第491話 サクラ

『――こっ……これは――』


 東京湾外縁の太平洋上に遊弋する国防軍旗艦、空母赤城の作戦室に詰める観測員の一人が、ガバとコンソールにかじりついた。ヘッドセットを両手で覆い、必死で何かに聞き耳をそばだてている。

 その様子に気付いた将校の一人が問い質した。


「どうした? 何かあったのか!?」

『――お待ちください……おぉ……! 前線より入電ッ!』


 その言葉に、作戦室の全員が振り返った。


『――進発コード『サクラ』を受信しましたッ!』

「なにッ!?」


 四ノ宮を始めとした、幹部将校たちが一斉に色めき立つ。


「間違いないのかッ!?」

『はい――先ほどより『サクラ』連送を受信中! これは“敵司令部突入”を意味する符牒信号ですッ!』


 一瞬の沈黙のち、作戦室全体にどよめきが広がった。途轍もない高揚感と、そしてピリピリとした熱気だ。そう――それは、待ちに待った報告だ。

 四ノ宮が身を乗り出す。


「――発信元はッ!?」

『はッ! 発信源座標は東京駅丸の内口付近――識別コードは……オメガチーム! 第一戦闘団ですッ!!』

「「「おぉ――!」」」


 石動いするぎめ――やはりやってくれたか!

 四ノ宮は、全身にアドレナリンが駆け巡るのを感じる。武者震いで手足が小刻みに震えているのが分かった。

 つまり――アイツはとうとう敵司令部の位置を突き止め、突入を開始したのだ。それは、この戦争の最終決戦が始まったことを意味している。位置が分かったのなら、あとは時間の問題だ。


 だが、それは同時に、このあと敵がかつてないほど死に物狂いで立ち向かってくることを意味していた。その抵抗強度によっては、最初に飛び込むオメガチームが大損害を蒙る可能性もある。

 戦術上は、先鋒となる部隊がいくら壊滅しても、次々に後続部隊を送り込んでいけばやがて敵も抗しきれず、最終的にこれを屈服させるのは容易である。

 だが、だからこそ先陣を切る部隊は死を覚悟しなければならないのだ。自らが先駆けとなり、そして自らの屍を乗り越えて、最後の勝利を自軍にもたらす――

 それが我が日本軍の伝統的な戦術思想ドクトリンであり、だからこそ進発コードは伝統的に『サクラ』なのだ。そう――それは、桜のように――

 それは途轍もない名誉であり、まさに武勲第一級の勲章モノの英雄的行為だ。四ノ宮が常々部下たちに言い聞かせているあの言葉――


 命を惜しむな、名こそ惜しめ――


 それを地で行くオメガチームの決断は、彼らの直属の上官である四ノ宮にとっては、とてもありがたいことだし、鼻が高いのだけれど――

 でも――


「おいッ! オメガチームには誰が同行しているか、分かるかッ!?」

『――確認しますッ! ……えっと、一戦の複数の分隊と、それから米国人義勇兵の……エヴァンス分隊ですッ!』


 え――? まさかそれだけなのか――!?


「他にはッ!?」

『お待ちください――近くに……第101独立混成旅団が展開していますッ! 3機甲のチェン少尉も!』


 狼旅団と、あの多脚戦車の娘か――

 確かにみな、一騎当千の強者たちではあるが……クッ――


「――分かった……では各級指揮官に通達。自らの任務を完遂したのちは、全力最速で第一戦闘団の支援に回れ!」

『了解! 全軍に通達します――』


 ここが勝負だ――! 乾坤一擲の、最終決戦だ――石動、オメガたち……死ぬなよ……


  ***


 その時、黒鳥四朗少尉は、双発プロペラ機の操縦席に収まっていた。濃緑に塗装された機体は、あちこちが剥げ上がってジュラルミンの銀色地金が露わになっている。巨大な両翼の前縁部には鮮やかな黄色のマーカー。そして、その翼の真ん中と、胴体後部には、白いエッジで縁取られた赤丸が鮮やかに描かれていた。


 大日本帝国海軍夜間戦闘機――中島飛行機製J1N――通称『月光11型』。

 それは、特徴的な後背部の『斜銃』によって、米軍の超重爆『B-29』を次々に撃ち落とした経歴を持つ、まさに帝国の守護神だ。


 もちろん、それから百数十年経過した21世紀後半の現代日本では、既に航空博物館行きの骨董品扱いだが、その怪鳥を駆る操縦士が現役で乗っている限りは、月光もまたその輝きを失うことはない。


「黒鳥分隊士――まもなく上空です」


 複座機である『月光』には、後席がある。黒鳥の相棒である後席員の創本上飛曹が、先ほどの通信の発信源である東京駅上空への到達を報告してきた。後席員は斜銃の射手であると同時に、航法士でもあるのだ。


