第482話 時限爆弾

 垂直離着陸VTOL強襲降下艇『飛竜』の編隊が、秀英シゥインの率いる狼旅団展開地域に飛来したのは、それからまもなくのことだ。


 空母『赤城』艦上では、突然の秀英からの医薬品輸送要請に一時騒然となった。だって、そんな要請が最前線から届くということは、部隊が壊滅的損害を蒙り、多くの兵士たちが傷ついたことを意味していたからだ。

 だがよくよく聞いてみると、それは制圧した敵兵を救護するための資材なのだという。

 その瞬間、同席していた帝国海軍参謀たちからは「この非常時に何を悠長なことを」という異論が噴出したが、これをとりなしたのは連合艦隊司令長官の小沢だ。曰く「戦意喪失した敵兵を保護するのに、何の躊躇いが必要か――」というわけだ。


 幸い現在は、既に敵辟邪も確認されておらず、荷電粒子砲も相当数撃破したとの報告が入っていたから、降下艇を送り込めない理由は半減していた。

 それから約1時間後――

 医薬品はもとより、食糧や毛布、衣類、その他必要と思われるさまざまな資機材が、10機近い『飛竜』によって前線に届けられることになった。


 そしてこの人も――


 次々と地表に垂直着陸してくる日本軍空輸部隊の中に、叶元尚の姿もあった。彼曰く、事態は既に次の段階フェーズに移行しているのだという。


 結果的に陛下は皇居脱出を思い留まられた。そこに何らかの、軍事常識的にはあり得ない別の意思が働いたことに、叶は気付いたのだ。

 それには恐らく、今回の一連の寄生虫騒ぎ、辟邪、異世界、転移、そして“神”と呼ばれるものの存在、ひいては並行世界や量子論など、いわゆる“叶の専門分野”が深く絡んでいる。

 現場主義の彼にしてみれば、作戦室に引きこもっている場合ではない、と考えたわけだ。


「――メイジャーカノー! 連中、もう感染しませんよね!?」


 四ノ宮から、叶の警護を頼まれたエヴァンス上等兵曹ほか特殊戦舟艇部隊SBTの精鋭義勇兵たちが、『飛竜』の半球型キャノピーから地表を見下ろす。


「あぁ、問題ない。どうやら神さまのお陰で、彼らの穢れは討ち祓われたらしい」

「神さま? ケガレ?」


 電子戦担当のマンキューソが不思議そうな顔をする。


「まぁ気にすんなルカ……この世には、電子の世界には存在しない概念があるってこった」


 エヴァンスの軽口に、ルーカ・マンキューソが肩をすくめる。だが、チームは専門家である叶のお墨付きを貰ったことで、リラックスしながら機を降りた。


「――少佐!」


 ハッチから出た途端、叶を見つけて未来みくが駆け寄ってくる。

 「ヒューゥ……」その神々しいまでの美貌に、SBTの隊員たちは思わず口笛を吹いた。


「なぁマット……日本軍は、あんなキュートな子が当たり前に兵士やってんのか!?」


 狙撃担当のエドモンドが、羨望の眼差しで未来を凝視する。つい先ほど、中国兵たちが見せた反応とまったく同じだった。


  ***


「――まだ受け取ってない方はいませんかぁ!?」


 先ほどから未来が中国兵たちに配って回っているのは、日本軍の戦闘糧食レーションだ。

 『三屍サンシィ』に寄生されて以来、寝食を完全に無視されて24時間動き続けていた中国兵たちの疲労は凄まじい。彼らの大半が、まるで泥のように地面に倒れ込んでいるのは、それが理由だと思われた。だからこそ、今回配給している栄養価の高いお粥状レーションは、彼ら中国兵たちの腹に染み渡る。


「……あ……あ……」


 ひとりの中国兵が、未来の足許に縋り付いてきた。身体のあちこちに治療用ギプスが巻かれている。この様子だと相当重傷のようだったが、『飛竜』とともに現地入りした日本軍衛生兵たちの適切な処置により、とりあえず肉体的な危機は脱していたようだった。


