第484話 不機嫌な悪魔

「――ほ……本当にこんなことができるとは……」


 東京駅地下――八重洲地下街某所。

 中国軍司令部壕の中に設けられた作戦室には、異世界中国軍首脳部が集結していた。目の前にあるのは、全部で40面ほどもある巨大なマルチモニターの壁だ。

 そこには、地表の様子をさまざまな角度から映し出した映像がリアルタイム表示されている。


 もともとここは、地下街の最深部にある事務所兼警備室だ。40面の映像は、すべて地下街の各所通路に無数に設置されていた監視カメラの映像を死角なくモニターするように造られていたものだ。

 だが、中国軍は侵攻早々ここに司令部を置くと、それらの映像回線をすべて地表および上空からの監視用ドローンの映像に切り替え、地下に居ながらにして地面の上の戦場の様子を網羅して見られるように細工していたのだ。

 もちろん戦闘の影響で、そのうちの2割ほどの映像は既に途絶しており、40面マルチモニターはところどころ虫食いのようにブラックアウトしている。だが残る映像だけで十分、東京駅周辺から皇居敷地までの様子を把握することができていた。


 その中のいくつかの映像が、今この瞬間、新たな増援部隊がこの地に降り立ち、日本軍に猛烈な攻撃を仕掛けている様子を捉えている。


「ま、彼女が本気を出せばこれくらいのこと、造作もありません」


 得意げな顔つきで、将軍たちの感嘆の声に応えたのは李軍リージュンだ。


「――しかし、よくぞあの狂乱のガンダルヴァを制御できたものだ……さすがですな李先生」


 一人の恰幅の良い将軍が、まるで李軍におべっかを使うような下卑た顔つきで話しかける。今やこの場で戦争指揮ができるのは、李軍くらいなものだ。こうなったらとことんこの男に着いていこうと決めているのだろう。それはそれで、見上げた根性だと言えるのかもしれない。


 だが、李軍は急に不機嫌になった。


「アイシャ――あの子はアイシャというのですよ上将。それに、彼女は別に気が触れていたわけではない! ただ少し……なのです」


 李軍の苛立ちを察したのか、その男はやや狼狽しながら、なおも取り繕う。


「……あ、あぁ……そう、でしたな! そう――アイシャ……どの……彼女は、実に素晴らしい。できれば直接会って、礼のひとつでも伝えたいものだが――」

「――そんな必要はないっ! アイシャのことは、少しそっとしておいてもらいたい。今は疲れているのです」

「あ、あぁ……そうですな……あれだけの部隊を転移させたのだ。さぞや疲れていることでしょう。また必要な時に、彼女には活躍してもらえばいい」


 だが、その言葉にすら李軍はチッと舌打ちをして、それから憮然とした表情で押し黙ってしまった。


 将軍たちは、そんな李軍の無礼な態度を、心の中で溜息をつきながら諦観する。

彼の虫の居所が悪いのは、きっと例の中校が任務を果たせずに行方不明になってしまったせいだ。天皇を逮捕してここまで連れてくる――それさえ果たせれば、我が中国軍は大手を振ってこの地獄の地から撤退できたのだが、今やその目論見も風前の灯火だ。

 それを何とか巻き返すべく、こうやって想定外の策まで李軍に打ってもらったのだ。


 正直、こう何から何まで彼に頼りっぱなしだと、将軍たちとしてももはや偉そうなことは言えないのだ。ここはひとつ、彼の気分が落ち着くまで、甘んじてその不機嫌を受け入れよう――


 『三屍サンシィ』に寄生させた日本市民を皇居に乱入させ、一挙に皇室を落とそうとした作戦は、直前に戦闘区域を突破してきた日本軍の遊撃隊によって阻まれた。天皇逮捕の任を負って現地に向かったスフバートル中校は、途中で連絡途絶。恐らく日本軍に捕まったか、殺されたものと見做された。

 それどころか、日本軍は寄生虫に支配された市民および我が軍の阻止部隊に対し、何らかの手段を講じてその寄生虫の影響を排除したのだ。もって封鎖中の戦闘区域は事実上瓦解――

 皇居そのものの防備は再度強化され、日本軍はとうとう皇居から東京駅周辺の一帯を掌握しつつあった。このままでは、ここ中国軍司令部の場所まで突き止められ、最終攻勢に出られる危険すらあった。


