第509話 決裂

『――あなたは、いったい何を言っているのです!? 自分が言っていることの意味を、きちんと理解しているのですかッ!?』


 李軍リージュンが突然狼狽して声を荒らげたのも無理はない。

 未来みくは“滅びることが運命なら、それを受け入れよ”と言ったのだ。それは、生物の本能として極めて受け入れがたい考え方だ。


 そもそも生命とは、なぜ生きているのだろうか――


 それは、殆どすべての人間が必ず通る命題だ。


 “自分はなぜ、生きているのだろうか――”

 “何のために、自分は生きているのだろうか――”


 多くの場合、それは思春期に突然訪れる。明確な“自我”が芽生えるからだ。ある日急に、自分という存在の意味を自問自答するようになり、そして“生きる意味”について思い悩むようになる。


 これがこじれると、自己の否定とか、下手をすると自己破壊――すなわち「自殺」だ――にまでつながってしまう。人間は、精神活動が活発なゆえに考え過ぎてしまうのだ。


 ただ、たいていの人間は思春期を過ぎるとそんなことに悩む暇もなくなる。社会的に自分が為すべき役割が増大するため、そんなことを考えている余裕がなくなる――といった方がより実態に近いかもしれない。


 いずれにせよ、多くの人間は“自らが生きる意味”を必ずと言っていいほど一度は真剣に考える。やがてそれは“生きる目標”を見つけることに繋がっていく。


 それはもちろん、人によって大きく異なるだろう。大金持ちになりたいとか、権力者になりたいとか、そういった大きな野望を抱く者もいれば、今日一日をとにかく穏やかに過ごしたいだけの人もいるかもしれない。愛する人を幸せにすることがすべてと思っている人もいれば、誰かに復讐することを生涯の目的としている人もいるだろう。

 そう――人間は、自らが生きる意味を常に問い、できればそこに意義深いものを見つけたいと願って生きている。


 だが、本当のことをお伝えしよう。

 実はそうした概念は、すべて後でとってつけたものに過ぎないのだ――


 生命活動をしている生物は、もちろん人間だけではない。犬や猫――つまりあなたのペットだって生命活動を行っているし、金魚だってバッタだって生きている。そんなさまざまな動物が、いちいち“生きる意味”なんて考えているだろうか――


 そんなことはないはずだ。高度な精神活動をしている人間以外にも、この地球上には多くの生命が満ち溢れている。でも、そうした生命たちは、そんな小難しいことは考えない。

 ただ生きているのだ――


 そう――生命にとって“生きる”ということは、ただその命を繋ぐこと――生きていることそのものが目的なのだ。


 それ以外に、本来生きる意味などない。

 もちろん、どうせ生きているのだから、こういうこともしよう――とか、あれもやってみたい――とか、ついでにやれることはたくさんある。

 だが、それはあくまで“生きるにあたっての付随的行為エクストラ”だ。そのために生きているのではなく、生きているからついでにそうしているに過ぎないのだ。

 すなわち――人間が生きる目的とは、出世することでも、誰かを愛することでも、何かを成し遂げることでもない。


 あなたが生きていることそのものに、意味があるのだ。


 だからもし、今あなたが何者でもなく、日々何もせずにただ漫然と生きているだけの境遇だとしても、。誰かに認められる必要も、ましてや誰かに自分の生き方を指図される必要もない。


 あなたは、ただそこに生きているだけで素晴らしいのだ。


 ちなみに、日本人的には極めて馴染みの薄いイスラム教の根本教義は、まさにこれだ。あなたがこの世に存在するのは、アラーに許されてそうなっているのだから、それで十分、それだけで万事オーケー、というのがイスラム教の根底に流れる考え方だ。


 話を元に戻そう。

 本来、生命というのは、生きることそのものが目的なのだから、そこに一切の付加価値は不要だ。犬も猫も金魚もバッタも、ついでに言えばミジンコも細菌も、生きることがすべてであり、それ以外の意味付けは、実は単なる自己満足だ。

 未来みくの話はだから、生命の持つ唯一の本質的理由「生きる」という行為そのものを否定することなのだ。


 滅びゆく運命ならば、それを受け入れよ――


 烈火の如く怒り狂う李軍の声を聞きながら、しかし士郎はなぜだか納得してしまった。

 あぁ……それって、日本人のメンタリティそのものじゃないか――


 士郎は、なぜだか未来の言葉に何の違和感も覚えなかったのだ。ふと左右を見回す。すると、案の定叶も、そして他のオメガたちも、誰一人動揺していなかった。しかし――

 エヴァンスたちだけは、どこか緊迫したムードを漂わせていた。そうか――彼らは米国人だから……


 その時士郎は思ったのだ。諸行無常――

 この世に不変のものはない。そういえば……『方丈記』にも、そんなことが書いてあったな……


 “ゆく川の流れは絶えずして――”


