第506話 ゲノムメルトダウン

 人類の救済――!?


 この男はいったい、何を言っているのだ!?

 これだけ大きな戦争を引き起こしておいて、いったいどの口がそれを言う――!?


 一同は呆気に取られるが、いっぽう李軍リージュンは大真面目の様子だった。


『――叶博士……博士はご存知でしょう!? マンモスの悲劇を……』

「マンモスの……悲劇?」


 士郎は思わず口走ってしまった。

 その言葉が、あまりにも唐突だったからだ。マンモスって、あのマンモスのことか――!?

 すると叶は、士郎たちの方へついと視線を向ける。オメガたちは顔を見合わせ、何のことだっけと探るような視線を返した。


「――おーけい、みんなにも分かるように、少しだけそこを説明しておこう」


 そう言うと叶は、それまで繭畑のその奥――つまり中国軍の本当の中枢があるあの小さな部屋――へ向けていた視線を外し、士郎たちに振り向く。


『……えぇ、良いでしょう。皆さんには、博士の口から説明して貰ったほうが良さそうだ』


 李軍はどうやら待つつもりらしい。まぁ、現状の主導権は既にこちらにある。奴としては、叶の機嫌を損ねることはできるだけ避けたいのだろう。


「マンモスの悲劇――これは、北極海のウランゲリ島というところで発見された、最後のマンモスと呼ばれる化石の解析データから判明した、とあるエピソードのことだよ」


 叶の話をまとめるとこうだ――

 知っての通り、マンモスというのは今から数万年前、北米大陸からユーラシア大陸に至るまでの広大な地域で一大繁殖した巨大生物だ。その姿は現在のゾウによく似ているが、大きさは一回りも二回りも大きい。長い毛足を持ち、巨大な牙を持つ。群れで生活し、寒さにめっぽう強い。氷河期と言えばマンモスを思い浮かべるほど、人類にとってはよく知られた古代哺乳類だ。


 さてこのマンモス、知られているだけで4万年から5万年前には広く棲息していて、最終的には今から約4千年前に絶滅したとされている。

 その絶滅の理由はいくつか推測されているが、主には約1万年前から人類の狩猟の対象とされ、大量に狩られたことが原因ではないかとされてきた。つまり――人類史において最初に絶滅に追いやった、悲劇の生物とされていたのだ。


 だが、“マンモスの悲劇”とはそのことではない。その後、定説が覆されたからだ。

その後の調査や研究の進展により、当時棲息していたマンモスの個体数をすべて狩りつくすほど、人類の数は多くなかった――ということが分かったのだ。

 つまり、乱獲による絶滅ではなかったのである。


 ではいったい何が原因だったのか――

 それを示すエビデンスが発見されたのが、実はこのウランゲリ島の化石だったのだ。


 この化石は、約4千年前のものと判明した。つまり、マンモスが絶滅する、まさにその頃の化石だ。もしかしたらこの化石こそ“最後のマンモス”だったと言っていいかもしれない。

 

 米国カリフォルニア大学の研究チームは、このウランゲリマンモスの化石からDNAを採取することに成功した。彼らはそれと、4万5千年前――すなわち、マンモスという巨大生物がこの地球上を闊歩していたまさにその黄金期――の化石を比較したのである。

 その結果、驚愕の事実が判明したのだ。


 絶滅寸前の最後のマンモスのDNAは、ボロボロだったのである――


 詳しく調べたところ、当初若々しくて生物学的に強いDNAを持っていたマンモスは、数万年の時を経て、いつの間にかそのDNAが大きく劣化していたのだ。

 それは多くの場合、遺伝子の突然変異を修復できなかったことによる劣化だ。


 多数の重篤患者を生み出したオメガの例でも経験があるように、生物の大抵の突然変異は通常、悪い方に変異する。つまり、それは遺伝子のコピーミスだったり、出来るはずの仕組みが上手く作動しなかったりするものだ。

 その結果、当然ながらその個体は生存に不利となり、多くは子孫を残せない。そうやって、過ちは早々に淘汰され、正しい遺伝子を持つ個体が再び種族を繁栄させていく。

 もちろん、優秀な機能を発現させるポジティブな突然変異は、遺伝子の性質的にそれを残す方向に作用するから、そのまま残っていく。生物種はそうやって少しずつ進化していく。


 ともあれ、劣化遺伝子は通常、種の存続に役立たないということで消滅する方向に作用するのだが、マンモスの場合はなぜだかそうならなかったのだ。


 その理由はさまざま考えられるが、もしかしたら氷河期という厳しい環境がある程度作用したのかもしれない。つまり――群れを維持できるほどの個体数が、氷に閉ざされた環境の中で集まりきれなかったのだ。

