第500話 虎穴の罠

 ブビュッ――

 完全被覆鉄帽フルフェイスアーマーのバイザー表面に飛び散った血塗れの肉片を、士郎は無造作に手で拭った。


「――ここは……司令部中枢では……ないのか……」

「そのようです。単なる休憩場所か……せいぜい兵員の居住区画に使っていたのでしょう」


 田渕が周囲を見回しながら応じる。

 部屋の壁や床は、一面血飛沫しぶきに染まっていた。足元に転がっているのは、中国兵たちの憐れな遺骸だ。

 部屋の真ん中に置いてあったテーブルの上には、紙コップが何個も転がっている。壁面には、カップ式飲料の自動販売機が据え付けられていた。そうか――

 ここは元々、この地下街従業員のための休憩所か何かだったのだ。ここを占拠した中国兵たちも、この部屋を同じように使っていたに違いない。

 床には、煙草の吸い殻がぶちまけられていて、部屋の備品だったと思われるパイプ椅子があちこちで横倒しになり、ひしゃげていた。先ほどの激しい戦闘の痕跡だ。



 かざりの渾身の拳突とオメガたちの突き立てた長刀によって、ボッカリと床に開いた大穴。それは期せずして、中国軍司令部の天井をブチ抜くこととなった。


 それは両軍にとって、あまりに予想外のことであった。

 確かに士郎たちは、目指す中国軍司令部が自分たちの今いるフロアより、さらに下の階層にあることを把握していた。だが、まさかその天井を直にブチ破るとは思っていなかったし、中国軍側も、いきなり天井に穴を開けられて、日本軍が上から覗き込んでくるとは夢にも思っていなかったはずだ。


 だから最初は一瞬、お互いポカンと口を開けて顔を見合わせたのだ。だが、一瞬早く我に返ったのは日本軍の方だ。


 士郎は思わず叫んだ。「降伏しろッ――!!」

 その直後、穴の中に向けてガチャッと銃を構える。オメガや他の兵士たちも、士郎に倣って弾かれたように銃を構え、口々に降伏を叫んだのだ。


「抵抗するな!」「銃を下ろせ!」「諦めろッ!!」


 だが、それは穴の中にいた中国兵たちも一緒だった。士郎たちに数瞬遅れて同じように彼らも銃を上に突き付け、口々に叫ぶ。


 要するに、両軍兵士が上と下でお互いに銃を向け合いながら、降伏しろと怒鳴り合うというシュールな光景。

 だが、それも長くは続かなかった。

 恐怖と緊張に根負けしたのだろうか――中国兵の一人がついに発砲したのを皮切りに、上下で撃ち合う激しい銃撃戦が起きてしまったのだ。


 もちろんオメガたちは機を逃さず、次々と穴の中に飛び降りていった。あとは想像通りの展開だ。

 さして広くもないその部屋は、瞬きもしないうちに完全に屠殺場と化した。中国兵たちはあっという間に制圧される。だが――


「……まぁ、そう都合よくはいかないか……」


 士郎は、少しホッとしたような、残念そうな顔を浮かべた。


 客観的に見て、ここが敵司令部のあるフロアであることは恐らく間違いない。だって、天井をブチ破らなければ辿り着けなかったのだから……

 だが、だからといってこの部屋には李軍リージュンも、他の中国軍幹部たちも見当たらなかった。つまり――この部屋自体は敵の“中枢”ではない。

 よく考えれば、それは当たり前だった。数十万、いや、一時は100万以上の大軍勢を指揮していた敵司令部が、たかだか地下街の一室だけの規模であるわけがない。

 しかも、既に戦闘期間は1か月以上に及ぶのだ。敵司令部が要塞化していても、何の不思議もなかった。おそらくこのフロア全体が、“中国軍司令部フロア”なのだ。


「――でも、じゃあこの部屋を出て通路を辿っていけば、ラスボスのいる部屋に行けるんじゃない?」


 傍にいたゆずりはが、話に割って入る。

 実際、彼女の視線の先にはドアがあった。何の変哲もない、普通の事務室ドアだ。そこを開ければきっと通路があって、その先は最終的に李軍のいる部屋に通じているに違いない。


「――ま、確かにそうか」


 士郎はツっ――とドアに近付く。だが、その肩をトンと押さえたのは田渕だ。


「中尉、気を付けた方がいいかもしれません。既にここで戦闘があったことは、敵に知られたハズです。自分たちの中枢に敵兵が侵入したとなれば、どんな防御プロトコルが発動するか分かりません」


 確かにその通りだった。士郎たちだって、出雲大社防衛戦の時、本殿に至るルートにさまざまなトラップを仕掛けたのだ。中国軍だって同様の発想は持っているはずだ。

 だが、トラップを恐れていては敵中枢に近付けない……どうする――!?


