第483話 クリムゾンレイン

 ようやく一息ついたはずの中国兵たちが、今度はあちこちで自爆し始めた。

 もちろんそれは、自発的なものではない。何らかの原因によって、本人の意思とは関係なく、その身体が爆発四散しているのだ。


 ただし、それはいわゆる爆薬を用いた爆発とは少し様相を異にしていた。

 どちらかというと、人体のあちこちが突如として膨れ上がり、そのまま破裂する――という感じなのだ。人によってそれは腹部だったり、手脚のどこかだったり、あるいは背中、肩、そして頭部だったりする。

 さまざまな部位が、唐突にパンッ――と破裂して、結果その兵士は出血多量とか、いわゆる外傷性ショックで死に至るのだ。


 その死にざまは、少しだけゆずりはの異能である「人体破壊」に近かったが、ただし彼女のそれは、対象の人体が全体的にムクムクと膨張した挙句、風船が破裂するように弾け飛ぶ――というものだ。

 目の前の光景は、それとは少し違って見える。


 辺りは一気にパニック状態に陥った。

 中国兵たちは、次は自分かと慌てふためき、右往左往する。音繰オンソウたち狼旅団の兵士たちは、そんな彼らを何とか落ち着かせようとするのだが、この状態で彼らを制御するのは、もはや不可能だった。あてもなく逃げ惑い、そしてまた誰かがパンッ――と弾け飛ぶ。


 そんな中にあって、叶はひとり厳しい表情で思案していた。ほどなく、ついに何かに気付いたようにその顔を上げる。


「――未来みくちゃん、これは……もしかすると胞子爆発のようなものかもしれない……」

「ほ……胞子爆発!?」


 未来は、中国兵たちが自分の目の前で次々に四散するのになす術もなく、半分涙目になっていた。


「あぁ――シダ植物とか、キノコ類とか、胞子を生成する植物は、最終的にその胞子が詰まった子嚢を破裂させて、空気中にこう……噴煙のように撒き散らすだろ!? 知ってるかい?」

「えっと……その辺はあまり詳しくないのですが……」

「まぁいい――つまりは、そういうやり方で次の世代を残す生物は、この地球上では結構一般的なんだ。だからこの『三屍サンシィ』も、次の宿主に寄生できなかった個体は、今度は形を変えてそうやって子孫を残そうとする習性を持つのかもしれない」

「え!? ということは、この爆発の粉塵を浴びた人は、また『三屍』に寄生される……!?」

「いや、一度本体が死滅しているから、この破裂はあくまでただの反射現象なんだと思うよ。一定時間を過ぎると、体内に残ったままの遺骸が勝手に弾けるんだ」

「――そんな……」


 ということは、その遺骸を体内に残したままの彼ら中国兵たちは、自分の体の中にいわばを抱えているようなものということか。じゃあ結局……誰も救えないのか――!?


「――で、でもアイシャちゃんは……」

「あぁ、彼女は辟邪だから、おそらく普通の人間とは桁違いの生命力を持っていたんだろう。ま、その彼女ですら、腹部のあの怪我は相当酷いと言わざるを得ないけどね……」


 そんな遣り取りをしているうちに、爆発の連鎖は一旦収まりつつあった。このタイミングで破裂する個体は、破裂し切ったということなのだろうか。

 立て続けに10人近くの中国兵が弾け飛ぶと、嘘のように騒ぎは収束していく。大丈夫――中国兵たちの大半は、無事生き永らえている。

 ただし、みな顔面蒼白だった。こうなったら、いつ自分が破裂してもおかしくないと完全に怯え切っているのだ。


 そんな彼らの様子を見て、未来はあらためて李軍リージュンへの憤りを募らせる。こんな非人道的な生物兵器まがいのものを、生きた人間に……ましてや自軍兵士に仕込むなんて――


