第504話 許されざる命

 そのグロテスクなコクーンから生まれた異形の生物は、ずるっ……ずるっとオメガたちに近寄っていった。


「――ど、どうする士郎? もう下がれないぞ……」


 久遠が隣で囁く。

 その空間は、テニスコート二面ほどの広さだが、一番奥には敵中枢が入る小規模な指揮棟が建っている。

 それをグルリと取り囲むように、例の気味の悪いコクーンが床一面に敷き詰められているのだ。


 その様はまるで、万魔殿パンデモニウムの最奥にある、魔王の“玉座の間”のようだった。


 本来は近代的な地下街の一角だったはずなのに、今やここには得体の知れない巨木のようなものが、その捻じ曲がった幹や枝、根を縦横無尽に伸ばしており、それが空間全体を覆っている。湿気も凄いから、なんだか建物の中なのに深い森の奥のようで、鬱蒼としていた。

 そのうえ既に地下街全体は給電が断たれている。結果この異空間を照らすのは、恐らく自家発電で点いているであろう緑色の小さな非常灯と、そして“玉座の間”の擦りガラスからぼんやりと漏れる、黄色の明かりだけだった。


 士郎たちは、あっさりと壁際まで追い詰められてしまっていたのだ。


「――中尉ッ! 気体爆薬サーモバリックを使いますよッ!!」


 今やオメガチームの護衛兵を買って出ているSWCCスイックチームの指揮官エヴァンスが叫ぶ。

 化け物どもは銃弾も刃物も受け付けないから、残るは火攻めしかないというわけか――

 当然、これが爆発すると一定範囲の空間が燃焼し、炎熱地獄と化すと同時に一時的に無酸素状態になる。士郎は、オメガ全員が完全被覆鉄帽フルフェイスアーマーをキチンと装着していることを慌てて確認し、エヴァンスに対しようやく親指を突き立てた。


「よしッ! エディ! アーロン! セット!」

「アイサー!」


 すると、アーロンと呼ばれた先ほどの爆破担当兵士が、茶筒のような円筒状の物体をエドモンドに手渡す。それをライフルの銃身先端下部に固定されていた水筒のような形のポッドに差し込むと、片膝を立てて銃を斜め上方に持ち上げた。


「――ファイア!」


 ポゥッ――ポゥッ――!


 擲弾筒の要領で立て続けに撃ち出されたそれは、小さな放物線を描いて化け物たちのど真ん中にスッと落ちていく。次の瞬間――


 カァッ――


 固体の状態で凝縮されていた強燃性ガスと粉塵が、一瞬にして爆轟する。それが周囲の酸素とさらに結合して、空間はあっという間に炎熱に包まれた。その勢いは想像以上に凄まじく、火炎の舌が一瞬、士郎たちのすぐ鼻先まで迫る。

 恐らくこの瞬間、周囲の酸素は一瞬にして燃え尽きたことだろう。ヘルメットを被っていなかったら、あっけなく窒息していたはずだ。窒息しないまでも、その超高温燃焼は、恐らく触れた者の骨まで焼き尽くす。

 だが――


 化け物たちは、それでも生きていた。


 確かにその熱さを嫌がるようにその身をよじらせてはいたが、だからといって火柱になるわけでもなく、蒸し焼きになるわけでもなく、それはやはりそのままの姿で、煉獄の中を彷徨っていたのである。


 サーモバリックの効果は数十秒で消え去り、空間は元通りになる。いや――例の気味の悪い巨木だけは、その表面が真っ黒に炭化していた。

 ガッと足元を這う太い根っこを蹴り飛ばすと、それはボロッと崩れ去った。少なくとも、この植物状のものにだけは、効果を発揮したらしい。しかし――


「――クソっ!! いったい……どうなってやがるッ!?」


 苛立ったエヴァンスが、思わず口汚い言葉で罵った。樹木を燃やせたところで、今は何の助けにもならない。

 肝心のアイツらは、火でも斃せないのか……じゃあ一体、これ以上どうすれば――!?


 その時聞こえてきたのは――あの男の声だ。


『――おやおや、ずいぶんお困りのようだ……どうです? 少し私とお話ししませんか?』

李軍リージュンッ! きさまァ――!」


 その声には明らかに余裕があって、そして士郎たちを上から目線で見下していた。その態度は、まるで自分が神にでもなったかのような尊大さだ。


「――あの奥の小部屋ですッ!」


 マンキューソがモニターを見ながら鋭く指摘する。彼の操るデバイスは、声の発信源、動体検索、サーモグラフ……あらゆる観測数値をもとに、敵の居場所を特定する。声の主は、間違いなくあの小屋の中にいた。

 もう少し、もう少しで手が届くのに――!


 その時、叶がおもむろに口を開く。


「――あなたは先ほど、エロヒムとか何とか、言わなかったか!?」


 エロヒム――!?