 すると、田渕がテキパキと兵を呼んだ。


「――おい、お前たち、安全確認だ」


 無言で頷いたのは二人の特戦群兵士だ。銃を小脇に抱え、慎重にドアに近付く。二人はそのドアを挟んで左右に立つと、一人が銃剣を取り出してドア枠の隙間にそーっとそれを刺し込んだ。そのまま枠に沿ってスライドさせる。針金か……電線か……あるいは何らかの光学センサーか……

 とにかく何か咬ませられていないかどうか、チェックしているのだ。

 その時だ。


「伏せろっ!」


 ナイフを持っていた兵士が突然叫んだと同時に、ドアの外でバンッ――! と小爆発が起こった。と同時に、爆圧で部屋のドアがバンと内側に弾け飛ぶ。


 ゲホッ! ゴホッ……!!


 部屋にいた多くの兵士たちが、不意を突かれて床に這いつくばった。苦しげにむせかえっているのは、部屋の中に濛々と白煙が流れ込んできたせいだ。

 それは控えめに言っても、間一髪だった。もし何の気なしにドアを開けたら、最初の1名は確実に名誉の戦死を遂げたことだろう。


「――ゴホゴホッ……やはりブービートラップです」


 田渕の言葉に、士郎は震撼する。こんな――たかが休憩室から廊下に出るだけなのに……

 叶が口を挟む。


「――ドア横に認証パネルがある。恐らくあそこで生体認証バイオメトリクスかなんかしないと、自由に部屋を行き来できないようになっているのだろう」


「――くそッ……」


 士郎は毒づいた。これは……一筋縄ではいかなそうだ――

 一瞬思案した士郎は、おもむろに口を開く。


「――曹長、敵兵を、生体認証の確認をしてくれるか?」

「了解しました」


 田渕はぐるりと床を見回して、比較的損壊の少ない敵兵の遺骸に近付いた。しゃがみ込んで軽く合掌すると、そのを持ち上げる。


「――悪いな……少しだけ、協力してくれ」


 そう言いながら、ドア横のパネルにその頭部を近づけた。生体認証で一般的なのは網膜認証だ。だから田渕は、その敵兵のカッと見開かれたままの眼球を、パネルにあてがったのだ。だが、生体認証パネルはブッ――とNG音を発するだけだ。

 田渕は肩をすくめると、今度は別の誰かの「腕」を持ってくる。網膜の次に多いのが、掌紋認証だからだ。おもむろにその掌をベタっとパネルに押し当てるが、やはりブッ――と認証不可の警告音が出るだけだった。


「――もしかすると、生体じゃないとダメかもしれんよ?」


 叶が助け舟を出す。


「……血流がないとセキュリティが承認しないんだ。死体の眼球だけ抉り出して使われないように……」


 あぁ……なるほど――

 確かにその方が確実かもしれない。だが、だとするとこの先ゲートがあるたびに、何らかの防御機構が作動するということじゃないか!?


「――しょうがない……曹長、ここは強行突破していくしかない。覚悟しよう」

「……分かりました。オイ、聞いたろ! 全員完全装備で前進用意」


  ***


 どうしてこうなった――


 士郎は、呆然と目の前の光景を見つめる。


 視線の先には、通路のあちこちで串刺しになった特戦群兵士たちの遺体が林立していた。それはまるで、あのルーマニアの串刺し公と恐れられた、ブラド・ツェペシュの仕業のようだ。


 やはり敵のブービートラップは、面倒でもひとつひとつ解除しながら進むべきだったのだ。もちろんその細工は、目で見て分かるような子供騙しではないはずだったから、本来はいわゆる“ミリミリで”一歩ずつ安全を確かめながら進むべきだったのだ。


 だが、一刻も早く敵の心臓部に辿り着きたいと焦った士郎は、さっきの小部屋のように扉があるところだけ警戒し、通路は逆に一気に走り抜けた方がいいと判断してしまったのだ。


 そのせいで、この通路だけで7人ほどの隊員が、今や変わり果てた姿で宙に浮いている。恐らく重量センサーか何かが通路に仕掛けてあって、足を踏み込んだと同時にトラップが発動したのだ。


 彼らを貫いた赤色のニードルには、兵士たちの身体から零れ落ちる大量の血が、今でもボタボタと滴っていた。その根元の床には、どれも例外なく大きな血溜まりが出来ている。

 彼らはみな一様に、主に下腹部から喉元へ、あるいは脳天へ、あるいは背中の真ん中へ突き抜けるかたちで、川魚のように刺し貫かれていた。


「……う……うぅ……」


 誰かが僅かな呻き声を上げる。まだ息があるのか――!?


