第499話 貫通
久遠と
その時繰り広げられた甘い光景に、その場にいた多くの兵士や、それから他のオメガたちは、誰もがその頬を紅潮させたものだ。戦場には、未だにその余韻が色濃く漂っている。
幸いだったのは、その時士郎やオメガたちを冷やかしたり揶揄したりする者が誰もいなかったことだ。
まぁ、中学生じゃないんだから当たり前と言えば当たり前だが、頭の固い奴ならば「こんな戦場でよくもイチャイチャできたもんだ」と侮蔑のひとつでも投げかけたことだろう。
だが、兵士たちの反応はまったく逆だった。
ある者たちは、ポケットに忍ばせていた家族や恋人の写真をそっと取り出して、愛おしそうにそれを眺めた。またある者たちは、絶対に生きて還ると心の中で愛する者に誓っていた。
エヴァンスたちアメリカ人たちも、どうやらいつもの無頼ぶりは影を潜めていたようだ。
「――なんだか俺、今マミーのアップルパイが滅茶苦茶食べたいぜ」
狙撃手のエドモンドが目を閉じてうっとりしている。それを聞いたエヴァンスは、うっかり想像してゴクリと喉を鳴らす。
「……あぁ、俺も何だか親孝行したくなってきた」
兵士たちは、みな思い出していたのだ。自分が何のために戦っているのかを――
誰のために、その命を賭けているのかを――
そしてここにも、人一倍盛り上がっている男がいた。叶だ。
「――はぁー……両手に華だねぇ……」
「少佐……っ」
叶の軽口に、
そんな未来にやや
「――未来ちゃん、ひとつ聞いていいかい?」
「何ですかっ?」
「ひぇ! その……
「あ? ……はい、そう……ですね……単なる会話のキャッチボールというより、意識が一体化して、お互いの考えてることが分かるというか……同じ脳で一緒に思考しているというか……」
未来の頬が紅潮する。
「へぇ……じゃあ、その時、お互いの存在は意識するのかい?」
「も、もちろんです……お互いを自分の中で感じながら……相手と一体化するっていうか……」
「――じゃあ、その感情の部分で、嘘は絶対に
「それはそうですね……だから
誘導尋問されていることに気付いた未来が、顔を真っ赤にして叶を睨みつけた。
だが、叶はとっくにどこ吹く風だ。
「あぁー……だからあんなことになってるんだ……」
叶が見つめるその先には、顔を真っ赤にした二人のオメガが体育座りでちょこんと地下通路の片隅に座り込んでいた。その前で何やら息巻いているのは、くるみだ。
「――ま、まぁ……今回は緊急事態でしたから、特別に許してあげますっ……で、でもっ! 別にこれで士郎さんがあなたたちのものになったとか、そういうことじゃありませんからねっ! 私だって――」
くるみはすっかり気が動転している様子だった。目の前で見せつけられたせいなのか、もはや目が蚊取り線香になっている。そんな彼女に助け舟を出すべく、未来がスタスタと歩いていった。
「……くるみちゃん」
「――はっ! はいっ!?」
「大丈夫……士郎くん、ちゃーんと分かってるから。私もくるみちゃんも、それからキノちゃんや、かざりちゃんだって……みんな絶対的な絆で結ばれてるんだよ」
「――絆? それって何ですか?」
くるみはキョトンとした顔で未来を見つめ返す。
「ま、分かる人には分かる――」
未来は、なんだかとても嬉しそうだった。さっきまでやきもちを焼いてたくせに、何で……士郎は少しだけ不思議に思うが、あぁ――と納得して思わず笑みがこぼれる。
久遠と楪に、
「――そうかそうか……オメガちゃんたちの意識を取り戻すのに必要だったのは、愛だったのかぁ」
叶が、ますます盛り上がっている。
「ちょ、ちょっと少佐……もうやめてくださいよ……」
士郎が居たたまれない顔で叶に
「――ま、結局のところ、ヒト種の免疫機能って、感情に起因することが多いんだよ。病は気から――って、昔から言うだろ?」
「……は、はぁ……」
叶が得意げになって士郎に講釈を垂れる。