「――少佐! なんとかならないんでしょうかッ!?」


 未来は哀願するように叶に詰め寄るが、『三屍』の遺骸を体外に排出する以外、有効な対処法がないのは明らかだった。

 叶も、砂を噛むような思いでいるだろうことは、その表情から察しがついた。


「――やはり……ここはどうしても、あの科学者を捕まえるしかないようだね……」

「……李軍……」


 また一人、パァンと大きな音がして、人が弾け飛んだ。途端、「ギャアッ」という怯えた悲鳴が兵士たちの口から洩れる。

 もはや中国兵たちは、生きた心地がしないだろう。先ほどまでの弛緩した空気は、既にない。張り詰めた緊張感が、再び戦場を覆い尽くしていった。

 そこに近付いてきたのは、ヂャン秀英シゥインだ。


「――ミク……これはもう、早いとこ敵司令部を落とすしかないようだ。中国兵たちは、自分の尻に火が点いているから、このままここに置いて行っても問題はあるまい」

「……は、はい……分かりました。誰か一人でも、道案内できる人がいればいいんですけど……」


 結局未来たちは、敵司令部の正確な位置をまだ把握していないのだ。頼りのチューランとミーシャは相変わらず前後不覚だ。

 すると、音繰が付き添うかたちで、酷くやつれた表情の兵士が一人、近付いてきた。先ほど音繰に「日本軍に入りたい」と口走っていた、あの男だ。音繰が口を開く。


「ミクちゃん、将軍閣下――コイツが、敵司令部への道案内をしてくれるそうです」

「え……ホントに!? でも身体は――」


 すると、男はキッと顔を上げた。


「そんなの関係ありません……俺はもう……我慢ならねぇ……この身体、いつ吹っ飛ぶか分かんねぇけど、こんなことやらかした奴を、一発ブン殴らなきゃ気が済まねぇ……」


 兵士は、怒りを滲ませながらも、将軍の前ということでなんとか冷静を保った。


「――よく言った列兵よ……貴様、ワシの下に着け」


 老将ヤン子墨ズーモーが、男に声を掛ける。彼の責任で、その身柄を預かろうというのだ。楊が「宜しいですね」という視線を秀英に送ると、将軍も黙って頷く。


「――おめぇ、名前は?」


 音繰があらためて訊くと、兵士は驚くべき名を口にした。


浩宇ハオユーだ」


 ――!!

 未来は、その名前に凍り付いた。まさか――


 だが、あらためて兵士を見つめた未来は、ふっと気が抜けたように視線を外す。似てない……

 まぁ、名前が偶然同じこともあるだろう。ミクの周りのオメガたちが、次々に並行世界の同一人物と出くわしたから、もしやと思っただけだ。


「――なんだ、お前、昔俺っちの隊にいた奴と同じ名前かぁ」


 音繰が無邪気に彼のことを引き合いに出す。未来にとっては、ほろ苦い想い出……自分のために、その命を落としたと言っても過言ではない彼のことを、未来はどうしても忘れられない。

 でも音繰は、逆にあっさりしたものだった。まぁ、戦争当事国の兵士なんてそんなものかもしれない。兵士とはすなわち、消耗品なのだ。


 その時だった。


「――あれ……未来ちゃん……?」

「……?」


 突然叶が、未来を呼び止める。その視線の先には――


 未来が携える長刀があった。正確に言うと、それは二振りだ。彼女は二刀流だから、腰の後ろに横挿ししているものと、左腰に挿しているものがある。

 その二振りの長刀が、いつの間にか虹色の光を帯びていた。それは、ヒヒイロカネ特有の現象だった。しかし――


「えっと……未来ちゃん何か……」

「いえ――私は何も……」


 そう――この現象は本来、何らかの次元転移とか、未来の異能発動とか、その類のエネルギー現象の発動に伴って見られる、いわば共鳴現象なのだ。


「いったいなぜ――」


 そう言いかけた矢先だった。


 突如として、空から大量のが降ってきた。いや――雨じゃ……ない……流星――!?


 しかしそれは“流れ星”というには、明らかに違和感がある。

 だって、普通の流星なら夜空を横切るように一瞬だけ輝くものだが、これは違う。その光条は、むしろ天頂から垂直に、地上に向けて真っ直ぐ落下してきたのである。

 その意味では、やはりこれは“雨”のようだった。

 しかもその雨粒の数は、途中で数えるのを諦めるぐらい見る間に増えていった。土砂降りだ。まだ日も高いのに、やや紫がかった鮮やかな深紅色の大量の光の筋が、大気を切り裂いて地表に落ちてくる――!


 その時、叶が叫んだ。


「――いかん! アレはッ――!!」


  ***


 その真っ赤な地で染まったような色の“雨”は、地表に到達した途端、ボワッと一瞬輝いたかと思うと、次々にした。


「――な……! 総員、制圧射撃よーいッ!!」


 楊子墨が、険しい顔で全軍に下命する。音繰をはじめとする狼旅団の兵士たちは、ただちに肩に担いでいたライフルを持ち変え、その場に低く伏せて光源に狙いを定めた。途端――


 タタタタタッ――

 ガガガガガガガガガガッ!!!


 はいきなり、猛烈な銃撃を浴びせ掛けてくる。つられて、狼旅団も一斉に応戦し始めた。戦場は、あっという間に猛烈な銃火が飛び交う地獄と化す。


「アレはいったい――」

「中国軍の、新手だ!!!」


 叶が叫ぶ。


 中国軍――!?

 新手……って、いったいどういうことだ――


 だが、既に肉眼でその表情が見える距離にまで近づいてきたソイツらは、確かに緑色の軍服を着た、アジア系の兵士たちだった。

 特徴的な襟元の赤い階級章が、遠目からでも良く見える。一部の兵士の袖には、黄色のストライプが何本も入っていた。


 間違いない――人民解放軍の、将校制服だ。

 奴らは壊滅したのではなかったのか――!?