 未来はその場にしゃがみ込み、その兵士の肩にいたわるように手を置く。すると中国兵は、心から安堵したような顔で未来を眩しそうに見上げた。


「……あ、ありがとう……本当に……ありがとう……」

「……しばらく休んでくださいね……落ち着いたら、安全地帯に移動してもらいますので」

「あぁ……本当にすまない……君たちは……なんで俺たちを助けてくれたんだ……?」


 中国兵の質問に、未来は当たり前のような顔で応じる。


「――だって……もう戦闘は終わったから……」


 この兵士のように、命を救われ、怪我を治療され、食糧を与えられた中国兵たちの関心は、今や一段階高まりつつあった。

 特にそれは、ヤン子墨ズーモー音繰オンソウなど、もともと中国人だった日本兵たちに向けられる。


「――なぁアンタ……アンタたちは何で……中国人なのに日本兵をやってんだ?」


 とある中国兵が、音繰を掴まえていた。その目は真剣そのものである。その雰囲気を察した音繰も、一旦作業の手を止め、中国兵に向き直った。


「え――あぁ……俺っちの場合は、まぁ……尊敬する上官が日本軍に亡命したってのもあるけど……何よりもそりゃあアレよ――って奴よ」

「正義……?」

「あぁ……今俺たちがやってるこの戦争はな、日本と中国の戦争じゃねぇんだ」

「ど……どういうことだ!? だって俺たちは中国軍で、アンタたちは日本軍だろ?」


 兵士は困惑したような顔で音繰を見つめ返す。


「あぁ、そこは間違いねぇ……だけどな、この戦争には大義がねぇんだ。要するに、俺っちが自分の命を賭ける理由さ」

「そ、そりゃあ……確かにそうやって真正面から言われたら分かんねぇけど、兵隊がいちいちそんなこと気にして戦争しねぇだろ……?」

「あ? いや、俺っちだって、前はそんな難しいこと考えちゃいなかったさ……でもな、俺ぁ分かっちまったんだよ」

「な、何が……」

「この戦争が、おめぇら中国の、偉いサンたちの私利私欲で起こされたモンだってな」

「は――!?」


 いつの間にか、音繰の周りには他の中国兵たちも集まって来ていた。みな、真剣に音繰の次の言葉を待っている。


「いいか!? 俺は以前、ハルビンにいたんだ。そこに日本軍が攻めてきた。なんでだと思う?」

「…………」

「あのべっぴんさんを助け出すためさ。ミクちゃんは、とある理由で中国軍に攫われて来てたんだ」

「そ、そうなのか?」

「あぁ、まぁその理由はいろいろあったらしいんだが、とにかく日本軍は、自分たちの仲間を救うためにかけてきたんだ。そん時に、いろいろバレたんだよ。俺たち中国軍の中に、酷い人体実験や変な研究をやってる奴がいたってことが……」

「そ、そいつはいったい――」

「まぁ待て。話の続きが先だ。そんで、それからソイツは、おめぇたち異世界の兵隊をたぶらかして、こっちの世界に攻め込んできやがった。まぁ、その時点で俺っちの頭には殆ど理解できない事態だったけどな……」

「……あ、あぁ……それについちゃあ俺たちだって、似たようなもんだ。なんせこっちの世界は、歴史も違えば日本軍も滅茶苦茶強いときてやがる……」


 異世界から来た中国兵たちは、その言葉に一様に頷いた。


「――あぁ、まぁそこは悩んだってしょうがねぇ。俺たちは下っ端だからな……でもよ、そん時におめぇらを見て気付いたんだ。あぁ――コイツらはただの鉄砲玉だ、とりあえず日本軍をやっつけるための、肉の壁だ、ってな……」

「肉の……壁……!?」


 音繰の指摘に、一部の中国兵たちはうなだれる。そうか――もう自覚のある奴もいたか……無理もねぇ……音繰は、心の中で思う。


「だってよ、おめぇらの今の惨状を見りゃ明らかじゃねぇか!? 変な虫に寄生されて、身体の自由まで奪われて……もしも日本軍の除染作業がなきゃ、今頃おめぇら全員お陀仏よ」


 音繰は、あの『清めの水』のからくりを知らない。ただ、日本軍が上空から何らかの薬剤を雨のように降らせたんだろうくらいに思っていた。まぁ、彼らにとってその部分の真実はさして重要ではない。


 ただ、中国兵たちはみな黙り込んでしまった。確かに、自分たちが人間ではなく、ただの使い捨ての道具にされたという現実は、先ほどから徐々に察し始めていたところだったのだ。


「――いいか!? つまりおめぇらの親玉は、おめぇらのことなんかどうでもよかったってことだ。難しいこたぁ俺は分かんねぇけど、俺たち日本軍は、このままだとおめぇらを完全に消し炭にするしかねぇとまで考えてたんだ。だっておめぇらは、いくら殺しても死なねぇで、バケモノみたいにいつまでも動き回ってたんだからよ」

「……つまり俺たちは、生贄にされたって……言いたいのか?」

「あぁ! だって、あの人を見てみな!?」


 そう言って音繰が指差した先には、異形化したチューラン・ドルゴレン・スフバートル中校が横たわっていた。

 その脇腹からは何本もカニの脚のようなものが突き出している。そのうち何本かは切断されていたが、その顔貌といい、明らかに人間の身体ではない。


「――あ……あれは……!?」

「おめぇらの親玉が、最前線に送って寄越した将校さんらしいぜ。さっきまでのおめぇらと同じように寄生虫に感染してて、そんでアレがらしい……」

「そ……そんな……」


 中国兵たちは、驚愕の表情でチューランの惨状を見つめる。もし日本軍が除染してくれなければ、今頃俺たちも、あんなになってたというのか――!?


