時だ。

 次の瞬間、戦場に雄たけびが上がる。


「うぉおおおおおッ!!!」


 それは夕闇に暮れていく戦場の中で、実に眩いばかりに光り輝いて見えた。オレンジ色の夕陽が旗の白地に透けて、本当に旭日が昇るかのような光景にすら見える。つまり……!?


「――っしゃあッ!! 取ったぞ! 取ったぞォッ!!!」


 誰かが叫んだ。恐らく興奮しすぎて、語彙がなくなっていたのだ。ついに……敵砲兵陣地を陥落させたのか――!?

 これでようやく、突入部隊の脱出口を死守できる――!!!


 だが――


 ガガガガガッ――!!!

 ダラララララララララッ!!!!


 途轍もない物量の弾幕が、唐突に辺り一帯に襲い掛かった。さっき勝利の雄たけびを上げた兵士が、蜂の巣になってボロキレのように吹き飛んだ。


 秀英は、弾かれたようにその火箭の元を見つめる。その瞬間、絶望が襲い掛かった。目の前に、数千人と思われる新たな敵部隊が出現したからである。

 恐らく砲兵陣地の異変を察知し、増援に駆け付けたのだろう。首尾よく砲兵たちは斃した直後だったが、結局これでは意味がない。再度この陣地を奪い返され、再び無傷の野砲を使われてしまう。


 早く野砲を無力化しなければ――ッ……


 だが、秀英たちにもはやその気力は残っていなかった。その野戦砲を破壊する爆薬すら、もう使い果たしていたのだ。

 そうだ……多脚戦車――


 秀英は、野砲陣地の手前にいたチューチュー号に向け、大きく手を振った。さっきの白兵戦の際に失くしたのだろうか……もはや無線機もどこかに吹き飛んでいて、美玲たちと連絡がつかないのだ。

 なんとか分かってくれ――!

 頼むッ――この野砲を、君たちのレールガンで吹き飛ばしてほしいのだッ……


 だが、派手に手を振る秀英に向けて、敵増援部隊から多数の銃撃が浴びせかけられる。

 プィンッ――ピィンッ――


 至近距離を掠める銃弾に、秀英もたちまち身動きが取れなくなった。そのうえ――


 ブォォォォォォン――


 上空から、何やら爆音が轟々と聞こえてきたではないか。国防軍はこの地域への空爆を禁止している。ということは、これは敵航空戦力――!?


 もはや……これまでか――

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