 だからこそ、今度こそ最終手段として李軍に奥の手を出してもらったのだ。


 上海中国軍の空間転移――


 もともと並行世界からの中国軍侵攻は、上海が発端である。

 その実験的侵攻作戦が大成功に終わったことで、ついに本丸である日本に攻め込んだのだ。最初の侵攻先であった上海には、ほぼ無傷の異世界中国軍が数十万単位で駐留している。

 今回、その上海中国軍にとうとう手をつけたのだ。今や瓦解寸前の我が日本侵攻軍にこれを合流させれば、一気に形勢逆転できる――


 そのために、あのガンダルヴァの空間転移能力を発動させたのだ。


 正直、アイシャをやむを得ず荷電粒子砲で撃墜して以来、彼女は李軍の制御下から離れていた。どこにいるのかも分からないし、安否すら不明だった。

 だが、単に錯乱したのかそれとも敵の何らかの妨害工作に遭ったのか、いずれにせよ友軍に対しても牙を剥き、戦線崩壊へと導いたアイシャを李軍が「面倒くさい」と思ってしまったのは事実である。彼女のせいで、自分に対する信頼が失われようとしていた李軍が、状況の悪化に際しもう一肌脱いだのは自然の成り行きだった。


 そこで李軍は、彼女に施しておいた仕掛けを発動した。


 仕掛けといっても、大したものではない。

 日本軍兵士が当たり前のようにやっている、埋め込み生体チップによる位置測定と、それから初歩的な脳への干渉だ。


 位置測定用チップは、日本兵たちを真似て彼女の肩――三角筋の表層に仕込んである。

 もともとこれは、兵士個人の安否情報を病的なまでに把握しようとする西側諸国軍の概念だ。当然日本軍もこれを導入していて、このチップの情報は全地球測位システムを通じてリアルタイムで作戦指揮所に送られる仕組みだ。これによって指揮官は、作戦参加中の全兵士の位置情報と生体情報を常に取得できるようになっている。

 ただしそれは、日本軍やその他西側諸国のように、衛星情報を使用できる国家に限られる。要するに、宇宙空間を制している国家だけが使える贅沢品なのだ。

 当然、李軍たちは『華龍ファロン』の時代からそんなものを使えるだけのインフラを保持していなかったし、およそ100年ほど科学技術が遅れている異世界中国軍の連中に至っては、そもそもこの技術の概念すら理解できないだろう。


 そんなわけで、中国軍全般において、こうしたいわゆる「マン・マシン・インターフェース」は普及していなかったのだが、李軍はアイシャを溺愛するあまり、これの端末チップを埋め込んでいたというわけだ。

 日本軍のように、地球上どこにいても直ちに居場所を特定できる――とまではいかなかったが、半径5キロ以内くらいのごく限られた範囲であれば、臨時に設置した通信設備で同様の位置情報は取得できる。

 もちろん現代は電子戦の時代だから、こうした電波を発すればたちどころにこちらの位置まで特定される危険性があり、今まで一切使用していなかったのだが、もはや背に腹は代えられない。


 そうして一か八かでアイシャの位置情報取得を試みたところ、幸いこの皇居周辺戦闘区域に潜んでいることが判明したというわけだ。

 こうなったらこっちのものだった。


 こちらの電波範囲内にアイシャがいるのであれば、今度はアイシャの脳幹に埋め込んだ別のチップに特定の信号を送ればよい。それにより彼女は、離れていても李軍の意向をある程度汲んで行動できる。今回で言えば、その本来持つ転移の異能力を発動するはずだった。


 ただし今回は、ひとつ大きな問題があった。

 アイシャが死にかけていた――ということだ。


 肩に埋め込まれた生体チップは、彼女のバイタルが極端に低下していることを告げていた。血圧も非常に低かったから、恐らく大出血も起こしているものと推測された。

 本当なら、アイシャには異世界日本に駐留している中国軍をこちらに転移させるよう命令したかったのだが、これほど彼女が弱っていれば、さすがに異なる次元間の転移の発動はほぼ不可能だ。だが、同じ次元の中の単なる空間転移なら、まだ何とかなるかもしれない――


 そう考えた李軍は、上海駐留の異世界中国軍に目を付けたのだ。

 これを日本に転送し、ここ皇居攻防戦に投入すれば、一気に戦況を打開できる――


 だが、それでも李軍が少しだけ躊躇ったのは事実だ。

 もしもこれを強行すれば、もしかするとアイシャの命は尽きるかもしれない。転移とは、そもそも触媒のエネルギーを途轍もなく消費するものなのだ。同じ次元における単なる空間転移だとしても、弱っている彼女にとっては、それがトドメとなってしまうかもしれない……


 だが、李軍は最終的に、この件については科学的かつ合理的に結論を出すことにしたのだ。

 もともとアイシャの役割は、こういう時に力を発揮するためだ。そのために彼女を見出し、ここまで育ててきたのだ。それを今使わずしていつ使う――!?