 結局のところ、日本人は昔から、多くの自然災害を仕方のないことと受け入れ、その運命に身を任せてきたのだ。結果、我々日本人は世界にも稀にみる自然との共生社会を創り上げた。

 一方欧米人や中国人は違う。彼らにとって自然とは寄り添うものではなく、なのだ。だから彼らはいつだって運命に最後まで抗う。


 結果として、彼らは力の信奉者となった。ましてや人類に「滅びの運命」が迫っていると知れば、それを全力で阻止しようと試みる。


 そうか――

 李軍との議論は、結局のところ根本的なところで相容れなかったのだ。李軍の怒りと困惑、狼狽は、本質的に相容れない相手と議論を戦わせる時に必ず生ずる、正体不明の不安感、恐怖感からくる態度だったのだ。

 そしてそれは、そっくりそのまま我々の側の感情でもある――


 叶が、ダメを押した。


「――李先生。どうやら我々は、本質的なところで相容れないようだ。残念です……」


 その時、空間の大気が震えたように思ったのは、士郎だけではない。まさか――

 李軍が、エロヒムたちの制御の枷を外したのか!?


『――やむを得ませんッ! 叶博士――私も残念ですよ。こうなったら、人類の概念を遥かに超えた超人類エロヒムたちの力を、思い知るがいいッ!!』


 次の瞬間――

 目の前のエロヒムたちが、ボコボコと立ち上がり始めた。例のスライム人間もいる。四ツ足の、獣のようなものもいる。翼を生やした者や、何やら巨大な芋虫のような者までいるではないか――!


 これではまるで百鬼夜行だ。まさに悪魔の宮殿パンデモニウムに棲む、魔獣たちの饗宴だ。


 それらの魔獣たちが、一斉にオメガたちに襲い掛かってきた。そうか――


 李軍は、速攻で我々を制圧することで、大和に艦砲射撃をする隙を与えまいとしているのだ。叶少佐は、ここの位置座標を大和に伝え、艦砲射撃でこの地下空間そのものを土中に埋めると宣言していたのだ。一体一体は斃せなくとも、数百億トンの岩盤で圧し潰してしまえば、この化け物たちは地上に出てくることができない。

 たとえ我々全員を犠牲にしてでも、それは為さねばならぬ。いや――


「――エヴァンス隊長! ここは我々が引き受けるッ! 今すぐここから離脱して、位置座標を司令部に伝えてくれッ!!」


 士郎は咄嗟にそう叫んでいた。

 彼らは米国人だ。そしてこれは――我々日本人が受けて立たなければならない喧嘩なのだ。彼らを巻き込むわけにはいかない。


「なッ――何言ってるんだ中尉ッ! それって、もしかしてここを艦砲射撃して貰おうってんじゃないだろうなッ!?」

「もしかしなくてもそのつもりだッ! さっき少佐が言っただろうッ!」

「そんな――あんたたち、一緒に生き埋めになっちまうぞッ!?」


 それもまた、彼ら米国人のメンタリティだった。彼らは最初から死ぬ前提の作戦を否定する。でも、議論している暇は正直なかった。エロヒムたちが、一斉に空中に飛び上がってその身を躍らせ、今まさに士郎たちに飛び掛かってくる寸前だったからだ。

 だから士郎は嘘をついた。


「――大丈夫! 死ぬつもりなんてまったくない! 着弾前に奴らを無力化して、とっとと脱出するさッ!」

「しかしッ!」


 刹那――

 ヴィン――ッ!!!!


 何かのエネルギー波が、空間一帯に広がった。直後、空中のあちこちでエロヒムたちが弾け飛ぶ。


 ゆずッ――!?

 あぁ……ゆずりはが、必死にその人体破壊を繰り出してくれたのだ――


 だが、いつものようにはいかなかった。エロヒムたちは、決して小気味よく爆散したわけではない。せいぜいその勢いを減じ、真っ直ぐ士郎たちに飛び掛かろうとしていたその軌道を無様にずらして、ほんの少しだけ手前に次々と着地しただけだったのだ。

 まぁ、中には致命的な内臓破裂を起こしているであろう個体もあったが、それでもその身体は外見上それほど破壊されたようには見えなかった。


「エヴァンスッ! 頼むッ!!」


 士郎は必死で叫びながら、トーンと跳躍した。そのヒヒイロカネの長刀を、ガッ――とかざす。ただし、スライム以外にだ。


 目の前に、トカゲのような顔つきをしたエロヒムがよろよろと迷い出てくる。次の瞬間――


 ズシャアッ――!!