 まぁ、それは仮説のひとつに過ぎない。いずれにせよ、マンモスは悪性遺伝子をどんどん蓄積させてしまった。劣化した遺伝子を持った個体同士が交尾を重ね、さらに悪性の遺伝子が発現したその子孫が、新たな劣化遺伝子を持つ別の個体と交尾する。

 そうやって何世代もの間、マンモスはその遺伝子の力をますます劣化させていった。


 結果として、彼らの遺伝子はボロボロになってしまったのだ。


 研究チームの調査によれば、その劣化のひとつは「臭覚受容体」と呼ばれる遺伝子の欠損だという。これは、ものの臭いをかぎ分ける能力だ。

 つまり、絶滅寸前のマンモスは、匂いを一切嗅ぎ取れなかったというのだ。その結果、マンモスたちは、自分以外の個体が自分の仲間なのかも分からず、オスとメスがそれぞれアピールすることもできず――一般的に動物はフェロモンという臭気によって性的アピールをする――もともと群れで生活する習性を持っていたはずの彼らはいつの間にか他の個体を恐れ、お互いに接触を避けて、孤独に暮らすようになったと推定されたのだ。

 その行き着く先は当然、絶滅しかない。種としてのゲノムが崩壊し、種の保存がこれ以上不可能になってしまったのだ。


 これを『ゲノムメルトダウン』という。


  ***


「――これで間違いありませんね、李先生?」


 再度、叶が繭畑の奥を見つめ直した。


『――えぇ、さすがです博士。そして私がいいたいのは、今まさに人類は、この“マンモスの悲劇”を繰り返そうとしている、ということなのです』

「――どういうことだッ!?」


 士郎は思わず息まいた。

 李軍の話が、いまひとつ繋がらなかったからだ。人類の遺伝子が劣化しているとでもいうのか――


『おやおや……血気盛んなことだ。ですが、もしかしたらその怒りの感情も、遺伝子の劣化の表れかもしれませんよ?』


 なんだと――!?

 だが、それが李軍の挑発だと気付いた叶は、士郎を穏やかに制する。


「詳しい説明を聞こうじゃありませんか」

『おぉ! ようやく私の話に興味を持ってくださったようでなによりです。えぇ、もちろんですとも! いいですか――』


 今度は李軍のレクチャーだ。

 なんでこんな男の講義を黙って聞いていなければならないのだ――とムカつくが、士郎は必死で自制心を発揮する。


『――人類が、かつて進化のボトルネックに陥っていたのはご存知ですね?』


 もちろんだ。

 それは、過去の一時期、現生人類の個体数がせいぜい数千体にまで激減したという科学的事実のことだ。それはまさに、人類絶滅の危機だったと言っていい。そこまで個体数が減ると、ちょっとした天変地異や食糧が確保できなかっただけで、簡単に死に絶えてしまう。

 今の人類の基本的なDNAが殆ど変わらないのは、その時の小集団が、今の数十億の人類のすべての母体だからだ。まったく――よくぞここまで回復し繁殖したものだ。


『……えぇ、そうです。皆さんは、実に教養が高くて助かります。これも叶博士の日頃の薫陶のお陰でしょうか』

「余計なことはいい。要点だけ、話してくれたまえ」


 叶が釘を刺す。李軍のこういうところが、いけ好かないのだ。士郎はこれ以上、李軍に揶揄されないよう、深呼吸をしてアンガーマネジメントに徹する。


『――失礼。さて、私の問題提起はこうです。なぜ人類は、これほどまでに気性が荒いのでしょうか!?』


 え――!?

 それって、あの時神さまたちと話したことと、同じテーマじゃないか……

 なぜ李軍は、そんなことを……偶然の一致なのか、それとも必然か――


 李軍は充分な間をおいて、次の言葉を紡ぐ。


『――それはね、DNAの多様性が失われているからだと私は考えたのですよ……』

「DNAの……」

「多様性……?」

『えぇ、だって、今の人類の祖先が皆同じということは、いわば身内同士で何度も何度も交尾を繰り返してきたということではありませんか。それってどういう意味か、お分かりですよね!?』

「そ……それはもちろん……」


 なぜ人間社会では、近親相姦が禁忌とされているのか、皆さんは科学的に考えたことがあるだろうか――!?