 そうだ……そういえばさっき、チラッとコイツが口走っていたような……

 士郎たちは、ついに李軍を追い詰めたことばかり気になって、それを聞き流していたのだ。李軍は確かに先ほど、この化け物どものことを『エロヒム』と呼んだ。


 こうなってしまうと、その“エロヒム”なる化け物の正体や対処法を、李軍本人から探るしかない――おそらく叶は咄嗟にそう判断したのだ。

 奴の誘いに、敢えて乗ろうというのか――


『おぉぉ……やはり叶先生は興味がおありのようだ。よかった……実によかった』


 李軍は満足そうに応じる。クソッ――どこまでも、尊大な男だ。

 叶は、だがそんな安い挑発には乗らない。


「――えぇ、ぜひ教えていただきたいものです。銃弾も刃物も効かず、そして熱にも強いという、この謎の生命体の秘密を……」


 すると、一瞬だけ間があった。少しだけ、戸惑っているような気配だ。

 叶が思いのほか素直に教えを乞うてきたことを、意外に思ったのだろうか……


『え……えぇ、えぇ! いいですとも! 叶先生、やはりあなたは私の目標とすべき偉大な科学者だ。戦いよりも、科学の探求のほうが大切ですもんねぇ』


 何ということだ――

 李軍のその言葉は、なにやら同類を見つけたような喜びに満ちていた。


 確かに叶は、稀代の天才科学者だ。その名は世界中に轟いている。政府も彼の頭脳を第一級の国家財産と認識しており、だからこそ彼を軍人として囲い込んでいるという側面もあった。叶が軍人のくせに軍人らしからぬ言動をしても、殆どお咎めがないのはそれが理由だ。

 その代わり、叶は軍に多大な貢献をしてきた。もちろんその最大の成果は“オメガ研究”だ。


 今やオメガたちは、国防軍になくてはならない貴重な戦力として、多くの戦役で大活躍している。彼女たちがいなければ、戦争に明け暮れる日本国は今の何倍も、何十倍も辛酸を嘗めていたに違いないのだ。

 例のドロイド兵だって、時折叶が助言することによって、どれだけその性能を高めてきたか分からない。半分趣味で作っていた強化外骨格エグゾスケルトンだって、今や水陸機動団の制式装備だ。


 他にも挙げればキリがない。彼の発明品やさまざまな理論構築は、実に多くの場面で国防軍の戦力強化に貢献しまくっている。そう――つまり叶は、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチとも、アインシュタインとも、ホーキングとも呼ばれている存在なのだ。


 それはすなわち、彼が理論物理学から産業開発分野に至るまで、実に幅広い分野を網羅する、現代科学技術文明の申し子であることを意味している。


 そんな天才科学者に憧れる若い研究者は数多い。国内外問わずだ。

 だから李軍が、同じように彼を憧憬の目で見たとしても、何の不思議もないのだ。だが……


 明らかに今の李軍の目は、それとは違う。


 叶のことを、自分と同じように“目的のためには手段を選ばない”人間だと勘違いしているのではないか――


 実際、李軍はそうだった。何せ、この男は遺伝子操作に伴う倫理的な問題をことごとく無視してきたのだ。禁忌とされている動物と人間の遺伝子混合は、彼の所業の一端に過ぎない。

 例の『三屍サンシィ』による死体操作など、見方によってはある意味絶対禁忌の“反魂法”と殆ど変わらないと言っていいだろう。こんな男が分子生物学における世界的権威であることが、そもそも今回の事態を招いたのだ――


「……それで、単刀直入に聞きます。エロヒムとはいったい何なのですか?」

『あぁ――……叶博士! あの天才叶が私に教えを乞いに来るとは!』


 オメガたちは、そんな李軍のテンションを醒めた目で見つめるしかない。その視線が向かうのは、繭畑の奥にある、あの指揮棟だ。

 本当なら今すぐにでもあそこに飛び込んで行って、李軍をどうにかしたいところだ。だが、迂闊に飛び込んでいけば、先ほどのSWCC兵士のように、あの化け物に取り込まれてしまう……

 士郎は、そっと未来みくの肩に手を置いた。今はこらえるんだ――


 そんな士郎のいたわりに気付いたのか、ふっと未来が後ろを振り向く。そして士郎と目が合うと、困ったようにその視線を逸らした。


「……えぇ、そうですね。ぜひ教えてください。この分野は、あなたが第一人者だ」


 叶は、李軍に同じ言葉を繰り返した。この辺りが、叶の人間的に出来たところだ。決して自分の才能を驕らないし、だから何を言われてもどこ吹く風だ。


『――そうですかそうですか……分かりました。でも――その前にひとつ、お願いがあります』


 李軍が調子に乗ってきた。お願いだと――!?