 だが、そんな兵士たちの間を回って、トドメを刺して歩いていたのは田渕曹長だった。あぁ……あの時と一緒だ……

 士郎は、あの初めての不規則遭遇戦を不意に思い出す。バケモノたちに突然襲われ、初めて率いた小隊が壊滅した、あの惨劇――

 あの時も確か、瀕死の兵士たちに止めを刺して回っていたのは、ここにいる田渕だ。


 実際ここでは、これ以上彼らの救護は不可能だった。床から無造作に突き出たその赤色ニードルは太く、いかにも頑丈そうで、そこから傷ついた兵士を降ろして救命するには、根本的に資機材が不足し過ぎていた。

 貫通したニードルを下手に抜いたりしたら、その瞬間それこそ出血多量で命を落としてしまうだろう。いかに日本軍の戦場医療が優秀でも、この場で出来ることはもはや何もない。

 だったら、少しでも早く彼らの苦痛を取り除いてやるのが、今の田渕のできる精一杯だったのだ。


 士郎は、グッと唇を噛み締める。くそ……このままでは少しずつ戦力を削られて、中枢に辿り着くまでに大半がやられてしまう――

 思わず心が折れそうになった士郎に、未来みくが声を掛けてきた。


「――士郎くん……ここから先は、私たちだけで行こうよ……」

「そうなのです。私たちなら、不意打ちにも対抗できるかもしれないのです」


 亜紀乃も同調した。実際、オメガたちはその神速の反射神経と人外の運動能力で、ここまでことごとく敵のブービートラップを躱してきたのだ。

 他のオメガたちもこくりと頷く。士郎に選択の余地はなかった。


「……曹長……すまないが、ここまでのルートを確保しといてくれ。退路を確保しておきたい……ミーシャたちも一旦置いていく」

「……りょ、了解……」


 恐らく田渕も、内心は同意見だったのだろう。特に反論するでもなく、どこかホッとしたような表情さえしてみせた。歴戦の彼でさえ、ここから先の侵入にストレスを感じているのか――

 いや……それは恐らく彼自身が怯んでいるのではなく、同行する兵士たちのことを案じているのだ。どんなに優秀な兵士たちでも、生身の身体では自ずと限界がある。


「――では中尉、ルートを啓開するたびに連絡をください。少しずつでも、後を追いますので……」

「了解した」


 実際、どこでミーシャたちの力を必要とするか分からないから、いざという時田渕たちにすぐさま連れて来てもらわなければならないのだ。ただ、ここにきて担架に人を乗せて連れ歩くのも、正直かなりの負担になっていた。ちょうどいい潮時だ。


「――中尉ルテナン! 俺たちはこのまま同行させてくれ!」


 エヴァンスが声を上げる。隣でマンキューソが、例のデバイスを軽く掲げてみせた。確かに彼らがいないと、敵中枢の正確な位置が掴めない。


「……あぁ、分かった。ただし、ついてくるならオメガたちの後方からにしてくれ。これ以上、犠牲を増やしたくない」


 士郎の言葉に、エヴァンスはウインクで応える。こういう時、米兵は途轍もなく強靭な精神力を発揮するのだな――

 士郎は内心舌を巻いた。


 ズズズゥゥゥゥゥゥン――

 バラバラバラッ――


 低く鈍い大音響とともに、地下街の天井が大きく揺れたのはその時だ。


  ***


 ヤン子墨ズーモーは、そろそろ終わりの時が近付いてきたことを悟っていた。


「――敵の効力射、再度来ますッ!」


 ヒュルルルル――

 ヒュルルルルルルルル――


 上空から、空を圧する砲弾の飛翔音が無数に降り注いでくる。次の瞬間、楊の周囲にいくつもの巨大な爆発が広がった。


 ズガァァ――ン!!!

 ズガガガガァァ――ンッ!!!!


 爆風は途轍もない勢いで、楊たち兵士の間をすり抜けていく。今はまだ濛々たる粉塵が吹き抜けるだけだが、やがてピンポイントで着弾すれば、甚大な被害は免れないだろう。

 敵の砲撃はますます正確さを増していたから、そうなるのも時間の問題だった。


「――今のは挟叉きょうさされましたッ! 次で直撃されますッ! 大佐ッ!! ここを移動してくださいッ!!!」


 若い将校が、血眼になって楊に訴える。だが、老将は穏やかに微笑むだけだった。ワシはこの場を離れるわけにはいかんのだ――


 彼の背後には、地下街に繋がるエレベーターシャフトがボッカリと穴を開けている。ここを死守しなければ、突入した石動いするぎ部隊の安全を確保できないのだ。

 楊の仕事は、彼らが無事任務を果たし、再びここから地上に生還するのを保障することだ。目の前の中国軍も、ここが戦術上の最重要地点と分かっていて圧迫しているのだろう。我々が逃げ出したら、奴らは大喜びでここに殺到するはずだ。そして背後から石動たちを追い詰め、磨り潰すつもりなのだろう――


 そんなことは絶対にさせない。絶対にだ――!

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