 もちろん、それは倫理的に許されないことだ。

 親子や兄弟姉妹同士で子供を作るなど、一般的には絶対あってはならないこととされている。


 では、そういう理屈が理屈として社会全体に共有される以前、すなわち、まだそういった社会的倫理観が未発達だったと思われる古代はどうだったかというと、実はそんな時代でも、この禁忌はとっくに成立していたとされているのだ。


 それは、同じ遺伝子同士で子孫を作らないという、生物学的な忌避本能だとされている。なぜなら、似通った遺伝子が次の世代を作ろうとすると、必ず遺伝子が劣化した個体が産まれてしまうからだ。

 生物はそれが本能的に分かっているから、なるべく自分とは異なった遺伝子と子孫を作ろうとする。


 誰だって思い当たるはずだ。異性を好きになる時、自分と顔の系統がよく似た相手を選ぶだろうか?

 絶対にそんなことはないはずだ。むしろ、自分とは逆系統の顔や体つきに魅力を感じるのが普通なのだ。

 もちろん、どんな場合だって例外はある。中には自分の兄弟姉妹が大好きだという人もいるだろう。だがそれはあくまで例外だ。ここでは嗜好の多様性、マイノリティの権利を論じているのではなく、生物学的な原則論を述べているので誤解のないようにしてほしい。


 ともあれ、近親相姦が実際に、いろいろな障害を引き起こすのは事実だ。遺伝子の劣化はもちろん、さまざまな精神疾患を引き起こす確率が高まることも知られている。何度も繰り返し血縁で婚姻を繰り返した中世英国ハノーヴァー朝の王家筋が、遺伝性疾患に苦しんでいたのは有名な話だ。

 それは具体的には、血液中で酸素を運搬するタンパク質であるヘモグロビンの材料『ヘム』が上手く造れないという病気『ポルフィリン症』だ。そのせいで、英国王室の人々は代々、謎の発作を引き起こしてきた。そのことは各種公式記録にも明確に記載されている。記録にはそのほか、彼らが酷い腹痛や精神神経症状、光過敏症などを患っていたことが書かれている。


 21世紀の遺伝子研究は、彼らの遺髪や爪などの残された材料から、これらがすべて遺伝的疾患であったことを解明した。


 王家というのは世界中どこでも、生物学的というより政治的理由によって、一般人よりも近親相姦を行ってしまうことが多かった。もしも可能ならば、これらの家系をすべて追跡してみるといい。間違いなく有意差のある結果が導き出されるであろう。


 李軍が再び口を開く。


『――もちろん何十世代もの間、人類は交配を繰り返し、どんどんその母体を大きくしていきました。ですが、やはり元は同じ小さなコミュニティから出発しているのです。いつしかその遺伝子は劣化していった。気付かないうちに“マンモスの悲劇”を繰り返していたのです……』

「――し、しかし……」

『なぜ人類は、いつまで経っても数十万年前の人類のままなのですか? それは、遺伝子の多様性が失われたせいで、飛躍的な進化がもはや望めないからです』


 確かに、現生人類ホモ・サピエンスはもうずいぶん前から現生人類ホモ・サピエンスのままだ。特に身体的特徴が進化したわけでも、それこそ好戦的な性格が変わったわけでもない。


 生物として、完全に停滞しているのは事実だった――


『――だからこそ私は、今の人類のDNAに、他の優秀な生物の遺伝子を組み込むという研究を始めたのです。そうすることでしか、もはや人類の飛躍的進化は望めない。このままでは、マンモスのようにやがて緩慢な絶滅を迎えるしかないのです!』


 ――――!!!!


 それが――それが、この男が必死で異種結合体キメラを作り続けていた理由だというのか――!?


 “人類の救済”とは、そう言う意味なのか!?

 ゲノムメルトダウンを防ぐため――?


「……確かに人類は、少子化が進み過ぎて今や人口の自然増は望めない。二足歩行に進化したことに起因するさまざまな内臓疾患や出産の困難さは未だに解決をみない……普通なら、進化の結果として、とっくにそれらの生物学的問題を解決していてもおかしくはないほど時間は経っている……」


 叶が、まるで自分を納得させるように、独り言を呟いた。だが李軍は、その言葉をあっさり掴まえる。


『その通りです、叶博士。ですからエロヒムには、そうした人類の停滞を打ち壊すための、様々なDNA特性を持たせたのですよ。そういう文脈で聞けば、少しは興味が湧きませんか!?』

「……あぁ……そうだな……そうかもしれない……」


 なんだか流れが怪しくなってきたぞ――

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