 黒鳥は、機体を軽くバンクさせて地上の様子を目視確認する。すると、東京駅から皇居丸の内にかけての一帯で、激しい地上戦闘が繰り広げられている様子が目に飛び込んできた。

 中国軍と、我が軍との凄まじいぶつかり合いだ。だが、不思議なことに、我が軍の中にちょいちょい緑の軍服を着た兵士が混じっているではないか――


 あれは明らかに中国兵だ。もしかして、既に大混戦になって白兵戦を繰り広げているのか――!? だが、それにしてはどうも様子がおかしい。日本国防軍の兵士たちは基本的に黒い戦闘服を着ているからすぐに見分けが付くのだが、その中に混じっている緑色の兵士たちもまた、黒の軍服を着た兵士たちとともに戦っているように見えるのだ。そしてその黒緑陣営は、対峙する緑一色の陣地と激しい応酬を繰り返している。


 黒鳥たちが夜でもないのにこうやって愛機を駆って前線上空に駆け付けたのは、横須賀航空隊から「可能な者は東京駅に行け」と言われたからだ。

 それが、『サクラ』という符牒がそこから発せられたからだと聞いて、黒鳥はいてもたってもいられなくなった。だって、それはかつて帝国においては「玉砕」を意味する最期の無電だったからだ。


「――でも分隊士、この世界での『サクラ』は別に“最期の総攻撃”という意味ではないみたいですよ」


 創本は飛行中に追加の命令を受信しながら、若干のニュアンスの違いを訂正する。


「――むしろ、将棋で言うところの『王手』――みたいな意味合いだと……」

「だが、それにしたって決死隊が突入していったことには違いないのだろう?」

「え、えぇ……まぁ、そうですね」

「であればなおさら、我々は彼らのためにその背中を守ってやらねばなるまい」


 そう言うと、黒鳥は一気に地表に向けて急降下していった。

 まずはあの黒緑の陣地の様子を確認しなければならない。


 ガァァァァ――ッ!!!


 プロペラ機特有のくぐもった推進音を響かせながら、その双発機は遥か上空から一気に地表付近にまで急降下した。B-29の編隊に向けて、直上からつるべ落としのように急降下する要領だ。


 グォォォォン――!!


 地表スレスレで反転し、再度上昇していく。


「――分隊士! 今の見えましたか?」

「あぁ! 黒も緑も、みんな拳を突き上げていたな――どうやらここは友軍陣地のようだ」

「では――!?」

「おぅ! 俺たちの敵は、あっちの緑陣地だ!」


 言うが早いか、月光は上空で大きく旋回すると、今度は逆落としの要領で緑陣地に向け急降下していく。


「創本! ちょっと曲技飛行になるぞッ!」

「任せてくださいッ! ここは、俺たち日本人の空ですッ!」


 すると、『月光』はあろうことか背面飛行になった。その直後――

 後席の斜銃が地面に向けて火を噴く。


 ガガガガガガガガガガッ――!!!


 途轍もない機銃掃射が、一気に敵陣地を切り裂いた。超空の要塞B-29を空中分解させるほどの、凄まじい火力だ。

 中国兵たちが逃げ惑っている様子が、一瞬だけ黒鳥の視界の片隅に入った。すぐに操縦桿を引き起こすと、今度は別の角度から背面侵入を試みる――


  ***


「――なるほど。軽戦闘機による機銃掃射なら、街並みにもそれほど被害は及ぼさないというわけか。日本人たちの創意工夫には、実に驚かされる」

「そうですな――敵に対する心理的なプレッシャーも十分期待できそうです……」


 ヂャン秀英シゥインの言葉に、ヤン子墨ズーモーが機嫌よさげに応じる。

 とは言え、二人ともその黒の戦闘服は相当くたびれていた。全体的に細かいコンクリ片を浴び、ところどころ織り目がほつれていたり、膝や肘のところには黒い煤がこびりついている。まるで、激しい接近戦を繰り広げた後のようだ。

 それでも流血していないのは、その下に着込んでいる日本製の防爆スーツのお陰だった。狼旅団はオメガチームほどの重装備をもともと身に着けていない。それでも、分厚い防弾上衣ボディアーマーは首回りから肩、そして鼠径部に至るまで、まるで戦国時代の武者鎧のように彼らの身体を機能的に防護している。

 だから、激しい陸戦の割には、狼旅団兵士たちの損害も今のところ思ったほどではない。とはいえ、やはり数の暴力には抗しがたいものがあった。徐々に徐々に、前線を押し込まれていく。


 それにしても――と秀英はひとりごちる。


 あの双発戦闘機、なかなかやるじゃないか――

 先ほどフワッと上空に現れたかと思うと、ひらりひらりと敵陣上空を舞い、クルクルとその機体を回転させながら的確に機銃掃射をかましていく。

 

 おかげで秀英たちの狼旅団は、その間に態勢を立て直すことができた。ボロボロになった前線からやや後退し、接敵線を縮小することで再度前線密度を高める時間的余裕を、期せずして確保することができたのだ。