 だが、どうやら思考停止している暇はなさそうだった。深紅の雨が、どんどん奴らの後方に降ってきて、そして敵兵力はそのたびに膨れ上がっていく。それらはみな、地表に到達したかと思うとパァッと光を放ち、次々と実体化していくのだ。


 それは明らかに、転移現象だった――


「――敵兵が、転移してきてる――!?」


 叶は、激しい銃撃を避けて頭を地面に擦りつけながら、必死で考えを巡らせる。先ほど未来のヒヒイロカネの長刀が共鳴現象を起こしたのは、おそらくこれが原因だ。ということはこの現象は、今のところ行方不明の、あの辟邪の仕業――!?


 プィンッ――ヴンッ――


 叶の耳元を、銃弾が掠め飛ぶ。

 どうやら今は、敵を撃退することが最優先のようだ。


「――総員! 前線を維持しろッ! 押し込まれるなッ!!」


 楊大佐が檄を飛ばす。


『こちら第6分隊! 敵迫撃砲の攻撃を受けているッ! 至急応援を――うわァッ……』


 ダァ――ン!!

 ガガ――ンッ!!!


 少し離れたところで、兵士たちが吹き飛ばされるのが目に入る。

 狼旅団の兵士たちは、みな日本軍の最新装備を身に着けているのだが、特戦群兵士のように頭部まで完全に防護するものではない。少しずつ、少しずつ、斃れる兵士が増えていった。


『――12分隊ですッ!! 敵が突撃してきま――ガハァッ……』


 前線のあちこちで、両軍がドカンと激突している様子が手に取るように分かった。あちこちで爆発が起き、黒煙が噴き上がり、そしてまた激しい銃撃の応酬が響き渡る。

 だが、全体的に押し込まれているのは明らかにこちらの方だった。部分的には、既に白兵戦に突入している一角すらある。

 徐々に、前線が崩壊していく――


「楊大佐! 何とか立て直せ」

「はッ! ッ――」


 秀英が、兵士たちの戦闘指揮を執る楊子墨に発破をかける。それひとつ取っても、事態が切迫しているのは明らかだった。どんなに激戦でも、普段の秀英ならそんな分かり切ったことを楊に言わない。

 楊のほうも、“重機関銃”のことを中国式に“銃機槍”と口走るくらいには切迫していた。不意を突かれ、こちらの態勢がガタガタなのは、もはや隠しようがなかった。


 ガガガガガガガガガガッ――!!

 ガガガガガガガガガガガガガガガガッ――!!!!


 ようやく分隊重機が火を噴き始める。削岩機のようなやかましい音が響き渡るたび、敵兵が粉砕されていくのが遠目にも分かった。

 だが、それを上回る勢いで、さらにその屍を乗り越えて敵兵が殺到してくる。いったいどれくらいいるんだ!? パッと見、敵兵力は1000や2000ではきかないようだ。万単位!?

 そうだ――今や出現した敵兵力は、師団規模以上だ。いったいどこにこんな兵力が――!?


 未来がふっと立ち上がったのは、その時だ。


「――未来……ちゃん……?」

「……少佐……私……出ます」


 それが彼女にとって、苦渋の決断だったことは想像に難くない。


 なにせ未来は、戦意喪失した中国兵たちの助命嘆願を、つい先ほどまで必死に訴えていた張本人なのだから。

 目の前で攻撃を仕掛けてくるあの緑色の軍服の敵兵たちと、先ほど助けた中国兵の見た目は、完全に一緒なのだ。つまり――彼らは同じ“異世界中国軍”だ。


 もちろん違う部隊なのだろうが、未来にしてみれば、まさに恩を仇で返されたような気分だろうし、彼らの助命にさして興味のなかった者からしたら、「ほれみたことか」という心境だろう。未来が何らかの責任を感じたことは、想像に難くない。

 結局、こうして殺し合う運命なのか――


 バンッ――!!


 未来はその場で跳躍すると、ポーンとひとり前線に飛び出していった。

 空中で、その二刀流の長刀をスラリと抜くのが見える。刀身が黒光りして、それが残像のように未来の跳躍した放物線をなぞっていった。そして――


 未来が着地したその瞬間から、そこには殺戮の嵐が吹き荒れる。もちろん未来は、異世界中国兵たちに殺意を抱かない。だからそれは、絶対に彼女の本意ではないのだ。それでも必死で刀を振るい、迫りくる脅威を排除していく――

 あっという間に、彼女が展開したポイントから敵兵が蹴散らされていった。だが、事態はそう簡単ではなかったのだ。


 オメガである未来の、その人外の戦闘能力を上回る猛烈な勢いで、敵兵が続々と転移してきては、寄せては返す波のように、何度も何度も前線に押し寄せてきたのだ。


 さしもの未来も、次第に押し込まれていく――

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