「……おめぇらは要するに、犬死に――人間扱いされてなかったんだよ。偉いサンの、何らかの野望のためにな。そんな軍隊に、どの面下げて忠誠を誓うんだ!?」


 そう言うと、音繰は自分が着用している戦闘服の肩口を見せた。


「――だけどこの国は……」


 音繰は、その肩口の旭日旗ワッペンを触ってみせる。


「……日本は、そんな俺たちをんだ。投降した俺たちを許してくれて、おまけにこうやってもう一回兵士として雇ってくれた。一緒に悪を討ち斃そうと言ってくれたんだ。自分たちは中国人が憎いわけじゃない、ただ、ごく一部の者たちの悪だくみが許せないだけなんだってな――」


 音繰の言葉に、中国兵たちは言葉を失っていた。

 ようやく一人が口を開く。


「じゃ……じゃあ日本軍は、俺たちみたいな投降兵も……日本軍に入れてくれんのか!?」

「なんだおめぇ……日本軍に入りてぇのか?」

「あぁ! だって、俺の戦友……殆ど死んじまったんだ……みんな変な虫みたいなのに寄生されて、頭がおかしくなっちまって……その前にここから逃げ出そうとしたら、同じ中国軍に撃たれて大怪我をして……そんでも死ねなくて……クッ……」


 最後は涙声になっていた。


「俺ぁこんな酷い目に遭うために、兵隊やってたんじゃねぇ……みんなそうだ……みんな必死で戦ってただけなんだ……なのに……」


 音繰が、中国兵の肩に手を置いた。


「ま、つまり俺が今、日本兵をやっている理由はこれで分かっただろ?」

「あ、あぁ……」

「日本軍の糧食、悪くねぇだろ? 傷の痛みも、無くなったんじゃねぇか?」

「あぁ、あぁ!」


 徐々に中国兵たちが、音繰の言葉への同意を隠さなくなってくる。

 気が付くと、生き残った中国兵の大半が、自軍に大きな疑問を抱くようになっていたようだった。もともと中国人というのは、簡単に寝返る。こう言うと語弊があるかもしれないが、要するに損得勘定がハッキリしているのだ。この場合の損得というのは、ズバリ自分の命を賭けられるかどうか――

 少なくとも、戦闘区域に隔離され、脱出さえままならず、まるで人体実験のように変な生物に寄生され、鉄砲玉、肉の壁にされた彼らにとって、中国はもはや自分の命を賭けられる存在ではなくなっていたのだ。


 期せずして、未来みくの目論見は叶いつつあった。捕虜にした敵兵たちが、日本軍に恭順しつつある――


 その時だった。


「……う……うぅ……」


 一人の中国兵が、顔面蒼白で苦しそうな声を上げた。


「――なんだ? どうした!?」


 ただごとでない雰囲気に、周囲の兵士たちが心配顔で近付く。だがその直後――


「うッ! うが……ウガァあァァァッ!!!」


 突然激しく苦しみ出したかと思うと、悲鳴のような叫び声をあげ、そして――


 バンッ――!!!


 唐突に、彼の腹部が爆発した。


 飛び散る肉片、そして血飛沫。それは余りにも突然で、周りの中国兵たちは避けることもできず、頭からいろいろなものをまともに被る。


「ひゃあぁぁッ!?」


 中国兵たちは、慌てて飛び退いた。どうして!? 彼はキチンと救護処置を施されていたはずなのに――


 当然、その騒ぎは傍にいた全員の目に触れる。レーションを配り終えていた未来も、それから現地に降り立っていた叶も、兵士の爆発に驚き、慌てて駆け込んできた。


「音繰隊長っ! これはいったい――!?」


 未来が問い質すが、音繰にも何がなんやら分からない。


「――み、ミクちゃん……俺にもよく――」

「これ、もしかして『三屍』の残骸が関わっているんじゃないかね!?」


 叶が鋭く指摘する。


「え……『三屍』の残骸?」

「あぁ……未来ちゃん、アイシャちゃんが転移の直前お腹が破裂したの、覚えてないかい?」

「あ――」


 確かに、言われてみればそうだった。李軍はあの時、確かに一度アイシャに『三屍』を感染させ、その後なんらかの処置を施して彼女から寄生虫を除去した。だがその直後、彼女のお腹は突然爆発したのだ。アイシャの腹部が酷い有様なのは、その時負った怪我なのだ。


「――これはちょっと深刻かもしれないよ……やはり寄生虫の残骸を体内に残したままだと、最終的にはこうなってしまうのかもしれない……」


 それを聞いた中国兵たちは、途端にパニックに陥った。


「――い……嫌だ……! なんとかしてくれぇ!!」

「頼むッ! 助けてッ!!」


 だが、見る間に中国兵たちは、あちこちで苦しみ始めた。やがて一人、また一人と、まるで時限爆弾のように、兵士たちはあっちでもこっちでも、爆発し始めたのだ――

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