第485話 蹂躙機動

 士郎はその途端、圧倒的無力感に苛まれた。


 これが物語の主人公なら、目の前の悲劇に絶叫して憤激し、ラスボスに向かって最終決戦を挑むところだ。だが、幸か不幸か士郎は現役の軍人であり、多数の部下の命を預かる将校だった。

 ここで取り乱して何の作戦もなしに突っ込み、部下を無益な危険に晒して犬死させるわけにはいかない。ましてや怒りに駆られて錯乱した指揮官など、まず間違いなく田渕に取り押さえられ、強引に指揮権を剥奪されるだろう。


 だから士郎は、このやり場のない怒りを必死で内に秘め、努めて冷静にこの後の展開を頭の中でシミュレーションする。


 だがそんな士郎の姿は、却ってその場にいた者たちに、士郎の圧倒的な怒りと、絶対に敵の首領を叩き潰すのだという鋼のような決意を知らしめることとなった。


「――士郎、絶対に、彼女の仇を討とう」

「そうだね、このままやられっぱなしじゃいられない」

「そのとおりなのです。中尉、何でも言ってくださいなのです!」


 久遠が、ゆずりはが、そして亜紀乃が――

 士郎の盾となり、剣となる揺るぎない決意を示して彼の周囲に集まった。


 もちろんそれは、田渕たち一般兵とて同じだった。いや――むしろ、この状況でなお、正しく指揮官たらんとする石動いするぎ士郎の態度に、兵たちは心からの感銘を受けた。この人のためなら、命を投げ出しても構わない――


 全員が、まさに火の玉となった。士郎が口を開く。


「――全員、聞いてくれ……俺たちは今、恐らく地下空間に閉じ込められている。これはアイシャ曰く気まぐれで空間転移を仕掛けたせいだという。つまり、この辺りに地上との出入口は開いていないということだ」

「……簡単には、外に出られないということね」


 楪が反芻する。


「あぁ、その通りだ。だがいっぽうで、はぐれた未来みくたちはここからそう遠くないところにいると思う。明確な証拠があるわけじゃないが、そんな気がするんだ……」


 だが、士郎の言葉は単なる希望的観測ではない。なぜなら、さきほどアイシャが息を引き取った直後から、俄かにくぐもった爆発音や、それから無数の銃撃音が頭上で聞こえ始めたからだ。つまり――現在士郎たちの頭の上の地上では、なんらかの戦闘が現在進行形で始まっているということだ。


 戦闘しているということは、日本軍と中国軍が戦っているということだ。だとしたら、そこに未来たちがいる可能性がある。


「……そこで、俺たちは、このままこの地下空間を彷徨って、場所も定かでない敵司令部を探すのではなく、なんとしても一旦地上に出て、そこで未来たちと合流しようと思う。それから敵司令部を探し出して、全兵力でもってそこへ向かうというのが最も合理的で効率的だと思うんだが……どうだ!?」

「――異論ありません。極めてロジカルな結論です」


 田渕が瞬時に賛同した。

 他の兵士たちも頷いている。その様子を見て、士郎は険しい中にも満足げな表情を見せた。


「――よし。じゃあここからは、日本人らしくと行こうじゃないか」

「か……神頼み!?」


 ついさっき、士郎は極めて論理的に今後の展開を兵士たちに説明してみせた。その冷静沈着な態度にこそ、兵士たちは彼に信頼を寄せ、命を預けようとしたばかりではないか――

 その舌の根も乾かぬうちに……いったい彼は、何を考えている!?

 だが、士郎はいたって冷静だった。


「あぁ、神頼みだ。今回は、俺たちの信頼するくるみとかざりが、まさにその神さまの依り代になっているはずじゃないか」

「あぁ――!」


 そうなのだ。今ははぐれてしまっているが、もともと士郎たちは大国主命オオクニヌシノミコトたちとともに、この戦場に戻ってきたのだ。その恐るべき神威を秘めた『幽世かくりよ』の王は、現在半分だけ、こちらの『現世うつしよ』に顕現している。その際、オオクニヌシがこの世界に存在するための依り代として、二人のオメガが巫女の役割を果たし、彼の礎となっている。

 つまり、現在あの神さまは、くるみと文という、二人のオメガの意識のうえに成り立っているのだ。


「それってつまり……くるみちゃんやかざりちゃんと意識を同期シンクロナイズすることで、神さまに何か手助けしてもらおう――ってことね!?」


 楪が納得したように口を開いた。今回は、随分頭が冴えているじゃないか――!? 士郎は楪に優しい笑みを向けた。


「あぁ――とにかく俺たちは、この地下空間から外に出してもらわなきゃいけないからな。そうだな……今回は、文の力を借りるとしよう」


 そう言うと、士郎はさっそくその場に腰を下ろした。なぜ文なのか――オメガたちは、ほどなくその理由を知ることとなる。


  ***


 クッ――!