 

 だから李軍は、少しのためらいの後、これを発動させることにしたのだ。


 こうしてアイシャの脳幹に埋め込まれたマイクロチップには、ある信号が送られた。

 このチップは、もともとアイシャが万が一反乱を起こした際に、彼女の脳活動を停止させるためのいわば安全装置として埋め込まれたものだ。だが、送る信号によっては、彼女の脳神経にある種のエンハンスメントを施すことが出来る。

 それにより、李軍はアイシャに“上海の中国軍を東京に転移させる”よう命令したのだ。そして――


 アイシャは自らの意思に関係なく、最期の力を振り絞ってそれを成し遂げた。そう……最期の力だ――


 最初アイシャは、バグを起こした。

 上海駐留の中国軍ではなく、この東京にいた中国軍兵士たちを、あっちに転移したりこっちに転移したり、まるで遊んでいるかのようにその空間転移能力を無駄に消費したのだ。恐らくそれは、彼女の自我が余計な情報をインプットしたせいだろう。

 だからこの時のアイシャは、おそらく自分の意思でその操作を行っていると思い込んでいたはずだ。ただ、この“気まぐれ”は、李軍が想定していなかった副次的効果を発揮した。

 当初中国軍兵士だけ転移させるつもりだったのに、巻き添えで日本兵たちの一部まで空間転移させたのだ。

 そのお蔭で、日本軍側には多少の混乱が巻き起こった。強力な敵の部隊が、戦場でバラバラになったのである。


 李軍が、これを好機としてさらに強力な信号をアイシャに向けて発したのはその時だ。結果、アイシャは無意識下において李軍の命令を正確に把握し、ついに遠く離れた上海から、一個師団規模の兵士を根こそぎここ東京の中心地に転移させたのである――


 その代償として、アイシャのバイタルがほぼ消失したことについては、李軍は敢えて考えないようにしていた。多分、彼女はこれで死んだはずだ。あぁ……アイシャ……私のしたことは、まさに悪魔の所業だ――

 だがいっぽうで、李軍にはその実感がなかった。彼女の死は、単なる電気信号の有無による推測に過ぎない。本当に自分の目で見たわけではないから、どうしても彼女が死んだとは思えないのだ。

 もちろんアイシャの死は、その使命を100パーセント完遂したことによる死なのだから、李軍には何も悔やむ点はないはずなのだが、それでも何だか腹立たしいのだ。


 その時初めて李軍は気付いたのだ。自分は、心のどこかでまだ、アイシャに生きていて欲しいと願っている――!?


 そんな時に、ここにいる無能将軍たちが無神経にあれこれ喋るから、李軍は腹を立てているのだ。この、クソの役にも立たない連中のせいで、アイシャは死んだのか――


  ***


「――あ……あの……中尉、アイシャちゃんの様子が変なのです……」


 亜紀乃が切迫した声で士郎を呼び止める。


 突如として輝きを増したヒヒイロカネの長刀。

 士郎やオメガたちは、それが自分たちの戦闘意欲に基づいた何らかの現象だと捉え、さらに意を強くして立ち上がったばかりである。

 その出鼻を挫くように、横たわるアイシャが無視できない変調を来したのだ。


 士郎が振り向くと、アイシャの身体からは無数の微細な光球が立ち昇っているところだった。

 それはつい先ほど、彼女がその生命エネルギーをミイラ化した兵士たちに戻す際に現れた、あのキラキラした細かい砂粒のようなものとほとんど一緒だった。


 ということは、これはもしかして彼女自身の生命エネルギーが可視化されたもの――!?

 それが彼女の身体から立ち昇って、やがて消えていくその光景は、あたかも彼女の魂が天に召されていくかのようだった。


 その途端、士郎の心臓はドクンと跳ね上がる。まさか――


「――アイシャッ!?」


 弾かれたように、ゆずりはがアイシャの傍にうずくまる。その指先を彼女の首筋に当てていた楪は、やがてゆっくりとその手を離し、そして士郎を見上げる。


「…………」


 士郎は、声を上げることができなかった。そんな士郎をじっと見つめた楪は、力なく首を左右に振る。


 ――――!!?


「――お……おい……」

「……残念……だけど……」


 アイシャが……死んだ……!?

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