第505話 科学者の性分
『な……何を仰っているのです叶博士ッ!? ここを埋めるって……そんなことしたら、エロヒムの成果がッ……研究データがッ……すべてこの世から消えてなくなってしまうのですよッ!?』
「――別に構いませんよ。そんなもの、誰も欲しがらない。あなたはオメガのデータと引き換えだと言ったが、エロヒムという生物の情報が、彼女たちと同等の価値があるとは到底思えない――」
『ま、待ってくださいッ! 博士ッ!?』
少佐――
士郎は、叶の言葉に心底驚愕するとともに、不覚にも感動を覚えてしまった。それは、その場にいた6人のオメガたちとて同様であったらしい。みんなの目が、心なしか潤んでいた。
この人は、いつも軍事作戦のことはお構いなしに、神出鬼没、人の迷惑顧みず好きなところに現れては掻き回し、自分の興味のあることにだけのめり込んで、そして台風のように去っていく。まさに典型的なマッドサイエンティスト――研究のためには、他のすべてのことはどうでもいい――かのような人格が見え隠れしていたというのに……
一番大事なところで、彼はやはり仲間想いの愛国者だったのだ。
もちろん、士郎はこの叶元尚という男が嫌いではなかった。いや、むしろ割と常にリスペクトしていたとは思う。頭脳明晰だし、いつも的確な助言や、事象の背景について専門的な見解を分かりやすく披歴してくれていたから……
ハルビン攻城戦でも、出雲籠城戦でも、勇敢に戦場に立って軍医として多くの兵士の命を救ってくれた。そういう意味では、今さら叶の態度に驚くとは、むしろ失礼なのかもしれない。でも心のどこかで、ほんの僅かな疑念があったのは事実なのである。
それは、もしかしたら『
この人の本質は“科学者”だ。そういう人種は、いざとなったら自分の興味のあるモノや、確率的により成功率の高いものを最優先してしまうのではないか――
でも、士郎は今度こそ叶元尚という男を明確に理解した。
この天才科学者は、士郎と同じメンタリティを持っている。士郎と同じように国を愛し、そして、オメガたちのことを、心より大切に想ってくれている――
「――李先生……もういいですよ。もう十分です。あなたは研究の方向性を間違った……あなたも科学者の端くれなら、誤りに気付いた時は、潔くやり直すべきなのです。人類の科学技術は、そうやって無数のトライアンドエラーを繰り返しながら進歩してきた。あなたが創ってきた科学の進化の系統樹は、ここで終わる。そして分子生物学は、もう少しだけ前の時点に戻って、また別の枝分かれからやり直すのです。あなたではない、別の誰かが――」
『ま……待って! そんなことはないッ! 私の創ってきた科学の道筋は、“枝”ではなく“幹”そのものなのですよッ! それを切り取ったら、その木は枯れ果ててしまうかもしれないッ! それに……私の水準まで元通りになるには、下手したらあと100年かかるかも――』
「いいではありませんか!? 誰も望んでいないのです。その木がそこまで大きくなるのを……」
『そッ……そんなことはないッ! だって、現に医療技術は飛躍的に進歩したッ! 傷ついた兵士の身体を元に戻すのに、どれだけ分子生物学の進歩が役に立ってきたか――』
確かに、その点に関しては李軍の言い分にも理はある。幹細胞技術の発達によって、この時代の人間は、自分の幹細胞さえあれば失った臓器を再度作り直したうえで自分自身に新品を移植できるようになった。人工透析という手法がなくなったのは、簡単に腎臓を再生できるようになったからだし、人体の各器官を蝕む癌だって撲滅した。今や失った手や脚を再生することなど、少なくとも日本においては当たり前の医療なのだ。
「――だがあなたは、余計なものにまで手を出した。不必要な遺伝子操作です。それは本来、人間がやっていいことではない。神の領分なのです」
『だって! 博士だってそこにいるオメガたちを研究しているではありませんかッ!? それは――』
「彼女たちは、あくまで
そう――まったくその通りなのだ!