 この期に及んで、条件を出そうというのか!? 今やこの地下司令部は、士郎たちが殆ど掌握していると言っていい。残るは本丸――ここだけなのだぞ!? 自分が追い詰められていることにすら、気づいていないのか――!?


『……おっと、調子に乗るなと思っているようですね? ですが、それは認識の相違ですよ……今や追い詰められているのはあなたたち日本軍だ』

「――何が言いたいのっ!?」


 未来が苛ついた声で李軍を遮った。


『――おやおや、誰かと思えば神代未来ではありませんか……あなたともあろう者が、自分の置かれた状況を理解していないなんて、少し失望しましたよ……』

「くッ――」

「あー、未来ちゃん、いいんだ。彼の言う通りだよ。我々は確かに追い詰められている」


 涼しい声で割って入ったのは叶だ。


「少佐――」

「確かに我々は、この“エロヒム”とかいう化け物に追い詰められている。だって、銃も刃物も、炎ですら効かないんだからね。斃しようがない。我々がどんなにここで戦いを挑もうが、返り討ちにされて全滅するのがオチだろう。だから――」


 叶は飄々と最奥の指揮棟を見つめた。


「――だから李先生、ぜひとも、この素晴らしい生物について教えていただきたい」

『あぁッ! そうなのです叶博士! エロヒムの素晴らしさを一目で見抜くなんて、先生はやはり慧眼でいらっしゃる。えぇ、いいでしょう! ぜひエロヒムについてお話をさせてください。その代わり――』


 李軍の声が上ずった。


『――私に……オメガの秘密をすべて教えてください。だってそうでしょう? 知識はタダではないのです。エロヒムの秘密を知りたいのならば、それと同等の価値のあるものをいただきたい。それが道理というものです』


 ――――!!!!


 コイツはいったい何を言っているのだ!? オメガの秘密を売り飛ばせだと――!?

 士郎はてっきり、李軍が命乞いをしてくるのだと思っていた。いや、もちろんこの空間の中だけに限って言えば、我々は明らかに劣勢だし、局地的には李軍の方が勝利するかもしれない。


 だが、日本軍はそこまで甘くない。この地下空間に、敵の最高司令官、あるいはそれに比肩する第一級の最重要手配犯がいれば、部隊のひとつと刺し違えてでも、これを粉砕することを厭わないだろう。

 自己犠牲で敵を斃せるのであれば、誰もが喜んで命を差し出す。それが我が軍兵士のメンタリティであり、日本軍の強さでもあるのだ。

 もっとも、士郎たちの上官である四ノ宮は、案外部下想いの人道主義者だということが最近よく分かってきたから、この場面で士郎たちに「死ね」とは言えないかもしれない。

 だが、なればこそ士郎は、今ここでやるべき自らの使命を強く自覚するのだ。


 なのに……もしかして叶は李軍の申し出を受けるつもりなのか――

 普通の兵士とは少し異なる価値観を持つこの天才科学者は、国防軍兵士の矜持よりも、あくなき知識欲を優先してしまうつもりなのか――

 ましてやその情報が、この化け物を斃すための対価になるかもしれないのだとすれば、感情より合理性を追求する彼のことだ。諸手を挙げて応じかねない……

 その時――


「……ふふふっ……ふふふふふっ――」


 唐突に笑い声が聞こえてきた。え――? 少佐!?


「――李先生……どうやら結論は出たようですな」

『お、おぉ――では叶博士!』

「何も……何も教えるつもりはありませんよ!?」


 ――!!

 叶の口から、予想外の言葉が返ってきた。


『な――!? 何を仰っているのです!? それでは私もエロヒムのことは教えられませんよ!? いいのですかっ?』

「別に、かまいません」

『なぜッ――』

「――別に……ここでこの化け物どもを一体一体斃す必要はないではありませんか!? だって、我々はこの地下空間そのものをこのまま埋めてしまうことだってできる」


 ――――!!!!


 士郎は、この二人の遣り取りに、いったい何度驚いたことだろう。


『……う……埋めるッ!? そんなことをしたら、あなたたちだって――』

「構いませんとも――我々は誇り高き皇軍兵士だ。国家を守護するための礎になるなら、この命の一つや二つ、別に惜しくはありません。幸い、ここの位置座標は既に分かりました。今から大和に艦砲射撃してもらえれば、ここは一瞬で埋もれます」

『な……』


 少佐――!


 あぁ……なんてことだ……

 この人は、科学者である前に、兵士であることを選んだのか――


 いや、兵士である前に、人間であることを選んだのだ。

 それは、彼の次の言葉でハッキリと分かった。


「――李博士。ここにいるエロヒムなる生物は、恐らくです。だったら私は、この許されぬ命とともに、この地下深く、数十億トンの岩盤とともに永久に封印される道を選ぶでしょう……」

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