「そもそも遺伝子というのは、生物がその種を存続させるために自らの肉体に刻んだある種のシステムなんだ。だからその役割は物理的なものに留まらない。“生きる”ことを目的とする以上、そのために必要ならば精神的な部分にまで影響を及ぼす機能が備わっていたって不思議じゃな――」
叶の話が長くなりそうだったので、士郎はいつしかオメガたちを見るとはなしに見つめていた。真っ赤になって小さくなっている久遠と楪に、文が寄り添って一緒に座っていた。そんな3人をくるみが仁王立ちになって説教している。それを未来が横から
みんな、大切な仲間だった。そして、今の士郎にとっては、誰もが同じくらい大切な存在だった。やがてこの中の誰かを、士郎は選ぶことになるのだろうか――
その時自分は、その子にとって相応しい人間になっているだろうか――あるいは……自分はその時まで、生きていられるだろうか――
すると突然、オメガたちが一斉に士郎の方を振り返る。どの顔も、穏やかに、嬉しそうに、気恥ずかしそうに――微笑んで、士郎をじっと見つめていた。
その時士郎は、唐突に思い出した。今回は、指揮官らしいことを出来た気がまったくしない。この絶体絶命のピンチを切り抜けられたのは、ひとえにオメガたちの、自分に対するもったいないほどの信頼だった。
だから士郎は、そんな少女たちに少しだけ指揮官らしい言葉で応えることにしたのだ。
「――よ、よし……じゃあいよいよ、敵司令部に突入する。みんな俺に、つ……着いてこい」
その瞬間オメガたちは、今まで見たこともない、満面の笑みを浮かべる――
***
ダァァァァ――ン!!!!
大音響が地下街に鳴り響く。指向性爆弾だから、その爆風被害はそれほどでもない。効果範囲の外にいた士郎たちは、すぐに集まってきた。
「――やはりこれではビクともしないようです」
田渕が壁の亀裂を指でなぞりながら報告する。その僅かについた破壊痕は、あくまでこの隔壁の表面コーティングが剥がれた程度のものだ。壁の本体はまったく傷ついていない。
あれから士郎たちは、もともと久遠と楪が敵の待ち伏せ兵と戦った地下2階のモール街にまで進出していた。二人が激しく戦闘した跡はそのままになっていて、多くの敵兵がそこに斃れていた。当然、何らかの感染を警戒して、全員が完全被覆鉄帽を装着している。
取り敢えず、突入当初から連れていたミーシャとスフバートル中校もここまで運んできたところだ。下手に後方に置いてきたら、いつ
ところがここでも、隔壁が下りていてこれ以上奥に進めなくなっていた。
「まったく、どこからこんなモノ持ち込んだんだ!?」
灼眼騒ぎの直前、地下通路はあちこちで隔壁が下りてきて、士郎たちはあっという間に閉じ込められたのだ。その状況は今でもまったく変わっていない。
「――恐らく
叶が敵の意図を推測してみせる。確かに灼眼化したオメガのせいで、もう少しで同士討ちするところだった。普通の兵士でオメガにまったく歯が立たないなら、オメガ同士で殺し合いをさせればいい――李軍の考えそうなことだが、戦術的には極めて正しい判断だと言えるだろう。逆の立場なら、士郎だって思いついたかもしれない。
「それでこの頑丈な檻を用意したってことか……」
「ライオンが逃げ出しちまえば、殺し合いにならないからな」
エヴァンスたちも、その戦術の合理性に納得するしかない。だが、マンキューソだけは先ほどから一心不乱にデバイスを操作していた。
「ようルカ、何やってんだ?」
「え? あぁ……この地下街の構造を、もう一度詳細に確認してるんだ。どこかに抜け道はないかってね……」
彼の手元には、相変わらず3Dの立体画像でこの地下街全体の構造が浮かび上がっている。敵の司令部推定位置は、さらにこの下の階か……
それを横目で見ていた士郎は、あることに気が付いた。
「――ちょっと待て、ここの床の厚みはどれくらいだ!?」
「へ? 床ですか!?」
その途端、叶も血相変えて飛び込んでくる。
「――そうかッ! 私たちは、この隔壁にばかり目が行っていたが、この段階ではむしろ床や天井の方が破壊できるんじゃないか!?」
「あッ!!」