確かにオメガたちは、従来の人間たちとは根本的に異なっている。人間にとって致命的な放射能を当たり前のように分解し、およそ人間の成しえない人外の異能を振るう存在――
だが、確かに彼女たちは、誰かにその身体を弄りまわされて生まれた存在ではない。それはあくまで自然の摂理――いや、厳密に言えば遥か古代にシリウス人たちによって仕組まれた必然か――によってこの世界に誕生した者たちである。
それはある意味人類の進化の過程において、生まれるべくして生まれた存在なのだ。
『――だ、だったら! えぇ、分かりましたッ! このエロヒムについて、今すぐその素晴らしい能力をご説明しましょう! そうすれば、コイツらが絶対に滅ぼしてはならない、人類の至宝であることが博士にも分かってもらえるはずだッ!』
「ほぅ――」
――!!
李軍の奴、追い詰められてとうとう自分からエロヒムの秘密を教えると言い始めたのか――!
ふと叶を盗み見た士郎は、その顔が密かにニヤリと笑っていることに気付いてしまった。
――――!!!!
まさか――!
少佐は最初から、こういう話の展開になることを予測して……!?
士郎は慌ててオメガたちをチラリと見る。すると、未来たちもそのことに気付いた様子だった。目を見張り、驚愕の色を滲ませている。
ちなみに、いつも空気の読めない久遠と、物事をあまり深く考えない楪だけは、割とぽけーとした顔をしていた。ならば間違いない。この遣り取りは、分かる者には分かる、叶の恐るべき深謀遠慮だ――
叶が口を開く。
「――そんな説明にもはや興味はありません。どうせこの後彼らはこの地中深く埋められるんだ」
少佐、まだまだ挑発を緩めるつもりはないらしい。科学者にとって、自分の研究を否定されることは、何よりも耐え難い屈辱なのだ。李軍を追い込めば追い込むほど、奴の口は軽くなる――
『まッ! 待てッ!! 後生だから……私の話を聞くんだッ! 叶博士ッ……そうしたら、あなたは間違いなく考えを改めるはずだッ!』
「……ふっ……どうでしょうか……ならばまず、このフィールドにいるコイツらの行動を制御してみせたらどうです? もし彼らを自在に操れないのであれば、やはりあなたの話は訊く価値もない――」
『分かった! 分かったから……少し待っていてくださいッ!』
そう言うと、李軍ははたと押し黙った。あの奥の小部屋で、何か慌てて操作でもしているのだろうか……
すると、唐突に空気が変わった。それは、空気が変わったというより、こう……重力が変わった――重くなった? ――というか、圧が変わったというか……
とにかく何か、この空間の組成に手が加えられたようなのだ。
途端、それまでじりじりと動いていた化け物どもが、おもむろにその動きを止める。それはまるで、仮死化したかのような……あるいは、意識して動きを止めたのか――
いずれにせよ、目下のところの命の危険はひとまず回避されたのだった。
『――ど、どうです!? キチンと制御できているでしょうッ! これなら文句はないはずだッ!』
相変わらず李軍は、冷静さを失っているようだった。
叶少佐……凄すぎるだろ――
口先ひとつで、この絶体絶命のピンチを見事にペンディングにしてみせた。少なくとも、このまま黙ってやられる事態は避けられたのだ。
「――ふん……まぁいいでしょう。じゃあ、なるべく簡潔に説明してください。いいですか――私は基本的にエロヒムなどどうでもいいと思っている。だから、私の琴線に触れないのであれば、その時点であなたの話は遮り、ここの座標を大和に送ります。帝国海軍の練度は高い。恐らく一撃か二撃で、ここは見事に木っ端微塵になることでしょう」
『わ……分かった……なぁに、博士もこの話を聞けば、絶対に興味を示されるはずだ。えぇ……保証しますよ……』
叶は、その途轍もない好奇心を上手く表情の下に隠しながら、まったくのポーカーフェイスで李軍のいるであろう奥の指揮棟を睨みつけた。
***
「――するとここにいるエロヒムたちのベースになっているのは、中国軍の将兵というわけですか……」
『えぇ。ですからコイツらは、人間の進化形と言えるのです。決して、化け物などではない』
李軍が説明を始めてから、かれこれ5分近くが経っていた。その間は、如何に自分が遺伝子研究に生涯を捧げてきたのかという話が大半だった。そろそろうんざりしかけた頃、ようやくこのバケモノたちの正体を明かしたのである。まずは“エロヒム”の秘密、その一をゲットというわけだ。