 未来は、押し寄せる中国兵の大軍に、徐々に押し込まれていた。

 彼らは明らかに、今まで戦っていた中国軍とは異なっている。いや――もちろん同じ“異世界中国軍”の兵士たちだ。だが、どこか様子が違うのだ。


 具体的に言えばそれは、ということだ。まるで今まで戦闘などやっていなかったかのように、その戦意は旺盛だし、そもそも軍服がまったく汚れていない。一緒に押し寄せてきた戦車や各種野戦砲も、泥すらついていない。

 そして何より、彼らが『三屍サンシィ』に汚染されている気配が皆無だったのである。


 それは、ハッキリ言ってしまえば彼らがこの日本侵攻軍とは別の部隊であることを示していた。

 じゃあどこから――!?


 それが、異世界から転移してきた連中でないことも明白だった。

 だって、今『幽世』では、自由日本軍が総力を挙げて占領軍と戦っているはずだからだ。こちらの世界から消えた兵力が、元通りに『幽世』に帰還した可能性も低かった。恐らく彼らは、次元の狭間に迷い込んでいるはずだ。


 であればなおさら、現在『幽世』では自由日本軍が攻勢を仕掛けているはずだ。こちらの世界に兵力を割けるほど中国軍に余裕はないはずだし、仮に無理やり李軍リージュンに引っぺがされ、こちらに転移させられたのだとしても、彼らは相当疲弊しているはずだった。目の前の中国軍のように、妙に小奇麗なはずはない。


 だとしたら――

 今、目の前にいるこの“異世界中国軍”の出所は、日本にもともと展開している侵略軍を除けば、残る可能性はひとつしかない。


 そう――上海だ。


 上海に侵攻した彼らは、そのまま大陸に今でも居座っているはずなのだ。そして連中こそが、この日本侵攻軍の後ろ盾、強みでもある。今この状況下で、劣勢の中国軍が増援を頼むとしたら、その上海駐留部隊を置いて他にはない――


 だとしたら、強敵だ。

 上海を突如侵略した彼らの残虐さ、精強さは、いろいろなところから報告が入っている。非戦闘員も多数、市内各所で無残にも虐殺されたと聞いている。

 その戦闘があったのは今からおよそ3ヵ月前。ちょうど戦闘の傷も癒え、むしろまた戦いたくなっている頃合いだ。戦闘の後きちんと精神ケアをしない軍隊の兵士は、戦うという衝動に抗えず、血に飢えている可能性が高い――


『――少佐ッ! この敵は、上海にいた中国軍の可能性がありますッ!』

『あぁ! 私もちょうど今、その可能性に思い至ったところだよ』


 未来が報告すると、間髪入れず叶が応じた。

 さすがは叶だった。やはり合理的に考えれば、コイツらは――


 その時だ。

 轟然と敵陣に飛び込んでいったのは、頼もしいあのシルエットだった。多脚戦車ゴライアス――!!


 美玲メイリンたちが、雲霞のように押し寄せる敵兵たちに、敢然と切りかかっていったのだ。


 ビィィィィ――ン!!

 ビィィィィィィ――ン!!!


 ダァ――ン!!!

 ダダダァァ――ンッ!!!


 電磁加速砲レールガンが立て続けに撃ち込まれ、射線上にいた敵兵たちが次々に吹き飛ぶ。だが――


 どうにも弾幕が薄いというか、今一つ破壊力に欠けるのだ。どうして――!?

 すると、一発のレールガンが、中国軍の兵員輸送トラックのようなものを捉えた。


 ガァァァ――ンッ!!!

 ダダァ――ン!!!


 トラックは大爆発を起こし、周囲の敵兵が多数吹き飛ぶ。そうか――レールガンは、面制圧に向いていないのだ。

 周知のとおり、電磁加速砲レールガンというのはいわばパチンコ鉄砲のようなものだ。つまり、何らかの弾体を途轍もない速度で撃ち出す兵器。だから、分厚い装甲を貫いたり、ロングレンジの対象物を射抜いたりすることには優れているが、一定の範囲を“面”で無力化するには、火線が細すぎるのだ。

 

 さっきはたまたまトラックを破壊したから、そのトラックが大爆発を起こして周囲一帯を吹き飛ばしたのであり、特にこうした塊の攻撃目標がない場合は、スカスカの火線になってしまうのだ。

