第494話 ディープスロート

『――店舗の中に、マネキンに扮した中国兵がいるだと!?』

『あぁ、間違いない。暗くてよく見えないから、私もうっかり見逃すところだった』


 斥候として先行していた久遠からの無線報告に、士郎は喜びと困惑がないまぜになったような気分になる。

 「喜び」というのはもちろん、久遠がしっかりと斥候の役目を果たしてくれていることだ。こんな薄暗い廃墟の中で敵兵がマネキンに紛れて待ち構えているなど、よほど注意深く偵察しなければ分かるはずもない。もし久遠が気付かなければ、不意を突かれて大損害を蒙るところであった。

 もうひとつの「困惑」というのは、中国軍のやり方だ。李軍リージュンのことだから、てっきり先ほどの放射性物質撒布のような、エグい攻撃ばかり仕掛けてくるものと思っていたからだ。

 だが、今度は一転、都市ゲリラ戦のような待ち伏せ攻撃ときたか――


 確かに待ち伏せ攻撃もエグいと言えばエグいが、それでもこうした戦法はよくある歩兵戦術のひとつに過ぎない。ましてや士郎たちのような特殊部隊員からすれば、それに対処するなど基本中の基本だ。新兵部隊とは違うのだ。

 その程度のこと、いくら追い詰められて余裕がないからといって、李軍が分からないわけもないだろうに――


 まぁ、その意図はともかく、ここは早めに排除しておいた方がいいだろう。


「マンキューソ軍曹、敵司令部までは、あとどのくらいだ?」

「――お待ちください……斥候の現在位置からは……さほど遠くありません。恐らく今の報告にあったアンブッシュエリアを越えれば、すぐにターゲットの外壁に取り付けるはずです」


 マンキューソは、米国人義勇兵で構成された特殊戦舟艇部隊SBT――通称SWCCスイックのチームで電子戦を担当する兵士だ。戦闘中に傍受した敵の特殊な信号を解析して、その発信源――つまり、中国軍司令部位置を突き止めた功労者でもある。

 現在士郎たちが進攻している導線こそ、彼が羽虫大の昆虫型ドローン群体スウォームを使って割り出した、敵司令部までの推奨ルートなのだ。

 当然、SWCCチームはこの突入作戦に冒頭から随行している。


「――そうか……案外すんなり来られたな……」


 だとすると、もはや李軍には我々を止める手立てが本当にないのかもしれない。残存する司令部要員を搔き集め、少しでも抵抗を試みているだけなのか――

 士郎は、戦いの終わりが近付いていることを実感する。


『――よし! では久遠、ゆずと協力して、その待ち伏せ兵を排除できるか!?』

『もちろんだ! 任せといてくれ!』


 やや乱暴かもしれないが、この場合はオメガの特性を最大限利用し、敵待ち伏せ兵を先制攻撃しておいた方が無駄な損害を出さずに済むだろう。

 何せ久遠は敵から見えないし、ゆずりはに至っては問答無用で敵を破裂させることができる。オメガが斥候を務めているからこそできる強襲戦法だ。

 正直、最後の抵抗を試みる敗色濃厚な敵将兵を追い詰めるのは忍びないが、逆にここで気を抜くとどんな落とし穴が待っているか分からない。最後だからこそ逆に気を緩めずに、徹底的に対処するのだ――

 かつてヒトラーを地下壕に追い詰めた欧州戦線の連合軍兵士は、こんな気分だったのだろうか……


  ***


 士郎の指示を受けた久遠と楪は、敵が待ち伏せるモールエリアに再度接近を試みていた。


「久遠ちゃん、大丈夫?」

「ん? あぁ……相手はただの一般兵だ。コレだけで戦える」


 楪が、匍匐前進で対象に近付きながら久遠に声を掛ける。すると頭上から彼女のが返ってきた。久遠は不可視化しているから、敵に見つからないよう匍匐する必要がないのだ。


 おそらく「コレ」というのは彼女の拳のことだろう。姿は見えないが、久遠が得意げに握りこぶしをしている様が目に浮かぶ。

 不可視化しているせいで、久遠は丸腰だが、その身体能力は普通の人間を遥かに凌駕するものがある。武器はなくとも、徒手格闘で何とかなる、と言っているのだ。


「――そう……ならいいんだけど、無理しないでね。私がいくらでも対処するから」

「うむ、だが気遣い無用だ」


 そんな会話を交わしながら、二人はさらに敵待ち伏せ兵たちに肉薄する。ある程度まで近付くと、二人は完全に気配を消し、無言で店舗内に忍び込んだ。


 いっぽう中国兵たちは、先ほどと同じようにアパレルショップの瓦礫の中で、マネキンに紛れて密かに銃を構えていた。その数、ざっと十数人といったところか。

 久遠は敢えて彼らの中を通り抜け、店の奥の方へ進んでいった。敵兵の裏をかくためだ。中国兵たちはきっと、初撃はモール通路に面した方からだと思い込んでいるに違いない。

 やがて久遠は、手近な一人の背後に密かに回り込んだ。次の瞬間――


 ガッ――と背後から不意打ちで襲い掛かる。右腕を敵兵の首に回し、肘のところに顎をかける。それと同時に後頭部を左手でガシリと掴むと、思いっきり時計回りにその首を捩じった。

 ゴキッと嫌な音がして、頚椎が外れる音がする。と同時に敵兵が崩れ落ちた。


 ドサッ――!