「……しかし、だからどうだというのです。この姿、実にグロテスクではありませんか。彼らは人間というより原始生物だ。そう――スライムのような……えぇ、確かにこれとは形状の違う者もいますね……こっちは何ですか? ふむ、四足動物のようだ。人間が誇るべき二足歩行さえ捨ててしまったのですか……」
叶の言い方は辛辣だった。
だが、それがそれぞれの化け物の弱点を探るための、敢えての挑発であることを士郎たちは知っていた。そんなことは、こうしてすぐ傍で叶を見ていればすぐに分かる。
だが、臆病な李軍は決して我々の前に姿を現してこない。だから叶の言葉が挑発だと、未だに気付いていないのだ――
『お、お待ちください。これらの形状には、すべて意味があるのです! そもそも人間という生物の形状が、それほど優れたものでないことは、博士だってとっくにお見通しのはずだ』
「……ふむ……確かにそれは否定しません」
え――それってどういう……
『そもそも人間は、この地球上では極めて不完全で脆弱な生き物です。えぇ……そうです。だってこの地球上で二足歩行の生き物なんて、我々人間しかいないのですから。それはすなわち、この惑星の生物としては、環境に適応していないことを意味します』
あれ……それってどこかで聞いたことがあるな……それも少佐が教えてくれたんだっけ……
李軍の話は続く。
『もちろん、それが進化の過程で獲得した習性に基づくことは認めますよ。人間は森から追い出され、草原では肉食獣に喰われるだけのただのエサだった。あらゆる他の生物から生存圏を奪われ、ただ滅びるだけの弱い種族であったがために、二本足で立ち上がって別の道を歩き始めた……それは確かに、人間なりのこの地球上での居場所探しでした。そう言う意味では人間もまた、この地球環境に適応するためにこそ、二足歩行になったと言えるかもしれません。ただ――』
叶は、また少し退屈そうな仕草をしてみせた。その動作は、恐らく李軍もモニターか何かで見ているだろう。話が余計な方向に脱線しないよう、きめ細かく演技をしているのだ。
『――ご、ゴホン……まぁ、この話はいいでしょう。いずれにせよ、この星の生物は常に、自分が他種族よりも少しでも有利になるよう、その身体を進化させてきました。そういう意味では、二足歩行の人間などよりよほど優秀な形状をした生物はゴマンといる。中でも優れているのはそう――そこにいるスライム状の身体です』
「――ほぅ……この形状のどこが、そんなに優れていると?」
『もちろん、問題はその形ではありません。ポイントは、あらゆる外部からの衝撃を、その身体で吸収できるという特性です。先ほども銃弾や刃物を防いだでしょう?』
「確かにそうだ。あぁ――でも李先生、私はね、もうそんなことどうでもいいと思っているのですよ。だって、コイツらはいずれ数億トンの地盤に圧し潰されて死ぬ運命なのです。どんなに外部からの衝撃に強いと言ったって、物理的に生存空間がなくなってしまえば、やっぱり生きていくことはできないのでしょう?」
叶は、そんな話興味がないとばかりに突き放してみせた。
当然、李軍は焦る。
『まままま、待ってください叶博士! で、では何を説明すれば――』
「そもそも――」
叶はぴしゃりと言い放つ。
「――そもそも、なぜあなたはこのような遺伝子変異体を作ってしまったのです。私が一番知りたいのはその部分だ。結果として完成した出来損ないになど、さして興味はない」
『あぁッ――! まさにその通りですな……科学の探求とは、何を目指しているのか、何ゆえにそれをしようとしたのか――その始まりこそが最もその研究者の意図を知る重要なカギだ』
そう――そして李軍の意図を明確に理解すれば、彼がやろうとしている、あるいはやろうとしていたことのすべてが分かる。そうしてこそ初めて、我々は先回りしてコイツの野望を打ち砕けるのだ――
そして李軍は、相変わらずこちらの誘導尋問にまるで気付いていない。
『えぇ! ご説明しましょうとも! それはすなわち、人類の救済ですよ!』
は――!?
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