 人海戦術で押し寄せる敵兵たちに、それほど効果を発揮しているように見えないのは、そのせいだった。


  ***


「――クソッ!! ちょろちょろ動きやがって!!」


 もちろんそんなことは、多脚戦車チューチュー号を指揮する美玲だって百も承知だった。先ほどから、いくら撃っても津波のような中国兵の突進を阻止できない。

 それはまるで、ビーチに寄せてくる大波を、槍を突き立てて押し返そうとするようなものだった。今必要なのは、「槍」ではなくて「防波堤」だ。


「――品妍ピンイェン! かくなるうえはッ!!」

「しょうがない……気が進まないけど、やるしかないネ!」


 機関員の品妍がガシャガシャと操縦桿を操作すると、チューチュー号はグン――とその車体を低く沈めた。8本ある脚のうち、半分の4本をヒトデのように真横に展開し、残る4本で走破する態勢を取る。

 砲手ガンナー詠晴ヨンチンが、主砲である電磁加速砲から、補助火器であるミニガンにセレクターチェンジする。


「――チューチュー号、これより蹂躙走行に入るッ!」

「「了解ッ!」」


 その途端、地上には殺戮の嵐が吹き荒れた。それは戦車兵にとって、出来ればやりたくない戦術機動の代表格とも言える戦法だ。すなわち――


 その8本の脚を巧みに動かし、周囲の歩兵を


 要するに、その蜘蛛の脚のような鋭い脚部を自在に操って、周囲の敵兵を踏み潰したり刎ね飛ばしたり串刺しにしたりしながら、高速機動で戦場を走り回るのだ。

 おまけにミニガンも乱射しまくるから、まさに破砕機が地表を走り回っているのと同じ状況になる。これほど非人道的な戦闘機動は、地上戦において他に類例を知らない。


 もちろん、装軌車の時代からこうした戦法は戦車に付きものだった。昔から戦車の足周りの代名詞であった、その鉄板が連結したいわゆる“無限軌道”は、進行方向の敵兵を躊躇なく轢き殺すのに使われてきたし、それは立派な戦車戦術のひとつだ。

 だが、相手がアリやゴキブリならともかく、人間を踏み潰す、轢き殺すというのは、お世辞にも気分のいいものではない。ましてや多脚戦車の蹂躙走行は、それはもう恐ろしい殺戮機動なのだ。

 今頃チューチュー号の足回りには、おそらく引き千切られた人間のパーツがあちこちにこびりついているだろう。その装甲表面には、びっしりと人間の肉片と、夥しい血痕と脂が付いているに違いない。

 美玲たちが、あまり乗り気でなかったのはそれが理由だ。


 だが、チューチュー号のその恐るべき蹂躙走行は、さすがに中国軍の突撃の足を鈍らせた。それを見た狼旅団の兵士たちも、ようやく我に返って反撃に転ずる。


 未来も、思わずくじけそうになった自分の気持ちを奮い立たせた。ここで突破を許したら、今度こそ敵兵たちが皇居に攻め寄せてくるかもしれないのだ。せっかく助けた中国兵たちも、どう転ぶか分からない。なにより、現在皇居敷地に避難したかたちになった、多くの民間人が犠牲になってしまう。

 すべてが、水の泡になってしまうのだ――


 未来は、心を鬼にして敵兵に向き合った。二本の長刀を両手に持ち、あらためて深呼吸する。


 未来の真正面から、相変わらず無数の敵兵が押し寄せていた。

 時折、その大波が乱れるのは、美玲の操る多脚戦車が地獄のような蹂躙機動を仕掛けているせいだ。敵兵たちはまるでゴミのように吹き飛び、肉塊と化す。それでもまだ、波は次々に押し寄せてきた。

 今度はそれに、狼旅団の兵士たちが飛びかかる。激しく銃撃を喰らわせ、次々に迫撃砲弾が撃ち込まれる。当然中国兵たちもそれに反撃し、地獄はさらに拡大していく。

 一部では、ついに白兵戦が始まっていた。銃剣で突き刺し合い、飛びかかり、殴り、蹴り、押し倒し、力づくで首をへし折る。


 あぁ……士郎くん……ごめんね――


 私が中国兵を助けようとさえ言わなければ、部隊はとっくにここから転戦していて、この新手の中国兵たちと鉢合わせせず、戦闘にならなかったかもしれない。


 だからこの場の責任は、私が取らなきゃいけないんだ……

 未来は覚悟を決める。


 目の前で繰り広げられている、この地獄のような殺戮から、私は逃げるわけにはいかないの……


 オオクニヌシの恐るべき神威が発動したのは、その時だ――


 バガッ――!!

 バキャバキャッ――!!!


 突如として、

 それは一箇所ではなく、次々と、立て続けに、つるべ打ちのように地面に穴が穿たれた。そしてそのたびに地面は隆起し、中からあらゆるものが噴き出した。それは大量の土砂であり、瓦礫、そして地下空間に元々あったと思われる、さまざまなコンクリ片、ブロック、建物の残骸などだった。

 そして――


 カッ――!!!


 と凄まじい閃光が迸ったかと思うと、空中高く、それは噴き上がったのである。


 未来はそれを見て、驚愕に包まれた。


「――士郎くんッ!?」

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