 突然の大きな物音に、周囲の中国兵たちは途端にパニックに陥った。

 「XXXXXッ!!」――何事か叫ぶと、突然四方八方に銃を乱射し始める。

 

 ガガガガガガガガガガッ――

 ダダダダダダダッ――!!

 

 それは、完全に無駄撃ちだった。恐らく撃つべき相手など何も見えていない。だが――


 次の瞬間、今度は通路側に近い中国兵たちが、何の前触れもなく次々と破裂していった。楪の異能攻撃だった。

 中国兵たちは、多方向から矢継ぎ早に繰り出される多彩な攻撃に完全に我を失い、あっという間に統制を失う。数瞬後、戦場は単なる狩り場と化した。


 久遠は、相変わらず次々と敵兵を屠っていく。それは最初の獲物のように、ただ首を捩じ切るだけではない。

 久遠――中国兵からすれば、何か得体の知れないもの――に組み付かれるのを恐れた中国兵たちは、自分の間合いに入ってこられないよう、必死でその姿勢を変え、やたらとそこら中に銃を突き付けるようになった。

 だから彼女は、あっさりと「やり方」を変えたのだ。


 久遠はポーンと跳躍すると、今度は天井にぶら下がった。こんな時、人間というのは自分の目線の高さしか警戒できないものなのだ。

 足首を天井の亀裂に引っ掛け、逆さま姿勢で敵兵のすぐ目の前にぶら下がる。そのまま敵兵が胸元に装備しているコンバットナイフを奪い取ると、返す刀で彼らの首を横一文字に掻き切ったのだ。すべて不可視化のなせるわざだった。


 敵兵たちは、更なるパニックに陥った。もはやどこから敵が来ているのかまったく分からないのだ。案の定同士撃ちが多発する。

 久遠の暗殺術。楪の容赦ない人体破裂。そして味方同士の誤射――


 辺りは見る間に地獄と化した。二人のオメガはその地獄を悠々と飛び撥ね、神出鬼没に回り込み、ますます敵兵を追い詰めていく。

 一人、また一人――敵兵たちが、次々と沈黙していく。


 気が付くと、久遠も楪も頭から敵の返り血をしこたま浴び、再び殺戮の天使と化していた。忘れかけていた、オメガの本来の姿――


 戦闘開始から、いったいどれほどの時間が経ったのだろう。ふと気が付くと、モールは完全に沈黙していた。

 辺りには、血生臭い臭気が濃密に漂っていた。待ち伏せしていた中国兵たちはことごとく斃され、恐ろしいほどの静寂が、ここでの戦闘終了を無言のうちに告げていた。


 だが――


 もしもその時、二人の姿を見た者がいたとしたら、恐らく一瞬でその違和感に気付いただろう。なぜならその瞳が、赤く揺らめいていたからだ――


  ***


『――久遠、ゆず! どうした? 状況を報告せよ』


 士郎は先ほどから何度も無線に呼びかけるが、なぜだか一切応答がない。

 下のフロアから激しい戦闘音が聞こえていたのはたかだか数分間だ。それが突然止んだということは、恐らく二人が無事敵兵を制圧したのだろう。

 そう思って無線報告を数分待っていたのだが、まったく音信がないのだ。まさか――その逆!?


 いや――そんなことはあり得ないだろう……人外の戦闘力を誇るオメガが、普通の兵士に後れを取ることなど、あり得ないはずだ。その時――


「――士郎くん! あそこ……!」


 唐突に未来みくが声を上げる。

 すると――その視線の先に、二つの人影があった。そのシルエットを見た士郎は、一瞬でそれが久遠と楪であることを確信する。


「――なんだ……戻ってきたのか? 無線機が壊れたのか!?」


 士郎はホッとして声を掛ける。

 通常、斥候が指示もなく本隊に戻ってくることはないのだが、絶対ないわけでもない。特に今回のように戦闘直後などは、報告のためだったり、態勢を立て直すという意味で戻ってくることはよくあることだ。

 だから士郎も、二人のことをとやかく言うつもりなど毛頭なかったのだ。無事ならそれでよい。しかし――


「……ごめんなさい……」


 ――?


 突然発せられた言葉に、士郎は困惑する。えっと、この声は……久遠?