言われてみれば、簡単なことだ。ここに来るまで、地下街は何か所か天井や床が崩落していて、士郎たちはそこを注意深く迂回しながら進んできたのだ。ルートは水平方向だけじゃない。先へ行けないのなら、一旦上か下に迂回して進めばいい。
士郎たちは、ハッとしながら今閉じ込められている空間の床と天井を眺めまわした。もちろん元来た道を戻れば、エスカレーター用の出入口が上階フロアに繋がっているが、そこは元に戻るだけだから意味はない。敵司令部へ到達するには、さらにこの下の階へ降りていかなければならないのだ。だが、残念ながらここの床面に、特に崩落している個所はない。まぁ、そういうところを選んで閉じ込めたのだろうが――
「えっと、ここの床は厚さ1メートルくらいの鉄筋コンクリ構造です。正確に言うと、30センチくらいの厚みのある床が三層に重ね合わされていて……その隙間にはいろいろな配管が通っている複合構造になっているようです」
マンキューソが報告する。
「――なるほど……いざとなったら防空壕にも使えるように出来ているわけだ」
エヴァンスが感心したように呟いた。さすが戦時下にある国家のインフラといったところか。だが、それはそれでやっかいだった。少なくとも手持ちの爆薬ではビクともしなさそうだ。
すると文がふらっとやってくる。
「――えっと、私がやってみようかな……」
「え……? できそうか!?」
文はその全身を硬化させることができる。彼女の想像を絶する運動能力と合わせれば、その拳で数十センチの壁に穴をぶち開けることも容易いのだ。
だが、1メートルの床を突き崩すことが果たしてできるかどうか……しかもこの床は、防空壕に使用することも想定された、対爆用の特殊な複合構造だ。
「やってみなきゃ分かんないけど――」
「待って、じゃあその前に……」
未来がおもむろに長刀を抜いて近寄ってきた。途轍もない切れ味を誇る、ヒヒイロカネの神剣だ。すると他のオメガたちも、何かに気付いた様子で同じように刀を持参し、集まってくる。
「――これで床に切れ込みを入れれば、もしかしたら破壊しやすいかも……」
そう言うと、未来はみんなを促してその場に円陣を組む。その中心にいるのは、文だ。等間隔に並んだオメガたちは、お互いの顔を見合わせながらその剣の切先を床に向けた。
「ほぅ……これなら……」
叶が期待に満ちた表情でオメガたちを見つめる。士郎も、ゴクリと唾を呑み込んだ。
「――じゃあ行くよ……」
未来が静かに目を閉じると、他のオメガたちもそれに倣った。すると、途端に周囲の空気がズン――と重みを増す。
やがて5本のヒヒイロカネが、お互いに共鳴し始めた。今回未来は、いつもの二刀流ではなく、一本の大剣にすべての力を込めるようだ。
ほどなく、すべての刀身が虹色に揺らぎ始めた。今まで何度も見てきたが、これはヒヒイロカネ特有の、不可思議な現象だ。
虹色のオーラはやがて、お互いに絡み合い、干渉し、交じり合って、いつしかドーナツ状にそのエネルギーを合流させる。それはまるで、下から上に噴き上げるオーロラのようだった。
ツン――
唐突に、音が消えた。
次の瞬間、まるでオメガたちはお互いに心が通じ合っていたかの如く、まったく同じタイミングでそれぞれの剣をまっすぐ床に突き立てる。刹那――
文がその渾身の力を込めて、足許の床に拳を叩き込んだ。
バァァ――――ンッ!!!!
その瞬間、地下街全体に地震のような激しい縦揺れが起こった。同時に士郎たちは濛々たる白煙に包まれる。すべての視界が遮られ、その場にいた誰もが硬直して、次の変化を待った。
ボロッ……
やがて、小さく瓦礫が崩れる音だけが、その破壊の終わりを告げる。うっすらと、目の前の視界が開けていく。
ふと足許を見下ろすと、目の前に大穴が開いていた。中には数人の人影が見える。緑色の軍服!
間違いない! オメガたちは見事、中国軍司令部の天井をブチ抜いたのだ――!
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