 士郎は、上段の構えから真っ直ぐに振り下ろした。刹那――


 パカッ――とトカゲ兵士の頭部が真っ二つに両断される。なんだ――斃せるじゃないか……

 だが次の瞬間、士郎の楽観はものの見事に打ち砕かれた。両断された頭部の切断面から、ニュウッ――と何か粘性のものが伸びてきたかと思うと、糸を引いて繋がったのである。

 それはやがて太くなり、左右にぱっくり開いた頭部をギュウゥと引っ張り合う。数秒後、トカゲ兵士の頭部は、再度くっついてしまった。


「ウソ……だろ……」


 傷が――しかも致命傷が……塞がった……!?


 こんなのアリかよッ!?

 これじゃあ、斬っても斬ってもキリがないじゃないか――


「エヴァンスッ!! 早く行けッ!!」


 士郎は怒鳴る。もはや時間がないのだ。こんなのを相手にしていたら、いくらオメガたちだって、そう長くはもつまい。ましてや地上に放ってしまえば……


 我が軍は……敗北してしまう――!


 士郎の鬼気迫る要求に、ようやく米国人たちは我に返る。たった今目の前で繰り広げられた、常識外の戦闘に、エヴァンスたちはついに悟ったのだ。コイツらは、――


「中尉ッ!! 分かった――その命令、引き受けるッ!! だけど、絶対に死ぬなよッ!! 必ず着弾前に脱出するんだッ!!」

「お、おうッ!!」


 SWCCたちは、バッと踵を返すと、元来た道に飛び込んでいった。


 はぁッ……!

 士郎は、ようやく肩の荷を下ろして周囲を見回す。少なくとも、米国人たちは退避させた。今ここにいるのは、純粋に日本人だけだ。あ――マズい……!


「――少佐! なんで彼らと一緒に――」

「行くと思うかい? そりゃあいくら何でも僕を見くびり過ぎだ」

「で、でもッ」


 叶元尚の頭脳は国家の財産なのだ。いや――人類の至宝といっていい。そんな価値のある人物を、こんなところで死なせるわけには……


「僕はきっと役に立つよ? 戦闘はからっきしだけどね……おっと!」


 チィン――!

 叶のすぐ傍を跳弾が掠めていった。


「くッ――分かりました! その辺で、隠れててくださいッ! 絶対に! 顔出しちゃダメですからねッ!!」

「へいへい」


 なんだかいたずらっ子をたしなめる親戚のお兄ちゃんみたいだった。だが、そんないつもの叶の態度に、士郎はいつしか心を落ち着けていく。


 見回すと、あちこちでオメガがエロヒムと戦っていた。いや――厳密に言うとそれは戦闘というよりも、鬼ごっこだった。もちろん鬼はエロヒムで、逃げているのはオメガたちだ。

 何せあの化け物にいったん掴まると、最初の犠牲者のようにそのゲル状の分厚い皮膚に取り込まれ、窒息死しかねない。もちろん、リスクはそれだけではないだろう。こちらの想像を絶する、どんな人外の技が繰り出されてくるか、分かったものじゃない。

 その点、オメガたちの俊敏さは今のところ、辛うじてこの化け物たちに通用しているようだ。


 こういう時は、逃げ回りながら遅滞戦闘に努めるのが一番だ。とにかくコイツらを、この地下空間から出さないのが目下の勝利条件なのだから――


 そのうえで、エヴァンスたちからの連絡で大和が艦砲射撃した瞬間、ここを脱出する。恐らくギリギリまで粘っても、オメガたちの戦闘速度であれば逃げ切れる可能性は皆無ではない。あぁ……そうだ、その際、絶対に叶少佐を一緒に連れ出してもらおう。他のオメガたちより桁違いに運動能力に勝るかざりなら、少佐を背負ったままでも十分なスピードで脱出してくれるだろう。

 もちろん、その際エロヒムたちも追い縋ってくるだろうが、その時は俺が殿しんがりで立ち塞がればいいことだ。


 そうだ――俺は、オメガたちがここから脱出する時間を……稼ぐ。それでいい――


「――士郎くんッ! 取り敢えず、どうしようッ!?」


 未来がそこら中を跳ね飛びながら訊いてくる。少しずつ、逃げ回っているだけの彼女たちに焦りの色が浮かんできていた。

 だから士郎は、とびっきりのニンジンをぶら下げる。


「そんなこと決まってるッ! あの一番奥の小屋に、全員で突撃だ!!!」


 その瞬間――オメガたちがパァっ――とその頬を紅潮させた。要するに、敵の本丸――李軍のいるところに突入するのだ。

 こういう時は、防戦一方では駄目だ。身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ――


 俺たちは、勝利目前なのだ。絶対に、怯むな――!

 士郎は自分に言い聞かせる。

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