 ごめんなさい、って――

 

 そういえば、シルエットは二人分だ。てことは、久遠は不可視化を解いたのか!?

 だとすれば、彼女は今、殆ど全裸のはずだが……士郎は、なぜだか言い知れぬ不安に陥る。あの恥ずかしがり屋の久遠が、服も着ないで不可視化を解くなど、通常ならあり得ない行動だ。他の兵士にだって、丸見えじゃないか――


「お……おい? 久遠なのか? 大丈夫か……? 敵は――」

「わ……たしも……ごめん……ね……」


 今度は楪の声だ。え――ゆずまで……なぜ謝る!?

 そして彼女の声にはなぜだか、いつもの元気がない。というより、その声は弱々しく震えていた。


 間違いない――二人に何かあったんだ……!


 その時だった。

 今までやけにおとなしかったかざりが、急にギン――と殺意を漲らせる。殺意――!?


 いったい誰に――!?


 それは、恐らくどんなに鈍感な奴でも、すぐにそれと気づくほどの恐るべき殺意だった。途端に周囲の空気が重くなり、背筋がゾワゾワするような、そんな不安定で張り詰めた気配が辺りを支配する。


「――ど……どうなって――」


 ガキィ――ン!


 士郎が言いかけた瞬間、恐るべき金属音が響き渡った。一瞬遅れて、ガァ――という旋風が巻き起こる。


 え――!?

 気が付くと、先ほどのシルエット――恐らく久遠と楪――に、文が飛び掛かっていた。距離にして軽く20メートルは離れていたはずなのに、その恐るべき身体能力を存分に活かし、恐るべき突進を見せたのだ。

 しかも文は、抱きついたわけではない。ヒヒイロカネの長刀を振りかざし、大上段に二人に切りかかっていたのだ。


「「かざりちゃんッ!!」」


 未来とくるみが叫んでいた。亜紀乃は――

 あぁ――なんてことだ……先ほどの文の突貫を間一髪防いでいたのは、亜紀乃だったのだ。


 亜紀乃はその途轍もない反射神経と神速の反応速度で文の猛烈な突進を追い越し、久遠と楪を間一髪でガードしていたのだ。

 二人の長刀が、ギリギリと押し込み合い――そしてほどなく文は、バッとその身を引く。渾身の力でその斬撃を防いでいた亜紀乃が、ようやく口を開いた。


「――かざりちゃん……いったいどうしたのです?」


 士郎は完全に混乱していた。いったいどうなってる!?

 なぜ文は、仲間である久遠と楪を攻撃するのだ――!?


「――その二人は……敵……」


 文が口を開いた。え――いったい何を言ってるんだ!? 二人が……久遠と楪が……敵――!?


「か……かざり……いったい――」

「二人をよく見て!」


 文が、らしくない厳しい口調で言い放った。すると、それとほぼ時を同じくして、さっきまで打ちひしがれていた様子だった二人が、先ほどの文と同じような凄まじい殺気を醸し出していく。


「――お……おい!?」


 士郎は、徐々にこの状況を理解していく。

 オメガが、仲間割れを起こしたのだ。いや……それとも文が言う通り、久遠と楪がおかしくなったのか!? 彼女は、二人のことを“敵”と言い放った――


 その時だった。殺気を漲らせた久遠と楪が、ギンッ――とその視線を士郎に向けた。


 ――――!!!!


 なんだその瞳は――!?

 それは、よく知るオメガのそれではなかった。青白く輝くはずの彼女たちの美しい瞳は、今や灼眼だ。白目は完全に黒く、これではまるで、あの『神虫』と呼ばれた灼眼の子供たちと、瓜二つではないか――


 次の瞬間、今度は後方から凄まじい音が鳴り響く。


 ガラガラガラガラ――!!!!

 ズズゥゥゥゥ――ン……


『――中尉! 後方、通路が何かの隔壁によって閉鎖されましたッ!』


 田渕から無線が入る。は!? 隔壁ってなんだ――!?

 ここはもともと商用地下街だ。防火シャッターか何かが降りたということか!? それにしては、先ほどの音はずいぶん重量感があったような……


 ズズゥゥゥゥ――ン

 ズズズゥゥゥゥゥゥン!!!


『ち、中尉! 他にも複数方向から先ほどと同様の音が聞こえました。恐らく別の隔壁が降りたものと思われます! 指示を乞う!』


 士郎は、矢継ぎ早に起こる想定外の事態に、完全に頭が真っ白になりつつあった。何が“戦いの終わりが近付いている”だ――

 むしろここにきて、追い詰められたのは俺たちの方じゃないか――


 その時、事態の推移を黙って見守っていた叶がおもむろに口を開いた。


「――中尉、どうやら我々は、それと知らずに敵の喉奥に呑み込まれてしまったようだ。このまま噛み砕かれてしまうか、敵の腹の中を突き破るか――これが最後の正念場らしい……」

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