「――意外にプロペラ機というのは陸戦支援に有効かもしれんな……」


 思わず口に出た言葉に、ヤンが律義に応じる。


「あぁ、そういえば昔、ベトナム戦争でも米国のプロペラ機が活躍したと聞いたことがあります。たしかスカイレーダーとか何とか言う名前でしたな」

「ベトナム戦争と言えば、ジェット戦闘機が主流になった初めての戦争だったと記憶しているが……」

「結局ジェット機は対地速度が速すぎて、一瞬で通り過ぎてしまうのですよ。その点、プロペラ機はしつこく敵陣上空に貼り付いて、きめ細かく敵兵力を削ることができますからな」


 楊の指摘通り、あの日本軍機は先ほどから、完全に敵陣上空を支配していた。それまでこちらに撃ち込まれていた敵陣からの猛烈な砲撃が、嘘のように沈黙している。恐らくあの日本軍機が上空から敵野砲を発見しては、激しい制圧射撃を浴びせかけているのだろう。

 そりゃあ、手のひとつも振りたくなるというものだ。


 秀英は、旅団兵士たちが嬉しそうに日本軍機に向けて手をひらひらさせている様子を、見るとはなしに視界に入れる。だが次の瞬間――

 兵士はがくんと首を折り曲げたかと思うと、ドシャリと地面にくずおれた。


 パァ――――ン……!


 一瞬遅れて、派手な銃声が辺りに響き渡る。


「――いかんッ! 狙撃兵です将軍ッ!」


 楊が老体に鞭打って、秀英に覆いかぶさってきた。そのままゴロゴロと地面を数回転し、這いつくばって身を伏せる。


「――クソッ! どこからだッ!?」


 すると、秀英が聞き終わる前に、さらに別の兵士がドシャっとくずおれた。パァァァ――ン!!

 また少しだけ、銃声が遅れて響き渡る。


 ――ん!? なぜさっきと音のタイミングが違うのだ!? 同じ狙撃位置なら、撃った後から銃声が届く時間は一緒のはずだ。


「――これは……狙撃兵は複数おるようです」


 楊が険しい顔で周囲を見回す。パンッ!


 その直後、今度は楊のすぐ傍にいた彼の副官の顔面が撃ち抜かれた。今度は銃声と着弾がほぼ同時――!

 つまり、この時点で敵狙撃兵は最低でも3人以上いる――!!


 それに気づいた途端、旅団兵士たちの動きが極端に鈍くなった。というより、顔を上げて敵陣に目を向ける者が誰もいなくなった。そりゃそうだ――


 下手に顔上げて、敵の狙撃兵と目が合ってしまったら、その瞬間自分の眉間に穴が開くかもしれないのだ――

 狙撃兵に狙われる者の気持ちは、当人にしか分からない。


 だが、この状況は極めてマズい――

 中尉と約束したのだ……突入部隊の背中は、自分たちが守ると……


 秀英は辺りをキョロキョロと見回した。取り敢えず、狙撃兵に見通されるような今の位置取りはマズい。頭を撃ち抜いてくれと言っているようなものだ。

 だが、現在秀英たちが展開している青山通りは、皇居のお堀からずっと見渡せる、極めて見通しの良い場所だった。


 ふと例の双発戦闘機を見上げる。だが、どうやら地上に狙撃兵がいることは、さすがに分からないようであった。双発機はゆっくりと敵陣上空を旋回すると、やがて秀英たちの方へ真っ直ぐ飛んでくる。機銃掃射の弾薬が尽き、一旦引き上げようとしているのは明白だった。

 ほどなくこちらの陣地上空に差し掛かると、双発機はグッと高度を下げる。まるで手が届くのではないだろうかと思うほどの超低空に進入してきたかと思うと、その翼を小気味よく何度も上下させた。バンクして、我々を鼓舞してくれているのか――!?


 だが、その直後、そのバンクが急に深く切れ込んだ。あれッ!?


 遅れて微かに銃声が聞こえたような気がした。

 すると、急にその日本軍機は、グォロロロロロ――と変な風切り音を発しながら、急激に地面に切れ込んでくるではないか!


「――危ないッ!!」


 思わず秀英が叫んだ――その瞬間だった。

 翼端が地面に接触する、まさにそのコンマ数秒前――

 すんでのところで機首が引き上げられたかと思うと、その日本軍機はゴォワワワワァァァ――と凄まじい風切り音を上げ、もう一度上空に飛びあがっていった。


 まさか――!?

 狙撃兵に、パイロットが撃たれたのか――

 あの機体は複座式だから、もう一人が死に物狂いで体勢を立て直したか!?

 いずれにせよ、とんでもない手練れの狙撃兵たちだ。このままここにいたら、一人ずつ狩られてしまう――


「――全員、ただちに東京駅付近まで撤退! そこを絶対防衛線とし、これを死守するッ!」

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